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帝国の時代をどう生きるか』

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No.0622

 

 『帝国の時代をどう生きるか』佐藤優著(角川書店)を読みました。

 

 「知識を教養へ、教養を叡智へ」というサブタイトルがついています。このサブタイトルがわたしのハートにヒットして本書を読んだのですが、内容は少々違った印象でした。


 著者は、言わずと知れた元外務省主任分析官の作家です。わたしは、著者が書いた主な本はほとんど読んできました。この読書館でも、『はじめての宗教論 右巻』、『はじめての宗教論 左巻』、『3・11クライシス!』、『野蛮人の図書室』などを紹介してきました。


 本書の帯には、著者の顔の上半分の写真が掲載されています。ギョロッとした目は大変な迫力で、かのラスプーチンの眼力を連想させます。そういえば、著者はかつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれていたそうです。また帯には、「二歩、三歩、時代の先を読む!!」と大書され、「現場で使える『頭』と『眼』を、佐藤優が鍛える」と書かれています。さらには、帯の裏にも以下のように書かれています。

 

「現下、世界は新・帝国主義体制である!

米露中はじめ、経済では保護主義的傾向が増し、権益のブロック化が志向される。では、国家機能を強化するにはどうすれば良いのか?

我々は、厳しいこの世界をどう生きればよいのか?

―"現場で腕をふるえる知識人"となる道を示す」


 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

序論「新・帝国主義の時代を生き残るための叡智をどう体得するか」

 

第1部  理論編

  第1講:いまこそ「大きな物語」が必要だ

  第2講:宇野経済哲学から資本主義を解き直す

  第3講:宇野経済哲学から資本主義を解き直す(その2)

  第4講:宇野経済哲学から資本主義を解き直す(その3)

  第5講:自壊した政権の本質

  第6講:到来した貧困社会の特徴

  第7講:日本社会が内側から崩れる理由

  第8講:商品経済の論理の「外側」を見直す

  第9講:近代経済学は資本主義イデオロギーに囚われている

  第10講:「ポスト・モダン」から宇野経済学に退却せよ

 

第2部  実践編

  第1講:ニヒリズムを分析する

  第2講:国家統合の危機を分析する

  第3講:復興担当相の辞任を分析する

  第4講:検事総長のインタビューを分析する

  第5講:フリードリヒ・リストを分析する

  第6講:中国の空母就航をロシアからの眼で分析する

  第7講:英国騒擾事件を分析する

  第8講:ロシアの前原誠司観を分析する

  第9講:野田政権の外交戦略を分析する

  第10講:ロシアの野田政権へのシグナルを分析する

  第11講:政治とマスメディアの関係を分析する

  第12講:プーチン氏の露大統領への返り咲きと

       北方領土交渉の関係を分析する

  第13講:外交における「死活的利益」を分析する

  第14講:サイバー攻撃を分析する

  第15講:沖縄をめぐる危機を分析する


 以上のように非常に煩雑な目次構成となっていますが、これは本書が一貫性のない連載ものの寄せ集めだからでしょう。でも、第1部の「理論編」には少しは一貫性がありますが、宇野経済学を知らない読者は理解するのに苦労するでしょう。全体として非常に読みにくい本でしたが、ところどころに注目すべき箇所がありました。

 

 序論「新・帝国主義の時代を生き残るための叡智をどう体得するか」の冒頭で、著者は「いま、世界は新・帝国主義の時代である」と断言し、次のように述べています。

 

 「21世紀になって、国際関係は帝国主義に回帰している。英国の歴史家エリック・ホブズボームは、20世紀は、100年よりも短いと主張した。歴史的意味から考えると20世紀は、1914年の第一次世界大戦の勃発とともに始まり、1991年のソ連崩壊で終焉し、さらに第一次世界大戦と第二次世界大戦をまとめて『20世紀の31年戦争』ととらえるべきというのがホブズボームの主張だ。私もこの味方を支持する。1991年以前は、『古い現代』で、それ以降が『新しい現代』になる」


 著者は、新自由主義とは「理性を基準とする啓蒙の思想」によって構築されているとします。そして、キーワードとなる「啓蒙の思想」について次のように書いています。

 

