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惡の華(1~9巻)』

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No.0812

 

 『惡の華』1~9巻、押見修造著(講談社)を読みました。

 「別冊少年マガジン」(講談社)2009年10月号(創刊号)から連載されている人気漫画作品です。著者は、1981年に群馬県桐生市で生れました。2002年、講談社ちばてつや賞ヤング部門の優秀新人賞を受賞。翌年、「別冊ヤングマガジン」掲載の「スーパーフライ」にてデビュー。同年より同誌に「アバンギャルド夢子」を連載した後、ヤンマガ本誌にて「デビルエクスタシー」などを連載。08年より「漫画アクション」に連載した「漂流ネットカフェ」は、テレビドラマ化されました。

 

 最近、映画評論家の町山智浩氏の本を書いたものをまとめて読んでいたのですが、その中に『まんが秘宝 男のための青春漫画クロニクル』という本で、町山氏が『惡の華』についての力のこもった批評を書いています。また、町山氏の新刊『トラウマ恋愛映画入門』(集英社)の帯には、『惡の華』の登場人物である仲村佐和が「それでも、野垂れ生きろ」というセリフを吐く絵が描かれています。それを見て、興味を持ったわたしは北九州市の門司にある金山堂書店で9冊まとめて大人買い、一気に読了しました。

 

 第1巻から第6巻までは中学編、第7巻34話からは高校編です。Wikipedia「惡の華」には、「あらすじ」として、中学編、高校編がそれぞれ紹介されています。まず、中学編は次のように書かれています。

 

 「クラスの美少女・佐伯奈々子に密かに想いを寄せる春日高男。
 ある日の放課後、出来心により彼女の体操着を盗んでしまうが、その様子は嫌われ者の女子・仲村佐和に目撃されていた。窮地に陥り、仲村からの無茶な要求に翻弄される中、意外なきっかけから佐伯と付き合うことになり、春日は恋心と背徳の自己矛盾に苛まれる。そんな彼に呼応するかの如く、佐伯も内に秘めた意思を徐々に示すようになる。
 現実社会の閉塞感に自己認識を見出せず、遣る瀬無い自我を抱える3人の中学生のアイデンティティは互いに交錯し、儚い逸脱へと向かっていく」

 

 続いて、高校編は次のように書かれています。

 

 「中学校編から3年後、春日高男は中学時代を過ごした群馬県から引っ越し、埼玉県で高校生活を送っていた。ある騒動以降仲村と離れ離れになりながらも春日は仲村への思いを捨て切れず、そして抜け殻のように毎日を過ごしていた。そんな春日はあるきっかけから男子の憧れの的である常磐文と交流を深め、常磐の中に仲村の影を感じていく」

 

 なお、中学編の舞台は、作者の故郷である群馬県桐生市、高校編の舞台は埼玉県さいたま市大宮区がモデルとなっているそうです。いずれも東京近郊の地方都市というわけですね。

 

 さて、50のオッサンが中高生の心を描いた『惡の華』を読んで、どうだったか? たしかに面白いのは面白かったのですが、読んだ感想は「うーん」です。物語は、春日高男、仲村佐和、佐伯奈々子の3人の中学2年生をめぐるドラマから幕を開けますが、わたしの正直な感想は「いくら中二病といっても、ここまで変な中学生っているかね?」というものでした。

 

 「絶望」をテーマに、思春期特有の精神的彷徨と自我の行方を描いているというのは、よくわかりるのですが、かつては尾崎豊がこういった心情を見事に歌にしました。あの頃の尾崎のメッセージは年齢がやや近かったせいもあって理解できたつもりですが、この『惡の華』のメッセージはさっぱりわかりません。わたしがトシを取ったのからでしょうか?

 

 「変態」といった言葉がやたらと頻出しますが、男子が女子の体操着を盗むとか、教室を滅茶苦茶に汚すとか、空き地の掘っ立て小屋を秘密基地として女子全員のパンツを盗んで吊るすとか、なんかショボイ感じがするのは、わたしだけでしょうか。本物の悪い中学生は、もっと酷いことをするでしょう。ふつう。また、これぐらいで「変態」を名乗ったら、椅子の中に人間が潜んだり、鏡の球体を作って中に入って発狂するといった超弩級の変態小説を書いた江戸川乱歩先生が怒りますよ。ほんとに。

 

 主人公の春日高男も、文学好きの父親から甘やかされて育ったせいか、草食系男子というかへタレというか、とにかくわたしのカンに触りまくる男の子です。変な女の言いなりになって、どんどんドツボにはまり、まったく情ない! こういう子は、柔道でもやって汗を流したほうがいいと思ってしまいます。でも、高男が文学好き、特にボードレールを愛する少年という設定は悪くないですね。この作品の冒頭に登場するボードレールの詩集『惡の華』は旧字体で書かれたもので、それだけでセンスの良さを感じました。

 

 わたしも、それこそ中学2年生ぐらいの頃にボードレールの詩を読んだことがあります。それは愛読していた作家である芥川龍之介の影響でした。芥川の『或阿呆の一生』の中に「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という言葉がありました。芥川の芸術至上主義を端的に表現した言葉だとされていますが、この言葉を知ったわたしはボードレールを読みたくなったのです。たしか、新潮文庫の堀口大學訳『悪の華』も読みました。幸いにも、影響はあまり受けませんでしたね。(苦笑)


 また、高校編で高男は本好きの少女・常磐文と知り合います。高校のマドンナ的存在である文には彼氏もいるのですが、結局、高男と交際することになります。文学の話ができる相手が高男しかいなかったこと、そして作家志望である文の書いた小説を高男が読んでくれることが大きな原因でした。自分の書いたものを読んでくれる相手に好意を抱くというのは、作家や物書きの多くに心当たりがあると思います。かくいうわたしも、処女作『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)の書きかけの生原稿を結婚前の妻に読んでもらって感想を聞いたものでした。その後も、わたしの書いたものを読んでくれて感想を述べてくれる人には、男女を問わず好意を抱いております。はい。えてして、イケメンやスポーツ万能の男がモテる話が多い中で、高男のような弱々しい文学少年がモテる物語というのは画期的だと思います。

 

 これ以上、内容のディテールに言及するのは遠慮しておきます。ネタバレをしたくないというのもありますが、コミック『幽麗塔』もそうですが、まだ連載中で未完の物語について語るというのは難しいからです。ただ、中学編のラストで、仲村佐和の父親が娘の命を救った場面にはジーンときました。佐和には母親がおらず、教師に向かって「クソムシが」と言い放つほど心が荒んだ少女で、彼女の父親も持て余すというか見捨てたも同然でしたが、最後の最後に体当たりで娘を救うのです。娘を見殺しにできなかったのです。わたしにも中学2年生の娘がいますので、これには心が動きました。なお、この作品は2013年にテレビアニメ化されています。