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原子力と宗教』

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No.0592

 

 『原子力と宗教』鎌田東二・玄侑宗久著(角川oneテーマ新書)を読みました。

 

 日本を代表する宗教哲学者にして神道ソングライターの鎌田氏、芥川賞作家にして現役僧侶である玄侑氏。この2人が「原子力」と「宗教」について大いに語り合った対談集です。帯には、「原発と訣別する心の儀式を」と書かれています。

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

 

「はじめに」  玄侑宗久

第一章:私たちは今、何におびやかされているのか?

第二章:「復興」とは何か?

第三章:鎮魂と再生 被災者の心を支えたのは何か?

第四章:「天災列島」で日本人はどう生きてきたか?

第五章:日本人は原発を捨てられるか?

終章:私たちはこれからどこへ向かうべきか?

「おわりに」  鎌田東二


 「はじめに」で、まず玄侑氏は対談相手の鎌田氏について次のように述べています。

 

 「鎌田さんとは、直接にはお寺での対談が初対面だった。

 それ以前から、ずいぶん身軽な、まるで昔あこがれた『猿飛佐助』のような人がいるなぁ、とは思っていたのだが、お会いしてみるとそのとおりの方であった。

 今なお『バク転』『バク宙』ができるという信じられない還暦の人である。

 対談後、何度か鎌田さんの主宰される東京自由大学などに呼ばれることがあったのだが、そこで指定された最初の演題が、『逆立ちと仏教と文学』であった。たしかに私の趣味は逆立ちだが、私はそれらを論理的に結びつける努力をそれまでしていなかった。

 私はまるで神様に命じられたように、そのテーマに向き合い、ようやく理論的逆立ちによって乗り切ったのである」

 

 ここに出て来る「逆立ちと仏教と文学」は、わたしも拝聴しました。2006年12月24日のクリスマス・イヴの日でした。


 玄侑氏は、つねに軽やかに生きる鎌田氏のことを「猿飛佐助」や「風の又三郎」にたとえ、自分はそのように自由な存在にはなれないとして、次のように述べます。

 

 「猿飛佐助にも、風の又三郎にも、従いて行けない自分が悔しかった。もとより私は逆立ち、鎌田さんはバク転、バク宙なのだから、行動力の差は歴然である。

 今になって思うと、これはじつに象徴的な出来事だったような気がする。鎌田さんはその旺盛で身軽な神足によって、各宗教が集う場を精力的に作っているように思える。昨年の夏、京都大学『こころの未来研究センター』主催で開かれた災害と宗教と『心のケア』を巡るシンポジウムもそういう場ではなかっただろうか。天理教、黒住教、また神道やキリスト教の方々も、鎌田さんの呼びかけの法螺貝を聞いて駆けつけてくるようであった」


 ここで、鎌田氏のトレードマークである法螺貝が登場します。

 

 第一章「私たちは今、何におびやかされているのか?」の冒頭でも、法螺貝のことが話題に出てきます。玄侑氏が、福島県の相馬市で行われた東日本大震災の「100日慰霊祭」に鎌田氏が参加したことに触れ、「慰霊祭ではまた法螺貝を吹かれたのですか?」と質問します。すると、以下のようなやり取りが交わされました。

 

【鎌田】 

 もちろん。石笛と法螺貝と横笛を奉奏しました。

 私にとって石笛は天の音を、法螺貝は地の音を、横笛は天地逍遙を意味する三種の神器のようなものですから、儀礼の際には欠かせないものです。

 今日も持っていますから、ご所望とあらばいつでも吹きますよ。

 

【玄侑】 

 ありがとうございます。でも今は充分気力も満ちてますから、大丈夫です。

 それにしても、その3つはまるで『荘子』の天籟、地籟、人籟みたいですね。


 ここで、玄侑氏が「間に合っています」とは言わずに「大丈夫です」と答えるところが微笑ましいですね。なんだか、その光景が目に浮かぶようです。鎌田氏は2011年7月に京都で「災害と宗教と心のケア――大震災後の『心のケア』を考える」というシンポジウムで、玄侑氏が発言したことのポイントを以下のようにまとめています。

