No.0802 人生・仕事 『負けかたの極意』 野村克也著(講談社)

2013.10.01

 『負けかたの極意』野村克也著(講談社)を読みました。
 本書の表紙は篠山紀信撮影の著者の写真で、帯には「監督生活24年、1565勝1563敗、我、いまだ途上にあり―」と書かれています。著者は、日本では知らぬ者のいないほどの有名人です。日本のプロ野球界を代表する選手にして監督でした。あの「マー君」こと東北楽天イーグルズの田中将大投手も育てました。じつは、「現代の賢者」とも呼べる智恵の持ち主でもあり、多くの著書を上梓されています。わたしは昨年、第2回「孔子文化賞」を受賞させていただきましたが、著者こそは第1回目の受賞者であり、第2回授賞式にも来て下さいました。

    第2回「孔子文化賞」授賞式で祝辞を述べる著者(右端が一条)

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「はじめに」
第一章 人は勝利から学ばない
第二章 敗者の特権
第三章 再生も負けからはじまる
第四章 負けかたの極意
第五章 負けを活かすために何が必要か
第六章 負けを活かすリーダーの条件
「おわりに」

 「はじめに」の冒頭で、著者は「負けかたについて書いてください」と出版社から要請されたとき、腹が立ったと述べています。半世紀以上、勝負の世界で生きていた者に対して「『負けかたについて書け』とは何事か!」と思ったそうです。

 しかし、考えてみると、著者は自分の人生がある意味で負け続けであったことに気づきます。何事もすべては負けからスタートしており、最初からうまくいくことなど一度もありませんでした。うまくいくように思えたときでも、必ず壁にぶつかり、跳ね返されたといいます。でも、著者はその都度、「なぜ、うまくいかなかったのか。何がいけなかったのか」と自問しました。原因を突き止めたら「どうすれば、うまくいくのか。そのためには何をすればいいのか」と考えました。著者は、次のように述べています。

 「試行錯誤を繰り返すなかで、少しずつ進歩していった。
 私の人生は、まさしくその連続だった。失敗や負けから学び、次に活かすことで、技術的にも精神的にもより強くなっていった。
 その意味で、私を成長させたのは失敗や負けなのであり、逆にいえば、失敗や負けを何度も経験したからこそいまの私がある。そういっても過言ではない」

 そして著者は、次のように思い至ったのです。

 「よい負けかたについて、すなわち、明日勝つために今日の負けといかに向き合い、糧とするかということなら、書けるのではないか。いや、私以上の適任者はいないのではないか・・・・・・」

 あるとき著者は、哲学者の鶴見俊輔氏が「敗北力」について述べていることを知ります。鶴見氏のいう敗北力とは、「どういう条件を満たすとき自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受け止めるかの気構えから成る」だそうです。著者は、鶴見氏が唱える「敗北力」を以下のように理解します。

 「つねに最悪の状況を想定し、そういう事態に陥らないためにどうするか、さらにそうなったときにはどうするかという『そなえ』―ただ漠然と毎日を過ごすのではなく、あらかじめ感じ(予感)、あらかじめ想い(予想)、あらかじめ測り(予測)、あらかじめ防ぐ(予防)という姿勢―を怠らない心構えを持つと同時に、負けや失敗から学び、それを勝ちや成功につなげる力」

 本書の第一章「人は勝利から学ばない」の冒頭には、「野球は失敗のスポーツ」として、次のように書かれています。

 「どういうわけか、最下位が指定席のようなチームの監督ばかり引き受けてきた。その間、あらためて実感させられたのは、こういうことだ。
 『野球とは”失敗のスポーツ”である』
 成功より失敗のほうがはるかに多い。あらかじめ失敗が組み込まれている―それが、野球というスポーツの大きな特徴であり、本質なのである」

 どんなに優秀なバッターであっても10回の打席で3回ヒットが打てればいいほうで、7回は失敗します。ヒットエンドランや盗塁はもちろん、送りバントですら失敗がつきまといます。ピッチャーはどうかというと、マウンドから18.44メートル離れたホームベース上の狙ったところになかなかボールをコントロールできないのが現実です。まさに、失敗のスポーツではありませんか!

