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歴史通は人間通』

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  No.0852

 

 『歴史通は人間通』渡部昇一著(育鵬社)を読みました。

 帯には「現代の賢人」として知られる著者の顔写真とともに、「人生の大局観を養い、機微を知る。」「スピーチにも役立つ言葉が満載!!」と書かれています。

 

 本書には、「歴史の見方」「リーダーの条件」「仕事術」「読書術」「充実した老後を生きるための知恵と工夫」などなど、著者の全著作の中から「歴史と人生」をテーマに、選りすぐりの断章が収録されています。すなわち、著者初の名言集なのです。これは、著者の愛読者にとって嬉しい一冊ですね。

 

 「まえがき」の最後に、著者は次のように述べています。

 

 「いろいろ書いたものの中から、大越昌宏氏が拾い出して編集して下さったのが本書である。読者として、またすぐれた編集者としての大越さんの目にとまった章節ばかりであるので、これを読まれる方にも何程かの愉悦と人生のヒントを与えてくれるのではないかと期待している次第である」

 

 ここに名前は出てくる大越氏とは、PHP研究所~致知出版社~育鵬社と会社を移られながら、一貫して名著を世に送り出してきた編集者です。致知出版社在職中には、拙著『面白いぞ人間学』を編集して下さいました。「人生の糧になる101冊の本」という副題がついている同書には、渡部昇一氏の著書も11冊取り上げさせていただきました。これは、最多となる13冊の著書を取り上げた安岡正篤に次ぐ多さです。

 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

 

「まえがき」

第一部:歴史の醍醐味

1.歴史の見方
2.リーダーの条件
3.歴史人物に学ぶ生き方
4.日本人とは何か
5.女性が活躍する国
6.日本人と土地
7.日本人のこころ
8.日本の神話と建国
9.明治維新から敗戦まで
10.東京裁判史観の克服
11.世界の中の道義国家・日本
12.進取の気性と独創力

第二部:人生の妙味

13.どう生きるか
14.運命の女神が微笑む生き方
15.知的生活のすすめ
16.人生を充実させるための仕事術
17.読書で耕す人生
18.充実した老後を生きるための知恵と工夫

 

 本書は一種の名言集ですので、わたしの心に残った言葉を記録していきたいと思います。冒頭の1「歴史の見方」では、言語学者オーウェン・バーフィールドの書いたエッセイにある「歴史というものは虹のようなものである。それは近くに寄って、くわしく見れば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水玉にすぎない」という言葉が紹介されています。著者は、この美しい言葉について、「見る側の人間がいなければ、虹と同様で『歴史』は存在しない。いわゆる客観的なものは個々の『史実』だけであり、それはあくまでも虹における水滴のごときものなのである」と述べています。

 

 また著者は、「歴史を語る2つの態度」ということを次のように述べています。

 

 「私は、自分の国の歴史を語ることは、結局、自分の先祖を語ることだと考えている。要するに、自分の親や祖父について語るようなものだと思う。
また、その際、どうしても語る時点の自分の感情がからまってくる。
そしてその場合、2つの態度があると思う。
 1つは、親を憎み、それを告発するような態度をとることである。日本史の暗黒面をあばきだし、きびしい批判をあびせ、しかも、それが激しければ激しいほど真実に近く、正義であるとする立場である。
 もう1つは、まず親に対する愛情から出発する態度である。親の弱点や短所を承知しながらも、それを許容し、むしろ親の長所やユニークな点に重点を置いて語る立場である」


 2つの態度を紹介した上で、著者は自身の立場を明らかにします。

 

 「私は、まず自分の先祖を愛する立場、先祖に誇りを持つ立場から日本史を見てみたい。愛と誇りのないところに、どうして自分の主体性を洞察できるだろうか。非行少年の多くは、自分の親に対する愛と誇りを失うことによって、基本的な主体性を失い、非行グループという偽の主体性を得た若者たちであるといわれている。それと同じように、国民が自分の国の歴史に対する愛と誇りを失えば、日本人としての主体性(アイデンティティ)を失い、日本よりさらに野蛮な国に、自分の主体性を委ねたりすることになるのではないだろうか」

