No.0904 人生・仕事 『偽悪のすすめ』 坂上忍著(講談社+α新書)

2014.04.08

 『偽悪のすすめ』坂上忍著(講談社+α新書)を読みました。
 「嫌われることが怖くなくなる生き方」というサブタイトルがついています。

 子供時代は名子役として活躍し、今また大ブレイクして毎日テレビに出まくり、ついには「笑っていいとも」の後番組であるフジテレビ系「バイキング!」の月曜日MCの座を獲得した著者。しかしながら7日の放送初回では、前夜の酔いの覚めないまま番組初登場、初MCを務めました。いやあ、「横山やすし」じゃあるまいし、今どき面白いですな。(笑) 彼は、「嫌いなのは仕事とブス」をはじめとして、とにかく毒舌キャラとして知られているそうです。

   「迎合は悪。空気は読むな。」と書かれた本書の帯

 本書の帯には「迎合は悪。空気は読むな。」と大書され、続いて「予定調和を突き破れば本質が見えてくる。顰蹙を恐れずガチでぶつかる役者人生訓!」と書かれています。また本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
第一章 勝負勘は博打で磨く
第二章 覚悟を決めて生きる
第三章 仕事の価値観は極端でよい
第四章 男は口説いて磨かれる
第五章 男に惚れ、男に惚れられる
第六章 「極端」こそ、愛すべきもの

 「はじめに」の冒頭で、著者は編集者から「坂上さん、本を出してみませんか?」と言われたことを明かします。「どんな内容のものを希望されているんですか?」と質問した著者に対して、編集者は「いま、テレビで坂上さんがバンバン発言なさっていることを、テレビでは言えないことも含めてぶつけていただきたいなと」と答えます。テレビでの露出が増すと取材の依頼が次々に届き、話は本の出版にまで伸びていく。まあ、こういった流なわけですが、著者は次のように述べます。

 「でも、僕はそういった流れが嫌いなのである。だって、なにげに一番、書くことが大好きだから、役者よりも演出業よりもバラエティ番組への出演よりも、じつは書く作業をなにより大事にしているのである。だからこそ、書きたい衝動を大切にしたいし、その衝動がなければ書けないし・・・・・・」

 著者はこれまでも何冊か著書を上梓していますが、その中には小説も含まれています。本人が言うように書くことが好きなのでしょうが、その文章はちょっと粘っこい印象を受けました。もしかすると本人の語りおろしなのかもしれませんが、以下のような文章です。

 「『誤解を怖れず』・・・・・・あ、もしかしたら、こんな感じかも。これが僕のダメなところでもあり、もしかしたら、いま面白がられているところかもしれない。
 僕、誤解されることに対して、なんの抵抗もないんですよね。というか、まず他人のことをそこそこの情報で理解できるほうがおかしいのではないか、と思っている。そもそもそれは、理解でもなんでもなく、理解した振りなのかもしれない。いや、そもそも理解する気なんてサラサラなくて・・・・・・いや、元々、悪い方に理解したがるのが人の常だったりして・・・・・・ね」

 このような文章について、著者自身が「ややこしいでしょ?」「かなりウザイでしょ?」と、自分でツッコミを入れています。

 さて、著者は「有り金はすべて大晦日の競艇に注ぎ込む」というほどの博打好きで知られます。わたしはまったく博打をやらない人間なので、その心情はよく理解できないのですが、第一章「勝負勘は博打で磨く」で、著者は次のように述べています。

 「大げさに聞こえるかもしれないけど、僕は、勝つか負けるか、生きるか野垂れ死にするか。それが人生というものだと捉えています。
 油断して背を向けたら一瞬で奈落の底に突き落とされる――。そんな弱肉強食の世のなかを生き抜いていくためには、”勝負に対するタフな精神”が必要とされるわけです。そして、勝負所を見極めるのが”勝負勘”と呼ばれるもの。これって、本来は誰もが持っているものだけど、磨いていないとどんどん錆びついていくし、使いものにならなくなっちゃう」

 さらに著者は、”勝負勘”について述べます。

 「勝負のときなのになにもしなかったり、逆に本当の勝負時でもないのに無理に突っかける。それじゃあ、結果はどちらも『惨敗』にしかなりません。
あらゆる勝負において、かつ確率を上げるには、勝負所を見極める目、すなわち勝負勘を鍛える場が必要だ、というのが僕の考えです。だから僕は、勝負勘を錆びつかせないために博打に身を投じています(笑)」

 わたしは、これを読んで同業の互助会経営者の方々の顔を思い浮かべました。じつは、互助会業界には博打好きな経営者の方が多いのですが、そういう方に限って商売は上手なような気がしていました。わたしはといえば、競馬や競輪のメッカである小倉に生まれ育ちながらギャンブルは奥手で、早稲田に入学したときは「麻雀をおぼえてやろう」と意気込んだものの、ルールの複雑さが面倒くさくなって断念しました。あのとき、辛抱強く麻雀をマスターして競馬や競輪にも夢中になっていたら、もっと商売も上手になっていたのでしょうか?(苦笑)まあ、わたしはラスベガスやソウルのカジノに行っても、ラウンジのソファーで酒を飲みながら本を読んでいるような人間なので、基本的に博打に興味が持てないのだと思います。読書のほうがずっと面白いのです。

