No.0615 評伝・自伝 『刑務所なう。』 堀江貴文著(文藝春秋)

2012.06.09

 『刑務所なう。』堀江貴文著(文藝春秋)を読みました。

 「ホリエモンの獄中日記195日」というサブタイトルがついています。
 そう、本書はライブドアの粉飾決算事件で、旧証券取引法違反の罪に問われ、懲役2年6月の実刑が確定した堀江貴文元社長の収監日記なのです。

 2011年6月20日、実刑が確定した著者は、収監に向けて東京高検に出頭しました。なんと、モヒカン頭での出頭でした。出頭に先だって著者は「一回人生リセットして帰ってきたいと思う」と話しました。出頭の様子はネットでも中継され、高検の周辺には約400人の報道陣や一般人が詰めかけました。本書は、モヒカン頭で収監されてから発信し続けた前代未聞の「リアルタイム刑務所日記」です。実録マンガ「ホリエモンの刑務所入門」も掲載されています。

 序文「塀の中から皆さんへ」の冒頭で、著者は次のように書いています。

 「古くはオスカー・ワイルドの『獄中記』、日本では安部譲二さんの『塀の中の懲りない面々』シリーズ。最近では花輪和一さんのマンガ『刑務所の中』、佐藤優さんの『獄中記』など、刑務所、拘置所を経験した人の体験談には一定のニーズがあるようだ。
 フツーの日常生活からかけはなれた世界、息苦しさが容易に想像できる世界で苦労している人々の、ある意味いじょうな生活に興味があるのはもちろんのこと、『今の自分の境遇よりも恵まれない人々を見て安心する』という、ちょっと趣味のよくない感情も入り混じって手にとって読んでみるのだと思う」

 著者も数年前までは、そんな1人だったそうです。「まさかこの私が刑務所に行くわけがない」と思っていたというのです。

 しかし2011年4月、著者の実刑が確定し、6月20日に収監されました。その後、長野刑務所に移送されますが、著者は情報発信を続け、ついには本書を刊行するに至ります。その秘密について、著者は次のように述べています。

 「発信制限が厳しい中、娑婆にいるスタッフや協力者に助けられ、私自身がずっと関わってきたインターネットによる情報発信が普及したおかげで、ボールペンで便箋に書いた原稿が、メールマガジンやTwitterのつぶやきにトランスフォームされて世界に拡散することになった。まさに技術革新が『獄中記』の保守的な世界を変え、こうして現在進行形の新しい『獄中記』である本書『刑務所なう。』が誕生することになった」

 正直言って、これまでわたしは「ホリエモン」こと堀江貴文氏に良い印象を持っていませんでした。その理由はいくつかあるのですが、何よりも例の「金で買えないものはない」という有名すぎる一言に集約されます。その言葉を知ってから、「とんでもない奴だ」と思っていたわけです。

 しかし、最近、ちょっと考えが変わりました。というのも、「あの言葉は本当に本人の言葉だろうか?」という疑問が湧いてきたのです。
 『私、社長ではなくなりました。』という本を読んだことが原因です。ワイキューブの社長として「時の人」となった安田佳生氏の代表作は『千円札は拾うな。』でした。現状を考えたら、千円札どころか硬貨でも拾いたいところでしょうが、この「千円札は拾うな」という言葉は著者のオリジナルではなく、どうやら出版社の編集者が考え出したようなのです。それを知って、わたしは「あっ!」と思いました。
 たしかに、出版界にはそういうことを平気でやる人がいます。わたしも過去に何度も、おかしな編集者から自分の考えとは違うレッテルを貼られそうになり、ミスリードされそうになりました。ちなみに、かの『葬式は要らない』という本のタイトルも著者ではなく、版元の社長が考えたそうです。わたしは、「もしかして、ホリエモンもそうでは?」と思いました。「金で買えないものはない」とは、他人がホリエモンに貼ったレッテルではないのかと。
 もちろん、いくら他人が考えたとしても、本人には校正やチェックの機会が必ず与えられますので、最終的には本人の責任です。でも、「この人間にはこのレッテルを貼ろう」という出版社、ひいてはマスコミ全体の意思の力は馬鹿にできません。
 ライブドアがニッポン放送株を買うと騒がれていた頃にホリエモンがTV出演した映像をYouTubeで観たのですが、司会者の質問の内容は酷いものでした。完全に、自分たちの思う方向へ誘導尋問しようとするタチの悪いものでした。
 しかし、ホリエモンの回答はすべて正論で立派でした。わたしは、ホリエモンに対する見方を少し変える必要があると思いました。

