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「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法』

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No.0706

 

 『「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法』矢作直樹著(ダイヤモンド社)を読みました。著者から贈呈された本です。

 帯には、「『死後の生』があるからこそ、逝く人にも、送る人にも、なすべき大事なことがある」「医師として大勢の死に逝く場面に立ち会い、ときに他界の存在をかいま見て理解した、生と死の意義」「死は終わりではない。新しい生命への旅立ちである。旅立つ魂を見送る臨床医の温かいまなざしの書。」「『置かれた場所で咲きなさい』の著者、ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子先生推薦!」などと書かれています。


 本書の「目次」は、以下のようになっています。


「はじめに」
第一章:お別れは必ず訪れる
第二章:逝く人の作法
第三章:送る人の作法
第四章:幸せなお別れを約束する言葉
第五章:「あの世」を知れば、「この世」がわかる
「謝辞」


 「はじめに」の冒頭で、著者は「医師として救急・集中治療の現場をやってきたこともあり、これまで私は大勢の方が逝く場面に立ち会ってきました。家族に見守られながら眠るように逝く方、苦しみながら亡くなる方、誰も面会に来ず医療スタッフだけに看取られる方、事故で運ばれて意識のないまま逝く方・・・・・・、人のエンディングというのは、実に多様です」と書いています。


 亡くなり方はさまざまですが、問題は「最期をどう迎えるか」ということです。つまり、緩和ケアをどうするかという問題に焦点が当てられますが、著者は次のように述べます。

 

 「緩和のポイントは、『呼吸と痛み』です。いかに呼吸をしやすくし、いかに痛みを除くかという点が重要なポイントになりますが、その2つがクリアできなければ、慢性疾患の場合、まるで眠るように亡くなることが可能です。一般に大往生と言われる逝き方はこのケースに相当します」


 この世には絶対と言えることが1つあります。それは「誰もが必ず死を迎える」という事実であるとして、著者は次のように述べています。


 「最初にお断りしておきますが、私は医師であると同時に、魂もあの世も理解していると思っている人間です。『大いなるすべて』と解釈している神の存在も同様です。だからといって、何か特定の宗教や宗派の信者ではありません。
 ちなみに、私が言う神とは、根源的な存在です。
 その存在を、私は前著『人は死なない』(バジリコ)で『摂理』と呼びました。そのイメージは、眩しいほどの『光』です。神に善悪はありません。神に幸も不幸もありません。これが私の『見えない存在』に対する解釈です。
 そして、私は死に関して、『肉体死を迎える』と表現しています」


 そして、著者は「輪廻転生」の存在を強調し、次のように述べます。

 

 「輪廻転生があるからこそ、つまり『死後の生』があるからこそ、私は死というお別れには作法が必要だと思っています。
 お別れは大切な節目です。
 葬儀や法事をセレモニーと呼びますが、お別れは亡くなった方を弔う儀式であると同時に、あの世への感謝の気持ちを表現する場でもあり、さらに生きている私たちが新しい明日を始めるための区切りなのだと感じています」


 ここで葬儀の重要性が唱えられ、わたしは心強く感じました。

 わたしの口癖の1つに「死は不幸な出来事ではない」という言葉があります。『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)に書いた言葉です。著者も「死が不幸である」というのは誤解であると明言しています。そして、次のように医師としての体験を語ります。


 「東大病院の救急で、あるいは東大病院に来る前の勤務先で、私は多くの方を看取ってきましたが、今まさにこの世にお別れを告げようとしている人は、まるで何かを見つけたような、ちょっと驚いたような表現に変化する方が少なからずいらっしゃいました。何かを見て顔をほころばせたように思えた方もいらっしゃいます。そんな表情が見えるのは、亡くなる2、3日前くらいからが多いような気がします。特徴としては、周囲に無関心になると同時に、まるで別の世界にいるような感じで、顔をほころばせるわけです」


 著者は「この世とあの世をつなぐ原則」を理解しなければならないと読者に訴えます。その原則とは、以下の3つです。


1.死はあくまでも肉体死であり、終わりではないと知ること
(=輪廻転生の原則)


