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ぼくらの祖国』

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No.0575

 

 『ぼくらの祖国』青山繁晴著(扶桑社)を読みました。

 

 最初、書名と版元のイメージから「新しい教科書を作る会」的な内容を連想しました。

 しかし、一読して、単なる愛国心を訴える内容に留まらない本だとわかりました。非常に情報性に富んだ本で、ものすごいことも書かれています。


 「日の丸」をイメージしたと思われる表紙に巻かれた帯には「著者待望の新作!」と書かれ、「『祖国』を知らない受験生、教師、親たちへ『祖国』を震災で知った新しい日本人へ」と続きます。また、本書の「もくじ」は以下のようになっています。

 

明けの星の章

平壌の日の丸の章

永遠の声の章

硫黄島の章

手にとる希望の章

海鳴りの章

「ふしぎの本」

「重版のための、あとがき」

 

 「明けの星の章」では、冒頭で「きみは祖国を知っているか。あなたは祖国を知っていますか」と読者に問いかけ、「永遠の声の章」では次のように述べます。

 

 「天はすべてをご覧になっている。嘘をついても意味がない。

 ぼくは、日本国を始められた神さまのひとりである天照大神という存在に、胸のうちで深く感嘆する。アマテラス、世界を照らす、人間世界をすべてご覧になっている」

 

 続いて、著者は次のようにも述べています。

 

 「ギリシャ神話が好きだと言えば(ぼくも高校生までは愛読し続けた)、なんだかお洒落な話になり、日本神話が好きだと言えば、右翼かも、と警戒される。

 不可思議な話ではないか。世界の民族がそれぞれ育んだ神話をおたがいに尊重することが、いちばん、戦争から遠い」

 

 これは、まったく著者の言う通りだと、全面的に賛同します。

 

 本書の大きなキーワードは「資源」です。あの悲劇的な戦争へと日本が向かわざるを得なかったのも、すべては日本が資源を持たなかったからです。著者は、次のように述べています。

 

 「祖国は、戦前から自前の資源を持たなかった。そのために、アメリカなど連合国が日本の資源輸入ルートを封鎖したことに対し、突破口を開くために、帝国海軍連合艦隊の山本五十六司令長官は、ハワイの真珠湾を攻撃せざるを得なかった。

 アメリカとは戦うなという昭和天皇の御心をもっともよく知っていたひとりが、この世界屈指の名将、山本司令長官であり、アメリカと最後まで戦えば負けることを、一番よく分かっていたのも、アメリカの駐在武官として赴任しハーバード大学に学んだ山本長官であった。その戦争が終われば、二度と負ける戦をせずとも済むように、自前の資源を持とうとするのが当然である」


 「永遠の声の章」には、東日本大震災の被災地も登場します。著者は、南三陸町の役場の跡である赤い鉄骨の前に立ちます。そこは、結婚式を間近に控えた遠藤未希さん(24歳)と上司の三浦毅さん(52歳)が最後まで「津波が来ます。逃げてください」と町民に呼びかけ続け、結果として犠牲となった場所でした。その場所を訪れてみると、赤や黄色のきれいな花が手紙と一緒に供えられていました。著者は、次のように述べています。

 

 「ぼくは我慢しきれなくなって、被災民のかたに『あの花はどうやって手に入れましたか』と聞いた。おひとりが、『あの山ですよ』と指差してくれた。

 海中と化した南三陸町で、わずかに残った小高い山へ、被災民が手分けするように、泥と戦いながら登って花を手にしているのだ。もちろん、すべての花がそうではない。仙台で買った花もあれば、遠くの地のボランティアが持参してくれた花もある。

 しかし、まだ家族の遺体すら見つからない被災民のかたが、泥を登って手にした花もある。なぜ、遠藤さんと三浦さんにそこまで気持ちを捧げるのだろうか。

 現実に命を救われたから。・・・・・その通り、それが一番だ。

 しかし、それだけだろうか。いざとなった時こそ、自分のために命を使うのではなく、ひとのため、みんなのため、公のために、命を捧げる姿勢に、震災後のふるさとに生き、日本に生きるための羅針盤を見ているのではないだろうか。未希さんは、ずっとあとになって海で亡骸が見つかった。毅さんは、帰らないままである」


 身につまされたのは、「硫黄島の章」です。太平洋戦争で激戦が繰り広げられ、東京都に属する日本領土でありながら、民間人は足を踏み入れられず、遺骨の回収さえままならない硫黄島。島に敷かれている滑走路には、今も多くの日本兵の遺骨が埋まっています。この島に小型ジェット機で初めて降り立った著者は、次のように書いています。

 