 

 「仏教の『無常』とはあきらめのことではない。自分の置かれた状況を受け容れることで、新しい段階へと移行していくことだ。神道にも式年遷宮のような『造り替える』という考え方がある。日本人には、そうやって再生更新して生きていく知恵と力があると思ってきた。しかし地震や津波といった天災と、原発事故はまったく違う次元のことだ。たとえばプルトニウム239の半減期が2万4000年といった話は、もうこれまでの『無常』感の感覚スパンを完全に超えている。そういう物質とどう付き合っていったらいいのか、途方に暮れている」

 

 この玄侑発言を受けて、鎌田氏は「インドに、カルパ(劫)という時間概念の話がありますね。天女が100年に一度舞い降りてきて、羽衣で大きな石の上を一擦りする。これが繰り返されて巨大な石が摩耗してなくなるまでの時間、それが一劫だと言われています。半減期を迎えるまでに2万4000年かかるなんていうのは、ほとんどそういう途方もないカルパ的時間レベルの話です」と述べています。鎌田氏は、さらに自身にとっての2011年を次のように語ります。

 

 「2011年、私にとって自分の中の何かが壊れるような2つの大衝撃がありました。1つが3月の東日本大震災の東北地方の大被害。そしてもう1つが、9月の台風12号による熊野・吉野の大水害です。東の『海の津波』に対して、自然信仰と観音信仰の拠点である熊野、那智一帯を襲ったのは『山の津波』でした。

 私は、これは自然からの警告だと思っています。しかもどちらもただの自然災害ではなく、人為災害の要素が深くからんでいます。吉野・熊野の場合は、植林とダムという森林国土政策の問題が深く絡んでいます。これまでも自然は警鐘を鳴らしてきましたが、今こそ日本を根底から立て直せというメッセージだという認識で、復興支援、風化させない努力をしていく必要があるでしょう。

 私は役行者ならぬ『縁の行者』でありたいと考えているので、支援というよりもこれまでのご縁を活かした『支縁』ができたらと考えています」


 第二章「『復興』とは何か?」では、鎌田氏は東日本大震災を「神の警告」だと受け止めていると述べ、以下のように続きます。

 

【鎌田】 

 激しい地震が起き、海の底から黒い壁のような水の塊が押し寄せて東北地方を次々と襲った。これは日本の伝統的な自然信仰からすると、荒ぶる魂「荒魂」です。阪神淡路大震災のときも、神戸―「神の戸」と書かれるところ、そして淡路島という国生み神話の発祥の地に、直下型の大地震が起きた。私はそれを日本の神様が、今のままではダメだ、「日本を創り変えろ」という警告を発したのだととらえていました。

 2011年、あらためてまたそういう状況に遭遇した。この地球の大変動に対して、生物としての人類が、生存種としての人類が、たとえばイルカのようにならなければ、これから先生きていけないかもしれないという思いがありました。

 

【玄侑】

 「イルカのように」というのは、どういう比喩ですか?

 

【鎌田】 

つまり、海に還って、海の中で生存できるような状態にならないといけないということです。気象や環境の変化の中で、人類が哺乳類として進化してきたプロセスや形態を1回大転換させる、そのくらいのことをしなければいけないのではないかと。


 わたしが最も興味深く読んだのは、第三章「鎮魂と再生 被災者の心を支えたのは何か?」でした。鴨長明の『方丈記』には、養和の大飢饉で大量の死者が発生したときの供養の様子が書かれています。これを受けて、次のような会話が続きます。

 

