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願力』

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No.0625

 

 『願力』長谷川理恵著(マガジンハウス)を読みました。

 

 いま、ものすごく話題になっている本ですね。いろんな意味で・・・・・。「愛を叶える心」というサブタイトルがついており、結婚に至るまでの1人の女性の想いが綴られているということで、一介のブライダル業者として読んでみました。


 帯には、ノースリーブの白いドレス姿の著者の上半身写真が掲載されています。相変わらず、きれいな人ですね。そういえば、著者の『有名人になるということ』の帯でも、著者の勝間和代サンが白い服を着ていましたね。関係ないですけど。

 でも、本書の内容の端々には勝間本と同じ匂いがするように感じたのは、わたしだけでしょうか。そもそも「願力」というタイトルからしてプンプン匂うのですが。

 本書の帯には「彼と出会って初めて、私がイヤな女だったことがわかった」という言葉が記され、「これはスキャンダルではない。不倫、死別、失恋・・・いくつもの恋の試練を乗り越えて、自力で幸せを掴んだ、一人の女のストーリーだ」とも書かれています。


 アマゾンには、次のような本書の「内容紹介」があります。

 

 「恋愛小説より、リアル!

 不倫バッシング、愛する人との永遠の別れ、叶わなかった恋・・・・・"恋多き女"としても世間に注目され、『いろいろあったけど』ハッピーな結婚にたどり着いた彼女が、これまで口を閉ざしてきたことの『真実』を自らの言葉で語りました。

 ついに結実した結婚のように、マラソンや野菜ソムリエでの活躍するのも、強く"願えば叶う"と信じて努力したから。『願力』。

 愛と夢を叶える生き方のヒントでもあります」


 本書の「Cntents(目次)」は、以下のような構成になっています。

 

prologue:私たちを選んでくれて、ありがとう

1:バブルの残り香

2:イギリス、全寮制高校

3:バッシング

4:貪欲な女

5:1日だけのフィアンセ

6:魂を感じて

7:因果応報

8:プロポーズと指輪事件

9:幸せ探し

epilogue:人生のイメージ


 prologue「私たちを選んでくれて、ありがとう」で、著者は自分が妊娠していることを明かします。そして、本書のタイトルにもなっている言葉を次のように使っています。

 

 「願えば叶う力、『願力』という言葉を常々使ってきた私だけど、『赤ちゃんを産みたい』という希望がこんなに早く叶うなんて思ってもいなかった」

 

 そして、prologueの最後に、次のように書いています。

 

 「モデルとしてデビューして依頼、芸能界という華やかな世界に生きてきた私はメディアを通じてキャリアはもちろん、私生活のほとんどを白日の下にさらしてきた。それでも私しか知らない真実はたくさんある。結婚・妊娠・出産という新たなステージを迎えたいま、その真実を私の言葉で語ってみたい」


 アマゾンで本書のレビューを見てみると、正直言ってボロクソです。ここまで辛らつなコメントが集中するのも、あの方との共通点かもしれません。テレビのワイドショーなどでも、本書はレポーターから散々にこき下ろされているとか。

 でも、読み終えたわたしの率直な感想は、「興味深い内容だった」です。特に「バブルの残り香」には、最も浮かれていた頃の東京のナイトライフが描かれており、興味深く読みました。たとえば、著者は次のように書いています。

 

 「いま思えば、人生最高のモテ期は、『CanCam』専属モデル時代だ。最新流行ファッションでバッチリ決めたモデル仲間と一緒に夜な夜なクラブに出没しては用意されたVIP席に陣取って、チヤホヤされる。ただでさえ背が高いのにハイヒールを履いているから、夜の街ではひときわ目立つ。ほかのVIP席に座ったリッチそうな男性からも声をかけられるし、セレブ男性を紹介されることも多い。夜遊びが楽しくって仕方がない時期で、徹夜で遊んだまま編集部でメイクを落として、撮影に行くなんてこともしょっちゅう。

 メイクさんに顔を作ってもらいながら大口開けて寝ていたり。

 毎晩遊んでも遊び足りないくらいだと感じていた」

 

