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歴史小説の罠』

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No.0934

 

 『歴史小説の罠』福井雄三著(総和社)を読みました。

 歴史小説には「史実」と「虚構」が交錯していますが、東京国際大学教授である著者は絶大な人気と影響を誇る司馬遼太郎文学の虚構性を暴きます。また、司馬遼太郎の虚構性が半藤一利氏を経て、ノーベル賞候補作家である村上春樹氏にまで及ぶと指摘します。また、中沢啓治の『はだしのゲン』や百田尚樹の『永遠の0』にも言及しており、非常に興味深く読みました。

 

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   「司馬史観徹底検証!」と書かれた帯

 

 

 帯には「司馬史観徹底検証!」と大書され、『国民的人気作家たちが紡ぐ虚構の近現代史を撃つ決定版!』と書かれています。また帯の裏には「村上春樹よ、司馬史観から脱却せよ」として、以下の文章が本文より一部抜粋されています。


 「司馬史観についての批判は奥が深く、簡単な作業ではすまされない。なぜならばそれは、戦後日本の精神史にぬぐい去れぬほどの巨大な影を落としていて、あまりにも多くの日本人が、その史観のうちにからめとられてしまっているからだ。現在日本を代表する売れっ子作家で、ノーベル文学賞候補にあがっている村上春樹ですら、司馬史観に呪縛されている一人なのである」

 

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   帯の裏には「村上春樹よ、司馬史観から脱却せよ」の文字が・・・

 

 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。


序文
第1章   村上春樹と司馬史観
第2章   旅順攻防と乃木希典
第3章   司馬史観と東京裁判史観
第4章   ノモンハン事件の真実
第5章   司馬史観を受け継いだ半藤史観
第6章   作品でたどる司馬史観の萌芽と形成
第7章   『故郷忘じがたく候』の虚構
エピローグ 『永遠の0』で見えた日本の可能性
付録    特別対談 ×東谷暁
      「司馬史観に象徴される戦後精神」


 第1章「村上春樹と司馬史観」の冒頭、村上春樹氏の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の中で言及されているノモンハン事件が取り上げられます。


 ノモンハン事件とは、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争です。1930年代に大日本帝国とソビエト連邦間で断続的に発生した日ソ国境紛争、いわゆる「満蒙国境紛争」の1つとされています。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となりました。亡くなる直前の司馬遼太郎がノモンハン事件を次回作のテーマに考えていたことは有名です。彼はこの事件に日本人の最も悪い点が集約されているととらえ、当然ながらノモンハン事件は日本の大惨敗だと信じていました。この見方は、『ノモンハンの夏』で山本七平賞を受賞した半藤一利氏、さらには『ねじまき鳥クロニクル』の村上春樹氏にまで受け継がれているといいます。


 しかし、本書の著者である福井氏によれば、司馬遼太郎の歴史認識は歪んでおり、ノモンハン事件も日本の大勝利であったというのです。福井氏は、次のように述べています。


 「司馬史観では、日本が大東亜戦争に敗れたという結果論から、昭和史および日本の近現代史を暗黒と破滅の時代であったとする、否定的な見方でとらえている。そしてその諸悪の根源はすべて、ノモンハンで日本がソ連に大敗北したことに胚胎するとし、ノモンハンの敗北をすべての誤りの象徴にあげているのである。ノモンハンを日本近現代史の暗黒の集約点にしているのである。この史観にこれまでどれほど多くの日本人が呪縛され、影響されてきたことであろうか。村上春樹もその例外ではなかった。
 しかし最近の新たな研究により、ノモンハンは実は日本の大勝利だったことが明らかになり始めた。それとともに司馬史観の骨格も揺らぎはじめ、従来の司馬史観の誤りと呪縛から脱して、日本の近現代史に対する新たな歴史認識にいたる必要性が徐々に認識され始めているのである」


 著者は、『ねじまき鳥クロニクル』に続いて、村上文学の代表作である『海辺のカフカ』を取り上げます。この物語の主人公である15歳の少年・田村カフカは東京の自宅を家出し、放浪の果てに四国の山中にある無人の山小屋にたどり着きます。そこから時間と空間が交錯する幻想的なストーリーが展開するのですが、そこで少年は2人の日本陸軍兵士の亡霊に出会います。戦時中、山中で戦闘訓練を行っている最中に逃げ出した脱走兵の亡霊でした。カフカ少年に対して、彼らは次のように言うのでした。


 「あのままでいれば、どうせ兵隊として外地につれていかれたんだ。そして人を殺したり、人に殺されたりしなくちゃならなかった。俺たちはそんなところに行きたくはなかった。人なんて殺したくなかったし、殺されるのはもっといやだった」


