No.0642 心霊・スピリチュアル 『幽霊学入門』 河合祥一郎著(新書館)

2012.07.31

 『幽霊学入門』河合祥一郎著(新書館)を読みました。

 本書は、科学から哲学まで駆使して検証する「幽霊学」(Ghost Studeies)の最新ガイドだそうです。幽霊を愛する15人が、幽霊の真実と怖さの秘密に迫っています。 その執筆メンバーがまことに豪華で、本書の「目次」は以下のような構成になっています。

「序」(河合祥一郎)

●西洋編
ヨーロッパ中世の幽霊(小林宜子)
シェイクスピアの幽霊(河合祥一郎)
ゴシック文学の幽霊(今本渉)
アメリカン・ナラティヴの幽霊学(巽孝之)
ベケットとモダニズム文学の幽霊(田尻芳樹)
ヴィクトリア朝の幽霊探究(風間賢二)
幽霊屋敷考(加藤耕一)
女と幽霊―リメイクされる女の性(小澤英実)
演劇の幽霊 コラム(鵜山仁)

●東洋編
日本幽霊学事始(諏訪春雄)
能の幽霊(松岡心平)
幽霊西東―中国と英国と(南條竹則)
千里眼事件とその時代(長山靖生)
近現代日本の幽霊文学史をたどる(東雅夫)
現代幽霊小説ベストテン―人間という虚数(三浦雅士)
「あとがき」(河合祥一郎)
「執筆者略歴」「索引」

 いずれも各分野の第一人者が寄稿していますが、特に参考になった箇所を抜き書きしたいと思います。まずは、本書の編者でもある東京大学大学院総合文化研究科准教授で英文学者の河合祥一郎氏の「シェイクスピアの幽霊」から。その冒頭で、河合氏は「幽霊と”気(スピリット)”」の問題を取り上げ、次のように述べています。

 「シェイクスピアの時代のイギリスでは、人は自然とつながっていた。辺り一面に咲き誇る美しい花を見て晴れやかな気分になったり、雨に降られて憂鬱な気分になったりするのは、自然という大宇宙(マクロコスモス)と人間という小宇宙(ミクロコスモス)のあいだに”気”が通じ合っていればこそと考えられていた。リア王が怒りのあまり『風よ吹け、怒り狂え』と叫ぶのも、リアの気の乱れと天気の乱れとが呼応するからにほかならない」

 大宇宙と小宇宙、すなわち天体と人体が呼応するという「天人相関説」は儒教にもありました。西洋においては古代ギリシャの「世界霊魂(アニマ・ムンディ)」の思想にまで遡るとして、河合氏は次のように述べます。

 「宇宙に統一原理としての霊魂(アニマ)があると想定するこの考え方はプラトンが『ティマイオス』において完成させたものだが、それによれば天体の運行の調和は人間の魂の調和と同期した。それゆえ占星術は―今日の星占いとは違って―学問としての意義を認められていた。人間の”気”が宇宙の”気”と結びつくというその思想は、新プラトン主義、グノーシス派、キリスト教神学、そしてルネサンスの自然哲学に至るまで広く受け入れられていたのである」

 そして、そのような「天人相関説」が、シェイクスピアの世界にどのように影響を与えているのか。河合氏は、「当時の世界観で重要なのは、人は独りで生きているのではなく、さまざまな霊や気と呼応しながら生きているという点だ。自我のなかだけで世界が完結しうるかのように錯覚する悧巧ぶった近代理性主義に依拠していては、曖昧模糊たるシェイクスピアの世界は到底理解できない。シェイクスピアの世界は個を超越するスピリットの世界なのである」と述べています。

 次に、翻訳家の今本渉氏の「ゴシック文学の幽霊」から。
 ホレス・ウォルポールの『オトラントの城』からメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に至るゴシック小説は、一般に「恐怖小説」や「怪奇小説」とほぼ同義語として流通しています。ところが意外にも、ゴシック小説には幽霊はあまり登場しないことを指摘し、今井氏は「『幽霊小説』はむしろ19世紀の終わりから20世紀の初めにかけてが黄金時代と目され、作家でいえばM・R・ジェイムズ、アルジャノン・ブラックウッド、アーサー・マッケン、H・P・ラヴクラフトら、幽霊を扱う技巧において熟練した専門作家がこの時期に続々と登場した」と述べます。

