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スティーブン・スピルバーグ論』

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No.0928

 

 『スティーブン・スピルバーグ論』南波克行編(フィルムアート社)を読みました。

 『トム・クルーズ キャリア、人生、学ぶ力』を読んだところ、その生い立ちにおいてトム・クルーズとスティーブン・スピルバーグには共通点が多いことを知り、興味が湧いたのです。そこで、同じ編者による本書を読んだ次第です。本書の表紙にはスピルバーグの顔写真とともに、「今、なぜスピルバーグなのか?」「『アメリカ』の起源と未来を求めて」「『E.T』時代のインタビュー、ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイルとの鼎談によるスピルバーグ自身の言葉を収録」と書かれています。


 本書の目次構成は、以下のようになっています。


序文にかえて(南波克行)
論考1:夜の暗がりの寄る辺なさとともに
    ―スピルバーグ映画の子供たち(大久保清朗)
    COLUMN:スピルバーグとフランス人俳優(南波克行) 


論考2:製作総指揮スピルバーグ論
    楕円というオブセッション(上島春彦)
翻訳:『E.T』直後(1982年)のインタビュー
   インタビュアー:マイケル・スラゴウ(南波克行:訳)


論考3:文芸作家としてのスピルバーグ
    ―教育のテーマが結実するまで(斎藤英治)
    COLUMN:ユダヤ記念館への援助活動(越智道雄)
翻訳:スティーブン・スピルバーグ×ロバート・ゼメキス×ボブ・ゲイル
   『バック・トゥ・ザ・フューチャー』製作25周年記念鼎談(南波克行:訳)


論考4:スピルバーグ――「歴史の悪夢」への挑み方(越智道雄)


論考5:スピルバーグの戦争と肯定の炎(西田博至)
    COLUMN:スピルバーグ腹心のスタッフたち(南波克行) 


論考6:スタンリー・キューブリックの遺産
    ―『2001年宇宙の旅』が『A.I.』になる時(巽孝之)


論考7:スピルバーグとコミュニケーション(南波克行)
    COLUMN:メイキング映像のスピルバーグ(南波克行)


論考8:二人のトム
    ―トム・ハンクスとトム・クルーズ(南波克行)
    COLUMN:スピルバーグの政治的フィルム(南波克行)


論考9:リアルとアンリアルの間(南波克行)


後記(南波克行)
スピルバーグ年譜
執筆者略歴
掲載作品DVD情報


 「序文にかえて」の冒頭で、映画評論家・批評家の南波克行氏は次のように述べています。


 「1946年、スティーブン・スピルバーグは、第二次世界大戦終了の翌年に誕生する。そしてその年は、後に自身が映画化することになる『宇宙戦争』の原作者、H・G・ウェルズが没した年でもある。さらに、その『宇宙戦争』をラジオドラマとして放送し、本物の宇宙人襲来と勘違いした市民がパニックとなり、全米に騒動を巻き起こしたのは、同じウェルズという姓を持つ(ただしスペルは異なる)、弱冠23歳のオーソン・ウェルズ、1938年のことだった。その勢いで映画に進出した彼が、しばしば映画史上のナンバーワンにランクされる『市民ケーン』を発表するのが、1941年、ウェルズ26歳の時だ。そして、その同じ26歳のスピルバーグが、前年にテレビ放送された『激突!』の大反響を受け、追加撮影を施した劇場版をヨーロッパで封切るのが1972年。痛恨にして、オーソン・ウェルズはその後、映画監督としてその才能に見合った製作環境を、ついに得られぬままに70年の生涯を終えるが、一方スピルバーグは、映画史上の記録を何度も塗り変え、映画界の頂点に君臨し続けることになる」

 

スピルバーグ1.jpg
   わが書斎の映画書コーナー

 

 

 この冒頭の文章を読んだだけでわかるように、本書は映画のウンチクに満ちており、スピルバーグ・ファンならずとも通読すれば、映画や映画史についての多くの知識が得られます。南波氏によれば、スピルバーグをめぐる言葉は、これまであまりにも断片的であったそうです。その名前と作品は世界の誰よりも知られながら、その歩みを体系立てた言葉がなかった。そして、従来のスピルバーグ論に欠けていたのは、スピルバーグ作品に対する全面的な愛情だというのです。わたしは、これまで本書の版元であるフィルム・アート社から刊行されたさまざまな映画監督についての研究所を読んできましたが、わたし自身が大好きな監督であるスピルバーグへの愛情に溢れた本書を楽しく読みました。


