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どうせ、あちらへは手ぶらで行く』

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No.0746

 

 『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』城山三郎著(新潮文庫)を読みました。

 著者の『そうか、もう君はいないのか』の姉妹編とでもいうべき内容ですが、こちらは日記形式となっています。両書とも、まず第一にタイトルが素晴らしいですね!


 本書のカバー裏には、次のような内容紹介があります。


 「『五月十六日 「楽しく楽に」を最優先。不快、厄介、後廻し。楽々鈍で、どんどん楽』─作家が手帳に記していた晩年の日録には、自身の老いを自覚し、見つめながら、限られた人生を最期まで豊かにしようとする姿があった。執筆への意気込み、友との交遊の楽しさ、家族への愛情、そして妻を亡くした悲しみなど、作家が世を去る三ヶ月前まで、九年間にわたって綴っていた感動の記録」


 本書には、著者が肺炎で亡くなる100日前までに、手帳に残したメモの内容が記されています。1998年から2006年まで、著者が71歳から79歳までの覚え書きですが、72歳で最愛の妻をガンで失った寂寥感・喪失感・孤独感が本書全体に通奏低音のように流れています。
 それでも、著者はなかなか活動的です。いろんな場所を旅行し、赤ワインをはじめとしたアルコールを飲み、ゴルフを楽しみます。
 ゴルフですが、著者が会員だった茅ヶ崎市のゴルフクラブ「スリーハンドレッドクラブ」で行うことが多かったようです。そのメンバーも記されていますが、中曽根康弘、浅利慶太、牛尾治朗、飯田亮、木暮剛平、そして石原慎太郎という大物の名前が次から次に出てきて、興味は尽きませんでした。


 著者はゴルフをするたびに、スコアとともに体重を記録しています。
 最初は60キロあった体重が妻の死を境にして減り続け、ついには50キロのラインを行き来します。体重の増減に一喜一憂し、よく歩くことも心がけて、健康には人一倍気をつかった著者ですが、やはり寄る年波には勝てません。
 気を張って著作活動も続けますが、74歳あたりから、物忘れが激しくなります。
 この老いを自覚するくだりは、やはり辛いものがありました。
 それでも、著者は「眼前これ人生、眼前のみこれ人生、であれば目先のことしか考えぬようにしよう、目先のことだけ楽しんで生きよう」と自分に言い聞かせ、前向きに生きていきます。
 1999年1月13日に書かれた「小説執筆もここまでくれば、リズムがつき、書いていて楽しくなる。これ以上の生甲斐はない。よい仕事を選んだものだとの満足感も新たにする」というメモには、へっぽこ作家ながらも物書きの端くれであるわたしにも感ずるものがありました。


 本書のハイライトは、やはり著者が最愛の妻を亡くした日です。
 その日、2000年2月24日のメモは「容子、天国へ。」と簡潔に書かれていますが、次の句が添えられていました。

 「冴え返る 青いシグナル 妻は逝く」
 その後も著者は、亡き妻を想い、いくつも句を詠むのでした。
 「君なくて 何の桜か 箱根路」
 「途々(みちみち)で 写真に見せる 春景色」
 「春立ちぬ 君の帰らぬ 春立ちぬ」
 「緑濃し いつもの駅に 妻想う」
 「この夏は 写真とともに 花火見る」
 「『ただいま』と 写真を撫でる 彼岸過ぎ」


 そのときの著者の心情が散文よりも俳句から強く伝わってきます。
 作家・城山三郎は俳句人としても非凡な人だったことがよくわかりました。
 本書には、著者と生前の愛妻による合作の句なども紹介されており、それらを目にするだけで泣けてきます。それにしても、なんと心ゆたかな夫婦でしょうか!


 本書には愛妻と食事した、また愛妻を失ってから一人で食事した店なども実名で登場します。圧倒的に多いのが「つばめグリル」の名です。著者は、この店でなるべく肉料理を避けて、赤ワインを飲みながら夕食を取ったそうです。妻を失ってから1ヵ月後となる2000年3月24日には、「『つばめ』で容子の死を話すと、レジの女性泣き出す。それほど慕われてもいたのだ!」と書かれています。


 このように、飲食店スタッフと顧客との心の交流についても考えさせられるものがありました。「つばめグリル」といえば首都圏に多くの店舗がありますが、著者が通っていたのは、おそらく「大船ルミネウィング店」であったと思われます。わたしは、東京に住んでいた頃、「品川駅前店」によく行きました。


 当時わたしが経営していたハートピア計画のオフィスが高輪にあったので、社員たちともよくランチで訪れました。ハンバーグが美味しかったことを憶えています。白金台に住んでいる長女が品川駅を利用することが多いので、今度の東京出張の際にでも一緒に行ってみたいと思いました。


 日を追って老いてゆく著者は、亡くなる前年の2006年7月13日に「人生の秋もいよいよ深まった感。もはや楽しさに生きるほかなし」と書いています。
 そして、最後のメモとなる2006年12月17日には次のように書いています。


 「あれこれ苦労し、苦心してここまでやってきた。
 もう、これからは楽しく、楽に、を最優先。他はまァええじゃないか、一回限りに人生、とにかく、楽しく気ままに楽に生きること!」
 他人であるわたしが著者の人生について評価を下すことなどできませんが、ほぼこの目標通りに生きて、著者は堂々と人生を卒業していったように思います。
 巻末付録「勲章について」で、駅ビルの居酒屋で著者が妻に語った「読者とおまえと子供たち、それこそおれの勲章だ。それ以上のもの、おれには要らんのだ」という言葉には感動しました。


 本書を読み終えて、わたしは自分の両親にも「楽しく気ままに楽に」生きてほしいという気持ちになりました。