 「男性たちからジュエリーなど、プレゼントを贈られることも多かった。当時の夜遊びシーンではJリーガーが大人気で、彼らにとってはモデルと交際するのはステイタスのひとつ。なかにはなぜか『CanCam』や『JJ』で活躍する人気モデルが所属している有名モデル事務所の宣材写真を持っている選手もいたほど」


 本書には、著者が交際した多くの恋人たちが登場します。

 中には2人の俳優も匿名で出てきますが、これはもう日本中の人々が「石田純一」と「神田正輝」という固有名詞を知っていますので、匿名はまったく意味がないですね。

 その2人に関する記述にも興味深い点は多々ありました。

 特に、石田純一氏の人柄の良さには感動さえ覚えました。

 著者が最初に石田氏に会ったとき、失恋した前の恋人のことを相談したそうです。

 そのとき、石田氏は「でもさ、失恋が冬じゃなくて、春でよかったよね。それはラッキーだよ。いまは春だし、これから先はきっといろんな出会いがあるよ、大丈夫!」と言ったそうです。いやあ、素晴らしいセリフですね!

 また、交際をはじめた2人が「不倫カップル」としてマスコミから追いかけ回されたとき、石田氏は「周囲からいろいろな悪口を言われているけど、僕たちだけはいつも通り、仲良しでいようよ。ケンカなんかしてちゃもったいないから、楽しく生きていこう」と言ったとか。いやあ、なかなか言えるセリフではありません!

 きっと、石田純一という人は「思いやり」に溢れた人なのでしょうね。

 本書の刊行でマスコミが著者を批判気味に報道したときも、「自分らはいいですけど、しょうがないですけど。彼女が充実した結婚生活を送れたら素晴らしいことなんで」と著者を気遣いました。赤裸々な恋愛体験談が反感を買い、著者が"イヤな女"としてバッシングを受けていることについても、「残念ですね。いいヤツなんで。誤解されたら残念ですね」と優しくフォローしています。この大人の対応は、素晴らしかった! 

 わたしは、石田純一氏を本当に見直しました。


 しかし、わたしが最も関心を持った本書の内容は、石田氏についての記述でも、神田氏についての記述でもありません。2人の中間の恋人についての記述でした。

 その彼は年下のサーファーで、著者とめでたく婚約します。

 しかし残念なことに、海で亡くなってしまいます。なんと、婚約した翌日でした。

 もちろん著者は大変なショックを受けますが、そのときのくだりが「グリーフケア」に取り組んでいるわたしに多くの示唆を与えてくれました。著者は「1日だけのフィアンセ」で、彼の遺体が発見された後の様子を次のように書いています。

 

 「愛していた人を失った人間は、愛した分以上の喪失感と絶望感に見舞われる。溺愛する息子を失ったお母様はすっかり心が壊れてしまったようだった。私も彼女のようになるのかなと思ったら意外に冷静だった。

 いま思うと、あのときの私は突然すぎて何が起こったかもわからない。冷静だったのではなく、何も感じられないし、何も理解することができなくなっていたに違いない。

 ショックを受けたお母様の憔悴ぶりは絶対に忘れられない。遺体が戻ってきた日は、『あの子と一緒に寝る。お嫁さんになるはずだったあなたも一緒に寝るの』と、私とお母様は、保冷剤ですごく冷たくなった遺体を挟んで、3人で川の字になった。一晩中、彼に子守唄みたいなのをずっと小さい声で歌い続けていたお母様と並んで横になっていた私の頭に浮かんだのは、『私は本当の娘ではないけれど、これから娘のような気持ちで彼女を支えてあげなきゃいけない』ということ。

 私も彼を深く愛していたけれど、お母様の悲しみは私のそれよりずっと深いはず。心が折れてしまった彼女のことをまず助けなくてはいけないと思い、私自身の悲しさを封印、心の痛みを感じないように感情をブロックしてしまった」


 しかし、この感情をブロックし、悲しみをシャットアウトしようと無理したことは心に大きな負担をかけたようです。著者は、次のように述べています。

 