 スピルバーグの作品には、よく子どもが登場します。その代表的な作品が『E.T.』でしょうが、「『E.T.』直後(1982年)のインタビュー」で、当時34歳のスピルバーグはインタビュアーのマイケル・グラスゴウに向かって次のように述べています。


 「子どもというのは、大人のことを、何もかも大げさだと感じてるものだと思う。多くの子どもは、大人のことを敬いながら軽蔑しているんだ。ぼくが『E.T.』でエリオット役のヘンリー・トーマスに演技をつけていてさえ、彼の現実感とかけ離れたことを言ったりすると、いかにも『やれやれ、大人ってわかってないよね』と言わんばかりの目で見られるんだ。ヘンリーの感覚とズレてなければ、いつでもにこやかに笑ってくれるし、『うんうん、なるほど』って反応が返ってくる。だからぼくは、自分の3分の1に満たない年齢の子どもたちに、いつでも報われたり、教えられたりしてるよ。とにかく、子どもたちより早く反応するようにしていた。だから自分自身のことは抑えて、つまりスティーブン・スピルバーグという立場でなく、子どもたちに従って、自分を作り変えていくようにしたんだ」


 それを聞いたインタビュアーのグラスゴウは「しかしそれはある意味、怖いことではありませんか?」と言います。それに対して、スピルバーグは次のように述べました。


 「ぼくが死ぬほど恐ろしいと思っていることといえば、いつか目が覚めて、自分の映画が人を退屈させるようになっていることだ。その気持ちが、ぼくに映画を作り続けるよう仕向けている。自分も観客も興奮させるような映画をね。自分の映画をとても大規模なものにし、特殊効果チームを設けて、自分がその責任者であること、そのことはすごく楽しい。製作会議、それも3、4人の会議じゃなくて、50人、実際の製作が決まりかけてくると、時には100人にもなる会議には、わくわくするよね。まさに映画製作という戦場に、一個師団を率いて乗り込むような気分だよ。権力というのは麻薬みたいなもので、けれど、権力のための権力ではないよ。ぼくはとにかく、テレビでは決して見ることのできない物語に魅入られているんだ。普通の日常では決して体験できないような物語にね。だからこそ、ぼくはあり得ない夢の方へと引きつけられる。そして、そのあり得ない夢を見るためには、いつだって2000万ドルが必要なんだ」


 論考5「スピルバーグの戦争と肯定の炎」では、批評家の西田博至氏がスピルバーグの戦場についての思考を展開しています。興味深かったのは「JAWS/ジョーズ」(1975)の主人公である人喰鮫が最後に退治されるくだりでした。この鮫は巨大な口の中に酸素ボンベを突っ込まれるのですが、それを第二次世界大戦の米軍が正式採用しており、「プライベート・ライアン」でもたびたび登場する、MIガーランドで狙撃されて爆死するのです。この後のシーンに使われた音楽が面白い。西田氏は次のように述べます。


 「人喰鮫が、海底へと沈んでいくショットに、スピルバーグは『激突!』で殺人トレーラーが崖を転げ落ちる際にミックスしたのとおなじサウンドをまた用いる。そのサウンドとは怪獣の咆哮であり、これが『ゴジラ』(本多猪四郎、1954)の鳴き声からの引用であることは、スピルバーグ自身が証言しているとおりだ。さて、ではゴジラとは何であり、何によって倒されたのだったろうか? それはアメリカの核実験によって誕生し、日本軍の対米戦の秘密兵器として誕生した、水中酸素破壊剤オキシジェン・デストロイヤーによって倒されたのである」


