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パイの物語』

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No.0680

 

 『パイの物語』上・下巻、ヤン・マーテル著、唐沢則幸訳(竹書房文庫)を読みました。映画「ライフ・オブ・パイ」の原作です。

 「第85回アカデミー賞授賞式」は、日本時間2月25日(現地時間24日)に、ロサンゼルスのドルビー・シアターで開催されました。作品賞こそ「アルゴ」が受賞したものの、「ライフ・オブ・パイ」は監督賞を含む最多の4冠に輝きました。
 なお、「第85回アカデミー賞授賞式ダイジェスト」が3月3日の16時20分からWOWOWプライムで放映されます。


 その原作である本書は、いわゆるラテンアメリカ文学の「魔術的リアリズム」作品で、世界的な文学賞として知られる「ブッカー賞」を受賞しています。
 この物語には、インド系カナダ人パイ・パテルの数奇な運命が描かれています。1976年、インドで動物園を経営していたパイの一家は、カナダへ移住することになります。一家と動物たちを乗せた船は、太平洋上で嵐に襲われて難破してしまいます。家族の中で1人だけ生き残ったパイは、命からがら小さな救命ボートに乗り込みます。ところが、そのボートには、シマウマ、ハイエナ、オランウータン、ベンガルトラも乗っていた。ほどなく動物たちは次々に死んでいき、ボートにはパイとベンガルトラだけが残ります。肉親を亡くして天涯孤独となった身の上に加え、残りわずかな非常食と、あろうことか空腹のトラが自身の命を狙っている。16歳の少年パイは、まさに絶体絶命です。そのような極限状況の中で、想像を絶する227日の漂流生活が始まるのでした。


 本書を読んで、わたしが真っ先に考えたのは「礼」の問題でした。
 227日もの漂流生活を共にしたパイとトラですが、最後にトラは何ごともなかったかのようにパイのもとを去っていきます。トラの名前はリチャード・パーカーというのですが、彼は「さよなら」も言わずに、漂着した場所に消えていったのでした。本書には、そのときのパイのようすが次のように書かれています。


 「ぼくは子どものように泣きじゃくった。自分がこの苦しい試練を乗り越えたことで感極まったからではない。たしかに感動はしていた。あるいは、人々が目の前にいるからでもない。それにもひどく心を動かされはした。でも、ぼくが泣いたのは、リチャード・パーカーがろくに挨拶もしないで行ってしまったからだ。別れを台無しにするなんて、ひどいやつだ」


 パイは、苦楽を分かち合ったトラに「お別れの挨拶」をしてほしかったのです。もちろん、猛獣であるトラが人間に挨拶などするはずもありませんが、この場面を観て、わたしは「礼」が「人間尊重」の別名であることを示していると思いました。そう、「礼」とはきわめて、そして、どこまでも人間的な問題なのです。


 本書はとびきり面白い冒険小説です。そして荒唐無稽な物語でありながら、人が生きる上で最も大切なことを考えさせてくれる哲学小説です。