お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • 働かないアリに意義がある
Title

働かないアリに意義がある』

Category

No.0723

 

 『働かないアリに意義がある』長谷川英祐著(メディアファクトリー新書)を読みました。著者は進化生物学者で、「社会性昆虫の最新知見に学ぶ、集団と個の快適な関係」というサブタイトルがついています。また帯には、生物学者・福岡伸一氏の「サボっているやつがいる組織こそが強い」という言葉がキャッチコピーとして大きく書かれ、続いて「働く人と働かない人の共感を呼んで大ヒット! わかりやすくて面白く、身につまされる生物学入門」と書かれています。


 カバー前袖に「身につまされる最新生物学」として、内容が紹介されています。


 「働き者で知られるアリに、われわれは思わず共感する。だが、生態を観察すると、働きアリの7割はボーっとしており、1割は一生働かないことがわかってきた。しかも、働かないアリがいるからこそ、組織は存続できるという! これらの事実を発見した生物学者が著す本書は、アリやハチなどの社会性昆虫に関する最新の研究成果を人間社会に例えながら、わかりやすく伝えようとする意欲作である」


 本書の構成は、以下のようになっています。


序章    人の社会、ムシの社会
第1章   7割のアリは休んでいる
第2章   働かないアリはなぜ存在するのか?
第3章   なんで他人のために働くの?
第4章   自分がよければ
第5章   「群れ」か「個」か、それが問題だ
終章    その進化はなんのため?
おわりに  変わる世界、終わらない世界


 序章の冒頭で、著者は夏目漱石の『草枕』に出てくる「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」という言葉を紹介した後で、住みにくさの理由は人の世が「他人のいる社会」だからであると言います。でも、いくら住みにくくても、個体は社会から逃げられません。そして、社会をもつ生物はヒトだけではないとして、著者は次のように述べます。


「様々な生き物にも、そして、その辺を這い回るちっぽけなムシたちにも社会としか呼びようのない集団が存在します。単に群れをつくって行動する生物(例えばメダカなど)を『社会がある』と呼んだり、アフリカの草原のようにいろいろな生物が同じ場所に住んでいることを『生物社会』と呼んだりすることがありますが、生物学では、もっと特殊な集団構成をもつ生物だけを『真社会性生物』と呼び、他の集団から区別しています」


 この「真社会性生物」というのが本書のキーワードになります。1980年代まで、真社会性生物はハチ、アリ、シロアリくらいしか知られていませんでした。しかし、その後ハチ、アリ、シロアリとはまったく類縁の異なる昆虫のアブラムシで発見されました。最近では、ネズミ、エビ、カブトムシの仲間、はてはカビの仲間にも真社会性と呼べる生き物がいるとわかっているそうです。著者は述べます。


 「真社会性生物にも様々な社会形態がありますが、繁殖する個体としない個体が協同する特徴は共通しています。自分の子どもを残すという固体の利益になる行動をしないのに、他個体の繁殖を補助する行動をとる『利他行動』と呼ばれる行動が、真社会性生物とその他の社会性生物を区別する点です」


 よく仏教や人間学の本に出てくる「利他」という言葉を本書のような進化生物学の本で見つけて、わたしは嬉しくなりました。「利他」は「相互扶助」へとつながります。よく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われますね。わたしは、それが人類の本能であると考えています。


 著者が専門とする進化生物学のルーツをたどれば、当然ながら「進化論」の提唱者であるチャールズ・ダーウィンに行き着きます。ダーウインは1859年に『種の起源』上下巻、八杉隆一訳(岩波文庫)を発表して有名な自然選択理論を唱えましたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていませんでした。進化論が広く知れわたった12年後の1871年、人間の進化を真正面から論じた『人間の由来』を発表します。


 この本でダーウインは、道徳感情の萌芽が動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのです。そのような環境下では、お互いに助け合うほうが適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだというわけです。


 このダーウインの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル・クロポトキンです。クロポトキンといえば、一般にはアナキストの革命家として知られています。しかし、ロシアでの革命家としての活動は1880年半ばで終わっています。その後、イギリスに亡命して当地で執筆し、1902年に発表したのが『相互扶助論』大杉栄訳(同時代社)です。ダーウインの進化論の影響を強く受けながらも、それの「適者生存の原則」や「不断の闘争と生存競争」を批判し、声明が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本です。


 クロポトキンによれば、きわめて長い進化の流れの中で、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきました。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駆けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではありません。愛よりは漠然としていますが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすというのです。


 クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしませんでした。彼は、利他性こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのです。「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べています。


 また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあいます。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じます。アリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いましたが、近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。わたしは、このことを踏まえて拙著『隣人の時代』(三五館)で「助け合いは人類の本能だ!」と訴えました。


 本書『働かないアリに意義がある』でも、著者はハチやアリといった生物の利他性を紹介しつつ、次のように述べています。


 「ヒトが老人を敬い大切にするのも意味のあることだと考えられています。原始のヒトも部族という社会をつくって暮らす社会性生物でしたから、社会が様々な問題に直面したときに、老人の豊富な経験に基づく助言は部族全体の生存確率をあげただろうと考えられます。いわゆる村の長老の「さて、みなの衆!」というやつですね。したがって、すでに繁殖能力もなく、狩りや村の仕事もあまりできない老人を大切にするのはヒトにとって有利な選択だったのではないかと考えられるのです。これはムシと違い、高度な学習能力をもつヒトならではの齢間分業です。最近では、チンパンジーでも年老いた個体が大切にされる場合があることが発見されました。それぞれの生物学的特徴に基づき、人の倫理とムシの論理はまったく別な形に進化してきたのではないでしょうか」