 さらに、西田氏は「宇宙戦争」(2005)に言及して、スピルバーグの戦争に対する恐怖と不安について、以下のように述べます。


 「スピルバーグは『宇宙戦争』を撮ったとき、おなじタイトルのジョージ・パルの映画(1953)を含め、1950年代に何本もつくられた地球侵略ものの映画には、或る日いきなりじぶんの頭の上に、ソ連の核兵器が落ちてきて殺されるのではないかという、当時の人びとの恐怖と不安が反映されていると述べたが、これがそのとき映画狂のティ―ンエイジャーだった彼自身の怖れでもあったことは、間違いないだろう。だから、ヒロシマの怨念としての怪獣の『声』を人喰鮫に与え、それを第二次大戦で米軍の使用したライフルで、酸素ボンベ(オキシジェン・デストロイヤー!)を炸裂させて倒すことで、核戦争への恐怖を拭い去ろうとしたのではなかったか。スピルバーグはしかし、『ジョーズ』だけでは核戦争の恐怖を払拭できなかったようで、『太陽の帝国』では長崎で炸裂したらしきその『光』を撮り、『ジュラシック・パーク』では、騒動の原因となるシステム・エンジニアのPCに、アメリカの原爆開発『マンハッタン計画』を主導したユダヤ系の物理学者ロバート・オッペンハイマーの肖像写真が貼りつけてある」


 スピルバーグは「宇宙戦争」において、火星人の光線兵器による殺戮を「ピカッと光るとまるでヒロシマ」というセリフを登場させ、米ソ冷戦を描いた「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」(2008)では、ジョーンズ博士を米軍の原爆実験場へと送り込んだばかりか、アメリカの青空を背景にまっすぐ延びるキノコ雲を映し出しています。さらに西田氏は、次のように述べています。


 「宇宙戦争」のトライポッドのフォルムは、映画キャメラを容易に想起させるが、トライポッドから放たれる光線に射抜かれると、逃げ惑う群衆の身体は一瞬で、今まで着ていた衣服だけを宙に舞い上げて、人型をした『灰』になって掻き消されてしまう。ここでは9・11だけでなく、アウシュヴィッツとヒロシマの殺戮が二重映しになっている」


 そして、スピルバーグの代表作の1つである「シンドラーのリスト」(1993)が取り上げられます。この映画は「スピルバーグは強制収容所をテーマパーク化した」などと色々と批判も浴びた作品ですが、何よりもホロコーストをフィクションとして「再構成」するこは「最も重大な侵犯行為」と「陳腐化」であると批判されました。なぜか。それは、ホロコースト恐怖は伝達不可能だからです。ホロコーストを描くフィクションがどれだけ真に迫っていようが、スクリーンの中の俳優たちは実際に殺されていないからです。本書には「すべてが本物に見えても、実際に起こったことは何ひとつこれには似ていなかった」という映画作家のクロード・ランズマンの言葉が紹介されています。

 

 しかし、それでもスピルバーグは「シンドラーのリスト」を撮りました。西田氏は次のように述べています。


 「そもそもの認識において、スピルバーグはホロコーストを第二次大戦のナチス占領下だけで起きた、決して二度と繰り返されないものではなく、何度も何度も回帰してくるものとして捉えているということである。『シンドラーのリスト』を撮った映画作家が、現代のアメリカを舞台に『宇宙戦争』を撮っている意味とは、そういうことである。そして、スピルバーグは既に起きてしまって変更の効かない、一回性の『絶対の恐怖』という認識に対して、しかしそれはこのようにもあり得た、こうあるべきだったのだという可塑性を提示する最良の方法として、敢えてフィクションを選択し、ホロコーストを撮るのである」


 「シンドラーのリスト」のラストシーンについての西田氏の以下の感想は、非常に示唆に富んでいます。


 「ホロコーストを生き延びた人びとと、彼らをモデルとした役柄を演じた俳優たちがひと組になって、シンドラーの墓にひとつづつ石を置いてゆく。『シンドラーのリスト』のこの最後のシークェンスは、フィクションと『実際に起こったこと』との一挙な和解ではない。『柵』と『光』の間で引き裂かれながら撮り続けているスピルバーグであるから、これはむしろ、その間の埋め難い裂け目を描き、表象することの強すぎる力を鎮めることを、意図しているとみるべきだろう。しかし、思わずこのシークェンスに涙ぐむのは、石を積んで建築を始めたことと、花を摘んで弔いを始めたことは、そのどちらも、人間が全き自然であることを殺害して、文明を始めたその最初の徴としてあったはずだからだろうか」


 論考6「スタンリー・キューブリックの遺産」も大変面白く読みました。執筆者の巽孝之氏は慶應義塾大学文学部教授(アメリカ文学)で、SF評論家でもあります。わたしは巽氏の著書をほとんど読んでいますが、『「2001年宇宙の旅」講義』(平凡社新書)は特にエキサイティングな内容でした。


