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名勝負数え唄』

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No.0796

 

 『名勝負数え唄』藤波辰爾&長州力著(アスキー新書)を読みました。

 言わずと知れたプロレス界を代表するライバル同士の共著です。「俺たちの昭和プロレス」というサブタイトルがついており、帯では著者の2人が固く手を握り合った写真とともに「プロレス黄金時代がよみがえる!」「レジェンド対談実現!!」と書かれています。それにしても、プロレスをテーマに新書が刊行された事実に、わたしは驚くとともに、ある種の感銘を受けました。

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   帯に踊る両者の勇姿

 

 本書のカバー前そでには、「日本中を熱狂させた80年代プロレス黄金時代! 最大の好敵手同士が、『俺たちの時代』を語り合う!!」というリード文に続いて、「1980年代、世はプロレス・ブームまっただ中。その中心には、この二人がいた。かませ犬発言、正規軍vs.維新軍、掟破りの逆サソリ、テロリスト、ジャパンプロレス、飛龍革命・・・・・。『名勝負数え唄』と称えられた一連の闘いを中心に、デビューからこれまでの人生を、対話と独白で振り返る。金曜8時の興奮をふたたび!!」と書かれています。

 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

 

「はじめに」
SPECIAL対談 PART1 「名勝負数え唄」の時代
第1章 わが青春の新日本プロレス(藤波辰爾)
第2章 革命戦士と呼ばれて(長州力)
第3章 プロレス人生は永遠に(藤波辰爾)
第4章 リングではくたばりたくない(長州力)
SPECIAL対談 PART2
「あとがき」
「対戦記録」

 

 2011年1月から、藤波氏と長州氏、そしてやはり同じ昭和プロレス黄金時代を生きた初代タイガーマスクの3人は「レジェンド・ザ・プロレスリング」という興行を開始しました。あの黄金時代の熱気をもう一度プロレス界に呼び起こしたいという願いからだそうです。抗争勃発30周年を記念して行われた『SPECIAL対談 PART1「名勝負数え唄」の時代』の冒頭は、いきなり次のように始まっています。

 

 藤波:どうも!
 長州:はい、どうも。なんかこうして会って何を話せばいいのか・・・・・。
 藤波:そうね。まあ、なんとかなるんじゃない?(笑)

 

 このように超フランクというか、ゆるい感じに満ちており、「果たして、これで対談が成立するのか」という不安を読者に与えてしまいます。2人がリング上で抗争を繰り広げていた頃はもちろん、「レジェンド・ザ・プロレスリング」でよく顔を合わせるようになっても、ほとんど会話はないそうです。話をしなくても、なんとなくお互いの考えていることはわかるというのです。それでも無理やり進められる(笑)対談の中で、長州氏が几帳面なこと、そして藤波氏が大雑把なことなどが明かされて驚きました。一般には、それぞれがまったく逆のイメージを持たれているのではないでしょうか。

 

 本書は両雄のインタビューを冒頭と巻末に配置して、間に2人の回顧録をはさむといった趣向になっています。回顧録では、長州氏のほうが圧倒的に面白く、独特な言い回しながらも、自分の考えや思いを率直に語っています。それに比べて、藤波氏のほうは当たり障りがないというか、これまでに語られてきたことばかりで目新しさはありませんでした。それでも、第1章「わが青春の新日本プロレス」で、自らがプロレスラーになる決心をした以下のくだりが興味深かったです。

 

 「僕は元来、争いごとが嫌いな人間だ。子供の頃はケンカもしない少年で、取っ組み合いや殴り合いなども自然と避ける傾向にあった。中学校で入っていた部活動も陸上競技だったし、暴力的なことに対しては恐怖心を抱いており、コンプレックスも持っていた。そんな僕がプロレスの虜になってしまったのだから、不思議なものだ。人間は自分にないモノを持っている人間に憧れるものだが、僕も逞しく荒々しいプロレスラーという人種に大いなる憧れを抱いたのかもしれない」

 

 また、藤波氏がアメリカのタンパで「プロレスの神様」カール・ゴッチの指導を受けたときのエピソードも面白かったです。ゴッチ氏から徹底的にレスリングの基本を学んだ藤波氏は、ドラゴンスープレックスという大技を開発します。これは相手をフルネルソンに極めながら打つスープレックスで、非常に危険な技でした。藤波氏は次のように語っています。