 したがって試合に勝つためには、いかに失敗を制御するかがカギであり、失敗を減らすことこそが勝利への近道であるとした上で、著者は「野球は確率のスポーツである」と喝破して、次のように述べます。

 「失敗の確率を減らすためにいちばん重要なのが『基本』である。だから私は、選手たちに常々こういってきた。
 『失敗する確率をできるだけ少なくするために、基本動作を繰り返せ。そうすることで確実性が高まっていく。そのために練習をするのだ』
 そしてもうひとつ、プレーの確実性を高め、勝ちにつなげるために必要不可欠なのが、失敗や負けから学ぶこと、すなわち失敗や負けを次の機会に活かすことだ。それができなければ、同じ失敗を繰り返すことになるだけだ」

 本書の白眉は、第二章「敗者の特権」でしょう。そこには、著者がけっして境遇や才能に恵まれていなかったことが赤裸々に述べられ、それにもかかわらず歴史にのこる選手および監督になれた秘密が明かされています。家が貧しかったがゆえに、家計を助けるためのアイスキャンディ売りをしましたが、お祭りが行われている場所などの下調べをしてから売りました。投球練習用キャッチャーとしてプロテストに合格しましたが、当時は禁じ手であった筋トレと素振りを繰り返して先輩キャッチャーを超えました。これまた、当時はタブーだったヤマカンを張っての打撃を行い、それが配球を読み始めたきっかけになりました。著者はつねに切迫した状況というか、ピンチの連続の中で、「頭を使い、知恵を絞る」ことによって運命を切り拓いてきたのです。そして、この「頭を使い、知恵を絞る」ことこそが敗者の特権であるというのです。そして知恵を絞って、「仮説→実行→確認」を繰り返した結果、著者は前人未到の記録を成し遂げることができたのです。

 第四章「負けかたの極意」も読み応えがありました。「取り返しのつかない負けを避ける」で、著者は次のように述べています。

 「最近のプロ野球の監督たちを見ていて、不思議に思うことがある。たとえば、味方にホームランが出たとき、あるいは加点したり、逆転したりしたときの彼らの反応である。そんなとき、最近の監督はみな、選手と一緒になって手を叩いて喜んでいる。あれが私には理解できない」

 孫に近い年齢の選手と野球をせざるをえなくなった最近でこそ、ホームランを打った選手と手を合わせるくらいはするようになったそうですが、以前の著者は選手たちと一緒に喜ぶことは一切しなかったそうです。著者は述べます。

 「むろん、私だって得点が入ってうれしくないわけがない。まして勝ち越したり、逆転したりしたときは、『よし!』と思う。けれども、それは一瞬で、すぐに監督としての立場に戻り、気を引き締める。意識しなくても、自然とそうなる」

 このリーダーとしての心構えを読み、わたしは身の引き締まる思いがしました。

 そう、著者はリーダーの真髄についても大いに語ります。第六章「負けを活かすリーダーの条件」の「リーダーが失敗を恐れず、学び続けること」で、次のように述べています。

 「『組織はリーダーの力量以上には伸びない』これは組織論の原則であり、私自身が自分につねに言い聞かせてきたことだった。
 組織を伸ばそうとすれば、リーダー自らが成長するしかないのである。これまで繰り返し述べてきた感性をさらに磨き、それをもとに考え、リーダーの条件だと私が考える『観察力』『分析力』『洞察力』の向上に努めなければならない。プロ野球の監督であれば、選手以上に自分に厳しくし、つねに進歩しようとする姿勢を見せなければならないのだ」

 「おわりに」の冒頭で、著者は、世の中には「要領がよく、器用な人間」と「要領が悪く、不器用な人間」がいるとして、次のように述べています。

 「器用な人間は、自分が器用な人間であることをしっかりと認識し、それに徹すればいい。そうすれば、すばらしい成果を残せるだろう。ところが、なまじ苦労しなくても最初から何でもできるだけに、往々にしてそれ以上の努力を怠りがちだ。考えることも少ない。結果、『これだけは誰にも負けない』という武器を持たず、器用貧乏で終わるケースが少なくない。
一方、不器用な人間はなかなか思うような結果が出ないから、必然的に努力しなければならない。嫌でも考えざるをえない。でも、器用な人間よりはるかに多くの試行錯誤をし、失敗や挫折を繰り返すなかで、少しずつ知識、理論、経験則といったものが蓄積されていく。
 成長に欠かせない謙虚さも身についていく。つまり、まさしくウサギとカメのたとえ通り、長い目で見れば、不器用は器用に勝るのである」

 これを読んで、わたしは唸りました。まさに、人生の栄光も辛苦も知り尽くした人の金言です。じつは、著者の本を読んだのは初めてなのですが、予想を遥かに超えて(失礼!)説得力があるので、驚きました。なんだか、人生という荒波をうまく渡っていくための指南書ともいえる本書が『論語』に、著者が孔子の姿と重なってきました。いや、ほんとに。

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