 巽氏はまず、SF映画の金字塔「2001年宇宙の旅」(1968)の原作者であるアーサー・C・クラークについて次のように述べます。


 「アーサー・C・クラークといえば、アイザック・アシモフやロバート・A・ハインラインと並んで1950年代のSF黄金時代を支えたハードコアSF御三家、つまり人類とそのテクノロジーの進歩が可能にするだろう外宇宙へ(アウタースペース)の夢が前提の伝統的SFを支えた三大巨匠のひとりとして評価が定まっているが、60年代末に中学生だったわたしのようなローティ―ンにとっては、外宇宙よりも内宇宙(インナースペース)をめざしてSFを革新し、科学小説(サイエンス・フィクション)ならぬ思弁小説(スペキュラティヴ・フィクション)を試みようとするニューウェーヴ運動の渦中であっただけに、クラークの名は同じイギリス作家として当時紹介の進んでいた主導的ニューウェーヴ作家J・G・バラードやブライアン・オールディスらと組み合わせても、さほど違和感はない」


 続けて巽氏は、SF的思索の歩みを以下のように述べています。


 「1960年に着任したアメリカ第35代大統領ジョン・F・ケネディは、19世紀のフロンティア・スピリットを更新するような『ニュー・フロンティア構想』を打ち出し、アメリカSFが宇宙開発の無限の可能性に夢を抱く根拠を与えたが、いっぽうイギリスSFはアメリカSFへの批判から、外宇宙よりも内宇宙への探索をめざして思弁小説の道を歩み出していた。げんに、クラークもバラードも宇宙船の難破や宇宙飛行士の挫折・死亡といったタイタニック症候群に取り憑かれていたのは広く知られるところであり、クラークとの共作で『2001年』を撮ったスタンリー・キューブリック監督の遺作未満が、オールディス1969年発表の短篇『スーパートイズ』、転じてスティーブン・スピルバーグ監督の手で完成された『A.I.』であったのは、決して偶然とは思えない」


 キューブリックは遺作となった「アイズ・ワイド・シャット」(1999)に続き、イギリス・ニューウェーヴSFの騎手であるブライアン・オールディスの短篇「スーパートイズ」にもとづく新作映画を完成させる予定でした。しかし、キューブリックは帰らぬ人となったのです。そして、キューブリックの盟友であったスピルバーグが遺言執行人を任され、ついには「A.I.」の監督を務めることになったのです。


 「A.I.」の主人公はディヴィッドという名の少年アンドロイドですが、彼は自分が人工知能であることを知らず人間と信じ込み、母親を愛するようにプログラミングされています。彼は決して成長しない永遠の五歳児ですが、その背景には人口過剰のために人口抑制が運命づけられている近未来の社会がありました。


 この「A.I.」をスピルバーグ独自のスタイルを保ったまま行われたキューブリック再解釈であると見る巽氏は、次のように述べています。


 「時の彼方で、ディヴィッドをそこから『掘り出し』たのは、ロボット種族が驚くべき超進化を遂げた末裔というべき機械種族であり、彼らはディヴィッドの記憶から自由自在に『読み出し』を行い、元の家と母モニカを再生させ、彼の願望を叶えてやろうとする。そう、あたかも『2001年宇宙の旅』においてボーマン船長がまぎれこむ、スターゲイト内部に構築された地球のホテルのスウィート・ルームが、エイリアンによって宇宙船ディスカバリ―号の通信機能やHAL9000コンピュータ、および船長自身の記憶からデータを読み出し再構築された仮想空間であったように(ちなみに、ロボットのジャンク市場はキューブリックのもうひとつの名画『スパルタカス』(1960)を彷彿とさせる。AIのディヴィッドは、まさしくディヴィッド・ボーマン船長の生まれ変わりかもしれない。それ以上に、ユダヤ系のキューブリックから同じくユダヤ系のスピルバーグへ受け継がれたテクストの背景には、ゆだや教育における石板の伝統とユダヤ人的人工知能の起源たるゴーレムという判じ絵が秘められていたかもしれない」


 ところで、「A.I.」のディヴィッドはSF版「ピノキオ」などと呼ばれます。しかし、巽氏は「ピノキオ」よりも「ピーター・パン」との類似性を指摘し、以下のように述べています。