【鎌田】 

 今回も、死者をどう葬るか、どう弔うか、どう供養するかというところでさまざまな問題がありました。とにかくたくさんの死者が出て、遺体がどんどん運ばれてくる。しかし火葬ができない。とくに宮城や岩手のほうは火葬場そのものが地震と津波でやられてしまったところもありましたし、火葬にする燃料の不足が叫ばれていました。

 中世は四条河原に死屍累々と積み上げられていたわけですが、現代はそのままにしておくこともできない。そこでやむなく土葬が行なわれたりしましたが、これに遺族の人たちはたいへんな抵抗があった。「それでは成仏できないではないか」と。

 日本の火葬信仰の根強さを感じるとともに、どうやって供養するのかの問題はじつに大きいと思いました。

 

【玄侑】 

 そうですね。一旦は土葬に付すことにしたところも、結局、あとから棺を掘り起こして火葬して埋葬し直しましたからね。

 

【鎌田】 

 日本の現状として、葬儀、弔いを担っているのは圧倒的に仏教です。

 寺や僧侶の役割というものも真価が問われるときだったと思います。


 また、わたしが"呪い"の言葉であると指摘し、その解決策を提案してきた「無縁社会」「孤族」「葬式は、要らない」という言葉について、次のような会話が交わされます。

 

【鎌田】 

 ここ2、3年くらい、「無縁社会」ということがあちこちで言われてきました。「孤族」というような言葉も出てきました。「葬式は要らない」といった考え方の葬送の簡略化風潮が高まって、都市部においてはそういうものに共感する人たちも出てきた。しかし、今回見ていると、日本人の埋葬方法や弔いへの思いは依然として強いものがあると思いましたね。とくに東北のように人々が土地に根づいているところだったということもあるでしょうが。

 

【玄侑】 

 こういう事態になってみて、お葬式は要らないなどという話は吹っ飛んだのではないかと私は思います。葬式というのは、別に死者の生前の功績を称えたり、周囲の人に対する見栄でやったりするものではない。生き残った者が死者を丁寧に送り出すことによって、明日に向かっていくためのステップにもなる。あらためてそういうことを感じられた方が多いのではないかと思うのです。

 

【鎌田】 

 葬送儀礼、死者儀礼への見直しがある、と。

 

【玄侑】 

 もちろんすべてがそうだというわけではありませんが。ただ、儀式というものをやることで、生き残った人たちは心に少しずつけじめがつけられるということがあります。その人の死を受け容れていくことができる。行方不明になったままというのがなぜ辛いかと言えば、あきらめるべきなのかどうか心が定まらないからです。仏教にしても、神道にしても、キリスト教にしても、死後の節目節目に儀式をやるのは、もちろん死者の鎮魂供養もありますが、生きている側が死者を受容するためのプロセスでもあるのだと思います。そういう意味で、葬式も何もやらないというのは、生きている人間にとって非常に中途半端なことになるのではないでしょうか。


 以上の無縁社会、葬式無用論に対する両者の意見には、まったくもって賛成です。

 

 さらに、「遺体を映すべきではなかったか」という重要な問題が語られています。

 

【玄侑】 

 1つの問題意識として、私は日本のメディアが遺体を一切映さなかったことはどうなのだろうか、と思っています。

 これは民間放送連盟の集まりのときに吉岡忍さんもおっしゃっていたことなのですが、報道では津波が引いた直後の映像というのはゼロなんですよ。

 真っ黒な津波がまさに怒涛のように呑み込んでいくさまは、どこのテレビ局も何度も何度も繰り返し流しました。ところが津波が引いてからは現地の様子を映さなくなった。なぜなら、遺体がごろごろあるから。犬も、猫も死んでいる。そういう様子を日本のテレビカメラは全部避けたわけです。

 

【鎌田】 

 そうですね、自主規制がかかり、まったく映し出されなかった。新聞も一切載せませんでした。

 

【玄侑】 

 生々しい遺体の姿など見せられないという発想です。しかしその生々しい実態を一切見せずに、後世にこの震災のことを正確に伝えられるのか、と吉岡さんは言っておられましたが、私もまさに同感です。