 「啓蒙の思想とは暗闇の中でロウソクを1本ずつ灯していくと、明るさが増し、周囲の様子がよく見えるようになるというモデルで、知識が増えれば、社会は豊かになり、人間は幸福になるというものの見方、考え方だ。17世紀末~18世紀に流行になった啓蒙の思想は、19世紀にロマン主義の抵抗を受けたが、基本的には近代の主流の考え方だった。しかし、啓蒙の思想が導き出した実践的帰結は、第一次世界大戦という大量殺戮と大量破壊だった。

 人類は、啓蒙の思想の根底にある理性を疑い始めた。光は必ず影をともなう。当時の知識人は、啓蒙の影に理性とは異質な情念や暴力が潜んでいることに気づいた。そして、理性とは位相を異にする、人類が生き残るための新しい叡智を探し求めた。

 カール・バルトの危機神学(弁証法神学)、マルティン・ハイデッガーの存在論などは、叡智探究の試みだった。しかし、このような叡智探究の試みを欠いた生き残り策を追求したのがナチス・ドイツだった」


 著者は、この「啓蒙の思想」と「国家」との関係に注目し、次のように述べます。

 

 「国家には啓蒙の影が潜んでいる。国家の本質には、暴力や自己保存の欲望が潜んでいる。ソ連崩壊の10年後、2001年の9月11日に起きた米国同時多発テロ事件、2008年秋のリーマンショックで、国際政治、経済の両面において国家機能が飛躍的に強くなった。国家が持つ影が、帝国主義において顕著になる。帝国主義国は、相手国の事情など考えずに、まず一方的に自国の利益を主張する。それに対して、相手国が怯み、国際社会も反応しないときは、理不尽なやり方で帝国主義国は自国の権益を拡張する。それに対して、相手国が激しく抵抗し、国際社会も『ちょっとやり過ぎだ』と眉をひそめるような状態になると、帝国主義国は国際協調に転じる。

 それは帝国主義国が心を入れ替えるからではない。

 これ以上、横車を押すと、相手国や第三国からの反発が大きくなるので、結果として自国が不利な状況に追い込まれると考え、帝国主義国は妥協し、国際協調に転換するのだ。このように精力均衡外交が帝国主義の基本的なゲームのルールだ」


 本書のメッセージは「知識を教養に、教養を叡智に転換せよ!」です。それを意識してか、著者は次のように述べています。

 

 「個人と国家の中間にある、人々の自発的な結社=中間団体のみが、国家の忍び寄る影に対抗する力を持つ。このことを伝えたいというのが、私が本書に込めた思いである。まず、対象となる新・帝国主義の国家をつかむ、大きな物語が必要だ。私は、マルクスの『資本論』を読み解くことによって、この大きな物語を獲得することができると考える」

 

 そして、著者は序論の最後に「われわれが生きている現実の中で、断片的な知識を教養に、教養を新・帝国主義の時代に生き残るための叡智に転換するための手引きとして活用していただければ幸甚だ」と述べるのでした。


 興味深かったのは、理論編の第1講「いまこそ『大きな物語』が必要だ」の中で著者が「現下世界で最も強力な偶像は、国家と貨幣である」と指摘している部分です。著者は、次のように述べています。

 

 「私は現在の日本にとって必要なことは神話の構築だと思います。この神話の構築は、日本の歴史、伝統、文化を探っていくと『神話が発見された』という形態をとることになると思います。『19世紀のロマン主義者のようなことを言うな』とお叱りを受けることがわかった上で、あえて私の問題意識の稜線を明らかにするために極論を述べていると御理解ください。しかし、私が考えていることは、ロマン主義の反復ではありません。まず、神話を構築してはいけない部分をきちんと確定する作業を先行させないといけないと考えています。従って、それこそ『美しい日本』というような形で、シェリングのように美意識として、問題の本質を瞬時にとらえることはできないという手続きをとってから、神話作りの問題に進んで行かなくてはならないと思うのです」


