お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • 死刑絶対肯定論
Title

死刑絶対肯定論』

Category

No.0750

 

 『死刑絶対肯定論』美達大和著(新潮新書)を読みました。

 「無期懲役囚の主張」というサブタイトルから、著者の素性がわかります。
 そう、著者は2人を殺した無期懲役囚なのです。現在、刑期10年以上かつ犯罪傾向が進んだ者のみが収容される「LB刑務所」で服役中だとか。本書の帯には、「死刑こそ『人間的な刑罰』である。」と大書され、「現役受刑者による超リアルな提言。」と記されています。


 またカバーの前そでには、次のような内容紹介があります。


 「哀しい事実だが、犯罪者のほとんどは反省しない。監獄法の改正後、『自由』になった刑務所では、今日も受刑者たちの笑い声が響いている。裁判では頭を垂れるも内輪では『次は捕まらないよ』とうそぶく彼らを前に、何をすれば良いのか。犯罪者を熟知する著者は、彼ら自身を『死』と向き合わせるために『執行猶予付き死刑』を導入せよ、と説く。現役の無期懲役囚が塀の内側から放つ、圧倒的にリアルな量刑論。」


 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。


「はじめに」
第一章:ほとんどの殺人犯は反省しない
第二章:「悪党の楽園」と化した刑務所
第三章:殺人罪の「厳罰化」は正しい
第四章:不定期刑および執行猶予付き死刑を導入せよ
第五章:無期懲役囚の真実
第六章:終身刑の致命的欠陥
第七章:死刑は「人間的な刑罰」である
第八章:無期懲役から裁判員への実践的アドバイス
「おわりに」


 「はじめに」で、著者は次のように自分の立場を明かします。


 「私は計画的に2件の事件で2人の生命を奪った無期囚です。
 既に塀の中の暮らしが20年弱になりました。自分の事件や反省に至るまでの経緯については、平成21年1月に出版した『人を殺すとはどういうことか 長期LB級刑務所・殺人犯の告白』(新潮社刊)という本にまとめてあります。
 現在、私の服役している施設は、『LB級施設』と呼ばれます。刑期8年以上(平成22年より10年以上)というロングのL、再犯者又は犯罪傾向の進んでいる者(殺人など重罪、又はヤクザなどです)を表すB級のBから、そのように称されています。要は悪質な受刑者ということですが、初犯であっても罪質が悪いと分類されたならば、移送されることもあります」


 正直に言うと、わたしは昔から刑務所という場所に淡い憧れを抱いていました。
 なぜなら、刑務所に入れば、誰にも邪魔されず好きなだけ読書ができると思ったからです。「今いちばん行きたい場所はどこで、そこで何をしたいですか?」というアンケートをいただいたことがあるのですが、「行きたい場所は刑務所で、そこで読書三昧の生活を送りたい」と本気で回答しようかと思ったくらいです。
 たとえば、「ホリエモン」こと堀江貴文氏は、もともと本をまったく読まないので有名でしたが、最初に拘置所に入ったときは獄中7カ月間で200冊ぐらいの本を読んでいます。また、元外務省事務官の佐藤優氏も『獄中記』(岩波書店)を出版していますが、その中で「拘置所くらしでは毎日本が読めて良かった。自分の家を建てるとしたら、拘置所と同じ間取りで建て、そこに籠もって本を読んで暮らしたい」と書いています。これを読んだとき、私は今まで塀の中から出てきた人の言葉で、一番素敵な台詞だと思ったものです。わたしは佐藤氏の『獄中記』を読みながら、獄中での読書生活が羨ましくて仕方ありませんでした。


 吉田松陰は、幕末志士の中でもとくにその激烈な言動によって知られ、ペリー艦隊密航の罪による投獄後の後半生を幽囚の内に過ごしました。一年有余の獄中における松陰は、自らが罪人であることを自覚し、その罪人である自分が生きていられることは、「君父の余恩」「日月の余光」「人生の余命」という「三余」の賜物と考え、その感謝の念を「三余読書」という言葉に託し、日々を読書に費やしました。野山獄の獄中での足掛け4年にわたる読書記録は『野山獄読書記』に詳細に記録されています。それによれば、松陰は投獄された1854年には106冊、55年には493冊、56年には505冊、57年には356冊と、足掛け4年の時間で、合計1460冊を読破しています。
 刑務所、独房というのは、外からの連絡も電話も入りませんし、本を読むしかない。無条件に本を読むことだけに集中できる場所はほかにありません。読書好きな人にとってはユートピアかもしれません。


 話が大きく外れてしまいましたが、このようにわたしは刑務所における読書環境というものに非常に興味を抱いています。本書『死刑絶対肯定論』の著者である美達大和氏もかなりの読書家のようで、第二章「『悪党の楽園』と化した刑務所」に次のように書いています。