 「我々は決して弱い人間じゃない。むしろ兵隊としては優秀なほうだったと思う。ただそんな暴力的な意志に含まれることに耐えられなかっただけなんだ。とても大事なことだ。強くなろうという意志をもって努力するってことは」


 この脱走兵の発言は平和のメッセージのように思えますが、福井氏は次のように述べています。


 「『軍を脱走することが、人間として強く生きようと努力することだ』と主張する村上春樹の発想を見れば、彼の根底に牢固として抜きがたく巣くっているのは、非戦・反戦・兵役拒否の信念であろう。そして彼は、これらの言葉をまじないのように唱え続けていれば、いっさい問題ない、と信じこんでいる『念仏平和主義者』の1人なのであろう。
 村上春樹の作風は、無国籍主義的であるとよく指摘される。彼の作品を作者の名前を伏せて匿名で読者に読ませた場合、どこの国の作家が書いた小説なのかよくわからない、などとよく批評される」


 『海辺のカフカ』に登場する日本軍の亡霊兵士たちの言葉を読んだとき、福井氏は中沢啓治の漫画『はだしのゲン』を思い出したそうです。この作品には、「最高の殺人者は天皇じゃ。あの貧相なツラをした爺さんの天皇、今上裕仁がアジアの人間を3千万人も殺したんじゃ」「もし原爆が落とされなかったら、戦争狂いの天皇は戦争をやめんかったわい。日本人は原爆を落とされたことに感謝せんといかんわい」などの呪詛の言葉がたくさん登場するのですが、その中に「三光作戦」に言及した以下のセリフが出てきます。


 「わしは、日本が三光作戦という殺しつくし奪いつくし焼きつくすで、ありとあらゆる残酷なこと同じアジア人にやっていた事実を知ったときは、ヘドが出たわい。その数千万人の人間の命を平気でとることを許した天皇をわしは許さんわい。いまだに戦争責任をとらずにふんぞりかえっとる天皇をわしは許さんわい」


 このような怖ろしい呪いの言葉が、目を覆うばかりの残虐シーンを描いた絵とともに『はだしのゲン』の読者の目に飛び込んでくるのでした。しかし、福井氏は次のように述べます。
「作者の指摘する『三光作戦』なるものは、4千年に及ぶ中国の戦争文化の象徴であって、日本軍にはこのような清野作戦の伝統はない。これは常識中の常識である。日本軍がやった、と中沢が思いこんでいる残虐行為は、実は敗走する中国兵が民衆に対して行った蛮行を、そのまま日本軍に投影したものに過ぎない。作者の描いているこれらの殺りく場面の描写は、実は通州事件で中国兵が日本人住民に対して行った残虐行為を、そのまま借用しているだけなのだ。北京北方の通州で、260名の日本人居留民が中国の保案隊に身の毛もよだつような残虐な方法でなぶり殺しにされ、日本国内の世論は激昂した。女性の遺体はすべて局部が串刺しにされ、幼児の遺体はすべて指が切断されていた。中国伝統の三光作戦によるこのような残虐ぶりは日本人には想像できない世界であり、民族文化の違いを如実に示している。おそらく作者の頭の中でこれらの事実関係がきちんと整理されず、不正確なまま、自分の思いこみをまじえた固定観念として、定着してしまったのであろう。ここまでくれば『はだしのゲン』は、単なるデタラメのホラ話を通り越して、一種のパラノイア、誇大妄想狂の域にまで達しているといえよう」


 さらに著者は、少し前に『はだしのゲン』をめぐって世間を騒がせた出来事について、以下のように述べています。


 「松江市教育委員会が平成24年に『この漫画のあまりにも荒唐無稽な内容と、事実にもとるエロ・グロ・ナンセンスの描写は、子供の教育上有害である』として、市内の小中学校の図書館での閉架措置に踏み切った。実に適切な判断であり、むしろ遅きに失した感があった」


 わたしも小学生の頃、『はだしのゲン』を愛読していました。毎週購読していた「週刊少年ジャンプ」に掲載されていたからですが、原爆投下という悪夢につながった戦争というものを憎む心が育てられたのは事実です。わたしは、『はだしのゲン』という作品を完全にヒューマニズムに基づく反戦の漫画だとばかり思っていました。しかし、福井氏はこの漫画について以下のように述べるのでした。