 

 3「歴史人物に学ぶ生き方」では、「伝記を読もう」として、次のように述べます。

 

 「伝記を読んで感奮すると、その偉人に一歩近づくことになる。さまざまな伝記を読んでいると、その中に必ず自分に合っていると思うものが出てくる。同じ感動の仕方でも、これは他のものとちょっと違うという伝記が現われるのだ。そしてこれが、だんだん自分の人生の理想、生きる目標となっていくのである」

 

 また、「子供には偉人伝を読ませよう」として、次のように述べています。

 

 「道徳、あるいは徳目の起源については諸説があるでしょうが、先人や他人の行為を見て『美しい』と感じることができる時に、その行為につけた名前が徳目ではないでしょうか。『忠』とか『孝』とか『悌』とか『信』とか、徳目が名づけられる前には、その基となる何かしらの人を感心させた行為があったに違いありません。そのような、よい徳目が発揮された話は、読んだり聞いたりした人を感激させ、共感させ、心のどこかにその影響を残すのです」

 

 「小粒になった日本人」では、維新の元勲に言及しつつ以下のように述べます。

 

 「私は、維新の元勲や偉い人と、それ以降の人たちのスケールの違いの原因の1つは〈教育組織〉にある、と考えている。
というのは、維新以前の人たちの教育は、史記とか『論語』とかの漢籍を中心とするものであり、専門教育はその後につけ足し程度に受けたにすぎない。一言で言えば少年期に〈文学部の教育〉しか受けていない。そうした彼らの圧倒的な教養は『左国史漢』的な教養であった。
これに対し、維新以降は西欧流の学問が中心となったので、教育もその方法に則ってきちんと行われた。ところが、その後の評価を見ると、維新以前の『左国史漢』的教養を身につけた人間たちは外国人に軽蔑されなかったのに対し、それ以降の人たちはあまり尊敬されていない」

 

 維新以降にも、偉大な日本人はいました。松下幸之助もその1人です。彼は「経営の神様」と呼ばれながら、PHP運動を推進しました。「PHP」とは「Peace and Happiness through Prosperity」です。著者は「スルー・プロスぺリティ」とつけた松下の慧眼を最大限に評価しており、「フィロソファー松下幸之助」で次のように述べます。

 

 「ピース(平和)とハピネス(幸福)はみんな説いています。釈迦でもピース・アンド・ハピネスです。麻薬でもピース・アンド・ハピネスは得られる。しかし、それではダメであり、繁栄(プロスペリティ)によって得るピース・アンド・ハピネスでなければならないと松下幸之助は考えた。お父さんが働いて月給を家に持ってくる。それをもって家が治まりハピネスになる。こういうような感じでしょうか。これは世界に類を見ない。『繁栄のための努力によって』というのは、通俗といえば通俗だけれども、強力な哲学であると思います」

 

 わたしが本書で最も興味深く読んだのは、4「日本人とは何か」でした。「正義より『和』の日本人」で、著者は述べています。

 

 「聖徳太子が『和を以って貴しと為す』と言ったのは、彼が巨大な豪族社会のバランスによった政権を立てて、実感として〝和〟が大切だということを知ったからだろう。彼は国家的な規模で言っているわけだが、どの村でも何が大切かといえば、やはり正義よりも和であった。そしてそれが、古来、バック・ボーンとなって日本という国を支えてきた」

 

 5「女性が活躍する国」では、「法の前に平等」だった古代ローマ帝国や「神の前の平等」を根本原理としたキリスト教世界を簡単に紹介しながら、「日本を貫く平等原理」で次のように述べます。

 