 実践編と名づけられた後半は、取り上げているテーマにあまりにも時事性が強く、執筆から数ヵ月が経過した時点で内容が風化したような印象のものが多かったです。

 でも、その中で第6講「中国の空母就航をロシアからの眼で分析する」の冒頭の中国についての一文は興味深かったです。以下のように書かれています。

 

 「中国が潜在的脅威であるという認識は間違えている。

 中国は顕在化した現実的脅威であると筆者は認識している。

 中国が脅威であるという認識を強く持っているのがロシアだ。

 中国を意味する英語のチャイナ、ドイツ語のヒーナはいずれも秦に由来する。これに対して、ロシア語で中国を意味するキタイは、遼を建国した民族・契丹に由来する。キタイという名称は、遊牧民である契丹がシベリアからロシアの平原を攻めてくるというイメージと結びつく。ロシア人の中国に対する忌避反応は、民衆の生活レベルにまで染み込んでいる。例えば、悪性インフルエンザを『中国風邪(キタイスキー・グリップ)』と呼ぶ。また、狡猾で陰険な人を形容するときに『あいつは中国人100人分くらい狡い』と言う」


 また、第15講「沖縄をめぐる危機を分析する」の冒頭で、著者は述べています。

 

 「最後に筆者が、中長期的視点から見て、もっとも懸念していることについて述べたい。それは、沖縄をめぐる国家統合の危機が迫っていることだ。全国紙はほとんど扱っていないが、10月13~16日、沖縄県で第5回世界のウチナーンチュ大会が開催された」

 

 母方に沖縄人の血が流れているという著者は、沖縄について述べています。

 

 「第5回世界のウチナーンチュ大会を契機に、沖縄では文化的な共同体意識が政治的共同体意識に結晶化し始めている。ここで重要なのは、『苦難の共有』に関する記憶である。移民先においても、他の日本人から差別されたという記憶、沖縄戦の記憶、米国の施政権下における土地の強制収用、米軍人の犯罪に対して泣き寝入りせざるを得なかった記憶、そしてそれらの記憶が、現在の米海兵隊普天間飛行場の移設を沖縄県民の民意に反して中央政府が行おうとしていることに対する抵抗と、深いところで結びついている」


 そして本書の最後に、著者は「愛郷心」について次のように述べるのでした。

 

 「故郷を離れたときに意識する愛郷心は、民族学でいう『遠隔地ナショナリズム』に転化しやすい。北部アイルランドの英国からの分離独立運動が、米国に移住したアイルランド人による遠隔地ナショナリズムによって加速された。ウクライナの独立も、カナダに移住したウクライナ人の遠隔地ナショナリズムを抜きに考えられない。

 確かに現時点で、世界のウチナーンチュ大会に現れているのは、『ウチナーンチュ以外を排除するような偏狭なウチナー・ナショナリズムではない』。しかし、東京の中央政府が、沖縄の民意に反し、米海兵隊普天間飛行場の沖縄県内への移設を強行すれば、沖縄人の『心根』は、ただちに政治意識に転化する。

 ナショナリズムは必ず排外的傾向を持つ。激しい分離独立運動を展開したナショナリズムも、初期段階は常に穏健な文化的自己意識の主張として現れた。第5回世界のウチナーンチュ大会が持つ内在的論理と潜在的政治力の意味を野田政権が過小評価し、対米配慮から辺野古移設を強行しようとすると、日本の国家統合を揺るがす事態が生じる。そう遠くない将来に危機が迫っているように筆者には思えてならない」


 中国と沖縄の問題は、わたしにも少なからぬ関係があります。それらの問題は、わが社の将来にも大きく影響すると言えるでしょう。本書を読み、今後の中国と沖縄の行く方向性が漠然とイメージできました。

 また、日本が帝国主義競争の中で生き残るためには、自由貿易主義を志向することになるでしょう。現在の国際情勢を見ても、この流れを覆すことは出来ないと思われます。

 さらに日本は、固有の文化を守っていくために協調的保護主義政策を採択することも求められます。著者が言うように、この二重の課題を遂行こそ、日本の政治エリートたちの現下のミッションなのでしょう。とても難しいことですが・・・・・。