 そのような見方で本書を読むと、非常に興味深い記述を多く発見しました。
 まず、著者のマスコミに対する考え方が興味深かったです。本書には「時事ネタ評論」というページがあり、さまざまなニュースについての著者の感想が記されています。【お台場騒然「韓流やめろ」コール、フジテレビ批判デモに500人】というニュースについて、著者は次のようにコメントしています。

 「マスコミもだんだん斜陽になってきているね。刑務所では夜は寂しいからTVを観ているけど、フジテレビのバラエティ番組はヤバイくらいにくだらな過ぎる。ほんと、こんなのを観ていたらバカになりそうで怖い」

 大王製紙の井川意高会長の逮捕については、次のように述べています。

 「大王製紙の井川さんは遂に被告になってしまったようだ。さらに23億円の特別背任で再逮捕とは・・・・・。厳しいね。これで20日間はお泊り決定なので『年越しは東京拘置所で』、ということになるね。悲惨だなあ・・・・・。寒いんだよなぁ、東京拘置所。うちのマネージャーとかに頼んで布団とかを差し入れておいたよ。しかし、彼がカジノにハマってるとは知らなかったなぁ・・・・・。飲むとベロベロになるのも知っていたけど、あのレベルでカジノにハマっている人は秋元康さんくらいしか知らないなぁ。ハタから見ていると負けていることが多いんだけど、AKBとか『川の流れのように』とかの作詞をしていることもありお金はチャリンチャリン入ってくるから、いくら負けても井川さんみたいにはならないんだよね。オレは借金してまでギャンブルしたことないから、好きではあるけど大負けしたことがないんだよね」

 いやあ、著者が井川被告と面識があったことも初耳ですし、あの秋元康氏がカジノにハマっていることも初めて知りました。一昨日はAKBの第4回総選挙で大いに盛り上がったようです。それにしても、「AKBの収入があるから、いくら負けても大丈夫」とは、凄い話ですね。

 著者は自分が塀の中にいて、外部から色々言われるのが、どうにも歯がゆいようです。たとえば、次のような記述があります。

 「朝日新聞でオトバンクという会社の上田渉っていう奴が『我々は「カネカネ」っていう堀江世代のIT起業家と違って社会起業家だ』とか抜かしていた。こいつ、とんでもない奴だ。”社会”起業家ってのは私は単なるエクスキューズに過ぎないと思っている。起業することで社会に変革をもたらし、社会を豊かにすることなんてのは、起業をしたら当たり前でワザワザ言うことではない。例えば、私は起業することでネット社会の普及に一定の貢献をしたと思っているし、今でもメルマガやブログメディアの普及に貢献していると思う。より多くの人々に影響を与えられれば、より多くの人々が豊かになれる。これは当たり前だ。そのためには、舞台装置としての会社や資金力は、大きな方が都合よかろう。政治の世界でも、より多く得票した人や政党が政策の実行力が上がるのと同じ理屈だ。わざわざ”社会”起業家と名乗る人々、あるいは『社会貢献』アピールや『理念』アピールから入る人々は、自分たちの影響力のなさに対して言い訳をしているだけだろう。ま、勝手に名乗るぶんには、はっきりいってどうでもいいが、俺のことを『金の亡者』みたいに言うのはやめてほしいし、まるで『社会貢献』してないように言うのもやめてほしい」