 わたしのことはさて置き、著者は博打で勝つ秘訣に触れ、「博打は、『勝ったときの金』のことを考え始めると負けてしまいます」と喝破し、次のように述べます。

 「『欲とふたり連れ』の状態になると、運気や流れがするりとその手から逃げていってしまいます。博打のみならず、スポーツや仕事もみんな同じ。それまでは、バッターを抑えることやプロジェクトを成功させることに集中していたのに、欲が出てきたことで、目の前のやるべきことに集中できなくなったということです。自分に流れを引き寄せるどころか、むしろ、自分から流れを手放してしまうわけです」

 「勝負事は、いかしな欲や甘い考えを捨てて”勝ちだけに徹する”こと。僕自身も、博打に没頭しているとついつい忘れがちになってしまうのですが、やはりそれが、勝ちへの近道であると思います」

 著者は、神も仏も信じていないそうです。唯一信じているのは”流れ”だそうで、以下のように述べています。

 「麻雀、競艇、仕事でも、流れを読むことは大切なこと。麻雀を始めたころ、流れが来ているのに気づかないで負ける。また、流れを強引に引き寄せようと焦って動いて負ける、という経験を何度も何度もしました。かといって、流れが来たら攻め続ければいいという単純なものでもない。
 流れというのは、人の気も知らずに気ままに動いている見えない物体なので、『これくらいだったらちょっと乗ってもいいかな』と流れに探りを入れながら、動くかどうかを決めたほうがいい。だからこそ、流れに乗る失敗や成功を繰り返して、感覚を磨いていく必要があります」

 仕事場での著者は、いつも臨戦態勢だそうです。仕事場を「ケンカをしに行く場所」とまで言い切り、どんなに偉い人間や先輩がいようとも自分の意見をはっきり言うという著者ですが、それには「権利」が必要であるとして、述べます。

 「僕は、その権利を得る為に”死んでも遅刻しない”ことを最低限のルールにしています。時間に遅れるということは、単純に誰かを待たせるということ。遅れたのが5分でも10分でも、待っている人にとっては至極ムダな時間。相手から、その時間を奪ったことになります」

 著者は、遅刻をする人間のことを「人間ではないなにか」くらいに思うそうです。撮影現場に遅刻してきた人とは一日口を利かないし、目も合わせないとか。しかし、その代償として、著者が遅刻した場合は、その日はどんなことに対しても絶対服従。完全に「ドMの奴隷野郎」に徹し、「この度は本当にどうもすみませんでした。坂上忍、一生の不覚でございます」と、深々と頭を下げるそうです。その覚悟は立派ですね。

 第四章「音は口説いて磨かれる」では、女性を口説くことがどんなに自信になるかを熱く説きます。著者いわく、「とくに若いときであれば、女性を口説くことのゴールは間違いなくHをすることです。女は凹凸で表せば凹なのだから、本来は、凸からのアプローチをいまかいまかと心待ちにしている生き物だと勘違いするぐらいでいいと思う」。

 そのように達観する著者は女性にもストレートに「ヤラせて」と言うそうですが、一方で、無理だとわかったら一瞬であきらめる潔さも持っているそうです。

 著者は、「自分の本性を隠す必要はない」と言います。無理に隠そうとすれば、他の人より際立つ部分を自ら決してしまうことになるからです。大人の対応はしつつも、自信を持って自分を曝け出したほうがいいとして、次のように述べます。

 「なぜなら、結局のところ、”恋愛も仕事も隙間産業”だからです。自分が入れる”隙間”を見つけた人は際立つはず。ところが、自分が入れる隙間を見つけようとせず、他人と同じ土俵で戦おうとする人もたくさんいる」

 この「恋愛も仕事も隙間産業」という考え方は面白いと思いました。

 人とのコミュニケーションについての著者の意見も興味深かったです。台本は必ず紙に印刷してから読むなど、アナログにこだわっているという著者は次のように述べています。

 「デジタルとアナログのバランス感覚は、人付き合いにも求められています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)もそうですよね。つながる安心感、群れる安堵感はあると思うけれど、そこに実体はなにもない。しかも関係性の都合がよすぎる。気になる人とすぐにつながって、嫌な人は消去すればいい。それって無責任にも程がありますよ」

 傾聴に値する意見ですが、さらに著者は述べます。

 「本当の対人関係というのは、非常に不都合なことが多いし、不条理なものです。でも、そこでどうやって折り合いをつけていくのかが、じつは面白いところでもある。そういう意味でも、ネットを必要以上に上手に使っている人も含めて、ネット上は”超”が付く無責任社会のような気がします」

 まさに同感ですが、この後、著者は次のような素晴らしい言葉を述べます。

 SNSでつながろうとスマホをいじる暇があったら、ナマ乳を揉んだほうがいい!

 というわけで、本書にはおそらく後世に残る(?)名言が記されています。(笑)

 最後に、著者の父は大のギャンブル好きで母親には暴力をふるい、借金と憎しみだけを残して他の女性のところに去って行ったそうです。それでも、著者は「父親のどこかに、男としてのなにかを学ぶのが息子というものです」と述べ、自らを「ファザコン」と告白しています。そして、父が好きだったギャンブルの世界に自身も身を投じてきたそうです。

 著者がすすめる「本音の生き方」「嫌われることを恐れない生き方」は万人に通用するものだとは思いません。少なくとも、わたしの人生観は著者とは大きく異なります。アンチ・ロールモデルに学ぶ、逆説的な人生論として大変面白く読めました。社会通念に背を向けた毒舌の連発を予想していましたが、意外とまともな正論が多いとも感じました。昔から思っていることなのですが、「偽善」者には悪人が多いけれども「偽悪」の人には善人が多いですね。悪ぶっている著者もきっと本質が善人なのだと思います。

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