No.0927 人生・仕事 | 芸術・芸能・映画 『トム・クルーズ キャリア、人生、学ぶ力』 南波克行著(フィルムアート社)

2014.05.15

 誕生日が来て、とうとう51歳になってしまいました。オジサン真っ盛りです。
 いつも誕生日が来るたびにしつこいぐらいに言っているのが、トム・クルーズがわたしの1つ年上で、ブラッド・ピットとジョニー・デップが同い年、そしてキアヌ・リーブスが1つ年下ということ。「それがどうした!」と言われれば、それまでですが・・・・・・。

 でも、この華麗な顔ぶれと同年代というだけで、なんだか元気が出てきます。(微苦笑)この中でも、わたしの一番のお気に入りはトム・クルーズで、彼が出演する多くの映画を観てきました。ということで、 『トム・クルーズ キャリア、人生、学ぶ力』南波克行著(フィルムアート社)を読みました。編集者の方から頂戴した本です。著者は1966年東京生まれの映画評論家、批評家です。特にアメリカ映画の研究で知られています。

   キャリア、人生、学ぶ力

 本書の表紙カバーにはトム・クルーズの顔写真、帯には「なぜトムはいつまでも輝いているのか?」「あらゆる困難を仕事にモチベートさせ、周りを巻き込んで一緒に成功する秘訣。」「キャメロン・クロウによる本人インタビュー収録」「長谷川町蔵、山崎まどか、斎藤環、西田博至によるエッセイ掲載」と書かれています。

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「序文」

●Career1
すべての困難を仕事にモチベートする
未来を見据える力
10~20代のトム 明確に「成功」をイメージし続ける
○Eaasy1
トム・クルーズと同年代の俳優たち(長谷川町蔵)

●Career2
仕事への責任ある関わり方
30年後のキャリアをつくる力
20代前半のトム 裾野を広げ、発言力を極める
○Essay2
トム・クルーズと女性(女優)たち(山崎まどか)

●Career3
自己アピールと学びの両立
先達から現場で学ぶ力
20代後半~30代のトム 大先輩から徹底的に吸収する
翻訳
キャメロン・クロウとの対談(1986年5月)

●Career4
最適な環境を作り出す
あらゆる角度から仕事をとらえる力
30~40代のトム 裁量の変化を促すリーダーシップの発揮
○Essy3
トム・クルーズと監督の仕事(西田博至)

●Career5
さまざまな才能との協働で、ハリウッドを更新し続ける
新しい芽を育てる力
50代に向かうトム 円熟期から後進の育成へ
○Essay4
トム・クルーズと自己神話化(斎藤環)

「後記」
「参考文献」
「トム・クルーズ年譜」
「執筆者プロフィール」
紹介作品のDVD/Blu-ray情報)

 序文の冒頭には「なぜ『トム・クルーズ』なのか?」として、以下のように書かれています。

 「ウォルト・ディズニーの名作『メリー・ポピンズ』(1964)の中に、『楽しくなれば仕事は遊び』というセリフがある。『チム・チム・チェリー』などの名曲で有名なこの映画の中で、乳母としてやってきたポピンズが、部屋の片づけをいやがる子どもたちに魔法を見せることで、気持ちを盛り上げるときに言う言葉だ。英語で『演じる』はplay。考えてみたらplayには『遊び』という意味もある。となると、メリー・ポピンズのセリフを援用して言うならば、俳優というのはさしづめ『楽しい仕事』といったところだろうか」

 トム・クルーズは映画史でも例外といえるほど長期間にわたって衰えることのないネーム・バリューを保っています。この事実について、編著者の南波氏は次のように述べています。

 「どんな大スターでも30年近くその地位にあると、加齢や地位の安定など様々な理由から次第に仕事をセーブしていき、地味な役どころが増えてくるものだ。というより、それほどの長きにわたって同じレベルの人気を保ち続ける人などそもそもいない。けれどトム・クルーズの場合、セーブするどころか、ますます華麗に大規模に作品はスケールアップする一方である。しかも常に第一線で主演であり続けている。そして途切れることなく新作が公開され、すべてが巨大な宣伝と共に発表される。同時に、必要ならば小さな役もいとわない」

 トム・クルーズの作品選び=仕事選択は、非常に戦略的だといいます。スターの地位を築き、映画界でのポジションを獲得し、それを保持するため、いかに計画的に行動しているかがはっきり見えるとして、南波氏は「彼の今があるのは、結果論的なものではなく、明確に意識して手に入れたものなのだ。そのことが、映画界でもキャリアの最初期の段階からこれほど明瞭な人は、トム・クルーズの他に思いあたらない」と述べています。

