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なぜ人は砂漠で溺死するのか?』

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No.0748

 

 『なぜ人は砂漠で溺死するのか?』高木徹也著(メディアファクトリー新書)を読みました。

 「死体の行動分析学」というサブタイトルがつけられ、表紙カバーには砂漠に横たわる若い女性のイラストとともに「意外な原因で 意外な場所で 意外と多くの人が死んでいる」と書かれています。また帯には、「死亡者の19%は『異状死』である」と大書され、「自殺から腹上死まで」「人間ほど『死にやすい』生き物はいない! 不審遺体の解剖数・日本一の法医学者による『不慮の死』をめぐる戦慄の医学ルポ」と書かれています。なんだか怖いですね!


 著者は、1967年、東京生まれ。杏林大学医学部法医学教室准教授、法医学者です。法医病理学・ショックなどの病態生理学を専門とし、東京都監察医務院非常勤監察医、東京都多摩地区警察医会顧問を担当しています。不審遺体解剖数は日本で1、2を争うということで、鑑識官の指導にも積極的に携わり、警察で講師を務めているそうです。
 また、「ヴォイス」「ガリレオ」「コード・ブルー」などのテレビドラマ、「陽はまた昇る」などの映画で法医学・医療監修を多数行っています。


 まず、本書の最大の特徴は、そのショッキングなタイトルです。「砂漠」と「溺死」という2つの単語が矛盾しているというか、どうにも結びつきません。しかし、この謎については本書では数行で触れられているだけ。ネタバレなどではなく、アマゾンの内容紹介にもしっかりと出ていますが、それによると「砂漠ではふいの降水に対する備えがないため、人々は鉄砲水で簡単に溺死してしまう」というのが真相だそうです。砂漠だけではなく、日本でも多くの謎の死が発生しています。風呂で、オフィスで、ゴルフ場で、多くの人々が「医師に看取られない死」を迎えており、じつに死者の2割は「異状死」という統計もあるそうです。


 本書では、法医学者として5000体におよぶ不審死体を解剖してきた著者が、さまざまな不慮の死と原因をスリリングに解説してくれます。


 本書は、以下のような構成になっています。


はじめに:人は砂漠で溺死するほど死にやすい
第1章:診断する医師、検案する医師
第2章:交通事故より「風呂場」が危ない!
第3章:日常の場面での意外な死
第4章:覚悟の自殺の意外な結末
第5章:えっ! そんな場所で・・・・・!?
第6章:死んでもセックスはやめられない
おわりに:死因不詳国家から、死を大切にする国へ


 本書がユニークなのは、いきなり死亡診断書(死体検案書)の書き方に詳しく触れていることです。死亡診断書の話など、ふつうは身内の葬儀でも体験しないかぎりは無関係でしょう。しかし、その話題から驚くべき死因について説明され、最新医療の情報、医師の職業倫理、さらには法体系の問題点までが述べられていきます。第2章「交通事故より『風呂場』が危ない!」では、風呂で溺死する、いわゆる「風呂溺」について次のように語られます。


 「臨床医の先生であれば、日本人の三大死因ががん・心疾患・脳血管疾患であることに、ある程度の実感があるのかもしれない。だが、監察医・検案医として日頃接している突然死のカテゴリーでは、風呂溺が圧倒的に多いと断言できる。特に、冬場における中高年男性の突然死第1位は、まず間違いなく風呂溺だ」


 著者は、風呂好きの日本人は熱めの風呂に長時間浸かるのを好み、酒を飲んだ後に入浴する習慣があるのが危険きわまりないと言います。わたしなどは完全に当てはまっているので、なんだか怖くなりました。著者は、風呂溺について次のように書いています。


 「読者諸兄は、こんな気持ちのいい瞬間を経験したことはないだろうか。満腹かつアルコールをきこしめた状態で、すこぶる愉快な気分で風呂にどぶんと浸かると、ふーっと眠くなるような至福の瞬間を・・・・・。あれは眠気に襲われているのではない。実は、気絶しかけているのだ。食事後の副交感神経の優位と、アルコールと、入浴と。そのトリプルパンチで、脳への血流が急激に減少し、脳に血が足りない状態に陥っているだけ。医学用語で、『一過性脳虚血』という症状である。ずっと意識が遠のくのは、一瞬、自分が死に近づいているのだと考えたほうがいい」


