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なんだかなァ人生』

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No.0594

 

 『なんだかなァ人生』柳沢きみお著(新潮社)を読みました。

 

 著者はわたしの愛読する漫画家で、多くの名作を世に送り出してきました。でも、本書は漫画ではなく、エッセイです。帯には「恥も多い人生でした。」と大書され、さらに「漫画家生活40年。人気漫画家の栄光、挫折、孤独―」「週刊新潮 好評連載中!」「『翔んだカップル』『特命係長 只野仁』の秘話から、破産寸前の日々までを赤裸々に綴る驚愕の自伝エッセイ!」と書かれています。

 

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

 

1.生まれ育った時代と家系の事など

2.新人漫画家時代そして若かりし日の事など

3.趣味の時代と人生最大の恥の事など

4.暑苦しい時代と鮨屋の事など

5.漫画家黄金時代と災害の事など


 著者の代表作の1つに『大市民』という作品があります。中年の作家が安いアパートに1人暮らしをして、ひたすら酒を飲んだり旨いものを食べたりする話です。作品の中では、彼の意見としてさまざまなウンチクが語られます。そのウンチクの量たるやハンパではなく、次第に増えていって、漫画なのに絵よりも活字のほうが多いという状態にまでなりました。一時は、まるで「エッセイ漫画」というより「漫画付きエッセイ」のような域にまで達していました。


 ちなみにこの『大市民』、コミック単行本シリーズの他にコンビニ用の廉価版で『大市民日記スペシャル』というのが上下巻で出ています。これを長女が大変気に入ってしまい、横浜の自分の部屋に持って行ってしまいました。

 

 著者は、『大市民』シリーズを、あちこちの漫画誌に舞台を変えながら連載を続けてきました。しかし、その連載終了を機に、著者は長年の夢だった「大人を相手にした雑誌」で本当のエッセイ連載をしようではないかと決心したそうです.著者は、本書の冒頭で次のように書いています。

 

 「で、去年の暮れに『人生は一度きりなんだから、恥はかき捨て当たって砕けろ』と勇気を出して見本を4話作り、週刊誌にいきなりFAXで送るという暴挙に出たのです。

 今まで関係のあった週刊誌に売り込むのは相手も対処に困ってしまうだろうし、『つまんない文章だけどしょうがないか、ま、1回ぐらいは』なんてのは絶対に嫌なので、まずは全く関係の無い、しかも載ったら夢のようだと思った雑誌にダメ元で売り込んだのです。

 そうしたら、いきなり編集長直々に(これだけでも驚きなのに)『なかなか面白いので5月ころになりますが連載して下さい』(これはもっといきなりで凄い)との電話があり凄くビックリさせられたのです。もう、声もうわずってしまい『何年でも待ちます』と言って電話の向こうの編集長を苦笑させてしまいました」


 著者いわく、出版界は大不況で、漫画誌も次々に廃刊になったりしています。ついこの前までは想像もつかなかったケータイでの漫画配信も流行しつつあります。著者は超アナログ人間でパソコンやケータイは一生持たないと誓っているそうですが、その自分がケータイ配信に助けられている現状には複雑な思いを抱いているとか。著者は、次のように書いています。

 

 「この文章はワープロで書いていますが、もうワープロなんて生産されていませんし、周りを見ても自分を見ても、とにかく『全身なんだかなァ人間』になってしまってます。今まで入ってきた収入は恐ろしい事に全て趣味に使ってしまってるので、貯金も無いし家も賃貸の貯金も不動産もゼロ人間です。なので今、急に仕事が途絶えたらと考えただけで背筋が寒くなるというバカな人生を過してきていて、自分で自分が怖くなります」


 著者の漫画はコンビニなどにもよく置かれています。非常によく目につくため、「きっと、この人は儲かっているだろう」と漠然と思っていたのですが、考えてみればコンビニ・マンガというのは廉価版なので、わたしたちの想像よりもずっと実入りは少ないのかもしれません。本書を読んで興味深かったのは、著者の生活ぶりが明らかになったことです。

 

 『大市民』の主人公である山形鐘一郎とほぼ同じような生活を送っていることがわかります。山形は、安アパートで気ままに一人酒を楽しみます。著者は、次のように書いています。

 

 「なんたって私は、『ともだちはいらない』と考えている、冷たい人間ですから。

 そう思うようになったのは、たぶん三十代の早い頃。

 男の付き合いは、どうしても夜の酒場になるわけです。そういう所に行きたくなくなったのが大きいですが、気のあった者同士がつるんでベッタリと付き合うのも、どこか私には居心地が悪いというか、どうにも気恥ずかしいのです。

 『ああ、あいつは本当にいい人間だよなァ』と思う人はいますが、会う為に出かけるのも面倒だし、来てもらっても迷惑で。どうしてこんな『水くさい性格』になってしまったのかと考えると、結局は、一人で酒を飲んでいる方が、比べようもなく『気軽で楽しい』につきるでしょう(ダメですねェ、こんなんじゃ)」


 孤独を愛する著者は、自らが身を置く漫画界にも疎外感を覚えるそうです。著者は、次のように書いています。

 

 「実は私は、漫画家になった時から、どうにも漫画界にはなじめないのです。自分だけ種類が違う人間のような疎外感があり、それが年々強くなるばかりです。

 例えば、つげ義春さんみたいな『大人の味』の漫画家がもっと多かったら、疎外感は生じなかったと思います。実際には見た事も会った事も無いのですが、彼の漫画や特に文章の大ファンで勝手に好意を抱いています」