 「もともとディズニー・アニメ『ピーター・パン』(1053)の画期的更新を試みたのが『E.T.』であったのは言うまでもないが、『A.I.』においても、そのタイトルの印象が『E.T.』と似ているのもさることながら、『ピーター・パン』と『E.T.』がふまえていたのと同じ巨大な月夜のスペクタクルを、『A.I.』もまた踏襲するばかりか、一定のアイロニーを込めて処理しているのが、何とも興味深い。それはもちろん、スピルバーグ自身の巨大な可能性と一定の限界である」


 そして巽氏は、「エイリアン・アイ」というキーワードを持ち出して、キューブリック映画の本質を次のように述べるのでした。


 「わたしはキューブリックがあれほどまでに『E.T.』にのめりこみ、『A.I.』をめざしたゆえんは、子ども自身を最大の「見知らぬ他者」であり、驚くべき内宇宙の旅行者と捉えていたためではないかと考える。『ロリータ』(1962)の神秘的な少女でもいい、『2001』の超人類スター・チャイルドでも、『シャイニング』(1980)の超常能力をもつ少年ダニーでもいいが、キューブリックの描く子どもは、たえずおぞましいほどのエイリアン・アイの持ち主ではなかったか」


 スピルバーグが「A.I.」を発表したのが奇しくも2001年です。ディヴィッドこそは「2001年宇宙の旅」を行く旅人だったのかもしれません。


 論考7「スピルバーグとコミュニケーション」では、「いかに他者と心を通わせるか」という問題を取り上げ、冒頭で南波氏が書いています。


 「この世界はありとあらゆる障壁に満ちている。国境や宗教に、イデオロギー、人種や使用言語、性別、世代に、政党、果てはDVDのリージョンコードまで、私たちを一方ともう一方に分解しようとする要因には限りがない。そしてこうした群と群とを分かつ、境界線がこの世界の歴史を動かしてきた」


 そして南波氏は、「いかにして他者と心を通じ合わせるか、これこそがスピルバーグが作品選びをする基準として、しばしば言うところの『自分の物語』というわけだ」と述べるのでした。この点において、筆頭にあげるべき作品は、やはり「未知との遭遇」(1977)です。この映画は「接近遭遇」という言葉を生み、異星人と人間(地球人)とのコミュニケーションを見事に描きました。南波氏は「異星人との間だけでなく、あらゆる人物関係において、意思疎通の不完全な状況が描かれている」と述べていますが、同感です。


 スピルバーグは、「言葉が通じないという恐怖」を多く描いてきました。以下、南波氏がわかりやすく説明してくれています。


 「対話の可能性がまったく閉ざされていることは、自動的に恐怖をもたらすだろう。『激突!』(1971)が画期的だったのは、主人公を追い回すトラックの運転手が、決して姿を見せないことではなかったか。それはすなわち、はじめから対話の可能性を閉ざしており、文字通り問答無用であるということだ。それは、命乞いが無駄だという事態にも通じ、まさに格好の恐怖の素材となり得る」


 「激突!」以降も「言葉が通じないという恐怖」は描かれてきました。


 「『JAWS/ジョーズ』(1975)、『ジュラシック・パーク』のサメと恐竜に、対話の余地などない。面と向かい合ったら食われるしかないのだ。そして『未知との遭遇』の友好的な宇宙人から一転、その20年後の『宇宙戦争』(2005)での宇宙人たちは、何の留保もなく、人類を皆殺しにする。『未知との遭遇』や『E.T.』(1982)の宇宙人と、『宇宙戦争』の宇宙人との違いは、相手との意思の疎通を図ろうとする気持ちがあるかどうかという、その一点に尽きる。たぶんスピルバーグという個人にとって、最大の恐怖というのは、この他者と交信しようという意識の欠如、という事態なのだと思う。巨大トラックや、サメや、肉食竜はそのまま、ユダヤ人を虐殺するナチスの姿に転じていく。ホロコーストというのは、人類の歴史で他者に対して、対話の余地なく問答無用な行為を行った、最大最悪の事例のはずだ」


 1993年、スピルバーグ監督の作品が2本同時に製作されました。「シンドラーのリスト」と「ジュラシック・パーク」です。アカデミー賞を独占したシリアスな歴史大作と、歴代興収記録を塗り替えた娯楽大作。一見対照的な2本ですが、外見をこそぎ落とせば、ともに根本には「意思の疎通ができない状況における恐怖」があるわけです。