 わが国では、風呂溺で死亡する人が年間で1万人以上いるそうです。ついに5000人を割り込んだ交通事故の死亡者の、じつに2倍です。交通事故で死ぬ2倍の確率で風呂場で死ぬわけで、著者は「温泉大国ニッポンは風呂溺大国ニッポンでもあるのだ」と述べています。風呂で溺れても5分以内に発見した場合は、なんとか助かる可能性が高いそうです。鼻や口から水が流入して完全に窒息したら、タイムリミットは5分なのです。それ以上、無酸素の状態が続くと、脳が不可逆的、つまり回復不能のダメージを負うからです。


 また第3章「日常の場面での意外な死」では、働きざかりの多忙なビジネスマンがたまの休日の直前に死ぬケースが多いというのが印象的でした。いわゆる「青壮年突然死症候群」が、「休日の前夜」に起こることがきわめて多いそうです。著者は、次のように述べています。


 「このポックリ病で死亡するのは、決まって、日頃から多忙な人である。証券会社や広告会社の営業マン、新聞記者、刑事、病院勤務の医師や看護婦など、仕事の時間が不規則で、しかも非常なストレスにさらされながら働いている人が多い。で、連日夜遅くまで、あるいは昼夜を逆転させながら忙しい日々を過ごし、ようやく『明日は休みだ』というその夜に、突然体調が急変するのだ。これは、それまでの交感神経優位=『やる気モード』から、副交感神経優位=『リラックスモード』にシフトチェンジするとき、どこか変なところにギアが入ってしまったのだとは考えられないだろうか。つまり、忙しい人ほど、『明日は休みだ』という夜が危ない!」


 第4章「覚悟の自殺の意外な結末」では、自殺に関するさまざまな話題が展開されています。「自殺にも流行がある」という項で、著者は次のように述べます。


 「医師にとっては残念だが、自殺は、人があくまでも恣意的に取る行動の1つ。言い換えれば、自由行動の1つだといえる。だから、本人の意識や気分を色濃く反映する。というわけで私たち法医学者は、解剖室にいるだけでその時代、時代に適合した、流行の自殺方法がわかる」


 たとえば、ブロバリンやカルモチンなどの強力な睡眠薬を服用して芥川龍之介や太宰治などの文士が自殺しました。それが知られると、昭和20~40年代に若者のあいだで睡眠薬自殺が流行しました。都市ではプロパンガスによる自殺が、農村部ではパラコートなどの毒性の強い農薬を飲んで自殺が多く発生しました。若い女性のあいだでは、リストカットも流行しました。


 そして、ここ10年ほど前から流行している自殺の方法が2つあります。インターネットの普及とともに、まるでファッションのように流行しているものこそ、練炭自殺と硫化水素自殺です。
 しかし、この2つの自殺をすると、遺体が悲惨な状態になります。練炭自殺の場合は、表面だけ煙に燻されて腐った状態になります。硫化水素自殺の場合は、全身が醜い緑色に染まってしまいます。まるで超人ハルクか、「Dr.スランプ」のニコチャン大王のような緑色です。
 そういうわけで、著者は「自殺は絶対にいけない。それも練炭自殺と硫化水素自殺はやめておいたほうがいい。遺体を目にしたときの、遺された遺族の嘆きや悲しみがあまりに大きいからだ」と読者に訴えています。


 第5章「えっ! そんな場所で・・・・・!?」では、わたしの知らないことがたくさん書かれていて、とても興味深かったです。たとえば、1956年1月1日の午前0時10分頃、新潟県にある弥彦神社で参拝客124人が死亡するという悲惨な将棋倒し事故があったそうです。わが国では史上最悪の将棋倒し事故だそうですが、わたしはこの事実をまったく知りませんでした。
Wikipediaに「彌彦神社事件」として出ていましたが、いや驚きました。
 亡くなった124人の犠牲者たちも、まさか神社に初詣に来て命を落とすとは思わなかったでしょう。もし今度、新潟に行く機会があれば、ぜひ弥彦神社を訪れてみたいです。そして、犠牲者に鎮魂の祈りを捧げたいと思います。