 「社会にいる頃、毎月100冊から200冊、他に週刊誌が毎週20誌前後、月刊誌が80誌から100誌前後を読んでいたビブリオマニアの私にとって、1年間に最高でも自分の本は96冊しか読めず、購入できる本も3冊だけ(雑誌は1ヵ月分を1冊とします)というのは、あまりにも少ない数でした」


 おやおや、これはちょっと話が違いますね。拘置所と殺人犯のための長期LB級刑務所では、もともと事情が異なるのでしょう。


 しかし、2006年と07年に従来の『監獄法』が100年振りに大改正され、『刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律』となりました。さまざまな収容施設で、職員による受刑者への暴行事件などが相次ぎ、かつてない勢いで受刑者の人権問題がクローズアップされたためですが、この法律改正について著者は次のように書いています。


 「私にとって大きな変化は、自分の本(私本と言います)の差し入れの冊数制限がなくなり、読みたいだけ手に入るようになったことです。合わせて、所内で申し込める購入の冊数も増え、久し振りに読書三昧の暮らしを実現でき、その恩沢に与りました。刑務所の限られた余暇時間でも私本と官本(刑務所で貸与する本です)を合わせて、月に100冊は読めるようになり、私にとって改正は僥幸となりました」

 

 ということは、月に100冊も読めるわけですね。ならば、やはり刑務所は読書人にとってのユートピアではありませんか!


 しかし、本書を読んで最もショッキングなのは、服役中の殺人犯たちがいかに反省していないかというくだりでした。第三章「殺人罪の『厳罰化』は正しい」で、著者は長期刑務所に入った直後の感想を次のように述べています。


 「務めてみてすぐに気が付いたのは、長期刑務所の受刑者達の時間に対する観念の特異性でした。
 『10年なんて、ションベン刑だ』
 『12、3年は、あっという間』
 『15年くらいで一人前』
 『早いよ、ここの年月はさあ。こんなんなら、あと10年くらいの懲役刑なら、いつでもいいね』
 『考えてたのと全然違ったよ。こんなに早く時が過ぎるとはねえ』」


 著者は、この時間感覚について次のように書いています。


 「子供の頃に読んだ『巌窟王』では、主人公は14年間獄中にいました。当時は『すごいなあ・・・』と嘆息していましたが、当所で慣れるうちに『たったの14年か。短かいものだ』と思うようになったのです。今では、15年の懲役刑と聞いても、『何だ。右向いて左向いたら終わりだろう』と言い、同囚たちと笑っています」


 受刑者たちの時間感覚だけでなく、刑務所そのものの環境にも驚かされます。著者は、次のように述べています。


 「現在の刑務所は、人々がイメージする昔の暗い刑務所と異なり、暑さ寒さの辛さはありますが、毎日テレビも見ることができ、映画等の娯楽も用意され、厳しい施設ではなくなってきています。以前は注意された日常の言動も許されるようになり、当所では該当しませんが、他施設ではまずまずの食事も給与されます。刑務所というより、悪党ランドのような明るい雰囲気です。どれもこれも『人権のインフレ』のおかげです。
 そんな施設の中で、反省のない受刑者の傍らで自分の醜行について省察しているうちに、『殺人事件に対する量刑はあまりにも軽すぎる』と考えるようになりました」


 タイトルにもあるように、著者は「死刑絶対肯定論」者です。2度にわたる殺人を犯した本人は極刑を望んでいたそうですが、それは叶いませんでした。それにしても、無類の読書好きという著者はかなりの知的レベルにあるようです。たとえば、彼は哲学者カントを持ち出して、次のように述べます。 


 「カントは、『人倫の形而上学』の中で、『もしある者が殺人の罪を犯したならば、彼は死ななくてはならない。この場合には正義を満足させる為に、何らの代償物もない』と述べていますが、少なくとも、利得・性欲を目的として、何の過失もない被害者を殺害した場合には、たとえ被害者が1人であっても、加害者の死を以って償うことは重くはありません」


 また、カントと同じくドイツの哲学者であるヘーゲルを持ち出して、次のように死刑肯定論を述べます。


 「ヘーゲルは、死刑の妥当性について語っています。
 『我々の行為の戒律が普遍的であるかのように振る舞うことだとするならば、彼を殺すことは、彼の選択した戒律を施すことであり、彼の行為を普遍性として認めることに他ならない』
 逆説的に言いますと、自らの意志で欲望の為に他者の生命を奪った者を生かしておくことは、加害者自身のルールに背くということです」


 第四章「不定期刑および執行猶予付き死刑を導入せよ」の冒頭では、著者は次のように述べます。


 「殺人という人類最大の禁忌に懲罰を与え、被害者と遺族の無念と応報感情を満たし、加害者本人に反省と改悛の情を促して更生させ、社会の安全も保てるような刑罰とは、どのようなものなのでしょうか。私は、不定期刑と執行猶予付きの死刑という考えが有効だと思います。服役年数の上限と下限を決め、服役中の態度・行動によって刑期を調整できるようにするのです」


