No.0848 人生・仕事 『アメリカ人は理解できない「ご縁」という日本の最強ビジネス法則』 釣島平三郎著(講談社+α新書)

2014.01.03

 『アメリカ人は理解できない「ご縁」という日本の最強ビジネス法則』釣島平三郎著(講談社+α新書)を読みました。
 著者は太成学院大学経営学部教授で、中小企業診断士です。1942年に兵庫県で生まれ、慶応大学商学部卒業後にミノルタに入社しました。その後、アメリカのNY州やシリコンヴァレーで現地法人の社長を務めました。また、NY州立大学財団理事、オレンジ郡パートナーシップ理事など多数の公職を歴任。オレンジ郡産業教育功労賞受賞しています。

 本書の帯には「『ご縁』があるからビジネスはこんなにうまくいく!」「やはり日本人には仕事に『ご縁』が不可欠。使いこなすための最強のビジネス術公開」と書かれています。本書の目次構成は、以下の通りです。

序章  欧米人はご縁が理解できないだろうか?
第1章 シリコンバレーで学んだ「ネットワーキング」の法則とアメリカ流ご縁
第2章 「出会いは宝」ご縁のきっかけを作ろう
第3章 好奇心を持ち続けご縁を紡ごう
第4章 行動しようと思った時がご縁を深める
第5章 今を生きてご縁を広める
第6章 チャンスはご縁を大きくする
エピローグ 機縁をビジネスに取り込む成功人生
おわりに
参考文献

序章「欧米人はご縁が理解できないだろうか?」で、著者は述べています。

 「欧米人は『ネットワーキング』という言葉をよく使い、仕事のうえでの人脈づくりに極めて熱心だった。ネットワーキングこそビジネスをするうえでの重要な武器で、その考え方の特徴としては、(1)『あの人と付き合えば儲かる、あの人と付き合うと損する』と損得が先にたつ、(2)「効率的に人脈をつくろう」と個人が能動的、積極的行動を起こす、(3)『目に見える物理的な繋がりばかりみて、その裏にある”人の計らい”を超えたこと』に注目はしない、(4)あくまでも自分の頭で考えたことで、自分がすべての主人公になっている。といったことが挙げられる」

 つまり、著者はネットワーキングを「自分から行動を起こし短期間に極めて効率的に人脈作りを行う」ことと定義しているわけですが、さらに述べます。

 「最近のインターネットの世界、特にビジネス世界を凌駕しているフェイスブックなどのSNS(Social Networking Service)はこのネットワーキングの考え方を現実に強力に具現化したものであり、最近の人と人との繋がりを強力に進める技術の発展には目を見張るものがある」

 それでは、日本における「ご縁」とは、どういうものでしょうか。欧米の「ネットワーキング」とはどのような関係にあるのでしょうか。著者は述べます。

 「日本における『ご縁』は、欧米の『ネットワーキング』とは『似て非なるもの』と私は思う。『ご縁』とは、人や社会の繋がりだけでなく、『きっかけや由来』を含め、夫婦や親子の血縁、人縁、書縁、地縁、法縁、師縁など広い意味でも使われ日本人の生活に溶け込んだものである。その幅の広さは、書縁など日本人は物にも縁があると考えることからしても、『ネットワーキング』ではとても考えられないほどである。また仏教哲学者の鈴木大拙博士が提唱されているように、『ご縁』とは人間社会だけでなく、東洋哲学における『自然や宇宙との繋がり』をも意味しており、主に人脈中心の人の繋がりを考えている『ネットワーキング』に比べずいぶん奥深いものである」

 要するに「ご縁」とは何か。著者は、以下のように定義します。

 「(1)自分で意図的に結びつけたのではなく、『サムシング・グレートの見えない力』により、(2)『あの方と付き合えば得するとか、あの方と付き合えば損する』などの損得勘定はあまりなく、(3)『自分が積極的に行動するもの』でなく、待っていればそれこそ『何かのご縁で』頂戴したものと受動的に考え、(4)『ネットワーキングが頭で考え物理的なものとすれば、むしろハートの働き』によりソフトで温かみのあるものと言える。そしてそれはビジネスにおいても決定的な違いをもたらすことがある」