 

 著者は多摩川を散歩するのが好きだそうです。行くたびに、いつも「憧れの同業者、つげ義春」に会えないかと期待するとか。つげ義春氏は多摩川の近くに住んでいたらしいので、そのような年配の人を遠目で見かけると「もしかしたら」と思うそうです。ボンヤリと川岸に座っている人や、土手の上で自転車をこいでいる人などもつい凝視してしまうとか。

 

 つげ義春といえば、エッセイ『新版 貧困旅行記』の著者ですが、先日の「朝日新聞」の読書欄に同書と本書が一緒に紹介されていました。ともに漫画家が書いたエッセイということで紹介されていましたが、『新版 貧困旅行記』は本書の著者・柳沢きみお氏の愛読書だそうです。


 パソコンもケータイも持たない主義というだけあって、著者の発想はとことんアナログ的であり、新しいものよりも古いものに対して愛着を抱いています。次の文章などは、ビジネスマンにとっても傾聴に値すると思いました。

 

 「最近、急に『ハイボール』が流行っているそうで驚きました。酒屋さんが『ウイスキーは全く売れなくなった』と、ついこの前までこぼしていたし、ハイボールという言葉そのものも、もう死後になっていると思っていたのです。ですから私は、だいぶ前から『ウイスキーの炭酸割り』と言って注文していたくらいで、亡霊がいきなり復活したような不思議な気持ちになりました。世の中は、行き先が本当に分からないものですね。

 邦画だって、テレビや洋画に押され続け影をひそめていたのに、いつの間にか大逆転です。近くに大手の映画製作会社があるのですが、数年前から、その景気のよさが目に見えてグングンと分かるようになりました。大きなスタジオが次々と増築され『凄いなァ』と。死にかけだと言われるデパートも、私は必ず復活すると思います。休憩所もトイレも自由に使えて、一ヵ所に全てがそろっているビルなんてデパートだけですから。高齢者にとってもこんなに都合のいい場所はありませんし、絶対に揺り戻しが来ます。いま少しの我慢ですぞ、デパートさん。頑張れ」


 古いものの復活を願う著者は、一方で新しい流行現象などにはシビアな目を向けます。国民的女子アイドルグループに対しても冷たい視線を投げかけ、グループ内の人気ランキングを決める「総選挙」なるイベントを「公開処刑」と断じます。

 

 そして、彼女たちの裏にひそんでいるオヤジ連中のことを「鵜飼」にたとえ、「公開処刑」のような辛いことまで若い娘たちにやらせることは「使い捨て」に他ならず、そんな連中の残忍さ、強欲さに強い怒りを覚えています。著者は次のように書いています。

 

 「そういえば、その鵜飼いの親玉である作詞家が、以前ラジオにゲストとして出ていて、とんでもない発言をしたのです。『趣味を持っている大人は皆オタクだ』みたいな事を。思わず『バカヤロー』と心の中で叫び、『オタクってのは、正常な美意識が育たなかった愚か者だろうが』と呆れかえりました(この程度の男だったのかと)。私も多くの趣味にはまってきましたが(そのせいで今も貯金ゼロ)、決してオタクじゃないのです」


 著者は仕事の合間によくラジオを聞くようです。次のようなエピソードにも、大いに共感しました。

 

 「この前、ラジオを聞きながらペン入れをしていたら、番組のゲストとして、イタリアンの今大人気のイケメン料理人が出てきたのです。で、その人の店は、すでに年内は予約で一杯になっていると言うので、私はウンザリしました。そんな店には絶対に行きたくないと。私は、平気で群がりたがる人々が集まる店はご免なのです。ですから、いわゆる人気店には近づくのも嫌なのです。行列のできるラーメン屋なんてのも、並んでまで食べている人々に呆れるだけ。まァ、そういう軽薄な連中と一緒になって食べるのは恥だ、という偏屈なのです」

 

 著者の考え方は、まさに大人の良識そのものだと言えるでしょう。伊集院静氏のエッセイ『大人の流儀』にも通じるものがありますね。


『大市民』と同様に、本書の魅力の1つは、「食」に関するウンチクです。蕎麦、牛丼、サラミやチーズなどのツマミをはじめ、本書には旨そうな物がたくさん登場します。

でも、なんといっても、著者一番の好物であるという鮨の話が最高です。わたしは、イカの握りを塩とレモンで食べるのが好きなのですが、これは著者の影響です。

『大市民』に何度も主人公がイカを塩とレモンで食べる場面が出てくるのです。

本書でも、著者はイカや白身の魚をネタにした鮨に目がないと書いています。


鮨といっても、けっして銀座の高級店とかではありません。

郊外の繁華街のビル内にあるレストラン街にあるような鮨屋で食べるのです。

その店がなくなると、リーズナブルな鮨屋を捜し求め、ついに著者は回転寿司にまで門戸を広げます。レストラン街に入っているような居酒屋にも入店したりして、著者の「食」はまったく気取っていません。このあたりは、東陽片岡氏の『シアワセのレモンサワー』にも通じるものがありました。やはり漫画家が書いたエッセイです。

つげ義春氏の影響を東陽片岡氏にも感じます。ともに「ガロ」の出身ですし。

ということで、本書で、つげ義春のDNAリーディングを行ってしまいました。