 「そのあとしばらくの間は感情をコントロールできなくなってしまった。仕事中に悲しくもないのに涙がぶわーっと出てきたり、朝起きたら顔に涙の跡がくっきりとついていたり。車の運転中に涙でフロントガラスが曇ったようになったこともあった。メイク中に私に泣き出されたヘアメイクさんは『何が起こったの?』とギョッとしたはず。でも自分でも何が起こっているのか理解できないのだから、対処することもできない」

 

 その後もしばらく彼女の心は混乱していたようです。「魂を感じて」で、著者は次のように書いています。

 

 「うれしくもないし、悲しくもない。怒ったり、叫んだりもできないし、なんの感情もわかない。ただ悲しくもないのに涙だけはポロポロと出てくる。感覚がすっかり麻痺していた。神経とか細胞の代謝とか明らかに全部が来るっていたに違いない。カウンセリングとかグリーフ・カウンセラーに相談することさえ考えられない。自分で全部受け止めていたから、精神的には最悪。しばらくはこの悪循環から抜け出せなかった」

 

 そして、このころの著者の心の中にあったのは「彼はどこに行っちゃったんだろう?」ということでした。それまで身近な人の死に直面したことがなかった著者は、子どものように単純に「人は死んだらどこに行くんだろう?」と思ったそうです。

 そして、著者はヒーラーやサイキックといった人々を紹介してもらうようになり、亡くなった彼の気配もときどき感じながら、次第に立ち直っていったのです。


 わたしは、愛する人を亡くした著者が立ち直っていくプロセスを読んで、本当に深い悲しみは心理学だけでは手に負えないというか、ある意味で魂の次元にまで踏み入ることがグリーフケアの核心であると思いました。著者は、「愛した人が見守ってくれている」として、次のように述べています。

 

 「ヒーラーやスピリチュアル・カウンセラーが言うことがすべてではないが、亡くなった彼の魂が存在するということを知ることができて初めて、私は彼の死を受け入れることができた。『彼がここにいるんだ』と思えると温かい気持ちになったし、心が楽になってようやく笑えるようにもなった。寂しさが消えることは一生ないと思うが、『あ、見守ってくれているな』『見ていてくれているな』と感じることで心の傷が癒えていくようにも思える。

 私と同じ経験をしたり、同じような悲しみを味わった人は少なくないと思う。もし可能ならば、そういう人たちに『悲しみを全部ひとりで抱え込まないで。気づかなくてもあなたが愛した人はそこにいるんだよ』と伝えたい。そういうふうに思えればきっと心が温かくなるから。少なくとも私はそうだった。もちろんなんの証拠も根拠もない説だから、私の言葉など受け入れられないと反論されても仕方がない。

 でも『信じる者は救われる』ということわざもあるではないか」


 わたしは、もともと「婚活」とか「結婚式」についての何らかの情報が得られないかなと思って本書を読み始めました。しかし、あいにくそれらについての情報は外れでした。

 著者が提唱する「オーガニック・ウエディング」もピンと来ませんでした。

 わたしは、すっかり本書をグリーフケアの書として読んでいる自分に気づきました。

 そして、わたしは非常に残念に思いました。

 もしも本書がこのサーファーの恋人との死別、その悲しみからの癒しに焦点を当てて書かれていたとしたら、ものすごい名著になったと思ったからです。

 

 わたしの著書に『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)という本があります。おかげさまで多くの読者を得て、このたび大増刷の運びとなりましたが、同書のようなテーマで著者が書いたとしたら、おそらく素晴らしい本になっただろうと思います。

 ハリー・ウィンストンの婚約指輪とか、ナパ・バレーのワイナリーには一切触れずに、執筆のテーマを「グリーフケア」にしていたならば、きっと多くの「愛する人を亡くした人」たちの悲しみを軽くすることができたのではないでしょうか。


 それから、この際ですから正直に言わせてもらえれば、『願力』というタイトルにはどうも違和感があります。著者は「願力」のことを「強く"願えば叶う"力」であると定義します。そして、次のように述べています。

 