 南波氏は「シンドラーのリスト」と「宇宙戦争」にも共通項が見出せるとして、次のように述べます。


 「『シンドラーのリスト』中盤で、空から大量の何かが降ってくるシーンがある。雪だろうか? 道行く人は怪訝な顔をするが、通りかかったシンドラーがそれを手に取ると、はたしてそれは灰だった。何万人ものユダヤ人の死体を焼却したことで、死体が灰となって空から降り注いできたのだ。そして『宇宙戦争』で最初の攻撃があったときも、空から大量の灰が降り注ぎ、逃げるトム・クルーズの体を白く覆う。宇宙人の殺人光線によって、一瞬にして灰になった人間の肉体が、ここでも彼にどっと降りかかったのだった」


 そして、続く南波氏の言葉は非常に感動的です。


 「そんな2005年製作の『宇宙戦争』の時期は、言うまでもなく同時多発テロ以後の世界の真っただ中である。2003年のイラク戦争開始に、翌年の子ブッシュ大統領再選。アメリカを中心とするコミュニケーション不全が最大値に達したときである、こうした世界の混乱と悲劇が起こる時、これらスピルバーグの負の傑作群が生まれる。しかしスピルバーグは、そんな中でも必ずコミュニケーション手段を模索している。相手が人である限りは、世界に可能性を残すために」


 相手とコミュニケーションを行うために、スピルバーグは「言葉を覚える」という描写を最も好みます。「未知との遭遇」では5つの音とハンドサインで異星人と交流しましたが、「E.T.」の宇宙人はテレビ番組やコミックを通じて、ひたすら英語の勉強をしました。以後、スピルバーグの映画には相手の言葉を学ぶという描写が多く登場します。

 そして、スピルバーグの語学学習を代表する人物が、トム・ハンクスです。彼がスピルバーグ作品に登場するとき、なぜか必ず言葉が通じなくて困る人物を演じているのです。その最初が「プライベート・ライアン」(1998)でドイツ語に苦労するミラー大尉であり、次に「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」(2002)でフランス語に苦労するアメリカ人であり、そうした言葉が通じない物語の究極が「ターミナル」(2004)でしょう。この作品では、架空の国クラコウジア出身で英語がまったく話せない人物がニューヨークにやってきたもののパスポートが失効、また入国する前に祖国がクーデターで消滅したため、空港内での生活を余儀なくされるという物語でした。


 スピルバーグは、トム・クルーズと同じ障害を持っていたそうです。このことが彼の「言葉を覚える」ことへの異様なまでの執念と関係があるのでしょうか。南波氏は、次のように述べています。


 「スピルバーグ自身も、決して友だちの多い子どもでなかったことは、よく知られている。そして、学習障害があり、読み書きが困難だったために、いじめられていたという、スピルバーグ自身の告白も、2012年10月に国際的に報道された。しかし、そうした少年時代の体験が、スピルバーグ作品に反映しているのだ、という安易な結論だけは控えたい。人間はもっと複雑なものだし、創作の源を伝記的事実のある一点に集約することほど、退屈なものはないからだ。しかし、自身を見、世界を見、歴史を見ることで、スピルバーグが発見したことは、常に2つに分裂しようとするこの世の圧倒的な力学に、いかに抗うかというテーゼであったことは間違いないだろう。スピルバーグの偉大さは、個人的な課題としての『自分の物語』を、広く『世界の物語』に転じることができる、ということだ。個人と世界を触れ合わせ、世界とコミュニケーションすることで、スピルバーグは世界一の映画作家になったのだ」

 スピルバーグに対する深い愛情が伝わってくる文章ですね。


 論考8「二人のトム」も、すごく面白かったです。冒頭、南波氏が以下のように書いていますが、これは知らなかった!