 その生々しさを見て慟哭する、その様子が脳裏に焼きついて離れない、そういう体験がなければ、本当にあの震災を受けとめたということにならないのではないかと思います。遠景であれ、遺体は映すべきではなかったか。

 

【鎌田】 

 まったく同感です。


 「死は決して不幸な出来事ではない」というのは、わたしの口癖です。しかしながら、日本人は人が死ぬと「不幸があった」と言い合います。日本人ほど、死をタブー視する民族はいないのではないでしょうか。「死のポルノグラフィー」という言葉さえあるぐらいに、日本人は「死」そのものを隠してきたのです。鎌田氏は、以下のように述べています。

 

 「日本は、死というものを遠ざけすぎてしまった感がありますね。家族が家で息を引き取らなくなった。みんな病院で最期を迎えるようになったことで、人が死んでいく姿を目の当たりにしなくなった。そのあたりから、亡骸を見せないということが一気に進んできたと言えるかもしれません」


 大震災以降、「絆」や「縁」がキーワードになった観がありますが、人間のつながりにはヨコとタテの2つのタイプがあるとして、玄侑氏は次のように述べています。

 

 「私は『船文化』というのはヨコのつながりの象徴だと思っています。船というのは仲良く乗り合うもの、乗っている人はいわば一心同体であり、先を争っても仕方ない。対等で、助け合う関係です。

 それと対照的なのが『馬文化』です。我先にと功を争います。また集団として馬の群れを統制するには秩序が必要です。それだけに指揮系統がはっきりしたタテ社会を形成しやすい。馬文化は儒教的で、船文化は道教的だとも言えるでしょう」

 

 ここで「儒教的」という言葉が出てきます。玄侑氏の儒教観については少し異論もありますが、言いたいことはわかります。「タテの関係」「ヨコの関係」をめぐって、以下のように会話が続きます。

 

【鎌田】 

 今の日本社会では、放っておいてもタテの関係は強まっていきます。そういうシステムができ上がっていますから。それに対して、ヨコの関係というのは、それぞれが自覚的に結ぼうとしないと結べないものです。そのときに「ご縁」感覚があるかどうかが大切になる。

 

【玄侑】 

 そう。能動的な動きが重視されるけれど、「ご縁」は無理やりつくるものではないですからね。何か役に立ちたいという善意を持って被災地に入ってくるボランティアの人も、そこに何らかのインターフェイスがあれば、たとえば、地元の和尚さんで知っている人がいるから、今どんなことが求められているか訊いてみようといったことがあれば、スムーズに手伝いに入れます。


 第四章「『天災列島』で日本人はどう生きてきたか?」では、自然や土地について、以下のように意見が交換されます。

 

【玄侑】 

 私は土地を開発することも防災としての措置も頭ごなしに反対する気はありませんが、思想と切り離して技術だけを取り入れてしまうのは違うと思っています。寺田寅彦の警告は残念ながら活かされてこなかった。

 

【鎌田】 

 自然はつねに、創造と破壊の両面を持っています。「荒魂」と「和魂」。荒ぶる力と和らぐ力。日本人はそのどちらも受け容れてきたのです。

 そして、すべては自然のサイクルのなかで息づいていると考えてきた。噴火も、津波も、洪水も、地球全体の生命リズムとして、大きいうねりのなかでめぐりくるもの、そういう感覚でとらえてきたのが、日本人の自然観だったと言えると思います。

 

 ここで、「神社はなぜ残ったか」という興味深い問題が取り上げられ、鎌田氏は次のように述べています。

 

 「神社は、水があり、火があり、盤石の地盤があって、永遠に命が育まれるような場所に創建された。その一帯を守り育む大地の生成力やエネルギーをため込み、円滑に流して循環させるための場が神社。だから『鎮守の杜』と称されたのだ、と。