 「願うだけで夢や目標が叶うわけないじゃん、と思う人もいるだろうが、「願力」には根拠がある。一時期『私ってなんでこんなに願いが叶うんだろう』と不思議に思って、いろいろな本を読んでみたことがある。その中に書かれていたのが潜在意識の作用だ。

 やりたいことや夢を実現させたいと強く願うと潜在意識が反応し、自分でも気づかないまま、夢の実現に関連する行動を起こしていたり口に出したりしている。潜在意識が生み出したそれらの言動が周囲に影響を及ぼし、願いが叶うことにつながるのだとか。

 潜在意識を左右するのが願う力、いわゆる『願力』。

 それが強ければ強いほど潜在意識に送り込まれる考えが強くなり、無意識のうちに夢の実現に向けてアクションを起こしているというわけだ」

 

 また著者によれば、「願力」をさらに強化するのは、イメージの力だそうです。ならば、「願力」とは、いわゆる「引き寄せの法則」の別名ですね。

 わたしは、『法則の法則』(三五館)で、「引き寄せの法則」ブームについて気になっていることを書きました。それは、「成功したい」とか「お金持ちになりたい」とか「異性にモテたい」といったような露骨な欲望をかなえる法則が流行していることです。

 『法則の法則』といえば、「吾」というブログに書評が掲載されています。過分な評価をいただいて、著者としては「穴があったら入りたい」心境です。

 でも、すぐれた内容紹介になっていますので、よろしければお読み下さい。


 いくら欲望を追求しても、人間は絶対に幸福にはなれません。なぜなら、欲望とは今の状態に満足していない「現状否定」であり、宇宙を呪うことに他ならないからです。

 ならば、どうすれば良いのでしょうか。それは「現状肯定」して、さらには「感謝」の心を持つことです。そうすれば、心は落ち着きます。コップに半分入っている水を見て、「もう半分しかない」と思うのではなく、「まだ半分ある」と思うのです。さらには、そもそも水が与えられたこと自体に感謝するのです。「求めよ、さらば与えられん」というキリスト教的世界より、「足るを知る」仏教的世界のほうが人間の幸福に直結するように思えてなりません。

 では、何に感謝すればよいのか。それは、ずばり親に感謝すればよいのです。人間とは「本能」が壊れた動物であり、その代わりに「自我」をつくりました。その自我が、死の恐怖を生み、さまざまな欲望を生み、ある意味で人間にとっての「不幸」の原因をいろいろと生んできたわけです。人間の自我は、まず自分を人間だと思うところからスタートしなければなりません。

 そして、自分を産んだ親こそは、自分を人間だと思わせてくれる存在です。

 なぜなら、親とは自分をこの世に出現させた根本原因としての創造主だからです。

 つまり、親に感謝することは、自分を人間であると確信するということです。それが自我の支えとなって、もろもろの不安や不幸を吹き飛ばすことになるのです。

 親に感謝するという意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのです。本書を読んで思ったのは、願いを叶えて幸せを掴んだはずの著者の発言からは、両親への感謝の気持ちが感じられなかったことです。


 また、「願力」とは、夢が叶うことを強く願う力ですね。「夢」を持つことの大切さを、いろんな人が説いています。

 しかし、「夢」とは何よりも「欲望のかたち」です。真の成功者はみな、「夢」という私的欲望ではなく、世のため人のためという「志」という名の最終目標を持っていました。

 とにかく、「志」のある人物ほど、真の成功を収めやすい。なぜでしょうか。

 「夢」だと、その本人だけの問題であり、他の人々は無関係です。でも、「志」とは他人を幸せにしたいというわけですから、無関係ではすみません。自然と周囲の人々は応援者にならざるをえないわけです。そう、いったん「志」を立てれば、それは必ず周囲に伝わり、社会を巻き込んでいき、結果としての成功につながるのです。

 わたしは「夢」は「呪い」に通じ、「志」は「祈り」に通じる部分があると思っています。著者のいう「願力」が「呪い」として、多くの人々を不幸にしないように願っています。

 

 最後に、著者が元気な赤ちゃんを無事に出産されることを心よりお祈りいたします。