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戦国武将の戦術論』

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No.0835

 

 『戦国武将の戦術論』榎本秋著(ベスト新書)を読みました。

 わたしが本書を購入した理由は2つあります。まず1つめは、カバーイラストが長野剛氏の「戦国兵法 場取武礼駒 川中島決戦」だったこと。すなわち武田信玄と上杉謙信が描かれているわけですが、長野氏といえば、『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』『「天国」と「地獄」がよくわかる本』(ともにPHP文庫)のカバーイラストを描いていただいた方です。さらには、わたしのために特別に「月下四聖図」も描いていただきました。
 もう1つは、「戦国武将会議」なるパフォーマンスを私が経営する会社内でやってからというもの、戦国武将に対して強い関心を抱いているからです。

 

 著者は東京都生まれで、WEBプランニング、ゲーム企画、書店員を経て、現在は著述業とのこと。日本史・中国史のほかライトノベルについても造詣が深いそうです。本書の帯には「武田騎馬軍団は実在したのか!?」と大書され、続いて「軍団編制、行軍、基本戦術から有力大名の得意戦法まで戦国合戦の実像に迫る!」と書かれています。また、帯の裏には「川中島の戦い、手取川の戦い、河越夜戦、長篠の戦い、厳島合戦、耳川の戦い・・・・・・」「戦国合戦から紐解いた武将たちの戦術を一挙紹介!」「『魚鱗』『金掘衆』『捨て奸』『騎馬鉄砲』『野戦』『築城」』『鶴翼』『火牛の計』『一領足』『多陣戦法』『釣り野伏』『啄木鳥の計』『車懸り』『国崩し』『三段撃ち』『穿ち抜け』」とあります。

 

 さらに、カバーの前そでには以下のような内容紹介が記されています。

 

 「一般にイメージされる戦国時代の合戦像は、実際のものとは大きく違っている。あたかも常識であるかのように語られている織田信長の鉄砲三段撃ちは創作されたエピソードであるし、有名な武田騎馬軍団ですらその存在に疑問が呈されているのである。本書は近年の戦国史研究をもとに、戦国時代の合戦の実像がいかなるものであったかを論じていく。軍団編制から行軍、陣立てまでの一連の流れ。そして野戦、攻城戦をいかに戦ったのか。基本戦術を踏まえた上で、有力な戦国大名が駆使した戦術を紹介していく。
伊達政宗の騎馬鉄砲、島津義弘の捨て奸など戦国の世に名をはせた歴戦の強者たちの得意戦法まで。戦国合戦模様をここに再現する」

 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

 

「はじめに」

 

第1章 戦国時代の兵科と軍団構成
   戦国時代の兵科
   足軽
   武士
   鉄砲隊
   砲兵
   水軍衆
   コラム(1)戦国時代の武器と防具

 

第2章 戦国合戦の一部始終
   評定とは
   戦場へ赴く
   戦場の下準備
   合戦の決着
   コラム(2)戦場にまつわる諸道具

 

第3章 戦国時代の基本戦術
   基本戦術と陣形
   野戦の流れ
   城攻め
   各種の戦術
   コラム(3)武器と兵器の技術革新

 

第4章 戦国大名の得意戦術
   伊達政宗
   北条早雲・氏康
   武田信玄
   上杉謙信
   織田信長
   豊臣秀吉
   徳川家康
   毛利元就
   長宗我部元親
   島津四兄弟

 

「おわりに」

 

「主要参考文献」

 

 「はじめに」の冒頭で、著者は次のように述べています。

 

 「戦国時代の合戦をテーマに、大名や武将、またその下につく武士や兵士たちがどのように戦ったのか、またそもそも『戦国時代の合戦』とはどういうものだったのか、その実際の姿をなるべくわかりやすく紹介することにある。また、その中で大名や武将がどのような存在だったかについても触れている。
 というのも、一般に流布されている戦国時代についてのイメージは、江戸時代に軍学者たちが創作したと思われるエピソードや、同時代に流行した講談などの影響が強いのだ。その結果、物語的に創作されたエピソードがそのまま史実と誤解されて広まっている例が多々ある。中でも代表的なのは、織田信長が長篠の戦いで実行したとされる『鉄砲三段撃ち』だ」

 