 著者は「ネットワーキング」を駆使したビジネスに一定の評価を与えながらも、その日本における弊害について次のように述べています。

 「『ネットワーキング』型のビジネスは『俺が俺が』と考え、かつて日本でみられた労使一体の人の繋がりを大事にし、勤勉にこつこつ働く雰囲気から程遠く、従業員も簡単に会社を辞める代わりに経営者も簡単に従業員をリストラするし、お互いに職業倫理観を見失いがちになった」

 まったく同感ですが、さらに著者は以下のように述べます。

 「『立業問世』という古い言葉があり、これは仕事を通じて世間に貢献するという意味である。この国の将来を託された若者たちが、ビジネスや仕事に生きがいをみつけ、『世間に仕事で貢献したい』と切望することだが、またなぜ若者はこの気迫さえも失いかけているのだろうか」

 日本におけるビジネスに成功した人々には「ご縁のおかげで生きがいをみつけ社会に貢献できた」と口にしている人がとても多い。そう主張する著者は、日本人にとっての「ご縁」というものについて、以下のように述べます。

 「先の東日本大震災に際して、あれだけの地震、あれだけの津波にあっても被災された方々はじっと耐え忍び、助け合い、立ち上がり、震災後も支え合い、お互いの痛みを分かち合いながら、限られた食糧を見ず知らずの他人と分かち合い、感謝してきた。若い方々も含め日本には『繋がりあうご縁文化』があることを改めて実感した人も多いと思う。
私は、この大震災に際して、人の痛みも他人事でなく、自分のことを犠牲にしてまでお互いに助けあった”人の繋がり”を大切にする尊い『繋がりあうご縁文化』があり、その数々の行動によって、私たちは勇気づけられ、日本人のDNAには『ご縁』が浸み込んでいるに違いないと再確認した」

 第1章「シリコンバレーで学んだ『ネットワーキング』の法則とアメリカ流ご縁」では、著者はアップル、グーグル、フェイスブック、ヤフーなど最近の世界のハイテクを代表する名だたる企業の名を挙げ、それらの企業を起こした起業家たちがいずれも「ネットワーキング」の達人であったと言います。また、ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグなど、ボーディングスクールという専門職大学院の出身者が多く、同じ釜の飯を食べた者の連帯感の強さから強力な人的ネットワークを形成していたと指摘しています。

 しかしながら、著者は以下のようにも述べています。

 「ただし欧米人は基本的にはドライであり、卒業後の関係は日本人のような理屈に合わない義理人情を優先するのではなく、ビジネス上で情報を有利に交換するためなどにこのネットワークを利用することが多い。
逆に言えば、利用価値のない繋がりは持ち続けないとも言える。マーク・ザッカーバーグ氏を主人公とした『ソーシャル・ネットワーク』という映画があった。この映画ではザッカーバーグ氏が元の仲間から訴えられ、巨額のお金を支払うのだが、『ネットワーキング』では人付き合いもドライで、『ご縁』の付き合いではなかなか見られない関係悪化の実例である」

 この著書の見方はアメリカ式「ネットワーキング」の負の側面を見事に指摘していると思いました。

 第2章「『出会いは宝』ご縁のきっかけを作ろう」では、「小才は縁に出会って縁に気づかず」の柳生家の家訓が紹介されます。東急エージェンシーの社長を務められた故・前野徹氏の座右の銘でもあった柳生家の家訓について、著者は次のように述べます。

 「柳生宗矩や柳生十兵衛は『活人剣』について『人を殺傷するための刀剣も、用法がよければかえって人を活かすものとなる』と言っており、『人を活かすための用法』があれば、そこにご縁ができ生かすこともできる。『人を活かすための用法』として『小才は縁に出会って縁に気づかず』の家訓を知っていれば、我々ビジネスパーソンの日々は上司、部下、顧客、同業者などとの出会いの中で『今ご縁に出会っているか、そしてどのように活かすか』というひらめきのようなものが持てるのではないだろうか」

 柳生家の家訓は、「小才は縁に出会って縁に気づかず、中才は縁に気づいて縁を生かさず」の後、「大才は袖すり合った縁も生かす」と続きます。この言葉について、著者は次のように述べています。