 そして、本書の目玉である「7割のアリは休んでいる」ですが、この事実について著者は次のように述べます。


 「お利口な個体ばかりがいるより、ある程度バカな個体がいるほうが組織としてはうまくいくということです。人間社会に当てはめてみると、例えば、飛び込みの営業は失敗する確率も高いが、新たな販路開拓に有効なこともある、といったところでしょうか。昔、保険会社のコマーシャルで、『人生1回きりだから、ボクチャン失敗コワイのよ。保険人生送れ~』と歌うものがあって、私はこれを聴いてその保険を選ぶ人がいるものだろうかと思ったことがありますが、冒険のまったくない人生が味気ないように、効率ばかりを追い求める組織も、実は非効率であったりするのかもしれません」


 また著者は、ムシの社会について次のように述べます。


 「ムシの社会が指令系統なしにうまくいくためには、メンバーのあいだに様々な個性がなければなりません。個性があるので、必要なときに必要な数を必要な仕事に配置することが可能になっているのです。このときの『個性が必要』とは、すなわち能力の高さを求めているわけではないのが面白いところです。仕事をすぐにやるやつ、なかなかやらないやつ、性能のいいやつ、悪いやつ。優れたものだけではなく、劣ったものも混じっていることが大事なのです」


 ムシの社会に続き、ヒトの社会についても著者は述べています。


 「企業は能力の高い人間を求め、効率のよさを追求しています。勝ち組や負け組という言葉が定着し、みな勝ち組になろうと必死です。しかし、世の中にいる人間の平均的能力というものはいつの時代もあまり変わらないのではないでしょうか。それでも組織のために最大限の能力を出せ!と尻を叩かれ続けているわけです。昨今の経済におけるグローバリズムの進行がその傾向に拍車をかけています。余裕を失った組織がどのような結末に至るのかは自明のことと思われます」


 うーん、その通りかもしれませんね。ただ、企業経営者としての立場から言わせてもらえば、企業に余裕を与えさせない行政にも問題があると思うのですが。


 さて、なぜ生物は利他行為を行うのでしょうか。これは、よく考えたら、不思議なことですね。この理由について、著者は次のように述べます。


 「人間界の騒ぎはともあれ、アリやハチのワーカーが社会をつくって他者のために働くのは、滅私奉公しているわけではなく、そうしたほうが自らの遺伝的利益が大きくなるからだと考えられます。その利益の根源が血縁度不均衡であるのか、グループをつくるメリットから来るのかはまだ明らかではありませんが、彼らは社会を維持するために働きつつ、同時に自分の利益をもあげています。利他行動とはいいますが、最終的には自分の利益になる行動をしているわけで、多くの利益をあげる行動のみが進化する、という進化の原則にはしたがっています。それはちょうど人間の会社で、労働者が会社のために働きながら自らの利益(=給料)を得ているのと似ています。会社が給料をくれない(個体の利益があがらない)としたら、会社のために働く人はいないでしょうし、反対にみんながさぼって給料だけもらおうとすると、会社はなりたちませんよね」


 この発言は、進化生物学者らしく非常に説得力がありますね。


 このように生物の社会とヒトの社会、それも企業社会の問題がつながっていくというダイナミズムに本書の斬新さ、そして面白さがあります。今後の企業の方向性についても、著者は次のように述べています。


 「最近企業は、非正規雇用労働者を増やしたり賃金の上昇率を抑えたりすることで労働生産性をあげることに邁進していますが、こうした対処が労働者の生活基盤を悪化させ、それが一因となって社会全体の消費意欲がさがっています。企業は商品を多く売ることで利益を出し、会社を存続させるのですから、こういう状況が企業の存続に有利なわけはないでしょう。まあ、多国籍企業になったり、労賃の安い海外に工場をつくったり、海外に商品を売ったりして儲ければ、という考え方もありますが、そうすると今度は国内の産業基盤が弱くなり、国が長期的に存続するかどうかが問題になるでしょう」


 そして終章の最後で、著者は次のように述べています。


 「生物の世界はいつも永遠の夏じゃなく、嵐や雪や大風の日など予測不可能な変動環境であることが当たり前です。『予測不可能』とは『規則性がない』ということですから、実は数式で表されるものしか理解できない理論体系が、最も苦手とする分野が『生物学』なのかもしれません。
 生物の進化や生態の研究には、まだまだ何が出てくるかわからない驚きが残っていると私は思いますし、驚きがないのなら、そんな研究はもうやめたほうがましだと思います。人生もそうかもしれませんが、いつも永遠の夏じゃないからこそ、短期的な損得じゃない幸せがあると思うからこそ、面倒臭い人生を生きる価値がある、とは思いませんか?」


 本書を読んで、昆虫の行動研究がここまでヒトの行動を説明できるということに驚きました。特に、社会問題となっている「ただ乗り」としてのフリーライダーの問題がアリの社会にも存在するという事実には考えさせられました。アリの場合は、地域集団内で利己的なフリーライダーの移動が限定されているそうです。そのため、「局所的な全滅と利他者の再興」が起こり、フリーライダーの脅威は限定的になるとか。しかし、人間社会はグローバリゼーションによって利己的なフリーライダーが世界的に活動するため、「局所的な全滅」が起きません。そのために経済圏の全体的な弱体化が起こると著者は警告しています。


 本書は、人間社会、そして人間的な営みである経済について考える際に多くのヒントを与えてくれる一冊だと言えるでしょう。