 「このような平等原理を日本の中に探したところ、わが国においては『和歌の前の平等』ということが言えるのではないかと気づいたのである。日本において『法の前の平等』が完全に実現したのは、女性に参政権が付与された第二次世界大戦後ということになるだろう。しかし、8世紀に成立した『万葉集』においては、和歌さえ上手であれば、天皇も大氏族も兵士も農民も乞食も遊女も、みんなが平等であった。和歌の前では男女の区別もなければ、貧富の格差もない。ゆえに日本の歴史を貫く平等原理は和歌であったと私は言いたいのである」

 

 この「和歌の前の平等」という考え方に、へっぽこ歌人であるわたしは非常に感銘を受けました。歌を詠むことは日本人冥利に尽きます!

 

 著者は「和歌が日本文化を守った」として、次のように述べています。

 

 「仏典や儒教の書物は、深い哲学や高い文明を載せて、日本にやってきた。膨大なボキャブラリーは漢字であった。それにもかかわらず、『古事記』や『万葉集』は大和言葉であり、漢文で書かれた『日本書紀』でも長歌・短歌はすべて大和言葉であった。和歌こそは日本文明を言語で守ってくれたのだ。『言霊の助くる国』であったことを肝に銘じよう」

 

 そして、著者は「なでしこ日本」で次のように述べています。

 

 「紫式部は突出しているにしても、彼女以外に多くの女性作家、歌人が平安朝の日本に出た。これほど女性が活躍した背景には、遠くは日本の神話に根ざした日本人独特の世界があるからではないだろうか。
 日本では神話の一番根幹からして、ユダヤ教やキリスト教のように『全能の神様は男』というイメージではない。日本の神話で最初の頃の神様は、男女の区別がないような神様である。そして、日本の国をつくったのは伊邪那岐命・伊邪那美命という男女の神で、共同作業をしている。いわば夫婦みたいなものだ。要するに神様といえども男女相補性をもち、男女同権とはいわないまでも、男女共同参画のようなことを神話の上でやっているのである」

 

 6「日本人の土地」も示唆に富んでいます。「日本人の体質」として、著者は「日本の体質は、まさに根本的に農村的である。日本史を学ぶ場合には、日本人が古来、土地に執着する民族であり、隣人は永久に変わらないと仮定しやすい人間であり、能力を表立てると治まりにくい国であるということを考慮に入れておく必要がある」と述べています。これを読んで、わたしは「まことに至言だな」と思いました。

 また、「日本の土は先祖そのもの」では、以下のように述べます。

 

 「日本人が日本の島々に異常な執着を示すのは、いちいち意識するわけではないが、何千年来、先祖代々、この島の土が血のつながった人たちの屎尿によって豊かにされ、そのおかげで生じた穀物で自分たちも生を受けて生長し、こんどは自分たちの屎尿をこの土に返して、それによって子孫が生きて繁栄していくということが、意識の底にあるからであろう。日本の土はわれわれの先祖そのものなのであり、人間の不滅というものがあれば、それは日本の土に繋がっている」

 

 さらに、「農耕社会でのリーダーシップ」では、次のように述べます。

 

 「土地に安心感を置くような農耕杜会では、能力の差は騎馬型社会のように顕在化しにくい。したがって農耕的社会でのリーダーシップは、すぐれた能力よりも『真面目さ』『努力』『犠牲心』などの人徳が物を言う。さらにそれよりも重要なのは、ほかの人に嫉妬心を比較的起こさせない人であることである」

 

 7「日本人のこころ」では、「日本人の『こころ』磨き」として、「日本における精神修業というのは、すべからく『こころ磨き』に行きつく」と説いた上で、次のように述べています。

 

 「コロコロする『こころ』を、自分に合った磨き砂、自分の好きな方法で一生懸命に磨く。すると勾玉はピカピカと光り輝き、美しい色彩をも放つようになる。あるいは、透き通るような美しさを見せるようになるかもしれない」

 