 この「幽霊小説」において、最も重要なものは何か。
 「最後の怪奇小説の巨匠」と呼ばれたH・P・ラヴクラフトは、何よりも重要なのは「雰囲気」であると断言しました。なぜなら、幽霊小説として本物かどうかを判断する最終的基準は、筋がうまくつながっているかではなく、ある所定の感覚が創造されているかどうかにあるからだというのです。これを受けて、今井氏は次のように述べます。

 「雰囲気(アトモスフィア)の原義は、ギリシア語起源の『アトモス』と『スフィア』、つまり『天地のあいだを覆う大気』で、哲学者のジョージ・サンタヤーナが『星はどの国の頭上にもひとしく輝いているものの、天地のあいだに介在するアトモスフィアは場所によって濃淡がある』と言ったように、幽霊をめぐる小説の『雰囲気』にも自ずと違いがある」

 慶應義塾大学文学部助教授でアメリカ文学者の巽孝之氏の「アメリカン・ナラティヴの幽霊学」も面白かったです。冒頭に出てくる「吸血鬼殺しリンカーン」の都市伝説も興味深いですが、19世紀のアメリカで生まれ、世界中を席巻した心霊主義(スピリチュアリズム)についての記述に惹かれました。
 18世紀すなわち理性の時代に入り、幽霊にとってはいささか分の悪い時代を迎えたかには見えましたが、にもかかわらず19世紀に入ると、それは心霊主義(スピリチュアリズム)のうちに復活を遂げたのです。
 心霊主義とは、死者と生者とが霊媒を通して対話することができると考える思想です。それ自体は太古より世界各地に存在しましたが、アメリカにおいて一気に大衆化したのは、1848年にニューヨーク州北部に暮らすフォックス姉妹が騒霊(ポルターガイスト)と交信したとする、いわゆる「ハイズビル事件」によっています。

 この「ハイズビル事件」について、巽氏は次のように述べています。

 「ここで注目したいのは1848年、すなわち心霊主義勃興の起源ともいえるフォックス姉妹の事件とまったく同じ年に、かのマルクス=エンゲルス共著の『共産党宣言』(1848年)が発表され、その冒頭が誰もが知るとおり、こう始まっていることだ――『とある亡霊(specter)がヨーロッパに取り憑いている――共産主義という名の亡霊が』。この『亡霊』こそは、コットン・マザーが『生霊』と呼び、同書旧訳が『妖怪』と訳して来た存在ならざる存在である。心霊主義と共産主義の同時発生、いわば超自然思想と唯物論思想の同時発生は、偶然ではない。南北戦争前夜の時代、アメリカ北部にとって南部の黒人奴隷制はそれ自体が妖怪のごとき呪いであったし、いっぽう南部はといえば、そのころ勃興中の社会主義や共産主義やフーリエ主義などすべての言説を包含するアグレリアニズムという名の妖怪によって農地再分配が行われ、奴隷制という名の私的所有形態を震撼させる恐怖におののいていた」

 ここで巽氏は、シェイクスピア、マルクス、デリダといった人々の名をあげます。
 そして、巽氏は「ジャック・デリダが『マルクスの亡霊たち』(1994年)の中でシェイクスピアにおけるハムレットの父の亡霊を引き合いに出しつつ述べるように、マルクスにとってシェイクスピアとは心霊主義者である以上に、現代経済理論の先駆者のひとりであった。マルクスの『資本論』(1868年)は商品の使用価値のみならず神秘的性質を洞察したが、そこに斬新なる亡霊哲学『憑在論』を適用していくデリダの手つきは、そもそも『共産党宣言』や『資本論』自体が資本家と労働者の搾取関係にもとづくゴシック・ロマンス連作だったことを実感させる」と述べます。

 東京大学大学院総合文化研究科准教授の田尻芳樹氏の「ベケットとモダニズム文学の幽霊」にも考えさせられました。冒頭で、田尻氏は「モダニズム」について次のように書いています。