 「『はだしのゲン』は、明らかに戦後の日本社会にはびこった病理現象の一環である。作者の中沢啓治は、自身も6歳のとき広島で被爆したという体験を持つ。しかし原爆への怒りが、手を下した張本人であり敵国であったアメリカに直接向けられず、日本の天皇と軍隊に向けられる、というこのすりかえ現象が、中沢のような一部の人々の心理的倒錯を象徴している。そしてこの倒錯し屈折した心理は、『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』を書いた、村上春樹にも通底するものがありはしないか」


 第3章「司馬史観と東京裁判史観」では、著者は再び司馬遼太郎の歴史観を問題視し、「司馬史観では自虐史観から脱却できない」とします。


 「日本国民が自虐史観から脱却するのに、司馬史観が非常に大きな役割を果たしてくれた、とよく言われる。戦前のすべてが誤りであり悪であった、という従来の史観から、国民の誇りを取り戻すのに、彼の作品が大きく貢献した、という見方である。ところがこの司馬史観というものは、まさに両刃の剣であって、実は東京裁判史観と根底のところでつながっているのである」


 どのように司馬史観が東京裁判史観とつながるのか。著者は述べます。


 「東京裁判史観では、昭和に入ってから日本は急におかしくなった、と主張されるわけである。特に昭和前期、軍閥の指導者たちが国民を侵略戦争に駆り立てて、無謀な世界侵略戦争に突入した末に日本を破滅させてしまった、というのである。昭和史とは、みずから蒔いた悪の種によって滅びていった暗黒の歴史なのだ、というわけである。こうした東京裁判史観の考え方は、実は司馬遼太郎自身のたどった精神の軌跡と非常に奇妙な符合を示すのを、私たちはしばした目にする。司馬自身はそういったことを、あまり大っぴらに言ったことはなかったであろう。というのは司馬の発想が、昭和の破滅に対して明治の栄光、という善悪二元論で成り立っているからである」


 第4章「ノモンハン事件の真実」では、司馬史観を継承した半藤一利氏が『ノモンハンの夏』を書いたことについて、福井氏が次のように述ます。


 「従来、司馬遼太郎や半藤氏の強調したノモンハン論議の本質は『高度に近代化されたソ連の機械化部隊に対し、貧弱な装備の日本軍が肉弾戦を挑んで、一方的になぶり殺しにされた悲惨な戦闘になった』という、戦術レベルにおける戦闘内容の評価に関するものであった。そしてこれは、科学技術の軽視と非合理主義が近代日本の悲劇であった、とする司馬・半藤史観の原点でもあった。戦術レベルにおけるノモンハンの戦闘内容の真相が明らかとなったいま、司馬・半藤史観は完全に破綻しているのである」


 半藤氏の代表作『ノモンハンの夏』の論理は破綻していると喝破する著者は、第5章「司馬史観を受け継いだ半藤史観」において述べます。


 「半藤一利氏といえば、『歴史探偵団』なるキャッチフレーズを揚げ、歴史に取材した数多くの作品を発表し、現代史に関しては当代を代表する第1人者とみなされている。彼は生前の司馬遼太郎と肝胆相照らした交わりを結び、司馬作品を最も高く評価し、かつまたその作品に大きく影響され、自他ともに認める司馬史観の後継者である」


 また、著者は半藤史観について、次のように分析します。


 「昭和史に対する半藤氏の歴史観は、2つの大きなトーンをベースに構成されている。1つは陸軍悪玉・海軍善玉という善悪二元論である。もう1つは日清・日露戦争までの明治を栄光の時代と捕らえ、昭和前期の歴史を暗黒と破綻の時代と捕らえる、これもまた明治善玉・昭和悪玉の善悪二元論である」


 1933年、海軍軍令部は軍令部に改められ、陸軍参謀本部とまったく同等同格の組織に昇格しました。著者によれば「海軍は陸軍から飛び出して、別個の独立王国を作ってしまった」のです。これによって海軍は陸軍とはまったく関係なしに、独自の国防戦略を策定することが可能になりました。日露戦争の日本海海戦における「バルチック艦隊撃破」という目もくらむような偉業によって、海軍そのものが神格化されてしまいました。しかし、それ以降の海軍の神秘のイメージが、このような滅茶苦茶な横紙破りをまかり通らせてしまい、日本の国防に大問題を引き起こしたというのです。


 この海軍の暴走について、著者は次のように述べています。


 「古今東西、戦争で最後の決着をつけるのは陸軍の役目である。人間は水中生物ではない。陸上生物である。海軍の役割はあくまでも、陸軍の作戦を補佐して助ける女房役に徹することである。資源の確保と物流の運搬輸送、軍隊の動員と戦地への派遣、補給の確保、そしてそれを達成するための手段としての敵艦隊との決戦。これすべて陸軍の戦いに奉仕するための行動である。いかなる戦争も基本は陸主海従である。決して海主陸従ではない」