 Career1「すべての困難を仕事にモチベートする」では、よく知られているようにトム・クルーズが難読症(失読症=ディスクレシア)であり、それを乗り越えたことが紹介されます。本書には「苦労の多い少年時代を送るトムだったが、このことがやはり一番大きな障害だったように思われる。思うようにリーディングができないことは、学校生活がうまくいかない最大の理由でもあったようだし、その症状への理解がない教師もいたという。さらにトムだけでなく、姉妹たちにもその症状があったとされる」

 トムはこの障害について隠そうとしませんでした。そこには、もちろんそれを克服して映画界で成功したという自負もあるのでしょうが、それ以上に大きな存在がありました。新興宗教のサイエントロジーです。この宗教については、ブログ「ザ・マスター」で紹介した映画で丸ごと取り上げています。トムはサイエントロジーが難読症克服の大きな助けになったと公言しており、その意味で教団にとっての広告塔となっています。2003年の来日の際、トムは小泉純一郎元首相を表敬訪問しましたが、難読症の紹介とその克服のためのテキストとして「学び方がわかる本―勉強は楽しい!!」を進呈しています。この本は、サイエントロジーの開祖であるロン・L・ハバードの著書でした。この事実について南波氏は「そのあたりの真意はわからない。ただ言えることとして、ここにもやはり、難読症をも『克服すべきミッション』として取り組んできた、トム少年の意識を見ることができるように思う」と書いています。

 さらに本書には、難読症を克服したもう1人の大物映画人のことが次のように紹介されています。

 「かつて自分も難読症であったことを、スティーブン・スピルバーグ監督が告白したのはずっと後になってから、彼が66歳になった2012年のことだ。スピルバーグの告白は、学習障害のための支援団体に求められてのことで、彼自身もそのインタビューに答えて『(この障害は)自分で思っているほど、珍しいことではない。君はひとりぼっちじゃないんだよ』と、自らの代表作のひとつ『未知との遭遇』(1977)のキャッチコピー(”You are not alone.”)をもじりつつ、同じ障害を持つ人への励ましの言葉を寄せている。そして、スピルバーグにとっても、その克服のために家族からの支援は不可欠だったが、彼の場合その苦労を乗り切るのに一番助けになったのは、(自主)映画製作だったと述べている」

 本書を読むと、トム・クルーズとスティーブン・スピルバーグには共通点が多いことがわかります。まず、家族の中で男性が自分だけという女性に囲まれた環境で育っていること。どちらも4人きょうだいでしたが、トムには2人の姉と1人の妹が、スピルバーグには3人の妹がいました。そして、どちらも両親が離婚し、父親が家を出てしまっています。

 次に、どちらも引っ越しを重ねた少年時代を送っているということ。そのせいもあって、2人ともなかなか友達ができず1人ぼっちの日々を送っていたそうです。そして、2人とも難読症であったということ。ここまで生い立ちに共通点が多いのも珍しいですが、その2人は後に「マイノリティ・リポート」(2002)と「宇宙戦争」(2005)の2作でコンビを組みました。

 Eaasy1「トム・クルーズと同年代の俳優たち」は勉強になりました。このエッセイの冒頭で、ライター・コラムニストの長谷川町蔵氏は次のように書いています。

 「1960年代後半に起こったアメリカン・ニューシネマのムーヴメントは、それまで不満をかこっていた30歳前後の実力派俳優たちに脚光を当てた。ロバート・レッドフォード(1936年生)、ウォーレン・ベイティ、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン(ともに1937年生)、アル・パチーノ(1940年生)、そしてロバート・デ・ニーロ(1943年生)といった錚々たる面々が数年の間に登場し、次々とスターになったのである」

 それから彼らはずっとスターの座に居座り続けました。その弊害で、ハリウッドでは未だに50年代生まれのスターが極端に少ないという状況が続いています。業界がようやく60年代生まれの若手をプッシュするようになったのは、ニューシネマが完全に過去のものとなった80年代でした。そして、その記念碑的作品こそフランシス・フォード・コッポラ監督の「アウトサイダー」(1983)だったのです。コッポラ自身はニューシネマを代表する映画人でしたが、彼ぐらいの大物が動かなければ流は変えられなかったのです。

 この「アウトサイダー」について、長谷川氏は次のように書いています。

 「60年代末の中西部でくすぶる不良少年たちを描いたこの群像劇によって、C・トーマス・ハウエル(1966年生)、ラルフ・マッチオ(1961年生)、パトリック・スウェイジ(1952年生)、マット・ディロン(1964年生)、エミリオ・エステべス(1962年生)、ロブ・ロウ(1964年生)といった連中が一躍その名を知られるようになった。本書の主人公である1962年生まれのトム・クルーズもこの作品に顔を出している。とはいえ彼は端役に過ぎなかったのだが」