 「降りて、土下座をした。土下座は生まれて初めてだった。滑走路のコンクリートを撫で回して、手のひらをじっと当てて、『この下にいらっしゃるみなさまがた、こころから申しわけございません。何ということか、皮肉なことにアメリカ人の映画監督が思い出させてくれるまで、ぼくたちは、みなさまのことを忘れていました。何ということでしょうか。ようやく、目が覚めて、やっとここに参りました』と、ちいさな声に出して話しかけた」

 

 アメリカ人の映画監督というのは、もちろん、クリント・イーストウッドです。そして、その作品とは「父親たちの星条旗」および「硫黄島からの手紙」です。


 硫黄島では多くの日本兵が亡くなりました。そこでは、現在も日本兵の幽霊が日常的に出現するそうです。夜間だけではなく、昼間も出るといいます。

 

 著者も、決して少なくはない自衛官から「硫黄島に赴任していると、半透明のような帝国軍人と昼も夜も暮らすことになるんですよ」、「昼ご飯を食べていると、隣で、帝国軍人の士官も昼ご飯らしいものを食べているのです」、「夜、寝ていると、寝台の下で帝国軍人もおやすみになっています」という話を聴いたそうです。

 

 著者は、「冗談のように話した自衛官は、ひとりもいない。なぜかみな、淡々と、話すのだった。その意味でも、凄絶な島である」


 硫黄島を守った日本軍のリーダーは、栗林忠道中将でした。「名将」として知られる栗林中将について、著者は次のように述べます。

 

 「栗林さんは、例えばアメリカ軍は火炎放射器を持ってくるとか、硫黄島を占領するのは港や工場のためではなくて、本土の女性と子供を殺すことだと正確に知っていた。ぼくはワシントンDCで、これの裏取り取材をした。アメリカでは、ジェネラル(将軍)栗林は、インテリジェンス、情報の価値を知っていたという高い評価である」

 

 そして、著者は栗林中将らが潜っていた地下壕に入ります。そこで、絞るような声で次のように言いました。

 

 「生半可な努力でこんなものは掘れないよ。そして一番大事なことは、これを掘った2万1千人の日本のかたがたのうち、1人でも自分の利益のために、自分が助かりたいとか、自分の利益になるからといって掘った人はいるんですか?

 ひとり残らず、ただ人のために、公のために、子々孫々のために、祖国のために、それだけが目的で掘ったんですね。

 そしてこの掘った人たちを、私たちは戦後ずっと日本兵というひと固まりで呼んできました。ほんとうは大半が普通の庶民なんです」


 地下壕で、著者は「あの戦争は悲惨だったという話だけをぼくたちは60年間してきたけれど、それで済むのか」と問いかけます。イーストウッドの映画に主演した渡辺謙はテレビで「戦争は悲惨だと改めて思いました」とコメントしました。たしかにそれも大切だけれども、それだけで済むのか。著者は述べます。

 

 「ここにいらっしゃる、間違いなくこの部屋にいらっしゃる、この英霊のかたがたが本当に聞きたいのは戦争は悲惨でしたという話だけではなくて、今、自分たちが助けた女性と子供を手がかりにして甦っていった日本民族が、祖国をどんなよい国にしているのか、その話を聞きたいんだ。

 ぼくたちが、今、何をしているか、それを聞きたいんだ。

 その英霊のかたがたにぼくらは、日本はこんな国になりましたと言えるんですか。

 経済は繁栄したけれども、いまだ国軍すらないから隣国に国民を拉致されて、されたまま救えず、憲法はアメリカが原案を英語でつくったまま、そして子が親をあやめ、親が子をあやめ、さらにいじめられた子が自殺する。

 そういう国に成り果ててしまいましたと、この英霊に言えるのか。

 ぼくたちの一番の責任はそこでしょう」


 それにしても、日本はなぜあのような悲惨な戦争をしなくてはならなかったのか。そのキーワードは「資源」です。繰り返しになりますが、悲劇的な戦争へと向かわざるを得なかったのは、日本が資源を持たなかったからです。アメリカと戦争をすれば必ず負けるということを一番知っていた山本五十六長官が、ハワイの真珠湾を攻撃して、アメリカと戦争を始めたのも、すべては自前の資源がなかったからです。輸入に頼らなければならないのに、アメリカをはじめとする連合国に輸入路を封鎖され、突破口を切り開くしかありませんでした。著者は、次のように述べています。

 

 「山本長官は、そのあとに早期の講和にこぎ着けることを祈り、願っていたが、これは山本長官の責任にも帰する読み間違いであった。

 アメリカは、頭を叩かれれば、相手を殺害するまで戦う。褒めているのではない。カウボーイはそうしないと生きていけないからである。荒野に切り開いた牧場をすこしでも襲う気配があれば、撃ち殺しておかねば、牧場は護れない。