 「20世紀が終わる頃から、スピルバーグが二人のトムを主演とした連作を手がけるようになる。トム・ハンクスとトム・クルーズだ。1997年、折しも不幸な不慮の死を遂げた、イギリスのダイアナ妃葬儀にあたり、アメリカ映画界から列席したのが、スピルバーグ夫妻とハンクス夫妻に、クルーズ夫妻(当時の妻はニコール・キッドマン)だった。これは、その後のスピルバーグ作品のキャスティングを予告するにしては、奇妙な場ではある。ただ言えることは、こうした場に並んだのが彼らだったことから、その時点で(そして今も)ハリウッドを代表する"顔"は、まさしくこの三人だということだ」


 また南波氏は、以下のように「映画の始原」について述べます。


 「リュミエールの時代が終わり、サイレント映画が物語を語り始めた頃、面白さへの欲望を満たすための、映画における原初的なモチーフとは何だったろうか。それはキーストン社に代表されるスラップスティック喜劇の、追いつ追われつの活劇だった。トーキーの時代に入ってもなお、映画は追う者と追われる者の物語の快楽を忘れられず、それがMGMの『トムとジェリー』、ワーナー『ルーニー・トゥ―ンズ』などの短篇アニメにまで、そっくり原型が遺されていることは言うまでもない。


 そして、この追う者と追われる者という「映画の始原」を、スピルバーグは現代に甦らせたのでした。二人のトムを使って・・・・・・。南波氏は「当初から予定したわけではないだろうが、作品が出そろった今ならわかる通り、スピルバーグはきわめて明確に、トム・ハンクスには『追う人』、トム・クルーズには『逃げる人』という役を割り振っている」と述べています。その代表作がハンクスは「プライベート・ライアン」(1998)、クルーズは「マイノリティ・リポート」(2002)だそうです。

 そして注目すべきは映画草創期の大スターであるバスター・キートンとチャールズ・チャップリンの性格が二人のトムに与えられているという指摘です。「逃げる人~キートンからクルーズへ」「追いかける人~チャップリンからハンクスへと」いう項で、南波氏は具体的に説明してくれます。


 映画の始原に目をつけ、「追う者と追われる者の物語の快楽」を甦らせた映画監督がスピルバーグ以前にもいました。アルフレッド・ヒッチコックです。ヒッチコックは、ジェームズ・スチュアートを「追いかける人」、ケイリー・グラントを「逃げる人」として描きました。南波氏は次のように述べています。


 「トム・ハンクスがその良心的なイメージから、しばしば第二のジェームズ・スチュアートに例えられるのと同様に、クルーズをケイリー・グラントになぞらえることも可能だろうか。言うまでもなく、スチュアートもグラントも、ヒッチコック作品への最多出演俳優であり、どちらかというと、事態を自ら切り開いて解決に導く人物を演じるスチュアートに対し(『裏窓』(1954)、『知りすぎていた男』(1956)など)、グラントは事態からの脱出こそが命題となる人物を演じることにも似る(『汚名』(1946)、『北北西に進路をとれ!』(1959)など)。つまり追うスチュアートに、逃げるグラント」


 いやあ、面白過ぎますね! ヒッチコックはスチュアートとグラントの二大俳優を共演させませんでしたが、スピルバーグにはぜひ、追うハンクスと逃げるクルーズの共演映画を製作してほしいと思います。

 

 そして論考9「リアルとアンリアルの間」も非常に参考になりました。冒頭で南波氏は、スピルバーグ作品の中で最も語られることの少ないものに「オールウェイズ」(1989)と「フック」(1991)の2本を挙げています。まず、スピルバーグ作品全体を俯瞰して、次のように説明されています。


 「『未知との遭遇』や『E.T.』(1982)などでの、夢見る少年としてのあまりに根深いイメージから、今に至るも『子どもの心を持つ大人』『センス・オブ・ワンダー』といった言葉と共に語られがちなスピルバーグである。しかしその一方で、今では誰もが知るように、『シンドラーのリスト』(1993)や『プライベート・ライアン』(1996)、『ミュンヘン』(2005)といった、ファンタジーどころか、むきだしのリアリズムで作られた作品が現前とある」


 このように題材的には相反するような二種類の作品が常に共存するのがスピルバーグの「不思議」であり「魅力」であるわけですが、「リアル」と「アンリアル」という2つの傾向が同じ1つの作品の中で共存しているのが、まさしく「オールウェイズ」と「フック」だというのです。また、この2本は、「シンドラーのリスト」と「ジュラシック・パーク」の2本の作品の直前に発表されています。「シンドラーのリスト」は彼岸のオスカー独占のシリアスドラマであり、「ジュラシック・パーク」は3度目の映画史上最高興収を達成した最高級のエンターテインメントであることは言うまでもありません。