2.現世はジグソーパズルのワンピース(1片)だと知ること
(=多次元世界の原則)


3.生まれてきたのは、さまざまな経験をすることにより意識の進化(魂の向上)をするためだと知ること(=意識の進化の原則)


 また著者は、医師には死にゆく人に対する作法があると言います。いったい、医師の「作法」とは何でしょうか? 著者は述べます。


 「結論から言えば、患者本人にとって、家族にとって、どういう死のスタイルを望んでいるのかを一緒に考えることに尽きます。患者さんや家族にとって、死に方相談ができる相手は医師のほかにいないからです。そこでの医師の作法は、押しつけない、こだわらない、耳をふさがない、この3つだと思います。
 いい死に方の基本は、『安らかであること』に尽きます」


 本書には、世界的に有名であった臨床医のエリザベス・キューブラー=ロスが主著『死ぬ瞬間』(中公文庫)で唱えた「死を目前に控えた人の受容プロセス」が紹介されています。それは、亡くなる本人が最終的に死を受け入れるまでの五段階プロセスで、以下の通りです。


 1.否認(自分の死を認めない)
 2.怒り(自分が死ななければならない事実への疑問)
 3.取引(神様との取引を申し出る)
 4.抑うつ(否認も取引もできない状況)
 5.受容(望みが絶たれて死を受け入れる)


 それに対して、著者は家族側にも「送る側の受容プロセス」があると考えています。それは以下の通りです。


 1.衝撃(なぜこの人が死ななければならないのか
 2.戸惑い(この人が死んだら自分はどうなるのか)
 3.疲労(死後の生活・人生が考えられない
 4.客観(しかし誰しもいつかお別れが来る)
 5.決断(あの世に送り出そう)


 第二章「逝く人の作法」では、自分史やエンディングノートについての説明が展開されます。著者は、「生まれてから今日までの自分の足跡をたどることは、大切な作業です。最近では市販されている『エンディングノート』を活用している人もいます。自分でそれ専門のノートを作成する人も増えました」と述べ、さらには「ライティング・セラピーという言葉があるように、書いているうちに気持ちが落ち着き、知らないうちに自分自身を癒す効果もあります。また、自分の記憶が定かではない部分を身内や友人などに尋ねることで、疎かだった交流が盛んになった例も多々あります」と書いています。


 エンディングノートについては、ますますその重要性が増しています。
 しかしながら、わたしは従来のエンディングノートには不満を抱いていました。遺産の分け方とか貯金や保険のこととか、お金に関する項目がやたらと多く、あまりにも生々しすぎると思っていたのです。そこで、現代人にとって最も使いやすく、死への恐怖さえ薄れてゆく究極のエンディングノートが作れないかと長年考えていました。著者のいう「ライティング・セラピー」も意識しました。

 

 ようやく2009年に、『思い出ノート』(現代書林)が完成しました。 おかげさまで非常に好評で、現在も版を重ねています。 ポイントは、「自分史ノート」と「エンディングノート」という2つのジャンルを結びつけたことです。これによって、イノベーションの実現というか、類書がなくなってしまいました。わたしは一種のブルーオーシャン戦略を実行したと思っています。自分の思い出を綴っているうちに、次第にエンディングノートを記しているという不思議なノートです。そして、知らないうちに死の恐怖が薄れていきます。先日、対談した際に著者の矢作氏にも『思い出ノート』をお渡ししました。


 もちろん、『思い出ノート』にしろ、他の各種エンディングノートにしろ、最も重要な部分は、自分の葬儀に関することです。自分の葬儀をあげるのか、あげないのか。葬儀をあげるならば、どのような形にするのか。著者は、葬儀については、次のように述べています。


