No.0653 オカルト・陰謀 『オカルト「超」入門』 原田実著(星海社新書)

2012.08.14

 『オカルト「超」入門』原田実著(星海社新書)を読みました。

 さまざまなジャンルのオカルトの歴史を作った重大事件について、その成り立ちと背景を歴史研究家の視点から解説した本です。

 著者は、『もののけの正体』という本も書いています。また、トンデモ本を批判的に楽しむ団体である「と学会」の会員でもあります。本書の帯には、いわゆる「アダムスキー型・空飛ぶ円盤」の写真とともに「ソ連への恐怖がUFOを生み出した!」「歴史と背景から学ぶ決定版!」と書かれています。カバーの折り返しには、次のような内容紹介があります。

 「UFO、超能力、オーパーツ、UMA、心霊・・・・・オカルトは教養だ!」

 「本書は、オカルト史を形作った”オカルト重大事件”について、その成り立ちと背景を歴史研究家の視点から解説したものだ。オカルトは好き者の道楽や雑学だと思われがちだが、歴史家の視点で見ると全く違った顔を見せる。実はオカルト世界の事件や遺物・文献などは、その時代を反映したものばかりなのだ。例えば1950年代以降に発生したUFO目撃現象には、冷戦下での米国民の不安が色濃く影を落としている。そう、オカルトとは単純に『信じる・信じない』の不思議な現象ではなく、その時代の社会背景をも取り込んだ『時代の産物』なのだ。そして、オカルトの世界を覗き見ることで、この世界を『異なる視点』で読み解くことができるようになる。さあ、教養としてのオカルトの世界へ旅立とう」

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

序文:オカルトが教養になるために
第1章:UFOと宇宙人
第2章:心霊と死後生存
第3章:超能力・超心理学
第4章:UMAと超地球人
第5章:超古代文明とオーパーツ
第6章:フォーティアン現象
第7章:超科学
第8章:予言
第9章:陰謀論
終章:オカルトがわかれば世界がわかる

 本書を一読して、わたしは「じつに、よく、まとめられているな」と思いました。『もののけの正体』のような雑駁さは、本書にはまったく見られません。正直言って、「自分も、こんな本が書きたかったな」と思いました。

 もし本書のテーマでわたしが書くなら、おそらく『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)のようなスタイルになると思います。わたしは、これまでに著者の本を何冊か読んできました。「と学会」の会員であることから、いわゆるオカルト否定派なのかと思われがちですが、どうも著者の場合はそうではありません。オカルトを信奉するのではなく、かといってトンデモ論で一蹴したりもせず、さまざまなオカルト現象の背景にある社会情勢などを考えており、その姿勢には好感が持てます。

 帯にも写真が掲載されていますが、「アダムスキー型」と呼ばれるUFOがあります。
 ジョージ・アダムスキーという人物が遭遇したという空飛ぶ円盤です。空飛ぶ円盤に乗り込み、宇宙人とも会ったというアダムスキーは、いわゆる「コンタクトの先駆け」です。彼は天文台勤務者を自称していましたが、著者は彼は天文台に勤務していたのではなく、天文台の近くのハンバーガーショップで働いていたにすぎないと明かしています。でも、それをセンセーショナルに書くのではなく、あくまで淡々と書いています。
 そんな著者ですが、どうしてオカルト現象の数々を検証しようとするのでしょうか。著者は、序文「オカルトが教養になるために」で、「オカルトが好きだからこそ、検証」するとして、次のように述べています。

 「オカルトの話題について、情報の真偽を問うたり仮説の検証を行なったりする人は、しばしばオカルト嫌いとみなされていまいがちだ。時には、無粋だと言われることもある。
 しかし、人は本当に好きなもの、関心があるものに関しては、偽物や出来の悪い物をつかまされるのを拒むものである。エルメスのブランドマークらしきものが入ってさえいれば、どんな紛い物でも買うというエルメスのファンはいない。
 ところが、オカルトに関しては、ファンなら内容にこだわらないはずないというおかしな認識が蔓延しているわけだ。それは多くの人に、『オカルトなどうさんくさいものだ』という思い込みがあるからかもしれない。
 もともとうさんくさいものなのに、検証などしてどうなるのだというわけだが、考えてみれば、それこそオカルトに対して失礼な話である。
 本当に不思議なものを求めるには、不思議とされているものの中から、実は不思議ではなかったものを丁寧によりわけていく作業が必要だろう。
 その結果、ほとんどの事例が、不思議でもなんでもないということになるかもしれない。しかし、不思議なものに関心がある限り、この作業をやめるわけにはいかない。
 世界のどこかに、未だ隠された、本当に不思議なものが転がっているに違いない―少なくとも、その可能性を否定はできないと思うからだ」