 「20世紀前半の核心運動モダニズムは、ロンドンやパリのような大都会における新しい感性の上に花開いた。19世紀を通じてこれらの大都会は『群集』という現象が取りざたされるようになるほど人口が増え、めまぐるしく、刺激の強い空間になっていったし、また、電話、蓄音機、映画、自動車、飛行機などの新しいメディアやテクノロジーが世紀転換期に登場することで人間の感覚、身体、世界認識も大いに作り変えられた」

 それとともに、反近代的な非合理性に強く惹かれるモダニズム芸術が生まれました。

 文学でいえば神話や伝説からインスピレーションを得た一連の作品群、たとえばT・S・エリオットの『荒地』、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』『フェネガンズ・ウェイク』、トーマス・マンの『魔の山』、W・B・イェイツの『幻視録』といった世界文学史上の重要作品が多く書かれたのです。田尻氏は、次のように述べます。

 「ヘレン・ソードが言うように、一般にモダニズム文学と心霊主義には、言葉遊び、意識の脱中心化、ジェンダーのゆらぎ、流動する主観性、アイデンティティの断片化などの共通点を指摘することができる。モダニズム文学は、自我が単一の安定したものではなく、絶えず他者の侵入によって揺らいでいるというアイデンティティの危機を基盤にしていたという点で、霊媒を通じて死者たちと交信しようとする心霊主義と深いところで通底していたと言えるだろう」

 そして、「最後のモダニスト」と呼ばれたサミュエル・ベケットが登場します。
 ベケットは、アイルランド出身でフランスで活躍した小説家であり、劇作家です。ベケットの作品の登場人物の多くは、死んでいるのか生きているのかわからない幽霊的状態に置かれていることを指摘しつつ、田尻氏は次のように述べます。

 「そもそも19世紀後半から新たに登場したテクノロジーは幽霊的なものと結びついている。人間の声を身体から切り離す電話、死者のものも含めた過去の音声や映像を複製する蓄音機、映画は、本質上、死と幽霊の次元と密接不可分だし、実際登場した当時はそのようなものとしてオカルト的に受け止められていた。ベケットはテクノロジーのこういう側面にきわめて敏感で、生身の身体を出さねばならない演劇とは異なるラジオ、映画、テレビなどさまざまな媒体で自分の幽霊的テーマを追求しようとした」

 翻訳家で幻想文学研究家の風間賢二氏の「ヴィクトリア朝の幽霊探究」では、アメリカから海を渡ってきた心霊主義がイギリスで1850年からブームになった様子が描かれています。「ファンタスマゴリア」に代表される劇場での幽霊出現イリュージョンなども流行しましたが、これらを支えた心霊主義について風間氏は次のように述べます。

 「19世紀英国といえば、ダーウィンの進化論をもちだすまでもなく、宗教vs科学の熾烈な闘いがおこなわれていた時期(というか、信仰喪失者続出の時代)である。心ある識者たちにとっては、心霊主義はニューエイジのための代用宗教として、かたや死後の世界や霊の実在を検証することのできるニューサイエンスとして、ひょっとすると宗教と科学とを和解させる可能性のある素材と映ったことだろう」

 そして、心霊主義にはもう1つの側面がありました、風間氏は述べます。

 「同時に心霊主義は、霊媒として注目を浴びたフォックス姉妹にすぐさま接触してきたのが、19世紀を代表する大興行師(ホラ吹き、山師、ペテン師)として知られるP・T・バーナム(『大衆の好むものはみっつある。新奇、新奇、そして新奇だ』とか『この世にお人好しは1分に1人誕生してくる』といった名言を残している)であったことからも察せられるように、一般大衆にとってはいたく好奇心を刺激される見世物ショーでもあった」