 そのうちに人々は、農業に適した豊かな地を求めて、地滑り地帯にもあえて住みつくようになった。その地域のなかでも、わずかに残された地盤のしっかりしたところに神社が創建されることが多い、と。

 ですから、神社は大昔から災害が起きたら避難する場所だった」


 また、以下のように「一から出直すという考え方」が語られます。

 

【鎌田】 

 火事や地震の後には物価も高騰してしまう。その一方では、再建のために仕事がたくさん発生する。そうしたなかで秩序の組み換えが起こる。

 「焼け太り」という言葉もあるように、にわか成金も出てきます。

 

【玄侑】 

 それも都市の1つの新陳代謝になったわけですね。

 いわば新興勢力が擡頭してくる。

 

【鎌田】 

 また江戸時代には、「困ったときはお互いさまだから」という相互扶助的意味合いで「頼母子講」のような「講」組織が普及していくわけです。今で言えば、民間のNGOとかNPOのはしりみたいなものですね。復興がやりやすくなるような状況を整えておこうよ、と。そういう知恵があった。


 第五章「日本人は原発を捨てられるか?」では、「荒魂」や「幸魂」といった日本の神の性格が語られ、そこから原発との付き合い方を考えるという発想が出てきます。

 

【玄侑】 

 日本の神の性格として、時に恐ろしい「荒魂」は、同時にまた、優しく包んでくれる「和魂」、幸福感をもたらしてくれる「幸魂」にもなるという考え方がありますね。

 

【鎌田】 

 はい。「和魂」「荒魂」「幸魂」「奇魂」、神道ではこれを「一霊四魂」と言います。

 

【玄侑】 

 原発は今回、激しい「荒魂」としての姿を見せましたが、これまで電力供給というかたちで私たちにいろいろ幸をもたらしてくれた、恵みを与えてくれた「幸魂」でもあるわけです。原発とどう付き合ってきたか、そしてこれからどうすべかを考え直してみるとき、そういう日本人的な考え方から捉えてみたらどうだろうか。


 玄侑氏は、「異端の神のパニヒダ」をやろうと提案します。パニヒダというのは、ギリシャ正教とかセルビア正教とか、いわゆる正教系で行なわれるお通夜のような儀式です。つまり、異端の神の弔いです。以下、次のようなスリリングな会話が交わされます。

 

【玄侑】 

 私は、原発に対して何らかのかたちで精神的な区切りをつけなければいけない、そのために宗教的な儀式が必要だろうと思うのです。原発には長年お世話になったわけです、たとえ知らずしらずであったとしても。高度経済成長を牽引した力でもあった。豊富な電力供給を可能にしてくれた。光も照らしてくれた。そういう意味では、我々はいい思いをした部分が確実にあります。けれどもそれに世話になってきたことに感謝しながら、原発の弔いの儀式をしようではないかと提言したいのです。

 きちんと宗教的な儀式を執り行うことで、人はふんぎりがつく。新たな未来に向かって歩き出せる。儀式には、そういう心を整えてくれる節目の役割もあります。

 「パニヒダ」を行なって、けじめをつけて、撤退してはどうか。

 

【鎌田】 

 なるほど。今までのはたらき、つまり電力を供給してある種、幸を与えてくれてきたその幸に、自分たちが享受してきたものに対する感謝も含めつつ、その恐ろしさを感じて、お帰りいただく。まつり上げると言うのか、まつり捨てると言うのかわかりませんが。そういう区切りの儀式は、何らかのかたちで確かに必要だと思いますね。


 「おわりに」で、鎌田氏は次のように述べています。

 

 「玄侑さんは語った。『私は小説を書いて、自分で作り上げた小説世界のラストシーンに近づいてきたときの、あれ以上の恍惚はないんですね。

 論理を超えた世界を論理を使いながら構築していくという、この快楽というか』『小説を書くときには、過去の人が瞑想とか修行によって得た結果を示すというような、いわゆる布教という考え方は私の中にはないんです』と。