 「柳生家といえば『無刀取り』を思い出す。無刀取りとは『自分が無刀のおりに、相手を恐れず敵の間合いに入り”斬られて取る”覚悟で勝つこと』だそうだが、『大才は袖すり合った縁も生かす』とは『他人の間合いに入りご縁を取り、それを生かす』ことを表しているようでいかにも柳生家の家訓にふさわしい。これによく似た『袖摺り合うも多(他)生の縁』という言葉もある。この言葉は『人の縁はすべて単なる偶然でなく、深い因縁によって起きるものだから、どんな出会いも大切にしなければならない』という意味だそうだ。私は以前この言葉は『袖摺り合うことでも多少は縁に繋がっている』ことだと思い『多生』を誤って『多少』と雑誌の原稿に書いて大恥をかいたことがあるが、『多生の縁』とは『前世で結ぼれた因縁』という深い意味だそうである」

 本書で最も共感したのは「『あ・い・さ・つ』はもっとも簡単で新しいご縁のはじまり」というくだりでした。著者は、以下のように述べます。

 「あいさつは道具もなにもいらない。それでいて出会いのきっかけを作る、ご縁のきっかけを作ってくれるものだ。職場でのあいさつはもちろんのこと、得意先や他社ではあいさつなくして仕事は始まらない。終わりもまた然りである。
 必要なものは我々の心がけであり、あいさつをしようとする意思であり、あいさつをすること自体には損得勘定などないと思う。損得勘定でするあいさつはすぐに見抜かれて、それはあいさつではないといえる」

 第3章「好奇心を持ち続けご縁を紡ごう」では、「ご縁」を紡ぐために不可欠な「コミュニケーション力」について語られます。それでは「コミュニケーション力」はどうすれば養えるのでしょうか。著者は、次のように述べます。

 「後輩でもコミュニケーションがどんどん上手になっていく人と、なかなか身に付けられない人がいた。会社でコミュニケーションをうまく図るには、ビジネスライクに徹するより、健康や趣味などを含めた雑談で人間性を分かりあうとお互いの距離感が縮められる。部下がミスをして『会社に迷惑をかけて申し訳ありません』と謝ってきた時、『しっかり反省してもらわないと困るけれど、いつまでも引きずっていてはだめだ。元気を出してがんばれ』と激励することも必要だ。こうした『ほうれんそう(報告・連絡・相談)』がきちんとできる人は、早くコミュニケーション力も付き、何を頼んでも前向きにやってくれたし、注意するとすぐ分かり、素直に聞き入れていたものだ。彼らは社会人としての成長も早くて、育てがいのある後輩で現在それぞれの職場で大活躍している。よく考えてみると私は口下手なので、彼らのおかげで自分磨きができたことを大変感謝している」

 第5章「今を生きてご縁を広める」では、「ソーシャルメディア」について以下のように非常にユニークな著者の連想が述べられています。

 「『ソーシャルメディア』の発展を目のあたりにした時、私は『華厳経』の『一即多、多即一』という言葉が頭に浮かび、最先端技術から仏教の教えに一瞬で思い至ったのだ。『華厳経』の教えでは、『1つの存在の中に、全宇宙すべての存在があり、全宇宙すべての中に、1つの存在がある』と説いている。少々難しくて分かりにくいが、それを『一即多、多即一』とも表現しており、分かりやすくいえば『1人は万人の縁、万人は1人の縁』とも言える。言い換えるとそれは私の中に社会全体が含みこまれており(一即多)、社会全体のことが自分1人の問題(多即一)でもあり、すべてがお互いに混じり合って流動していることであり、これはまさにご縁の関係でもある。つまり、ご縁が全宇宙で縦横無尽に繋がっていること、さらにこの繋がりが一重だけでなく重々無尽に交錯していることである」

 また、著者は講演活動や執筆活動などを行っていくうちに自分自身も大きく成長していることに気づいたそうです。「他者支援は自己成長」ということで、他者を支援すれば支援するほどお互いにご縁を紡ぎ、自分が成長するというのです。では、なぜ他者支援をすれば、自己成長するのでしょうか。著者は、その理由を以下のように3つ挙げています。