 

 「タンパにいる時、僕は1人でダミー人形を相手にこの技の練習をした。このダミー人形の名前はロビンソンという。イギリスの生んだ名レスラー、ビル・ロビンソンの名前に由来している。ゴッチさんはロビンソンが大嫌いだったから、そんな名前をつけていたのである」

 

 これには大笑いしました。ゴッチとロビンソンはレスリング・スタイルには共通点が多いので親しいのかと思っていましたが、じつは犬猿の仲だったのですね。

 

 さて、長州氏は「藤波、俺はおまえの噛ませ犬じゃないぞ」とか「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」をはじめ、数々の名言を残しています。非常に言語感覚の優れた頭の良い人なのでしょう。そんな長州氏の回顧録は興味深い発言のオンパレードなのですが、まずは第2章「革命戦士と呼ばれて」にメキシコ遠征から帰ってきてリングネームが決まったときの思い出を述べている部分が面白かったです。じつは、彼のリングネームが発表されたとき、わたしはその場に居合わせたのです。中学2年生のときで、ちょうど家族で東京に来ており、たまたまプロレス観戦したのです。長州氏は次のように語っています。

 

 「リングネームが『長州力』になったのもこの頃だ。確か1977年の2月だったな。ファンから公募したんだけど、この名前を聞いた瞬間、本当に嫌になったよ。辞めて逃げようと思ったぐらい。『あ、俺終わったな』っていう気持ちでね。考えてみろよ。鶴田さんは時代に合ったジャンボ鶴田で、片やこっちは時代に逆行するような長州力なんだから」

 

 「長州の力道山になってほしい」というファンの願いが込められたリングネームでしたが、確かに当時は違和感があったのは事実。じつは、わたしもリングネームを応募しており、それは「ライオン吉田」というものでした。長州氏の本名は吉田光雄といい、ライオンは新日本プロレスのシンボルだったからです。

 

 ちなみに藤波氏のニックネームは「ドラゴン」でしたが、わたしは「ドラゴン藤波」を正式なリングネームにすべきだと思っていました。そして、ライオン吉田とドラゴン藤波の2人が次代の新日本プロレスを担っていくことを予感していました。その意味で、「レジェンド・ザ・プロレスリング」に集結した長州・藤波・タイガーマスクの3人は、わたしにとって「獅子」と「飛龍」と「猛虎」なのです。

 

 第4章「リングではくたばりたくない」で、長州氏が前田日明率いる新UWFやPRIDEなどの総合格闘技について語った部分は最も興味を惹かれました。まず、一世を風靡した新UWFについては以下のように語っています。

 

 「あのスタイルは意外と長く続いたと思うな、俺は。ハッキリ言って、しんどいよ、あのスタイルは。プロレスの醍醐味っていうのに欠けるんだ。だから、長続きさせたアキラは大したもんだと今でも思ってるよ」

 

 また、これまた一世を風靡し、プロレス衰退の一因ともなった総合格闘技については、次のように語っています。

 

 「言っておくが、総合格闘技を否定しようとは全く思わない。アメリカでUFCってのが始まった時も興味がなかっただけ。顔面をぶん殴ったり、蹴飛ばしたりすれば一瞬にして試合は終わっちまう。そんな教義に俺自身あまり面白さを感じなかったんだな。試合に勝てば一夜にしてスターができる。だが、負ければ一瞬でアウト。俺からしたらそれが興行ビジネスとして長続きするなんてとても思えない。だから、日本でもその流れができた時、出ている選手は無名だったし、脅威には思わなかった」

 

 ところで、現在の長州氏は現役時代とは違って、テレビのバラエティ番組などにもよく出演します。彼のモノマネで有名な長州小力とも共演しましたね。しかし、長州氏は自分は喋りが苦手であると自覚しており、迷惑をかけないように極力バラエティなどの仕事は断っているそうです。それでも、お笑い芸人の才能には一目置いており、次のように語っています。

 