 本書の前半にあたる「西洋編」の最後には、演出家の鵜山仁氏の「演劇の幽霊」というコラムが掲載されています。その冒頭は、次のように書かれています。

 「芝居は、というかあらゆるアートは、行き着く先が『死』と、いわば負けと決まった人生の、戦いの証を語り継ぐためのツールだと信じている。
 個体のゴールであるとされる死、しかしそのゴールの、さらにその先に、何らかの目的地を想定しないことには、この一度限りの人生に意味を見出すことは難しい。限られた個体の生が終息する、生のボーダーラインを一歩踏み出したところに、家族とか、国とか、公とか、神とか、DNAとか、『個』をこえる何ものか、目に見えるこの世界とは別の次元にある、もう1つの世界とつながるための作業仮説、物語、神話、つまり遊びのルールが必要いなる。『個』である『私』と、それをこえる世界との間でどう戯れるか。これが演劇の現場にとっても大きな宿題である」

 演劇の本質を鋭くとらえた発言ではないでしょうか。演劇と「死」との関わりは、本書後半の「東洋編」にある文芸評論家の三浦雅士氏による「現代幽霊小説ベストテン―人間という虚数」でも言及されています。日本における演劇といえば、能がまず思い浮かびますが、そもそも能とは死の香りが強く漂うジャンルです。三浦氏は、次のように述べています。

 「幽霊という言葉は世阿弥が発明したということになっている。実際、世阿弥にはその必要があったと言うべきだろう。つねに幽霊が登場する複式夢幻能の主題と形式において、ではない。それ以前の舞の本質においてである。能の達人は舞っている自分の姿をはるか頭上からまざまざと見る。意識の集中によって、実際に『自分自身の幽霊』を見るのだ。世阿弥はこれを離見の見と言っている。能だけではない。バレエにしても同じ。見える自分の姿がいかに生々しいか、著名なダンサー数人から聞いたことがある。次にどうしなければならないか。その行為の必然を、的確に感じ、的確に動いてゆく自分の姿をはるか頭上からもうひとりの自分が見ているのである」

 ここで「幽霊」という言葉の由来が出てきました。じつは、「東洋編」の最初に掲載されている学習院大学名誉教授で近世文学・芸能史学者の諏訪春雄氏の「日本幽霊学事始」にも「妖怪」や「幽霊」という言葉の由来が説かれています。諏訪氏は「妖怪も幽霊も中国で成立したことばである」と述べます。そして、妖怪の古い用例として、1世紀はじめに成立した『漢書』「循史伝・龔遂」にある「久シク、宮中ニシバシバ妖怪アリ、王、遂ニ問ウ。遂、大憂あり、宮室マサニ空トスベシと為ス」という文章を紹介します。

 これは、「長期にわたって、宮中にしばしば妖怪があった。王は龔遂に理由をたずねた。彼は大憂があると答え、宮室を空にするようにすすめた」という意味です。
 また、幽霊のもっとも古い用例は、5世紀頃に成立した『後漢書』「橋玄伝」に「国ハ明訓ヲ念ジ、士ハ令謨ヲ念ジ 幽霊ハ翳ニ潜ム」と記されています。これは、「国はよい教えを心がけ、士はよいはかりごとを心がけ、幽霊は陰にこもる」という意味です。

 『漢語大詞典』といえば中国最大の漢語辞典ですが、そこには「妖怪」や「幽霊」についての説明が書かれています。それによれば、妖怪とは「怪異な、尋常ではない事物と現象をいう」と説明され、幽霊は「幽魂。人の死後の霊魂をいう。またひろく鬼神をさす」と説明されています。このような中国の妖怪と幽霊の意味はそのまま日本にも受け継がれました。諏訪氏によれば、日本での妖怪の最も早い用例は、奈良時代の『続日本紀』に見られるそうです。宝亀8年(777年)2月の記事に「大祓。宮中にしきりに妖怪あるためなり」とあります。幽霊はそれより3世紀ほど遅れて、平安時代末の藤原宗忠の日記である『中右記』に用例が見られます。寛治3年(1089年)12月4日のところに「毎年、今日念誦すべし。これ本願、幽霊成道のためなり」とあります。

 これらを見てわかるように、日本でも「妖怪」は異常現象、「幽霊」は死者の霊魂という意味で用いられ、中国の場合とまったく同じです。
 そして、詳しい内容は省きますが、諏訪氏は平田篤胤、柳田國男、折口信夫といった人々の幽霊観を紹介し、最終的に「妖怪」と「幽霊」の違いを以下のように示します。