 「ハートは美しいとか、きれいだとはいわない。日本語の『こころ』だけが美しい、きれいだ、と表現できる言葉なのだ。
 だから私は、『こころ』という言葉自体が、日本人の心を表現し、だからこそこの言葉が日本文化の中心にあると考えるのだ」

 

 このあたりは、わが「平成心学」の根本理念にも通じます。そのあたりは、著者のアドバイスも受けて執筆した『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)でも詳しく説明しています。

 

 12「進取の気性と独創力」では、「新しいものを恐れない体質」として次のように日本人について述べます。

 

 「おそらく日本人は昔から、今の世界の人たちが『宇宙船地球号』と感ずるがごとく、この島を感じていたのではないか。この島の中で、宗教を振りかざして殺し合う不幸を知っていたがゆえに、お互いに手を打つという共存の道("和"の価値観)を採ったのだと思う。もちろんそれも、共存の道を採ろう、などという計画的な気持ちからというよりは、むしろ狭い所に住む民族の知恵がなさしめたと言うべきかもしれない」


13「どう生きるか」では、「墓参り」で次のように述べています。

 

 「よく先祖の墓参りをする家の子供は、だいたいよく育っている。年に一度でも二度でも、おじいさんやおばあさんの墓の前で手を合わせる。そういう場に連れて行ってもらっている子供は、そこに生命の流れを見るのだ。親父は祖父に手を合わせた。自分も親父が死んだら親父の墓に手を合わせるか、というような流れがイメージとしてでき上がってくる。そういうよいイメージをつくれるかどうかが大切なのである」

 

 16「人生を充実させるための仕事術」では、「溶鉱炉のごとく」として、次のように述べています。

 

 「溶鉱炉は一度火を消してしまうと、再び鉄が溶けるようになるまでに、たいへんな時間を必要とする。そこでどんな場合でも火を消さないようにするというのである。そしてひとたび火をつけたなら、火を落とすことなくどんどん温度を高めていかなければならない。知的作業もそれと同じで、頭のエンジンも中断されることなく回転していけば、温度が次第に上昇してきた溶鉱炉のごとく、頭はますます冴えてくるものだ。かくて、その仕事に取りかかった時には、予想もしなかった展開や思いがけないひらめきが次から次へと生まれてくるのである」

 

 そして、17「読書で耕す人生」では、「読書の醍醐味」について語ります。

 

 「人間は時間と空間に限定されて生きている。平均に生きても80年に足らず、せいぜい旅行してもそれほど多くを見るわけにいかない。また一生の間に会う人の数、特にすぐれた人に会う数は知れたものである。ところがひとたび狭い書斎にひきこもり、書物を取り出せば、たちまち時間の制約も空間の制約も取り払われてしまう。そしてどんな時代の、どの国の偉大な思想家の考えにも触れうるのである。読書というものの不思議さは正にここにあると思う。深夜の物音1つしない書斎でこの人たちの書いたものを開けば、その人たちは眼前に立ち現われて私に語りかけてくるかの如くである」

 

 読書といえば、著者の不朽の大ベストセラーである『知的生活の方法』(講談社現代新書)は、わたしに読書の習慣をつけさせてくれた恩書です。この恩書へのオマージュとして、わたしは『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)を書いたのです。もちろん、著者に贈呈させていただきました。

 

 以上、わたしの心に残った言葉をざっと備忘録的に記していきましたが、まさに「「人生の大局観を養い、機微を知る」という帯のキャッチコピーそのままです。いつ読んでも、どこから読んでも、「なるほど」と納得させられてしまう珠玉の言葉が並んでいます。それぞれの文章の最後には出典が明記されていますから、気になった言葉はオリジナルの本を当たればいいでしょう。改めて自分でも驚いたのは、わたしが著者の本をほとんど読んでいたこと。本書に登場する本で、未読のものはなかったと思います。いかに、わたしの魂が著者から養分を受けていたかがわかりました。