 第1章は「戦国時代の兵科と軍団構成」ですが、わたしは武器や兵器に対する興味はまったくありません。でも、弓や刀といった「武士のシンボル」には大いなる関心があります。著者は、まず弓について次のように述べています。

 

 「平安時代から鎌倉時代にかけて、騎馬武者が引く『弓』こそは武士の象徴であった。優れた武将のことを『弓取り』、武術を『弓矢の道』、武家を『弓馬の家』と呼んだのはこの名残である。
 後に合戦の主流が騎馬武者による太刀や槍での叩き合いに移り変わり、その後にやってきた集団戦の時代でも長柄槍での叩き合いが大きな位置を占めたため、弓は主役の座から滑り落ちたが、戦国時代の合戦においても足軽の弓から放たれる矢は先制攻撃として大きな意味を持っていた」

 

 また「刀」についても、次のように述べています。

 

 「刀は江戸時代に『武士の魂』とまで見なされたこともあって、武士=刀というイメージがある。しかし、少なくとも戦国時代の戦場において、刀は主役の地位を占めていなかった。平安時代末期頃から長く『太刀』と呼ばれる長い刀が騎馬武者の白兵武器として主流だったが、応仁の乱頃、すなわち戦国時代の初め頃より槍に主役の座を奪われてしまったのである。これは『斬る』武器より『刺す』武器が有効と考えられ、必要とされたためだという。しかし戦国時代が終わり、太平の江戸時代がやってくると、武士が平時から携える象徴的な武器として刀が復権することになる」

 

 第2章「戦国合戦の一部始終」では、「評定」のくだりが興味深かったです。これぞまさに「戦国武将会議」のことですが、著者は次ぎのように述べています。

 

 「『合戦』あるいは『戦争』などと書くといかにも特別なことのように思える。しかし、無目的な殺し合いではなく、勢力同士がそれぞれの目的を達成するための手段として行うものである以上、まずは誰と戦うか、いかに戦うか、そもそも戦うのかどうかを計画し、協議する会議があって当然だ。あるいは、相手が攻めてきた場合にも、戦うのかまずは交渉するのか、戦うならどこで迎え撃つのかを話し合って決めなければいけない。戦国大名の場合、これを評定という。
 ちなみに、延々と続いて答えの出ない会議を称して『小田原評定』というが、これは北条氏が豊臣秀吉の大軍に攻められた時、小田原城で評定を行ったが意見が迷走して適切な答えを出せなかったことに由来する」

 

 戦国時代の会議といえば、映画「清須会議」が思い浮かびます。あれは信長亡き後、誰が天下を治めるかという重要な会議でしたが、結果として策略家の豊臣秀吉が勝利し、彼は「天下人」への道を歩みます。しかし、本書に書かれた以下のくだりを読めば、少々意外な気がします。

 

 「意外と知られていないのだが、戦国大名のほとんどは天下取りなど目指してはいなかった。彼らの多くは領域の支配を確実にし、支配下にある国人(豪族、土豪、地侍などとも呼ばれる地付きの中小武士勢力)たちをつなぎとめ、あわよくば勢力を拡大するためにこそ戦っていたのである。だからこそ、地盤固めもそこそこに上洛し、『天下布武』を掲げて戦った織田信長の特異性が目立つわけだ」

 

 あと、戦国時代を舞台にした映画やドラマといえば、必ずといっていいほど忍者が姿を見せます。映画「清須会議」にも天海祐希演じる"くの一"率いる忍者軍団が登場しました。「忍者」について、著者は次のように解説しています。

 

 「いわゆる忍者―黒装束を身にまとい、印を組んで呪文を唱えれば不可思議な現象を起こす――のイメージは江戸時代の講談などで創作された架空のものであるが、密偵として活動する人がいたのは事実だ。
 伊賀者や甲賀者などは徳川氏の支配下に入って江戸時代にも残っているし、他にも伊達氏の『黒脛巾組』、北条氏の『風魔衆』、上杉氏の『簷猿衆』、武田氏の『歩き巫女』などの話が伝わっている。彼らの集めてきた情報も評定において、判断する材料になったはずだ」

 

 また、著者は次のように「忍者の原型」についても述べます。

 