 「プロレスとお笑いって似てるところがあるんだ。それは『間』だよ。一流の芸人さんは間のとり方が抜群にうまいんだ。そこで客を一気に摑む。もうあとはそいつのペースだよな。プロレスも同じなんだ。リングで試合をしていると必ず間が生まれる。その間を操れるのか、それともその間を不安に感じるかによって、そのレスラーの器量がわかるんだ。そこが猪木さんは抜群にうまかったよな」

 

 「間」に関しては、長州氏が全日本プロレスに参戦したときのライバルである天龍源一郎、ジャンボ鶴田について次のように語っています。

 

 「源ちゃん(天龍)は他の連中とは違って、俺たちと同じ匂いがした。アメリカでマサ(斎藤)さんと接触しただろうから、その影響もあったんだろうな。彼が作る『間』も俺にちょっと似てた。対照的だったのは鶴田さんだよな。鶴田さんはやりにくかった。お互いの間が全く違ったんだ」

 

 全日本プロレスの総帥だったジャイアント馬場は、どうか。長州氏は、今は亡き馬場御大について次のように語っています。

 

 「俺が全日本に出ていたのは2年間ぐらいだったけど、素晴らしい人だったよ。いろんな意味で頭もいいし、約束ごともしっかりと守ってくれる。俺の中であの人に対して悪い印象は一切ない。
 この歳になってわかることだけど、もしこの業界をまとめるような組織ができるとしたら、上に立つ人間は間違いなく馬場さんでなきゃいけないと思うな。それだけ信頼できる人だし、俺は間違いなく馬場さんの言うことには賛成する。だから、亡くなったのは本当に悲しかったね」

 

 かつて、長州氏は新日本を再度退団するとき、「アントニオ猪木には感謝の気持ちすらない。人間として、どこか欠落している」と言い放ちました。BI砲としてプロレス界に君臨した馬場氏と猪木氏に対する評価は正反対なわけですが、保守的な馬場氏の下にいれば維新軍団も結成されず、長州氏もブレイクできなかったでしょう。そのことは長州氏本人もよく理解しているようです。

 

 最後に、現在のプロレス界はかつての勢いを完全に失ってしまいました。これについて、黄金期を支えた長州氏は次のように語っています。

 

 「俺は今のプロレスをどうこう言うつもりはない。若い奴らだって頑張ってるしな。ただ、1つ言えるのは俺には今のプロレスがオープンキッチンに見えてしょうがない。素材から作る過程まで厨房の中が全て見えてる。シェフの顔まで丸見えだ。客は安心だよな。きっとうまい料理が出てくるんだろうなって出てくる前からわかってる。
 ただ、プロレスは定食屋であるべきっていうのが俺の考え。汚い暖簾から訳のわかんない親父の手だけがパッと伸びてきて皿に乗った料理が出てくる。その料理も、どういう素材を使ってるのか、うまいのか、まずいのか食ってみなきゃわからねぇ。で、食ってみたら、意外とうまかった。あるいは『嘘だろ? あり得ない』ってぐらいまずい場合もあるだろうな。客を安心させたらダメなんだ。それがプロレスの本来の面白さなんだ、と俺は思う。
 意外なうまさとあり得ないぐらいのまずさ、どっちもインパクトはあるだろう?
 このインパクトが大事なんだ」

 

 わたしは、この長州氏の発言を至言だと思いました。本当に、この人の言語感覚は素晴らしいですね!

というわけで、かつての好敵手同士が大いに語り合った本書を楽しく読みました。読み終えた後、とても安らかな気持ちになれたのは、本書が「平和の書」だからだと思います。だって、あれほど激しく戦っていた2人が仲良く対談しているわけですから、これほどの平和があるでしょうか。

 

 政治でもビジネスでも「宿命のライバル」と呼ばれるような存在はいますが、その2人が素直に語り合ったとき、そこには「平和の波動」が満ちるのではないでしょうか。さらに、自らの肉体を過激にぶつけ合った藤波氏と長州氏の間には強い「絆」があるように思えてなりません。もう若くない2人ですが、スポーツ新聞の「すっぽんしじみ粒」の広告に仲良く登場していました。どうか、これからも元気で頑張っていただきたいと思います。

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   スポーツ新聞で見つけました!