 この著者の発言にわたしは全面的に賛同はしませんが、一理も二理もあると思います。起業において何よりも「理念」が必要なのは当然の話ですが、著者が言うようにわざわざアピールしなくてもいいのかもしれませんね。

 このように塀の中にいると、いろいろと悔しい思いもするようです。次の一文には、わたしも心を打たれ、しんみりとしてしまいました。

 「NHKの夕方のニュースでJobs死去のニュースが・・・・・。カリスマというかビジョナリーというか。今日の朝の新聞で新しいiPhoneが5ではなく、4Sだったことを知り、『あれ?』とは思っていたけれど・・・・・。そうなってしまったか・・・・・。彼ほどの人物を50代の若さで失ってしまうのは非常におしい。あのハードとソフトを完全にシンクロさせたiPhoneの素晴らしい操作性は、彼がリーダーで独断と偏見で決断しているからこそなせた業である。私が出所するころにスマホを越える素晴らしいものに出会えるかと思っていたが、どうやらそれには出会えそうにない。残念だ、残念すぎる。独房で聞くようなニュースではない。本当に切なすぎる」

 この文章を読んでシンミリしましたが、この切なすぎる体験は、必ずや出所した後の著者の人生においてエネルギー源になると思います。

 本書の最後には、著者が収監中に読んだ本、鑑賞した映画などが感想つきで紹介されています。その数、じつに150。その内容も、バラエティに富んでいます。
 たとえばノンフィクションでは、高橋秀実『ご先祖さまはどちら様』、山本譲司『累犯障害者』、吉村昭『三陸海岸大津波』、田原総一朗『ドキュメント東京電力』など。小説では、綿矢りさ『蹴りたい背中』、村上龍『空港にて』、重松清『とんび』、湊かなえ『告白』、吉田修一『悪人』、山本一力『あかね空』、渡辺淳一『光と影』など。漫画では、井上雅彦『バカボンド』、森田まさのり『ROOKIES』、西原理恵子『パーマネント野ばら』、佐藤秀峰『海猿』、宇仁田ゆみ『うさぎドロップ』、六花チヨ『IS』など。映画では、「ソーシャル・ネットワーク」、「TRON」、「フォレスト・ガンプ」、「塔の上のラプンツェル」、「明日があるさ」、「武士の家計簿」、「最後の忠臣蔵」など。その感想もなかなかのレベルで、東浩紀氏の著書『一般意思2.0』について次のように書いているのですが、これが笑えます。

 「東浩紀さんから献本を受けた、刑務所に(笑)。相変わらず小難しい言葉でネットとか政治とかが語られている。東さん本人はコミカルでチャーミングな人なんだけどねぇ。ファンの人は、みんなその部分にギャップ萌えしているのだろうか?」

 さて、わたしが著者のことをずっと好きになれなかった理由の1つに「読書をバカにしている」ことがありました。以前、ある経済誌で経営者たちがどんな本を読んでいるかという特集を組んだことがあるのですが、著者は「本は読まない」と答えたのです。
 さらに著者は、「本を読む経営者の人はヒマなんでしょうね。ちゃんと仕事してるのかな?」とまで言い放ったのです。
 それを読んでわたしも「こりゃダメだ」と思ったわけですが、最初の収監の際には読書の楽しさを知ったようで、山崎豊子『沈まぬ太陽』などを読んだことが報道されていました。もともと非常に頭の良い人なのですから、本を読めばさらに発想の視野が広がることは確実でしょう。それにしても、著者の本を初めて読みましたが、文章もしっかりしていて読み応えがありました。やっぱり「食わず嫌い」はいけませんね。こうなったら、かの勝間和代サンの本も読もうかな?(笑)

 最後に、著者は今回の収監で20キロ以上の減量に成功したそうです。たくさん本やマンガが読めて、映画のDVDが鑑賞できて、その上でダイエットもできる。となれば、「一度くらい、刑務所に入るのも悪くないかも」と、わたしのように思う読者もいるでしょうね。いや、ほんとに。

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