 「忍者の原型になったのでは、といわれるのが山岳での修行に励む修験者たちで、鍛えられた身体能力を用いて忍者と同じような仕事をすることもあったようだ。他にも、高野山金剛峯寺から寄付金集めのために派遣されて全国を巡る高野聖や、各神社に所属してやはり全国を巡って御札を配る御師なども、情報源として貴重だった」

 

 さて、わたしが最も興味深く読んだのは「出陣前の儀式」という項でした。軍が集まり、準備が整えば、「いざ出陣」となりますが、戦国時代にはさまざまな儀式がありました。現代よりもはるかに信心深く、神仏や妖怪、あるいは「縁起の良し悪し」を信じていた時代だけに、出陣や戦いは吉日を選んで行いました。出陣に際しても、ただ軍隊を揃えて出発ということはせず、必ず儀式を執り行いました。著者は、「有名なのは『三献の儀』だ。まず大将の三方に3つの杯を配置し、それぞれに酒を注ぐ。その上で『討つ』を意味する打鮑で一杯、『勝つ』につながる勝栗で一杯、『喜ぶ』に引っ掛けたのし昆布で一杯と三種の肴で酒を飲み、神に勝利を願う、というものである。最後には器を地面に投げつけて割る、ということもよく行われていた」と述べています。

 

 わたしは、この三献の儀における「討つ」「勝つ」「喜ぶ」から、わが社の新儀式「禮鐘の儀」における「感謝」「祈り」「癒し」を連想しました。

 

 また同じく語呂合わせで、矢をつがえない弓を一度鳴らす「人打」という儀式もあったそうです。著者は、次のように説明しています。

 

 「一度打つ=人を討つというわけだが、弓の弦が鳴る音には邪気を払う効果があると信じられていたため、そこから来ている部分もあるのだろう。
 儀式の最後を飾るのは門の前に包丁を置き、これをまたぐ、というものだった。刃を踏み越える覚悟を示すとともに、主君の留守の間に外敵が入ってこないように、というまじないの意味もあったと思われる」

 

 戦国武将たちは、なぜ儀式を行ったのでしょうか。著者は述べます。

 

 「儀式は信心深い部下や兵士、民衆たちの士気を上げる手段、吉凶もそれに同じで、戦略・戦術上の事情で都合のいいタイミングを『吉日』にさせようとする暗躍、あるいは自分の行いが成功するという説得力を得るための占いの結果を操作するといった行為が当たり前のようにあったようなのである。
 そうでなくとも、『吉凶的には都合が悪いがぜひこの日に攻めたい』場合には専用の祈禱を行えば良しとするなど、意外とご都合主義な部分は戦国時代の人々にもあったのだ」

 

 戦国武将の中でも特に信心深かったのが上杉謙信です。その謙信は、「武禘式(ぶていしき)」と呼ばれる戦勝祈願を行っていました。これは上杉軍の守護神である毘沙門天王を降ろすための儀式です。武禘式の前に、謙信は護摩堂に入って五壇護摩を行ったそうです。五壇護摩とは、五大尊明王(不動明王・隆三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)に祈祷することです。これによって自我を払い、精神を統一し、さらには神仏の啓示を得られると信じられていました。

 

 さて、平成26年度の大河ドラマは「軍師官兵衛」です。黒田官兵衛や竹中半兵衛といった戦国を代表する軍師が活躍する物語です。この「軍師」という存在について、著者は次のように述べています。

 

 「一般的に『戦国の軍師』といえば、大名の傍で状況を判断し、作戦を立てる、近現代の軍隊における参謀のような存在、というイメージがあるだろう。しかし、戦国時代の軍師の本来の仕事は儀式をとり行い、吉凶を見極めるものであり、どちらかと言うと呪術師に近い存在だったのである」

 

 関東地方にあった足利学校は宣教師が「日本唯一の大学」と呼んだ当時有数の教育機関でした。ここからは多くの軍師が誕生しています。しかし、この足利学校についても、本書には「実はこの学校は僧侶を育成するための教育機関であり、その卒業生が諸家に求められたのも、足利学校のカリキュラムにおいて重視されていた易、すなわち占いの技術だったのだ」と書かれています。第3章「戦国時代の基本戦術」以降に出てくる陣形などにはまったく関心がありませんが、本書にはわたしが知らなかったことが色々と書かれており、なかなか面白かったです。ある意味で、知的好奇心を刺激する本でしたね。