 日本は、こうしてアメリカと戦い、戦争を終わらせるよりも、むしろ人体実験のための原爆まで広島と長崎に落とされ、ふつうの国民を溶かすように惨殺された」


 話は変わって、今年で国交回復40周年を迎えた日本と中国の間には、きな臭いムードが流れています。中国は1969年から突如、「尖閣諸島は古来、中国の領土だった」と主張し始め、71年には北京放送で尖閣諸島の領有権を宣言しました。

 

 しかし、これには明らかなウソがあります。53年1月には中国共産党の機関紙「人民日報」で、「日本の尖閣諸島や沖縄がアメリカに占領され、日本の人民が抵抗している」という記事を掲載しました。

 

 さらに、58年に北京の地図出版社が発行した『世界地図集』には、尖閣諸島の左、つまり西側にきちんと国境線が点線で引かれています。共産党の独裁国家である中国において、地図は国家の検閲なしに勝手に出すことは不可能です。これらを踏まえて、著者は次のように述べています。

 

 「これらを総合すると、中国は間違いなく尖閣諸島を日本領だと考えていた。

 その中国が急に、『尖閣諸島は実は昔から中国のものだった』と言い始めたのには、明らかな理由がある。資源だ。石油と天然ガスだ。1960年代の後半、国連は世界で資源探しをした。その時すでに、やがて石油が枯渇すると心配されていたからだ。探しても大した成果はなかった。ところが、ほとんど唯一、有望な海底油田、海底天然ガス田が見つかったのが、日本の尖閣諸島の海だった」


 なんと、これまで「資源のない国」だと思われてきた日本こそ、じつは世界で最も豊かな資源を埋蔵する国だったというのです。さらに、日本が秘蔵している宝について、著者は次のように述べます。

 

 「ぼくたちの海、日本の領海とEEZ(排他的経済水域)、さらには奪われたままの千島列島や南樺太の海は、メタン・ハイドレートを豊かに抱擁している。

 メタン・ハイドレートは、カタカナばかりで難しそうだが、実は難しくない。メタンは天然ガスの主成分だから、要は天然ガスの一種である。どんな種類か。ハイドレートは科学の言葉では水和物だ。つまりは海の底の天然ガスが、巨大な水圧と冷たい温度で凍っている、すなわち、水の分子にメタンガスの分子が結びついている。これが水和物だ。

 科学の世界でも『燃える水』と呼んでいる。

 人類が石炭、石油、天然ガスの次に発見した第四の埋蔵資源であり、いちばん燃焼効率がよく、地球温暖化への影響がいちばん小さいと期待されている」

 

 この記述は、わたしにとって衝撃的でした。これが事実だとしたら、世界における日本の重要性と役割が一変してしまいます。一日も早い真相解明と、もし事実ならば「世界一の資源国」へのシフトを望みます。


 「重版のための、あとがき」で、著者は北朝鮮の金正日総書記の死亡時に日本の首脳が何もしなかったことを批判し、そこには敗戦後ずっと続いてきた思い込みが根付いていると指摘します。著者は、その「思い込み」について、「日本は戦争に負けたのだから、能動的な外交はできない、してはいけない」という無意識にまで食い込んだ思い込みであるとし、次のように述べます。

 

 「ぼくらの生きている、敗戦後の日本では『日本外交は駄目だ』が国民の口癖になっています。しかし本来の日本外交は違います。

 明治維新で時代を切り拓いた日本は、世界に向けて発信する外交をすすめ、ロシアが南下する脅威を訴え、日本という当時の新興国が、最強国のひとつだったイギリスと日英同盟を結ぶことができました。これがなければ、日本はその後の日露戦争に勝つどころか、戦うことすらできなかったでしょう。

 ぼくらは『駄目』ではない。本来、持っていた能力を呼び戻せばいい。

 東日本大震災は、同胞2万人の犠牲がすこしでも報われるためにも、日本外交を再生させる大きな転機にせねばなりません」


 そして本書の最後で、著者は次のように述べています。

 

 「世界からどう見られるかとか、世界が何をしてくれるかとか、そういう受け身じゃなくてこちらから、危機の渦中にある日本の方から逆発信していく。それが外交です。

 日本が顔を上げ、背筋を伸ばし、本来の持てる力を世界に役立てるよう能動的に発信していく。それがどんなに大切か、ぼくら日本の主人公が気付くことができる危機のさなかにこそ、われら共に立っています」

 

 本書は、著者渾身の「憂国」の書であり、その熱いエネルギーを浴びて読み終えた後はグッタリするほどです。しかし、「祖国」の意味を知らない若者たちをはじめ、多くの日本人に読んでほしい本だと強く思いました。