 この著者の考え方、よくわかります。というより、共感しますね。

 わたしも、子どもの頃から「不思議なもの」には人一倍関心があるほうなのですが、本書を読んで、いろいろと納得したことがありました。
 たとえば、ネス湖のネッシーに代表される「湖の怪物」というものがあります。ネッシーを筆頭に、カナダのオカナガン湖に棲むというオゴポコ、アフリカ大陸コンゴのテレ湖に棲むというもモケーレ・ムベンべといった世界の怪物たち、日本では北海道・屈斜路湖のクッシー、洞爺湖のトッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシーなどが有名です。その正体については、恐竜や首長竜の生き残り、ウナギやチョウザメといった大型の魚、ナメクジのような軟体生物の巨大なもの、アザラシやジュゴンのような大型の水棲哺乳類といった説があります。
 しかし、じつはこれらの説のいずれでも湖の怪物は説明できません。このことを踏まえて、著者は次のように述べています。

 「生物学者でUMA(未確認動物)にもくわしい佐久間誠氏が指摘していることだが、湖の水面では空気中の酸素が水に溶け込んでいるものの、それを下の方に運ぶ対流が起こりにくい。そのため、つねに潮流でかきまわされている海と違い、水深わずか数メートルくらいのところから無酸素の層が広がってしまう。
 つまり、水中の酸素をえらで呼吸する魚や軟体動物にしても、肺で空気を直接呼吸する必要がある恐竜や大型哺乳類にしても、長い間、湖底に身を潜めることができないのだ。水面近くにいるところをしょちゅう目撃される動物なら、謎の怪物扱いはされないだろう。つまり湖の怪物は、ずっと湖底に身を潜めることができる既知の動物ではない異質の生物か、生物以外の何物かとしか言いようがないのである」

 この説明、非常にわかりやすいと思いました。

 また、マヤ暦に基づいて2012年前後に人類が滅亡するという有名な予言についても、著者は明快に解説します。まず、わたしたちの使っている暦は12年で1周し、さらに60年で還暦を迎えます。干支を用いているわけですが、これは古代中国で発祥し、日本や朝鮮半島、ベトナムなどを含む漢字文化圏に広まったものです。循環する暦においては、暦の単位の始まりと終わりがあることは終末の到来を意味しません。
 むしろ世界の永続性を保証する方向に働くのであり、このような時間概念の下では、個々の国が亡んだとしても、その滅亡は世界全体にまでは及びません。それを踏まえて、著者は次のように書いています。

 「日本で毎年、正月になるとあちこちで聞こえてくる唱歌『一月一日』(千家尊福作詞・上眞行作曲、1893念発表)の歌いだしには『年の始めのためしとて終なき世のめでたさよ』とあるが、このような観念は循環する暦を用いていることと無関係ではないだろう。
 一方、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の教典である『旧約聖書』は、世界が神による創造を起点として、あらかじめ予言された終末へと向かうという直線的時間観念を内包している。マヤの暦は中国や日本の干支と同様、循環的時間概念に基づいていた。2012年終末説なるものは、マヤの暦を誤読した結果、生じたものだったのである」

 これまた、非常にわかりやすい説明ですね。読者は、2012年に人類が滅亡しないという根拠を知り、安心します。

 さらに、「陰謀論」についても、著者は次のように一刀両断に斬ります。

 「陰謀論は、この世界が明確な神の意志によって支配されているというユダヤ・キリスト教的世界観の粗悪なパロディである。聖書では、歴史は神の計画によって動くわけだが、陰謀論者の世界観では陰謀が神の計画に代わって歴史を動かしている。
 陰謀論者の脳裏で、この世界の支配者である(あるいは支配者たらんとする)陰謀の黒幕が、全知全能に等しい力を持ってしまうのもおかしくはない。そして、その陰謀を見抜く自分は、その全知全能の力に迫っているわけである。逆説的だが、陰謀論者にとって、陰謀の黒幕と自らの関係は聖書における神と預言者の関係にも等しい。つまり、神が預言者にその計画を教え、民に広めさせるように、陰謀論者は陰謀の黒幕がもたらすメッセージを読み解き、その陰謀を世界に広めるのである。
 あいにく彼(もしくは彼女)が明らかにした陰謀もその黒幕も、脳内にしか存在しないものだったりするわけだが」

   「カバラ」「グノーシス」「スーフィーズム」について書きました

 著者の発想には、つねにユダヤ・キリスト教的世界観というものを背景にしていることが興味深いですね。考えてみれば、「オカルト」とは「隠されたもの」という意味であり、その反対に位置する「隠されていないもの」とは『聖書』に記された言葉に他なりません。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は三大「一神教」と呼ばれますが、それぞれにオカルト的な神秘主義の要素を抱えています。それは、ユダヤ教において「カバラ」、キリスト教において「グノーシス」、イスラム教においては「スーフィーズム」と呼ばれます。
 わたしは、かつて『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)を書いたときに、「カバラ」「グノーシス」「スーフィーズム」についても詳しく説明しました。なお同書には、「UFO」の正体についてのわたしの自説も述べてあります。