 海軍の暴走の結果、日本はアメリカに惨敗しました。それは、人類の戦争の歴史を見ても例がないほどの大敗北であるとして、著者は次のように述べています。


 「大東亜戦争で戦死した日本の軍人は200万強といわれるが、その過半数100万以上が餓死と病死だった。かたやアメリカ軍の戦死は10万にも満たない。死者の数を比べればまさに一方的ななぶり殺し、ワンサイドゲームであった。たとえ負けるとしても、アメリカからこのような一方的なやられっぱなしになろうとは、日本も予想外だった。日米戦争で日本陸軍は、独ソ戦におけるソ連軍よりもはるかに一方的になぶり殺しにされ、史上類例のないワンサイドゲームになった」


 戦争に負けるとは、どういうことでしょうか。著者は、「敗戦の本当の傷」について述べます。


 「戦争に負けるということは恐ろしいことである。ただ単に国土が破壊されただけの物的・経済的な損失であれば、日本のような勤勉な国民ならすぐに回復できる。しかしたたきつぶされた民族の誇りは一朝一夕には元に戻らない。日本は敗戦後70年近くになんなんとしながら、いまだに国軍も持てず、憲法改正もなされていない」


 第6章「作品でたどる司馬史観の萌芽と形成」では、以下のように司馬史観の大きな欠陥が指摘されています。


 「司馬遼太郎の思考は、日本の近現代史を分析し考察する際に、日本という国家の枠組みの中に視点が限定されてしまっていて、世界史的な座標軸の視座から、客観的に眺める姿勢が欠落しているのだ。小さなコップの中で水が波たち騒ぐように、彼の思考回路は日本という座標軸の枠の中でのみ旋回し、から回りしているのである」


 著者はまた、もう1つの欠陥についても次のように述べています。


 「司馬の歴史観のもう1つの特徴は、結果を前提とした、逆立ちした歴史認識の傾向が強いということである。これはどういうことかというと『日本は日清日露戦争に勝った。だから明治の日本は正しい。日本は大東亜戦争に負けた。だから昭和の日本は間違いである』式の発想である。つまり最初に結論ありきで、ある1つの決まった結果・結論をもとに、過去の歴史を裁いているのである。そして司馬は、人物評価をする場合も、このような傾向がきわめて強いのだ。これは単純明快でわかりやすい方法である。そしてまた歴史を裁く側にとっても、これほど楽なやり方はない。なぜならば、勝ったものをほめるのは簡単なことであり、負けたものをけなすのは簡単なことだからだ」


 著者は、幕末の勝海舟の行いについても意見を述べます。鳥羽伏見の戦いの後、幕府軍と官軍が江戸で天下分け目の大決戦を行う直前、幕府の家臣であった勝海舟は官軍司令官の西郷隆盛と秘密会議を行い、将軍徳川慶喜の命を助けることを条件に降伏することを約束し、一戦も交えないまま、江戸を無血開城で明け渡してしまいました。おかげで江戸は破壊と殺戮をまぬがれ、多くの人命と財貨が失われずにすんだのです。そして、勝海舟は英雄となりました。


 しかし著者の見方はまったく違い、以下のように述べています。


 「勝海舟のこの行為は、武士道という観点から見た場合、果たして倫理的に共鳴できるものであろうか。当時の幕府と薩長の軍事力を比較すれば、私は幕府のほうが比較にならぬほど劣っていたとは思わない。薩長は官軍として錦の御旗を掲げていたとはいえ、その主力は薩長を軸とするわずか数藩のみであり、他の大部分の藩は大勢を傍観しながら洞ヶ峠を決めこんでいた。あの時点での幕府の底力をもってすれば、最終的に勝てるかどうかは別として、関ヶ原の合戦のような一大決戦は十分遂行できたはずである。事実幕府が降伏したあとも、東北の諸藩は奥羽越列藩同盟を結んで、官軍に対ししぶとく戦い続けている」


 さらに著者は、次のようにも述べています。


 「百歩譲って、勝が江戸の人命と財貨を救った功績を認めるとしよう。だが勝は幕府を薩長に売りわたして主家を滅亡させた張本人である。江戸無血開城後、勝は主家を滅亡させた責を負って切腹して果てるべきだった。あるいはそれができないのならばせめて、維新後の新時代においては世を捨てて隠遁生活を送り、世間の表面にはいっさい顔を出すべきではなかった。それが家臣としてのけじめのつけかたというものであろう。
 それを勝は明治の新政府に登用抜擢され、位人臣をきわめ、華族にまで列せられて伯爵の位を賜った。旧幕臣の多くが新時代に適応できず、貧窮をきわめている最中にである。福沢諭吉は勝海舟のことを、武士の風上にもおけぬ、と非難し、このような人物はとうてい終わりをまっとうすべき人にあらず、とこきおろしている」