 「ピーター・パン」の後日談である「フック」はともかく、「オールウェイズ」はブログ「天国映画」でも紹介した、わたしの大好きな映画の1つです。あのオードリー・ヘップバーンが最後に出演した映画としても知られています。彼女は霊界の住人である妖精の役でした。この作品はアメリカ映画「A Guy Named Joe」(1943)のリメイクですが、この作品がスピルバーグ少年の心に大きな影響を与えました。彼は、リメイク版である「オールウェイズ」の製作を10年も暖めていたそうです。スピルバーグは、それまで大成功してきたファンタジー的な要素を下地に、開拓しつつあったヒューマン・ドラマの要素を結び合わせ、「オールウェイズ」という1本の作品の中で総合を図ったといいます。

 南波氏は、次のように述べています。


 「そのリアルからファンタジーへの誘いは、オードリー・ヘップバーンによってもたらされる。彼女もまた、一国の王女が平凡な少女として束の間の休日を楽しむという、リアルとファンタジーとの甘酸っぱい往復を描いた、『ローマの休日』(1953)で世界の恋人となったのだった。彼女が演じる天の要請の導きで、亡霊となったドレイファスは現世に舞い戻り、今も彼の死を悼んで忘れられぬ恋人と、旧友のそばに還ってくるのだった」

 

 不慮の事故で死亡したものの、天使となって現世に戻ってくるパイロットを「未知との遭遇」で好演したリチャード・ドレイファス、彼の死を悼む恋人役をホリー・ハンターが演じています。南波氏はさらに述べます。


 「天使になってから、ようやくホリー・ハンターに一方通行の再会を果たしたドレイファスは、自分がどれだけ言葉を口にしても、それらが決して相手に届かないことを思い知る。それを、ヘップバーン演じる妖精の言葉では、ドレイファスの考えがまるで自分の関上げであるかのように、相手に届けなければならないのだ、と。すなわち、『霊感』を伝えなければならない。『言わなければわからない』はずのものを、『言わなくてもわかる』よう、転換することが、一大使命となる。これが『オールウェイズ』に託された、リアルとアンリアルの共通解だ」


 ラストで恋人同士の別れ際の会話を交わしますが、この時、ドレイファスは「君にはぼくが見えないが、ぼくには君が見える」("I know you can't see me,But I can see you.")と言います。これは、ヴィム・ベンダースの「ベルリン・天使の詩」でピーター・フォークが語った「見えないがいるな」("I can't see you,but I can know you're here.")というセリフに似ています。


 また、「オールウェイズ」が作られたのは、スピルバーグが製作総指揮と脚本を担当した(監督はトビー・フーパー)「ポルタ―ガイスト」(1980)と同じ時期です。この「ポルタ―ガイスト」は、心霊現象によって霊界に幽閉された娘を両親が救出する物語ですが、母親が霊界の娘に向けて「私が見える? 私が見える?」("Can you see me?Can you see me?")と半狂乱に繰り返すシーンがあります。南波氏は「ここに既に霊界と現世の『見える、見えない』のやりとりがあり、『向こう側』と『こちら側』の行き来をテーマにしている点で、『ポルタ―ガイスト』は、意外と深い『オールウェイズ』との参照関係にある」と述べています。


 「君にはぼくが見えないが、ぼくには君が見える」、「見えないがいるな」、そして「私が見える? 私が見える?」・・・・・・これらの言葉は、愛する人を亡くした人のためのグリーフケアと関連の深い言葉でだと言えるでしょう。また、「オールウェイズ」という作品がめざすリアルとファンタジーの和合こそは「葬儀」という営みの本質ではないかと思います。愛する人が亡くなったというリアルと、愛する人が素晴らしい世界に旅立ったというファンタジー、この2つをつなぐのが葬儀というセレモニーではないでしょうか。

 

 じつは、わたしは『死が怖くなくなる読書』(現代書林)の続編として、『死が怖くなくなる映画』という本を書きたいと思っているのですが、その執筆に向けて本書『スピルバーグ論』は大きな学びを与えてくれました。


 それにしても、スティーブン・スピルバーグほど、映画を知り尽くしている映画監督もいないでしょう。「映画の申し子」などというレベルを超えて、もはや前人未到の域に達している観があります。ひょっとすると、「映画の天使」いや「映画の神様」なのかもしれませんね。