 「葬儀については、自分の意思とは別に、残される家族への配慮が必要になる場合も考えないといけないかもしれません。特に現役の方や、社会的立場上関係者が多い方などでは、当人の意思にかかわらず社会的なけじめが重要になるかもしれません。また、一般的に言って、葬儀を執りおこなうことで残された人たちが喪失による悲しみを乗り越える伝手になるという、大きな実利面があります。やはり普段からご家族とよく話しておけたらよいかと思います。


 さらに、愛する人を亡くした人に対するグリーフケアについても、「人は死なない」と確信している著者は次のように述べています。


 「配偶者、両親や兄弟姉妹などの身内、さらには親しい友人・知人たちを亡くすことは、誰にとっても極めてつらいことですが、これも考え方次第です。
 というのも、その喪失感は残された人々にとってみれば、必ずいつかは自分の身に訪れる日の『予行演習』でもあるからです。つまり、先に逝く人は、『死ぬとはこういうことだよ』と残された人に教えてくれているわけです」


 グリーフケアについては、今度PHPから刊行される著者とわたしの対談本で大いに意見を交換しています。お楽しみに。


 本書を読んでいろいろと気づかされたことがありましたが、「ご冥福をお祈りします」という言葉の意味もその1つです。著者は次のように述べます。


 「私の好きな言葉に、『ご冥福をお祈りします』というのがあります。
 冥福というのは冥界、つまり死後に行く世界での幸福を指します。この言葉を私たちは知らないうちに使っています。見えない世界なんて理解できないと口にされる方でも『ご冥福を』と口にされますから、ほとんどの日本人は知らず知らずのうちに死後の世界を肯定しています」


 なるほど、たしかに言われてみれば、その通りですね。日本人は、無意識のうちに「あの世」の存在を認めているわけです。


 わたしは「死は不幸な出来事ではない」とともに、よく「葬儀は人生の卒業式」という言葉も使うのですが、著者も次のように「卒業」という言葉を使っています。


 「死は門出であり、亡くなる方は一様に現世を卒業される方々です。若い人もいれば、かなりの高齢者もいます。年齢こそバラバラですが、彼らの共通項は『現世の卒業生』という事実です。卒業生には敬意を払うべきでしょう。
 それを不幸だと考えるのは、まだお迎えが来ず、現世を卒業できずに残っている人の勝手な思い込みにすぎません。死が不幸だと考える人は、死者の冥福を祈ることができない人ですから、私はそれこそ不幸だと思います」


 さらに、わたしは「また会えるから」という言葉がグリーフケアの核心であると考えており、フォトブック『また会えるから』を上梓しました。そこに書いた詩に曲をつけたCD「また会えるから」も発売されています。


 著者は、「またね」という言葉に着目し、「またね」には「必ず再会しましょうね」という深意があると書いています。そして、そこには「3つの場所での再会願望」が込められているといいます。以下の通りです。


1つ目は、次の機会にどこかの場所でね、という願望。


2つ目は、もし亡くなっていても、あの世でね、という願望。


3つ目は、次の生(転生時)でも会いましょうね、という願望。


 以上、3つの場所での再会願望が「またね」という言葉には込められているというわけです。


 最後に、著者は次のように述べて本書を締めくくっています。


 「死は門出です。この世を卒業してあの世へ還る、『里帰り』です。
 看取るとは、人生、どうもお疲れさま、と声をかけて、亡くなった方に首を垂れる行事であると同時に、旅立った方を祝う儀式でもあるのです。
 私たちの人生は、この世限りではありません。あの世も存在し、輪廻転生もあるのですから、まだまだ続きます。その長い旅路の中で、『今回の人生』を卒業したということで、祝いの儀式なのです」


 まったく同感です。というか、まるで自分の著書を読んでいるかのような錯覚に何度も陥るほど、本書の内容はわたしの心に自然と入り込んでいきました。
 このように著者とは同じ死生観を共有するだけでなく、「死は不幸ではない」という真実を広く世の人々に伝えたいという志も共有しています。著者との対談本は7月上旬に出版されますが、多くの死にゆく人々を「死の不安」から解放し、多くの愛する人を亡くした人々の「死別の悲しみ」を軽くすることを願っています。