 ここでまた著者はカントを持ち出し、次のように述べています。


 「カントは、『道徳とは共同態的法則を自覚的に実現すること』と言っていますが、若い頃から矯正施設に反復して入所している者にとって、そこでの共同態的法則が自らの常識(道徳)になっているのです。その誤った価値観を是正する為に、自分とはどのような人間かということを考えさせなければなりません」


 著者は、受刑者には以下のことを徹底的に考えさせるべきであると訴えます。


・命を奪われるとは、どういうことか
・被害者の最期の様子はどうだったか
・被害者は何歳だったか、どのような家族構成だったか
・生きていたとしたら、被害者は何歳になるか
・そして、どのような人生を送っていたのか
・遺族は何歳になるのか、彼らがどんな気持ちで生活しているか
・被害者を喪ったことについて、遺族はどのような思いをしたか
・被害者を喪ったことで、遺族の生活はどう変わったか(経済面も含めて)
・命以外に奪ったものは何か
・自分が被害者だったら、どう感じるか
・自分の家族を奪われたとしたら、どう感じるか
・自分が遺族ならば、赦せるか
・自分が遺族ならば、どのようにして欲しいか
・償い・謝罪とはどのようなことか
・具体的な行為として可能な償い・謝罪とはどのようなことか
・被害者に人生はなく、加害者の自分が生きていることについてどう思うか
・今後の人生で、自分が被害者・遺族に対してできることは何があるか
・被害者の供養とは、どのようなことをすることか
・毎日の生活の中で、被害者と遺族について考えることはあるか


 第七章「死刑は『人間的な刑罰』である」では、著者は次のように受刑者の胸の内を明かします。


 「受刑者の頭の中は、社会(娑婆に出ること)で一杯であり、自身の犯行と被害者・遺族について考察することはありません。絶えず、自己の利益だけが関心事であり、出所後も前非を悔いることなく、金の為、得する為、己の欲望を満たす為に、新たな犯罪の策略を巡らせています。
 このような同囚を見ますと、心の内で、自分はこうなってはいけないという決意と、量刑の軽さに対する思いがむくむくと湧き起こります。無期囚には、論告求刑が死刑だった者もいますが、首が繋がったせいなのか、自分の所業を一顧だにしません。殺された被害者の境遇と比べますと、何と、不条理なことかと感じます」


 さらに、「遺族の苦しみは一生続く」として、「命を奪い、或は奪おうとする程安全を侵した場合、それは死に値する」という言葉を紹介します。これは、『法の精神』を著して三権分立を提唱したモンテスキューの言葉です。
 そして著者は、「殺人という理不尽な被害に遭った被害者と遺族に対して、救済しよう、いくらかでも応報感情を満たしてやろうという刑罰がなければ、法の下での正義とは何なのか、ということになるでしょう」と述べています。


 さらに、著者は死刑廃止論を論破する核心に斬り込んでいきます。


 「死刑廃止派の人は、亡くなった被害者は加害者の死を望んでいないと言いますが、本当にそうだと言い切れるでしょうか。私は、唐突に、そして凄惨に人生を断たれた被害者の多くは、加害者の死を望むと信じています。加害者の死によって被害者が生き返ることはありませんが、大半の遺族は、『心に一区切りがついた』と語ります。これで墓前に報告できて、ホッとしたとも言います」


 わたしも、死刑の是非を語る場合、「被害者の遺族」のグリーフケアの問題を忘れてはならないと思います。殺人犯の精神的健康よりも、被害者の遺族の精神的健康が優先されるのは当たり前の話です。著者は、被害者の遺族の心中について次のように書いています。


 「被害者の遺族には、加害者の執行がある日まで自身が生きていられるか、不安と焦燥の中で暮らしている人が沢山います。高齢の身で、積年の悲しみと疲弊しきった精神を抱え、被害者の墓前に1つの区切りを報告する日が訪れることを、残された自らの寿命と対峙しながら、一日千秋の思いで生きている人のことを知って欲しいと思います」


 というわけで本書は非常にリアルかつ説得力のある死刑肯定論でした。
 ただ、アマゾンでも何人かのレビュアーが指摘しているように、これを無期服役中の人が書いたとは思えない箇所があります。


 「著者の年代と内容と無期という判決からしても合致する事件がみつからない」という意見もありました。もしも、本書が受刑していない死刑肯定論者の創作だとしたら大変なことですが、ここはもう新潮社というブランドを信じるしかありませんね。いずれにせよ、裁判員を引き受ける前にぜひ読んでおきたい一冊です。


 著者の「裁判員が裁判をやり終えたことに自己満足を感じるようだが、実態が分かっていない」という言葉には感じるものが大いにありました。