 勝海舟が無血開城を行った背景には、もちろん徳川慶喜の意向がありました。無血開城か決戦かをめぐって、勝と西郷の交渉が大詰めにさしかかって緊張が頂点に達していた時期のこと、徳川慶喜は勝を自室に招き、交渉の経緯をしつこくたずねたといいます。そして、「わしの命は助かるのだな」「わしの命は助かるのだな」と何度も何度も確認し、最後は勝にしがみつくようにして、「わしは死にたくないのだ」と言って、はらはらと涙をこぼしたそうです。それを見た勝は、「世間では名君だなんだのともてはやされているが、やはり生まれ落ちたときから大事に育てられてきたお坊っちゃんというのは、一皮むけばこういうものなのか」と思ったとか。


 この徳川慶喜のことを悲劇の名君として描いた小説があります。司馬遼太郎の『最後の将軍』です。NHKの大河ドラマにもなりました。しかし、福井氏は徳川慶喜について次のように辛辣に述べます。


 「徳川慶喜のとった行為は、武士の風上にもおけぬ、卑劣で卑怯なものだった。日本武士道始まって以来、これほどの醜態と生き恥をさらした武士は、ほかに見当たらない。歴史作家が徳川慶喜をテーマにとりあげる場合、この点は絶対に避けて通れない大事なポイントである。だが司馬遼太郎はなぜか、この最も大事なポイントをうやむやにごまかして無視し、歯の浮くような美辞麗句を注いで、徳川慶喜を悲劇のヒーローに仕立てあげているのである」


 司馬遼太郎は、かつて「戦争をしかけられたらどうするか。すぐに降伏すればいいんです。無抵抗で持てるだけ持っていって下さい。向こうが占領して住みついたらこれに同化してしまうがよい」と発言しています。著者は、「これが『合理主義的』といわれる司馬史観の正体なのである。司馬遼太郎という作家の神髄は『もうかりまっか』という言葉に象徴される大阪商人の典型だ、と評していた人がいるが、まさしく言い得て妙である」


 そして著者は、以下のように司馬史観というものを総括します。


 「昭和に入ってからの日本を異胎ととらえ、まるで魔法にかかってしまったかのように、別の国家に後退したと考える司馬遼太郎。その彼にとって、ロシア革命後の共産ソ連もやはり同様に、スラブ民族の底にひそむ『えたいが知れない』エネルギーが噴き出し、突如として形成された異胎、最新の科学技術と工業力を持つ新興の先進国として映ったのだろう。この2つの異胎がノモンハンで激突したとき、後退の後進国の日本が新興の先進国のソ連に敗れた、と解釈することによって、司馬はそこになんらかの歴史の必然性、因果関係を見いだそうとしたものと思われる。
 このような幻想からさめるのに、われわれはソ連崩壊まで待たねばならなかった。それにしてもそれまでに、何と多くの人命とエネルギーと時間が費やされたことであろうか。そして何と多くの悲劇が生まれ、血の涙が流されたことであろうか」


 第7章「『故郷忘じがたく候』の虚構」では、司馬作品の虚構性について、著者は次のように述べています。


 「司馬遼太郎という作家は、こういう話を書けば世間が喜ぶだろう、という壺を心得ていて、読者の心を自由自在に操る、一種の魔術師のような能力の持ち主である。そういえば私が子供の頃、テレビで見て熱狂した力道山のプロレスも、それによく似た興奮と感動を、見る者の胸にかきたててくれたものだった」


 思わぬところで、「力道山のプロレス」が登場したので、プロレス好きのわたしはニヤリとしました。これは司馬遼太郎に限らず、すぐれたエンターテインメント作家に共通する能力なのかもしれませんね。


 最後に、本書で展開される村上春樹氏への評価も興味深かったです。著者は、村上氏の一連の長編小説について、「非戦・反戦・兵役拒否といった、いかにも俗耳に入りやすい念仏平和主義と世界市民主義で読者の好奇心をうまくひきつつ、随所に過激な性的描写の場面をちりばめ、最後まで面白おかしく読ませる工夫がこらされている。『村上春樹の作品はポルノ小説の要素がある』とよく評される所以である」と述べています。

 この福井氏のハルキ論には賛否両論あるでしょうが、わたしは村上氏の最新作『女のいない男たち』を読んで、少なくとも「村上春樹の作品はポルノ小説の要素がある」というのは的を得ていると思いました。