 第6章「死んでもセックスはやめられない」も驚きの連続なのですが、細かいエピソードを紹介するのは気がひけます。いろんな死亡事例が紹介されていますが、著者は次のように書いています。


 「性行為中、あるいは自慰行為中に男性が急死する場合、どの事例にも共通しているのは、『死ぬのは決まって射精した後』だということ。興奮が高まっていく途中で死亡した、という例はあまり聞いたことがない。なぜか男は、射精するまでは行為をがんばり続けるようだ。射精するまで死ねない、と思うのだろうか。あるいは逆に、射精後に虚脱するからこそ、気が抜けて死んでしまうのか。いずれにしても、男は悲しい生き物である」


 男が悲しいのはよくわかりましたが、女はどうなのでしょうか。著者は、女性の性行為中のアクシデントとして有名な「あれ」について次のように述べます。


 「世の中には、『膣痙攣』に関するまことしやかな流言がささやかれているが、性行為中に陰茎が抜けなくなるなどといった事例は一度も見ていない。法医学者のあいだで聞いたこともない。膣には、痙攣で陰茎を抜けなくするほどの筋肉はないし、肛門括約筋が痙攣するとも思えないので、おそらく都市伝説の類ではないだろうか。学生時代、『窒素科学工業連絡会、略してチツケイレン』なんてジョークは、私も実は面白がって吹聴したほうなのだが・・・・・」


 さらに、著者は自分の尿道に雑草を入れて膀胱内で発芽したという患者の事例、自分の肛門にシェービングクリームのスプレー缶やモンブランの万年筆を突っ込んで取れなくなった患者の事例などを報告しています。飽くなき性癖というか、人間の業というか、ただただ驚くばかりですが、著者は言います。


 「面白いのは、『どうしてこんなことになったのか?』という問いに対する、彼らの言い訳だ。スプレー缶の人も、万年筆の人も、体温計とかいろいろなものを入れた人たちも、みんな決まって、『知らずに上から座ったらお尻に入っちゃった』と言う。その言い訳がどれだけ不自然か自分でもわかっていながら、そう答えるしかないのだろう。そして病院に来る前に、なんとか自力で解決しようと下剤を大量に飲んだりして、かえって症状を悪化させて病院に駆け込んでくる」


 さらに著者は、「何度でも言おう。人間とは、男とは、本当に悲しい生き物なのである」と述べています。


 おわりに「死因不詳国家から、死を大切にする国へ」では、冒頭で著者が杏林大学医学部法医学教室の佐藤喜宣教授の教え子であると書かれていて、驚きました。わたしは、以前から佐藤教授にはお世話になっているのです。互助会の全国団体である全互協が運営する「社会貢献基金」の選考委員長になっていただいており、わたしが広報・渉外委員長時代は本当にお世話になりました。あの佐藤先生のお弟子さんだとわかって、急に著者に親しみが湧いてきました。


 著者は、現在の日本は「死因不詳国家」であると言います。なぜなら、日本は遺体の解剖率が先進国の中で最低レベルだからです。適当な死因をつけられ、死者の訴えが伝わらないままに闇に葬られる例が多いとか。
 研究の遅れ、認識不足、バラバラな行政対応などの理由で日本には「死因」について語る文化が育っていないという著者は、「結果的に国民は死に対して漠然とした恐怖心を抱き、論理的に昇華できないために偏った宗教にはまったり、感情論だけで裁判が行われたり、もしくは自ら命を絶とうとする人まで出現する事態に陥っている」と言います。


 そして、法医学者としての誇りを持っている著者は、次のように述べます。


 「私は常々、法医学の最も大きな役割は、『医学のリエゾン』だと考えている。リエゾンは音楽用語で、『つなぎ役』とでも訳せるだろうか。国民と医学、裁判と医学、政治と医学、社会と医学の橋渡しを効率よく行えるのは法医学であり、その力の根源は死者からのメッセージだと思っている」


 本書は、『家庭の医学』的な万人が知っておくべき医学の知識と、ミステリーのような謎解きの要素も加わり、類書にはないユニークな読み物になっています。
 

 それにしても、人間、いつ、どこで、何が原因で死ぬかわかりませんねぇ。