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釈迦の教えは「感謝」だった』

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No.0582

 

 『釈迦の教えは「感謝」だった』小林正観著(風雲舎)を再読しました。

 

 本書は、著者の『「そ・わ・か」の法則』とともに、『法則の法則』(三五館)でも取り上げました。著者の多くの著作の中で、わたしが一番好きな本です。

 

 本書の「目次」は、次のようになっています。

 

〈はじめに〉「思いどおりにしよう」とするのをやめ、「受け容れる」

第一章:人間をじいっと観察してきた

第二章:人はなぜ悩み、苦しむのか

第三章:「苦」とは、思いどおりにならないこと

第四章:「般若心経」は難しくない

第五章:受け容れる

第六章:有り難し

第七章:人は、喜ばれると嬉しい

第八章:宇宙を味方にする

第九章:釈迦の教えは、「感謝」だった


 〈はじめに〉で、著者は次のように述べています。

 

 「神経が細いとかタフではないとか、そういうタイプの人は、できごとや現象を、自分に心地よいものにするという解決方法ではなく、『受け容れる』という方法で、かなりの部分が解決するように思います。

 子供が勉強しない―受け容れる。

 上司が厳しい言葉ばかり言う―受け容れる。

 夫が病気になった―受け容れる。

 受け容れないで、現象のほうを『自分の思いどおりにしたい』と思ったところから、悩み・苦しみが始まっているように思います」


 また、続けて著者は次のようにも述べています。

 

 「釈迦が言った『苦』とは、『思い通りにならないこと』という意味でした。だから『思いどおりにしよう』とするのをやめ、『受け容れる』。『受け容れる』と、誰のためでもない、もっとも得をするのは『自分』です。自分自身が楽になるのです。

 釈迦は2500年前にその構図を発見したのではないでしょうか。それを後世に伝え、理解ができた人は楽になると知って、『般若心経』に残したのではないでしょうか。

 さらに、『受け容れる』ことを高めていくと、『感謝』になる。

 釈迦の教えは、結局は『感謝』につながっているのです」


 仏教に精通していた著者は、「般若心経」の最大のメッセージとは、「苦」とは「思いどおりにならぬこと」であり、それを受け容れることが楽になることだったと喝破します。

 

 思いが強ければ強いほど、つまり「これをどうしても実現したい」「これをどうしても手に入れたい」「どうしても思いどおりにしたい」と思う心が強ければ強いほど、実は「いま自分が置かれている状況が気に入らない」ということであるというわけです。著者のもっとも言いたいことは、次の言葉ではないでしょうか。

 

 「思いどおりにしよう、思いどおりにしたいと思えば思うだけ、逆に、『感謝』というところからは遠いところにいる。これが宇宙の法則であり、宇宙の真実です」

 

 わたしは拙著『ブッダの考え方』(中経の文庫)を書き上げました。「ブッダの考え方」の核心とは、まさにこの「感謝」です。「宇宙を味方にする最良の方法とは、ありとあらゆることに不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。否定的、批判的な考え方でものをとらえないこと。これに尽きるのです」と著者は述べています。


 この考え方は、「引き寄せの法則」に対する強烈なアンチテーゼであると思います。

 

 「引き寄せの法則」とは、「思考は現実を引き寄せる」つまり「願望は実現する」といった法則で、アメリカのプロテスタント運動である「ニューソート」の中から生まれてきた考え方です。最近、日本でも大流行しました。

 

 しかし、強い願いが対象を引き寄せるのであれば、世の中にガンで死ぬ人も、無実の罪で死刑になる人も、会社が倒産して自殺する経営者もいないはずです。それらのガン患者、死刑囚、経営者の「生きたい」「無実を明らかにしたい」「会社を潰したくない」という願いはものすごく強烈だからです。その人たちは、常人の何十倍、何百倍の強い思いを抱きながら、無念のまま死んでゆくのです。

 

 「強い思いを持てば、必ず思いどおりになる」というのは「法則」どころか、きわめて当たりくじの少ない宝くじのようなものです。むしろ、思いが強ければ強いほど宇宙を敵にまわして、ものごとは反対の方向に動いていくのかもしれません。

 

 ラテン語で、「現在」のことを「プレゼント」といいます。小林氏によれば、今あるものは全部が神のプレゼントなのです。要求をぶつけて、「何か欲しい」「早く寄こせ」という人がいれば、神はそういう人間にさらなるプレゼントはしません。


 わたしは、本書を読んで、水の入ったコップを連想しました。コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。

 

 ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。そして、「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」仏教的発想においては「まだ半分ある」と思いがちではないでしょうか。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。

 

 大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることです。やはり、「感謝」は幸福になるための入口であるようです。


 わたしは拙著『図解でわかる!ブッダの考え方』(中経の文庫)をもうすぐ上梓しますが、その中で本書『釈迦の教えは「感謝」だった』も大いに参考にさせていただきました。

 

 「空」とか「解脱」とか「無我」とか、ブッダの教えは一見して哲学的で難しいように思われますが、じつはとてもシンプルです。そして、その教えの核心こそは本書の著者である故・小林正観氏が言うように「感謝」に他ならないと、わたしも思います。