 これらの一神教の中でも、著者が特に重要視するのはキリスト教です。終章「オカルトがわかれば世界がわかる」において、「オカルトは社会的に規定される」として、著者は次のように述べています。

 「キリスト教的自然観では、自然は神の被造物であり、両者は峻別されている(そして、人間は被造物に属する)。
 中世ヨーロッパのスコラ哲学では、自然法則を学ぶことはそれを創造された神を讃えることに通じるという考え方が生まれ、それが自然科学への道を開いていく。
 だが、一方でキリスト教は、自然法則に従わずに起きる現象の存在を認めていた。それは、神の意志によってなされるものであり、すなわち奇跡である。たとえば、キリストの死と復活などは奇跡の最たるものであり、それを自然科学の立場からありうるかどうか議論しても無駄ということになる。また、自然法則から外れた現象には、悪魔が人を惑わそうとして起こす奇跡のまねごともあるわけで、それは魔術として禁忌された」

 わたしは、これらの文章を読んで、拙著『法則の法則』(三五館)を連想しました。西洋のオカルティズムの源流には、ネオプラト二ズムの存在があるとされます。
 「新プラトン主義」と訳されるネオプラト二ズムは、プラトン哲学にストア主義などを融合して3世紀以降に成立した、きわめて神秘主義的傾向の強い学派です。また、「法則」というものと非常に深い関わりがあり、同書でも紹介しています。同書では、ナチスやヒトラーについても論じていますが、ここにもキリスト教の強い影響が見られます。つまり、『法則の法則』は「キリスト教」と「オカルト」の関係に言及した本でもありました。

 キリスト教における「法則」について触れた後、著者は次のように述べます。

 「つまり、キリスト強敵世界観では、この世界に起きる現象は自然現象、奇跡、魔術に峻別されることになる。ところが、地動説や進化論によって、伝統的なキリスト教的世界観に揺らぎが生じたため、それまで奇跡や魔術で説明されていた現象を、神や悪魔から切り離して説明しようとする動きが出てきた。そこで、従来の自然現象の範疇に入らないものを特に超自然現象=超常現象と呼ぶようになったわけだ。超常現象とされるものに聖書やキリスト教聖人伝説に出てくる奇跡や、魔術に似た話が多いのはそのためだ。また、聖書には、巨人や大魚など怪物に関する話も多く、それらを連想させるような生物の目撃証言も超常現象に加わった(つまりはUMAである)」

 聖書に登場するエピソードというのは、キリスト教文化圏の人々にとってはユングのいう「元型」につながります。おそらくは「こころ」の中に潜む元型が表出して、さまざまなオカルト現象を目撃してしまうのかもしれません。

 UFOにしろ、心霊にしろ、超能力にしろ、その他の怪奇現象にしろ、人間はオカルト的なものに関心を抱きながら生きています。たとえ、「そんなものは存在しない」という否定派であっても、占いや迷信に心を惑わされた経験はあるはずです。本書の最後で、著者は人間とオカルトの関係について、次のように述べます。

 「オカルトは人間の実際の経験から生まれたものである。その経験は、第三者からすれば錯覚や妄想、ペテンにひっかかっただけに見えるかもしれないが、当事者にとって自分の経験である以上、否定することはできない。
 それらの経験は、いわば日常生活に入り込むノイズのようなものだ。
 ノイズは、それ自体は意味を持たないし、気にしさえしなければ大した問題ではない。しかし、いったん気になってしまうと、ちょっとした音にすぎなくともそれに心とらわれてしまうというのは、誰しもありがちな経験である。ましてや、そのノイズが何かの不具合の予兆であはないか、などと考え出すと本気で対策を立てざるを得なくなる」

 この「オカルトはノイズである」という著者の言葉は、至言であると思いました。

 本書は、多種多様なオカルト現象を見事に整理した好著です。
 それにしても、オカルト現象の種類の多さには目を見張ります。UFO、エイリアン、悪魔祓い、ポルターガイスト、テレパシー、千里眼、念力、ネッシー、雪男、妖精、聖母出現、空から降るカエル、人体発火現象、アトランティス、ムー、地球空洞説・・・・・etc すべてのオカルト現象を一貫して説明する統一理論の仮説はないのでしょうか。

 わたしがこれまで読んできた本の中で、2冊にだけ、その理論が書かれていました。1冊は、『神々の指紋』で世界的ベストセラー作家となったグラハム・ハンコックの『異次元の刻印』。日本では上・下巻に分かれてバジリコから翻訳出版されています。もう1冊は、著者も会員である「と学会」の会長を務める山本弘氏のSF小説『神は沈黙せず』(角川書店)です。これはもう、読者の世界観が揺らぐほどの衝撃の名作です。

 わたしも初めて読んだとき、頭がクラクラしてきました。とにかく、オカルト現象の謎がすべて解けた気がする凄い小説です。興味のある方は、ぜひ読んでみて下さい。

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