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若い読者のための短編小説案内』

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No.0784

 

 『若い読者のための短編小説案内』村上春樹著(文春文庫)を読みました。

 カバーの裏には、以下のような内容紹介があります。

 

 「戦後日本の代表的な作家六人の短編小説を、村上春樹さんがまったく新しい視点から読み解く画期的な試みです。『吉行淳之介の不器用さの魅力』『安岡章太郎の作為について』「丸谷才一と変身術」・・・・・。自らの創作の秘訣も明かしながら論じる刺激いっぱいの読書案内『小説って、こんなに面白く読めるんだ!』」

 

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

 

「僕にとっての短編小説――文庫本のための序文」
「まずじはじめに」
吉行淳之介「水の畔り」
小島信夫「馬」
安岡章太郎「ガラスの靴」
庄野潤三「静物」
丸谷才一「樹影譚」
長谷川四郎「阿久正の話」
「あとがき」
付録「読書の手引き」

 

 本書は、著者のアメリカの大学での講義内容をもとにして、日本で行った模擬講義を文章化したものです。戦後に活躍したいわゆる「第三の新人」と呼ばれる6人の作家の短篇をテキストにして、小説の読み方を若い読者に指南すると言う内容になっています。文中には、それぞれの作品の「あらすじ」が紹介されているので、元のテキストを読んでいない読者でも読み方の指南を受けれるようになっています。自らが一流の作家である著者の小説読みの手法には目を見張るものがあります。その鋭い視点と深い考察に触れれば、読者は本書を読んだ後、テキストを読んでみたくなるほどです。

 

 著者は、本書の中で「物語」の持つ豊かさを説きます.そもそも、著者にとって「物語」とは何なのか。「僕にとっての短編小説―文庫本のための序文」で、次のように述べています。

 

 「誤解を恐れずに言ってしまうなら、あるときには物語を書くことによって、心の特定の部分を集中的に癒すことができます。精神的な筋肉のツボのようなところを、ぎゅっと効果的に押さえることができます。それは短く深い夢を見ることに似ています。短編小説を書いていると、そういうコンパクトな実感を持つことがしばしばあります。それは長編小説を書いているときにはあまり経験しない感覚です。長編小説というのは、もっと長いスパンでものごとを大がかりに体験する作業だからです。短編小説にはもっと『局地的』な効用のようなものがあるようです」

 

 そして、著者は序文の最後に、自身が短編小説を書くときの心構えについて、以下のように述べます。

 

 「僕は自分で短編小説を書くときには、その物語の自発性を何よりも大事にします。その自然な流れを損なわないように、物語を拾い上げていきます。だからほかの作家の書いた短編小説を読むときにも、僕はそこに自由で自然な心の流れのようなものを読みとろうとします。そして結局のところ、それが優れた作品であれば、そこには必ずそのような自由で自然な心の流れが見いだせるのです」

 

 また、「まずじはじめに」には、著者が日本を離れていたときのエピソードが次のように述べられます。

 

 「80年代後半から断続的に、僕は7年くらい日本を離れて暮らしていたわけです。そしてやはり外国に住んでいると、自分が日本人であるということをいやでも認識するようになる。日本にいるときには、自分が日本人であるという認識なりアイデンティフィケーションはほとんどの局面において不要なわけですが、外国に住むと否が応でもそれをつきつけられることになる。日本とは何か日本人とは何かという自己定義がないとうまく自分をやっていけなくなる。いくら俺は独立した個人なんだ、日本の文学とは関係なしに生きているんだと思っても、自分が日本人の作家で、日本語で小説を書いているという客観的事実に日々まざまざと直面しなくてはならないわけです。そしてまたそういう状況の中で、喉の渇いた人間がグラスの水を求めるように、自分がごく自然に日本の小説を読みたいと感じていることを、僕はありありと認識するようになったのです。だから日本に帰るたびに、熱心に日本の文学作品を買い込んでいくようになりました」

 

 ただ、日本の小説なら何でもいいというわけではありませんでした。何でもすんなりと受け入れられるようになったわけではなかったのです。著者は、次のように述べています。

 

 「僕はいわゆる自然主義的な小説、あるいは私小説はほぼ駄目でした。太宰治も駄目、三島由紀夫も駄目でした。そういう小説には、どうしても身体がうまく入っていかないのです。サイズの合わない靴に足を突っ込んでいるような気持ちになってしまうのです」

 

 さらに著者は、本書誕生のきっかけになった出来事について述べます。

 

 「1991年から93年にかけてアメリカのプリンストン大学に、visiting lecturerという資格で招かれたときに、どうしても週に1コマだけ大学院の授業を持たなくてはならないことになりました。そう言われて『いったい日本文学に関して自分は何を教えればいいんだろう、何を教えられるのだろう?』とずいぶん悩んだのですが、考えてみれば(あるいはまったく考えるまでもなく)日本文学に関して僕に教えられることなんて何ひとつありません。それで結局「これは僕にとってもひとつの大きなチャンスだから、ものを上から教えるというのではなく、『第三の新人』の作品を、学生たちと一緒に系統的にじっくりと読みこんで、それについてみんなでディスカスしてみたらどうだろう」という結論に達しました」

 

 本書は、このようにして著者がアメリカの大学で日本文学の講義をした際の内容を文章に起こしたものなのです。取り上げた6つの短編1つ1つに関して、著者は独自の読み方を示し、また自身の創作法や読書遍歴と絡めて分析していくのです。「あとがき」で、著者は次のように書いています。

 

 「僕はいつも思うのだけれど、本の読み方というのは、人の生き方と同じである。この世界にひとつとして同じ人の生き方はなく、ひとつとして同じ本の読み方はない。それはある意味では孤独で厳しい作業でもある―生きることも、読むことも。でもその違いを含めた上で、あるいはその違いを含めるがゆえに、ある場合に僕らは、まわりにいる人々のうちの何人かと、とても奥深く理解しあうことができる。気に入った本について、思いを同じくする誰かと心ゆくまで語り合えることは、人生のもっとも大きな喜びのひとつである。とりわけ若いときはそうだ。皆さんにもおそらくそういう経験があるのではないだろうか」

 

 わたしも読書が好きな人間ですので、この一文には感動しました。愛読する作家である著者の心をもっと知るためにも、本書に取り上げられている未読の小説を読みたくなりました。