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中村天風一日一話』

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No.0831

 

 『中村天風一日一話』中村天風財団編(PHP研究所)を再読しました。

 本書は中村天風財団編となっていますが、同財団の理事長を務められたのが、「ソーシャルの達人」こと合田周平先生です。わたしの心の師ですが、合田先生は中村天風の愛弟子です。つまり、わたしは天風先生の孫弟子に当たるわけです。

 

 さて、本書の「まえがき――哲学する言葉」で、合田先生は師である天風について、次のように述べておられます。

 

 「中村天風(三郎)は、明治時代に満州地域の軍事探偵となり、帰国後に重い肺結核にかかります。一念発起して心とからだの双方の回復を求め、病身をおしてアメリカ、ヨーロッパさらにインドのヨガの里にまで踏み入れ、ついにいのちを育む自然界の生命力の流れを実感したのです。それを基盤に、心身一如を実現し得るいくつかの手法を編み出し、中村天風『心身統一法』を確立したのです。武芸者としても秀でていた中村天風らしく、まさに文武両道を具体化した理論と実践は、明治・大正から昭和にかけて多くの人々に感銘を与えて今日に至っています」

 

 また合田先生は、天風が語った次のような言葉を紹介します。

 

 「天風哲学は本来儒教や仏教、神道などをはじめ、多様な宗教や哲学を『打って一丸』としたものであり、日々に自ら実践し、行うものであり、人生という社会生活の現場に活かしてこそ意味がある。単なる知識だけの習得では、『論語読みの論語知らず』、と同じことで意味がない」

 

 そして、合田先生は次のように述べるのでした。

 

 「21世紀のわが国には、個人的にもまた集団的にも多様な難題が押し寄せてくるでしょう。八百万の神・多神教の日本と、全知全能の神・一神教を信じる欧米や中東。ともに協調を目指す上では、グローバル化や国際化のプロセスに存在する「越えねばならない何らかの存在」を感じてなりません。この『何か』を具体的に把握し解決することにこそ、天風哲学の今日的課題があると考えています。いかにして『打って一丸』とする思考を身につけるかでありましょう」

 

 わたしは、合田先生の言葉に深く共感します。本書には天風哲学を示す365の言葉が日めくり的に掲載されています。その中で、特にわたしの心に残った14の言葉を紹介したいと思います。わたしの余計なコメントなど付けずに、そのまま紹介します。なお、「 」内の言葉は、天風の言葉につけられたタイトルです。

 

「生きる力」
 およそ人間としてこの世に生まれ、人間として人間に活きるために、第1に知らねばならぬことは、人間の"いのち"に生まれながらにして与えられた、生きる力に対する法則である。
 まこと、自分のいのちの中に与えられた、力の法則というものを、正しく理解して人生に活きる人は、真に、限りなき強さと、歓喜と、沈着と、平和とを、作ろうと思わなくても出来上がってくるように出来ているのである。
 それを一番先にわれわれは知らねばならない。

 

「人間だけが笑える」
 笑顔を失うと、命の資本ともいうべき健康もみるみる破壊されますし、また、運命とて同様に、とかく阻まれがちとなってしまうんですよ。
 西洋の諺にも「和やかな笑顔の漂うところに、運命の女神はその慈愛の手を差しのべる」というのがあります。
 いったい何のために、人間だけが笑えるようにできているのかということを、厳粛に考えなきゃだめですぜ。あなた方、考えたことあるかい?

 

「この世の中は」
 この世の中は、苦しいものでも悩ましいものでもない。この世は、本質的に楽しい、うれしい、そして調和した美しい世界なのである。

 

「毎朝、心から感謝する」
 まず第一に、毎朝目覚めたら「今日もまた活きていたことを心から感謝する」ということを、今日一日の生命への出発の第一歩とすること。
 大抵の人は、毎朝目覚めることを、何か当然のことであるかのように考えている。ところがいつ何時どんなことで、自己の命が失われるかも知れない。また実際において、いつかは絶対に目覚めぬ永久の眠りにはいってしまう時がくる・・・・・・という一大事を考えると、毎朝目覚めた時、自分の活きていることを直感して刹那、限りない感謝を感じないではいられないと思う。

 

「消極的言葉の厳禁」
 絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだと考えるぐらいな厳格さをもっていなければだめなんです。

 