 「1つ目には難しい相手を支援すればするほど相手が反面教師として教えてくれ、自分はそうしたくないと思うとともにその辛い苦労が自分を鍛えてくれ自己成長することになる。2つ目には『負うた子に教えられ』という言葉のように支援する人と支援される人は双方通行で、娘が親に教えるように支援していた相手から教えられることがあり、それが思わぬ自己成長に繋がるものだ。3つ目は教員をしていていつも実感することだが、1つ教えるためには2倍以上の予習をしなければならず他者を支援するための猛烈な事前準備により間違いなく自己成長するものだ」

 さらに著者は「人間力」というものに注目して、次のように述べます。

 「私は人と人との出会いの後、その方とご縁を繋ぎ親交を結べるかどうかは、人間力(=教養×感性×精神性×人生の深み)の大きさが最終的な決め手になると思う。私の場合なんとかその地域に受け入れられ、彼らに可愛がってもらい、マスコミにも多く出るなどの機会が与えられたことは、誠に僥倖と思っている」

 「縁」は、仏教の縁起論から生まれた考え方です。著者も「ご縁」のルーツは仏教にあるとして、第6章「チャンスはご縁を大きくする」で次のように述べます。

 「もともと『ご縁』とは、仏教の『この世界の現象はすべて原因があって成立するものであって、原因なくして何物も存在しない』という縁起論が基本となっている。それはビジネスでも直接の原因の『因』(直接原因)に『縁』(間接原因)が働いて初めて、結果である『果』がもたらされると説いており、縁は因(原因)と果(結果)を橋渡しする機能を有している。
分かりやすく言えば植物では、種子を蒔くことが直接の原因である『因』にあたり、『花が咲く』という『果』(結果)がもたらされるには、それに水をやり土を耕し、肥料をまくという『縁』が働くことが必要になってくる。
 縁起論で強調しているのは『花が咲く』には何よりも『水をやり、肥料をやり、土を耕す』縁の働きがなければ絶対に花が咲かない点である。すなわち縁は因と果をつなぐ重要な橋渡しを務めており、大概の日本人はこの縁の概念が知らないうちに肌に染み透っている」

 最後に、著者はエピローグ「機縁をビジネスに取り込む成功人生」において、「『人間は1人で生きているものではなく自然やあらゆる物と繋がっている』ことが日本人のDNAに畳み込まれており、そこに『ご縁がある』ということを生まれながら理解している。またお釈迦様が『草や木と自然と人間が繋がっている=草木国土悉皆成仏』と言われたが、我々は自然や多くの人々と潜在的に繋がってそのおかげで生活できており、このネットワークの感覚を『ご縁』とも理解できる。このご縁もよくみると、我々の日常の仕事にからみ、それぞれの小さな職場から会社全体のネットワークを形成しており、これが商縁、社縁、などと呼ばれている」と述べています。わたしも、著者と同じ考えです。

 本書では、シリコンヴァレーでのビジネスを体感した著者が欧米型の「ネットワーキング」よりも、日本型の「ご縁」こそ、最強のビジネスツールになると訴えます。そして、その「ご縁」を「つかんで」「生かして」「紡いで」「広げて」「深めて」「つなげる」方法を実例を引きながら紹介しています。

 余計なことかもしれませんが、タイトルの「アメリカ人は理解できない」は不要だと思います。おそらくは著者ではなく編集者の考えでつけられたタイトルでしょうが、やたらと長くすればいいというのは大きな勘違いです。『「ご縁」という日本の最強ビジネス法則』、あるいは『「ご縁」の法則』といったシンプルなタイトルのほうが絶対に良かったのではないでしょうか?

 タイトルの中の「最強のビジネス法則」という言葉に、「法則王」と一部で呼ばれている(?)わたしの魂が反応して(笑)本書を読んだわけですが、ビジネスのみならず、人間力を上昇させ、人生そのものを豊かにしてくれる「ご縁」のパワーを再認識できました。ビジネスパーソン以外の人にも、ご一読をおススメします。

Archives