 その後、マット・ディロン、エミリオ・エステべス、ロブ・ロウ、実弟のチャーリー・シーン(1965年生)、「初体験/リッジモンド・ハイ」(1982)で注目されたショーン・ペン(1960年生)らが映画界の第一線に飛び出し、彼らが集う若手俳優のサークル「ブラット・パック」が一世を風靡しました。「悪ガキ集団」という意味ですが、互いの主演作に出演し合って結束を高め、やがては自分たちが主導権を取った映画を製作するという夢を抱いていました。

 しかし、もろもろの原因でブラット・パックの俳優の多くは90年代の到来とともに過去の人となります。そして、長谷川氏は次のように書いています。

 「そんな彼らと入れ替わるようにスターになったのが、80年代を通して彼らの栄光と転落の様子をじっと学習していた俳優たちである。彼らはようやく手にした人気に浮かれることなく、低予算映画でも価値ある作品なら出演料をディスカウントして出演することで、ニューシネマのスターたちにも通じる”オルタナティヴ”なイメージを獲得し、長期的なキャリアを築くことに成功した。それがブラッド・ピットであり、ジョニー・デップであり、キアヌ・リーブスである」

 ここで、ようやくわたしの仲間たちの名前が登場しました。違うか?(笑)

 本書で特に興味深かったのは、Career3「自己アピールと学びの両立」でした。トムは「アウトサイダー」と同じ1983年に主演した「卒業白書」や「トップガン」(1986)を大ヒットさせ、大躍進が始まります。当然ながら出演オファーが相次ぎましたが、彼は非常に慎重に役を選んだそうです。本書には次のように書かれています。

 「ここでトムが意識していたのは、もし目の前にオファーされた役をそのまま受けていたら、10~20年後の俳優人生はないかもしれない、ということに違いない。青春映画やホラー映画のスターとしてどんどん仕事を受けていれば、高い知名度は得られただろう。けれど、いま目の前のオファーを受けることが、もっとずっと先のキャリアを考えた場合に得策かどうか。トムがもっとも避けようとしていたのは、『演じる役のパターン化』だった。実際、トムと同時期にデビューした俳優で、今もなおスターとして出演を続けている俳優はほとんどいない。映画史においてさえも稀にみる長さで、これほどの存在感を維持できているのは、トムが頑として類型的な役を引き受けてこなかったからだと思われる」

 そして、Career3では「先達から現場で学ぶ力」として、20代後半~30代のトムが大先輩から徹底的にさまざまなことを吸収した様子が描かれています。「トップガン」と同じ1986年に公開された「ハスラー2」で、トムはベテラン俳優のポール・ニューマンと共演します。2人はとても親密な関係を築き、トムはニューマンから「成功に惑わされない心の余裕」を学びました。本書には、以下のように書かれています。

 「『ハスラー2』の撮影終了後まもなく『トップガン』が封切られ、これが記録的なヒットとなる。トム・クルーズの有名性は頂点に達し、それまでとはまったく違う次元のスターとなった。マスコミ攻勢もそれまでとはケタ違いとなったが、地に足をつけてその喧噪をやり過ごせたのは、ポール・ニューマンの薫陶があってこそだった。大スターとしての地位を30年にわたって維持した、その生活上手ぶりをたっぷり吸収したのだった。
 もし当時親しかったショーン・ペンとの差があるとすればここだろう。マドンナとの結婚で、同様にマスコミの目にさらされたペンは、しばしばパパラッチと衝突し、傷害事件も起こしていた。トムはそうしたトラブルを器用に回避しつつ、次へと駒を進める」

 ポール・ニューマンに続いて、トムはもう1人の大先輩との共演を果たします。ダスティン・ホフマンです。ホフマンは、ニューヨークのアクターズ・スタジオでみっちりと演技の訓練を積んだ一流中の一流でした。なにしろアクターズ・スタジオといえば、マーロン・ブランド、ロバート=デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジャック・ニコルソンといった超一流の演技派たちが出身者として知られています。ちなみに、ポール・ニューマンもその1人でした。名作「レインマン」(1988)でホフマンと共演したトムは、何を学んだのでしょうか。それは、「映画にとって何がベストかを知る」ということでした。