 そのとき、玄侑さんの言う『恍惚』や『快楽』を、わたしは『遊戯性』とか『神遊び』とかと関連づけながら応じた。そこにおいて、小説世界と禅的メディテーションと遊戯的イマジネーションが融合する楽土。玄侑さんは、そんな楽土の遍歴人であり、住人であった。その名が示すように、「玄」というタオ的なブラックホール(原孔)から悠久の『宗(法)』を受けて人々に提供する媒介者・メディアとしての『侑(有人)』たるお方。『玄侑宗久』というペンネームに込められたコスモロジーをわたしはそのように理解した」

 

 いやあ、鎌田氏は「玄侑宗久」という人の本質をペンネームから見事に解き明かしていますね。玄侑氏ご本人も、さぞ嬉しかったのではないでしょうか。それにしても、鎌田氏は「礼能力」に溢れた文章を書かれますね。わたしも、少しでも見習いたいものです。


 さて、わたしは本書で対談した両氏とは浅からぬ御縁があります。鎌田東二氏との出会いはもう20年も前にさかのぼります。いろいろあって、わたしたちは義兄弟になりました。

玄侑宗久氏と初めてお会いしたのは、2006年12月24日のクリスマス・イヴでした。

 

 この日、わたしは鎌田氏が理事長をつとめる「NPO法人東京自由大学」で行なわれた著者の講演会を訪れたのです。玄侑氏の講演は実に刺激的な内容でした。「すべては虹である」という最後の言葉が心に強く残りました。講演後にはクリスマス・パーティーが催されました。

 

 玄侑氏には、拙著『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)の解説を書いていただきました。オリジナル版は『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(国書刊行会)ですが、同書は鎌田氏に献辞を書書きました。

 

 つまり『ロマンティック・デス』をめぐって、わたしは両氏との御縁をいただいたわけです。敬愛する両巨頭とイブの夜を過ごせて、感慨深いものがありました。


 わたしの書斎と社長室には、鎌田氏と玄侑氏とわたしのスリーショット写真が飾られています。「出版寅さん」こと内海準二さんが撮ってくれたものですが、両巨頭の間に挟まれて、わたしがニッコリ笑っています。

 

 「神の道」を求めておられる鎌田東二氏、「仏の道」を歩まれる玄侑宗久氏、そして、わたしはやはり孔子の思想的末裔として「人の道」を進み行きたい。

 

 まことに不遜ながら、お2人とともに日本人の死生観にレボリューションを呼び起こして、いつの日か2006年12月24日が「あの3人が参集していた聖夜」と、後世の人々に語り継がれてみたい。そのためにも一層の精進を重ねることを誓った夜でした。


 本書では、主に神道や仏教の視点から日本人の「こころの再生」が語られています。

 しかし、日本人の宗教感覚には、神道も仏教も儒教も入り込んでいます。

 

 かつて、わたしは日本人の「こころ」に多大な影響を与えた神道、仏教、儒教についての本を書きました。『知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益~神道&仏教&儒教』(だいわ文庫)がそれですが、そこで3つの宗教の間には「&」を入れました。

 

 日本における三宗教の歴史および現状を見ればその通りだからです。日本の冠婚葬祭を見れば、そのことがよく理解できるでしょう。その後、多くの著書で、「日本人の心は神道・仏教・儒教の三本柱から成り立っている」と繰り返し述べました。神道、仏教、儒教の三宗教が混ざり合っているところが日本人の「こころ」の最大の特徴であると言えるでしょう。それをプロデュースした人物こそ、かの聖徳太子でした。聖徳太子こそは、宗教と政治における大いなる編集者だったのです。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的平安を実現する。

 

 すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う。三つの宗教がそれぞれ平和分担する「和」の宗教国家構想を聖徳太子は説きました。わたしは、神道、仏教、儒教、この3つからの視点と発想があって、初めて日本人の「こころの再生」は可能になると信じます。