 ●妖怪・・・・・生・人以外・異界
 ●幽霊・・・・・死・人・他界

 そして先程の「現代幽霊小説ベストテン―人間という虚数」に戻ります。三浦雅士氏は、以下の11冊を現代における幽霊小説の名作として紹介します。

 ●古井由吉『円陣を組む女たち』(中央公論社、1970)
 ●金井恵美子『アカシア騎士団』(新潮社、1976)
 ●篠田節子『死神』(実業之日本社、1996)
 ●伊坂幸太郎『死神の精度』(文藝春秋、2005)
 ●吉田健一『怪奇な話』(中央公論社、1977)
 ●村上春樹『レキシントンの幽霊』(文藝春秋、1996)
 ●よしもとばなな『彼女について』(文藝春秋、2008)
 ●小川洋子『冷めない紅茶』(福武書店、1990)
 ●川上弘美『蛇を踏む』(文藝春秋、1996)
 ●柴田元幸『それは私です』(新書館、2008)
 ●松浦寿輝『もののたはむれ』(新書館、1996)

 このリストについて、三浦氏は「ベストテンなのに11篇になってしまった。幽霊がひとつ混じったという勘定である」と書いています。この文章の冒頭で、三浦氏は「現代日本の幽霊小説といえば、まず金井美恵子と古井由吉の名を思い浮かべる。小説そのものが幽霊の存在理由と重なるところで書かれているからである」と述べています。
 そして三浦氏は金井美恵子がルイス・キャロルの、古井由吉がロベルト・ムージルの影響を強く受けており、さらには入沢康夫の『詩の構造についての覚え書』の匂いがしたことに注目します。キャロルとムージルと入沢に共通するのは「虚数への関心」だそうです。そして三浦氏は、次のように述べています。

 「キャロルもムージルも入沢も、虚数のもたらすこの不安が、ということはつまり快感が、文学の本質、ひいては人間の本質と考えていた。あるいは感じていた。虚数とはすなわち幽霊のことである。虚数が数学に不可欠なように、幽霊もまた人間に不可欠なのだ」

 非常に刺激的な発言であると言えますが、三浦氏はさらに次のようにも述べています。

 「地図は虚の空間である。地図が、天界の地図、地獄の地図へと展開するのは、したがって必然である。同じように、年表は虚の時間である。以後、人間は、過去と未来という虚の重圧を実感するようになった。地図と年表は、人間の世界が言語の時空、虚の時空にあることを物語っている。その焦点が死だ」

 いやあ、さすがは現代日本における文芸評論の第一人者です! 三浦氏の卓見からは、小林秀雄や吉本隆明のDNAを感じます。

 さて、その三浦氏は古井由吉や金井美恵子の後に続く幽霊小説の作家として、次のように村上春樹氏の名をあげ、「村上春樹は、古井由吉と金井美恵子の後を受けて、文学の主題が『政治と文学』から『彼岸と幽霊』とでも称するほかないものへと転じたことを華々しく宣言したと言っていい」と書いています。
 そして、いかに村上春樹の小説が幽霊的であるかについて、次のように述べます。

 「村上春樹の世界では、彼岸と此岸が不即不離の関係にある。あの世とこの世はクラインの壷のようなかたちで繋がっているのであり、主人公たちはそのあいだを往還する。まさに冥界下降譚ならぬ冥界往還譚である。文学は、新しくなったというよりも、むしろ『政治と文学』という主題を剥ぎ取って、昔に還ったと言っていいほどだ。村上春樹が文芸雑誌を発表の場としない潜在的な理由である」

 現代の幽霊小説の書き手として脚光を浴びる篠田節子、伊坂幸太郎、よしもとばなな、小川洋子、川上弘美・・・・・いずれも、村上春樹以降の作家です。三浦氏は「村上春樹以後、冥界について、幽霊について、異常に語りやすくなったのだ」と述べています。この三浦氏の論考、わたしにとってヒントの宝庫でした。

 本書『幽霊学入門』は、文学から芸能論、民俗学、心霊学まで、さまざまな視点から「幽霊とは何か」を考える機会を与えてくれる好著であると思います。

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