 トム・クルーズには、共演者から最高の仕事を引き出す力がありました。本書には、そのトムの「力」について以下のように書かれています。

 「トム・クルーズという俳優は、共演した相手から常に最高の演技を引き出せる。それはニューマンもホフマンも語ってきたように、ひっきりなしに演技についての相談を持ちかけるという、そのディスカッション力にある。ホフマンが『彼に私の役を代わってもらってもいいくらいだった』と述べるように、相手のセリフも全部覚えているという、トムの全体把握力もその一因かもしれない」

 1986年5月のキャメロン・クロウとの対談で、「あなたは演技の肥やしとしてどんなことを取り入れるのですか? 自分の独自性は何だとお考えですか?」という質問に対して、トムは次のように答えています。

 「ぼくは相手の話をよく聞く。ぼくはそれが何よりも大切な特質だと思うし、ずっとそういうふうにやってきた。決してすべての助言を受け入れるわけではないけれど、耳を傾けることはできるはずだし、自分自身の決断を下す勇気も得ることができる。そうであるよう最大限努力しているつもりだよ。大切なことは、仕事中はリラックスするということさ。人生も同じだと思う。必要以上に思いつめないこと。そうすれば、すべてを『演じる』ということから解き放たれて、前に進むことができるんだ」

 おそらくは、「相手の話をよく聞く」というトムの特質は、難読症の経験とも無縁ではないでしょう。わたしは、ここに「禍転じて福となす」というか「何事も陽にとらえる」というか、トムの前向きな生き方に深い感動をおぼえます。ちなみに、「ハスラー2」でポール・ニューマンは生涯初めてとなるアカデミー主演男優賞を受賞しました。「レインマン」でも、ダスティン・ホフマンはアカデミー主演男優賞を受賞したのみならず、作品賞、監督賞、脚本賞の主要部門を独占しています。2人とも、トム・クルーズと共演したことによって、俳優として頂点を極めたのです。トムは、自分に「学び」を与えてくれた先輩たちに最高のお礼をしたのでした。

 なんだか「すごいぞ、トム・クルーズ!」と叫びたくなりますが、トムの凄さはそれだけではありません。彼は多くの出演作品で常に「人のできないこと」をやってのけました。「ハスラー2」のビリヤード、「カクテル」のカクテル作りは世界中に大ブームを巻き起こし、ちょうどバブル時代だった日本でも多くのプールバーやカクテルバーが誕生しています。また、「ミッション:インポッシブル」シリーズで何度も見せるトムの曲芸的なアクションはスタントなしで行われています。南波氏は「こんなことを自らやってのけるハリウッド・スターは、サイレント映画の時代のチャーリー・チャップリンやバスター・キートンのような、映画創世記の人物たちだけだ」と述べています。

 さらにトムは「卒業白書」と「トップガン」でレイバンのサングラスを使用しましたが、その結果、レイバンの売上は世界で倍増したそうです。本当に、すごいですね!

 Career5「さまざまな才能との協働で、ハリウッドを更新し続ける」では、わたしの大好きな映画が登場します。スタンリー・キューブリック監督の遺作である「アイズ ワイド シャット」(1999)です。「ハリウッド最大のセレブ」といっても過言ではなかったトム・クルーズとニコール・キッドマン夫妻を巨匠キューブリックが起用したことは大きな話題となり、わたしを含む世界中の映画ファンをワクワクさせました。ニコールは撮影現場のキューブリックのことを「いつも何かが起こるのを待っていた」「どんな理由でもいいから、彼の興味をそそる何かがあると、はりきっていた」と語っています。

 本書には、「キューブリックは1つのシーンを撮るのに、何十回とテイクを重ねることで有名だ。繰り返される演技の中で、この夫婦がどれだけ多くの表現を見せるか、それが彼の興味を引いたのだろうか。実生活でも夫婦であるこの大スターカップルが、長時間にわたる撮影の中でどう変容するのか」

 そして、トムとニコールの2人は実際に変容を経験したのでした。「アイズ ワイド シャット」撮影中のトムの様子について、本書には以下のように書かれています。

 「仕事については、一切の妥協をしたことのないトムだったが、今回ばかりは音を上げたようだ。同じ役を演じ続けることにいらだちを感じるようになったと。しかも極限まで追い詰められたため、感情の切り替えができず、私生活の影響し始めたと言い、何でもやるつもりだったが、もし新婚時代なら対処できなかったとさえ語る。
 そんな葛藤は作品にははっきりと表れている。妖艶にして圧倒的なオーラを放つ一世一代のニコールの存在感。それに対してトムは最後までそれに押されている。しかしそんな状況を作るのも監督の”狙い”だったのかもしれない。トムが初めて共演者を”立てた”のではなく、”くわれた”のだった」