「言葉を選択しよう」
 人間が人生に生きる場合に使う言葉を、選択しなきゃだめなんですよ。
 一言、一言に注意してもいいくらい、いくら注意しても、あなた方はヒョイと気づかずに消極的なことを言ってますぜ。
 とにかく、習いは性でありますから、人と口をきくときでも、「まいった」「へこたれた」「助けてくれ」「困っちゃった」なんてことは言わないこと。
 あくまでも自分の心というものを颯爽、溌剌たる状態にしておくためには、今言ったような消極的な否定的な言葉はだんぜん用いないこと。

 

「親はありがたい」
 なかには親のことを悪く言うやつがある。「親も親だけども、頭が古かったなあ」なんて。あたりまえじゃないか、そりゃ。時代が先に生まれてんだもの。親が自分より後から生まれてくりゃ、自分より頭が新しいかもしれないけどもねえ。そんな批判はすべきでないですよ。
 とにかく、おやじの頭、古かったなあ、と思えるような頭に産んでくれた親はありがたいじゃないか。

 

「事業の成功」
 私が事業家にいいたいのは、ここだ。
 自分の欲望のみでもって、しようとしたことは、そうめったに成功するものではない。事業に成功するのは、自分が欲望から離れて、何かを考えたときに、また、その考えたことを実行したときに成功するのだ。同じ事業家でも、欲の固まりでやる者と、「この仕事で、世の中の人のために、本当に役立つものを提供しよう」という気持ちでやるのとでは、その結果が全然違うのである。

 

「すべては心の働き」
 何よりも一番先に考えなければならないのは、心なんです。なぜかというと、月を見ても、花を見ても、仕事をしても、遊ぶのでも、すべてそれを心が認識してこその生きがいでしょう。
 麻雀した、トランプした、面白いなあと思うのは、みんな心でしょう。おいしいものを食べて、「ああ、おいしかった」と思うのも心で、肉体ではないでしょう。肉体が味わう感覚を、意識の中に思い浮かべるのは心の働きなんです。
 うれしいのも、楽しいのも、辛いのも、悲しいのも、みんな心なんです。

 

「感謝へのふりかえ」
 病があろうが、運命が悪くなろうが、それを感謝と喜びにふりかえることです。
 そもそも病とか不運とかというものの原因を考えてください。
 何にも自分に落ち度がなくして、病や不運がくるはずないのであります。つまり、原因あっての結果。
 ですから、おまえの生き方に誤りがあるぞ、と自覚を促すために病なり不運なりが与えられたとしたら、これは大きな恵みですわ。それを考えたら、恨みどころか感謝にふりかえ、喜びで誤りを是正する方へと自分の心を積極的にふり向けることが一番必要でしょう。

 

「人生をむずかしく考えない」
 人生を、あまりむずかしく考えないほうがよい。むずかしく考えるとわからなくなる。真理は足もとにある。高遠な学理の中にあるのではない。
 もとより軽率な考え方ではいけないが、なまじ学問をした人は、真理は遠く大海の底、深山幽谷の奥山にあるような思い違いをすることが多い。
 人間それ自体の生命存在を、思索の中心において考えれば、大きな的はずれをしないですむはずである。
 人間の心のあり方が、結局人生を支配する法則の根本である。

 

「『まごころ』の尊さ」
 ちょっと一杯の茶を出すのでも、「ハイ」と返事をするような些細な行為でも、そのとき、何の報償をも念頭に置かず、すなわちその人に気に入られようとか、あるいは、好感をもたせようとかいうような気持ちでなく、そこに一点何の求むるものなき、純一無雑な「心」で、それが行われるとき、その行為から、形容のできない温かいものを感じる。それはすなわち「まごころ」というもののもつ尊さの感応である。

 

「人間の心の大きさ」
 真剣に気づかねばならないことは、人間の心の大きさである。
 月を見て佇めば、心は見つめられている月よりも、さらに大きいということを考えられはしないか。星を見て考えている心の中は、大きなものを相手に考えているんだから、それだけで、星以上に大きなものではないか。
 星を見て、その星よりもさらに洪大な様子を心は想像できる、という簡単なことを考えただけでも、いかに人の心が一切をしのいで広大であるか、ということがわかってくるはずだ。

 

「人あっての自分」
 もしも、いささかたりとも、報償を本位とするというがごとき、凡俗同様の卑しむべき心持ちが発生したなら、そのときは「箱根山 駕籠に乗る人担ぐ人 そのまた草鞋を作る人」という古諺を思い出すがよい。
 さすれば、この世の中に活きるのは、いかに偉くなっても、自分一人で生きられるべきものではなく、人あっての自分、自分あっての人ということが、即座に直感され、その直感が良心に感応すれば、報償を超越した責務感となり、さらに当然の帰結で、その責務感がまごころとなって発露する。