 トム・クルーズをここまで追い詰めるとは、さすがキューブリックも大したものです。しかし、ただではすみませんでした。映画の感性直後、なんとキューブリックは心臓発作で急死します。「アイズ ワイド シャット」は巨匠の遺作となったのです。そして、キューブリックによって限界ギリギリの演技を絞り出すことになったトムとニコールの夫婦もただではすみませんでした。本書には、次のように書かれています。

 「『私生活にも影響した』というトムの言葉は確かだった。亀裂の入ったトムとニコールの関係は、映画の公開から1年半後の2001年に、ついに離婚へと至る。それがキューブリックの代表作『2001年宇宙の旅』のタイトルと同年というのも不思議な偶然だ。離婚に至った最大の理由が、トムが帰依する新興宗教サイエントロジーとの関係のせいか、それとも撮影の影響なのかそれはわからない。しかし、『アイズ ワイド シャット』という映画史上の名作の誕生は、監督の死と主演俳優2人の結婚生活の破たんという、2つの代償を伴った」

 わたしは、「アイズ ワイド シャット」という映画そのものが魔術的な映画だったのではないかと思っています。ブログ『フリーメイソン』で紹介したように、「アイズ ワイド シャット」に出てくる秘密集会は、フリーメイソンへと流れた古代エジプトに端を発するエロティックな儀礼にそっくりです。キューブリック自身はユダヤ人でしたが、彼が監督した「アイズ ワイド シャット」の中の妖しくエロティックな秘密パーティーの描写はフリーメイソンの集会および儀礼そのものであるという噂が広まりました。また、この映画完成の直後にキューブリックが亡くなったわけですが、秘密を暴露した罰を受けたのだというのです。それは、モーツァルトが「魔笛」でフリーメイソン儀礼の真相を部分的に公開したために変死したのと同じであるとさえ言われました。まあ、都市伝説の類でしょうが・・・・・・。

 それにしても、トム・クルーズとニコール・キッドマンが離婚したのは残念でした。わたしが一番好きな男優はトムで、一番好きな女優はニコールなのです。彼らほどお似合いの2人はいないと思っていたのに、「アイズ ワイド シャット」という魔性の映画に関わったばかりに2人の仲は壊れてしまいました。それだけに、「アイズ ワイド シャット」には何とも言えない妖気が充満していますが・・・・・・。

 この妖気に迫る映画を探すならば、トム主演の「バニラ・スカイ」とニコール主演の「アザーズ」でしょうか。両作品とも、2人が離婚劇真っただ中の時期に撮影されています。「バニラ・スカイ」はキャメロン・クロウ監督の作品ですが、じつはリメイクで、もともとはスペイン出身のアレハンドロ・アメナーバル監督の「オープン・ユア・アイズ」です。この「オープン・ユア・アイズ」というタイトルは「アイズ ワイド シャット」と縁がありますね。

 一方の「アザーズ」はまさにアレハンドロ・アメナーバル監督のホラー映画で、わたしは心霊映画の最高傑作であると思っています。ちなみに、この作品はトム・クルーズが製作総指揮で関わっています。わたしにとって、トムとニコールが絡んだ「アイズ ワイド シャット」「バニラ・スカイ」「アザーズ」の3作品は、自分の好きな映画ベスト3に入るほどの奇跡の三部作です。

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 1962年生まれのトム・クルーズも50代に入りました。俳優生活はじつに30年を超えます。本書には、次のように書かれています。

 「トムは常人を超えた体力と視野の広さで、常にスターとして頂点に立ち続けた。その秘訣は、常に自分のキャリアは自分自身で作るという意思の強さと、映画への強いモチベーションに支えられている。ただ、キャリアを自身で作るといっても、その根本は『他者から学ぶ』ということに尽きる。ポーラ・ワグナーはじめ、耳を傾けるべきパートナーの存在、先達たちからの訓戒、共演者たちとの切磋琢磨に、スタッフたちとの協働。『意見は大歓迎だ』という点で、トムの態度は一貫している。今やトムの発言には耳を貸さない人物は皆無だろう。けれど撮影現場に関する限り、トムとの仕事がやりにくいという発言、証言はまず目にしない」

 本書を読んで、わたしはますますトム・クルーズが好きになりました。「もう、50代のオヤジだから」などと腐らずに、トムのように前向きに自分のキャリアを自分自身で作りたいと思います。そして、そのためには、トムのように「他者から学ぶ」ということを大切にする必要があります。じつは、本書の版元であるフィルムアート社さんとは現在、「学び」をテーマにした書籍の企画で関わらせていただいているのですが、「学び」の本質を考える意味でも大きな示唆を得ることができました。

 最後に、トム・クルーズの次回作が今からとても楽しみです。

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