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淡々と生きる』

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No.0586

 

 『淡々と生きる』小林正観著(風雲舎)を読みました。

 

 著者は、2011年10月12日に亡くなりました。本書は、2012年1月25日に刊行されています。そう、本書は著者が生前最後に書いた遺作なのです。


 帯には、「ああ、自分はまだまだわかっていなかった。病気にならなければ、大事なことを知らないまま死んでいっただろう・・・・・」という著者自身の言葉に続き、「最後にたどり着いた、澄み切った境地。」と大きく書かれています。

 

 わたしは著者の逝去を本書の新聞広告で知りました。そして、その書籍広告には帯に書かれている著者の言葉が紹介されており、それを読んで驚くとともに深い感動を覚えました。


 本書の「目次」は、以下のようになっています。

 

第一章:淡々と生きる

第二章:運命の構造

第三章:魂の話

第四章:悩み苦しみをゼロにする

第五章:すべてを味方にする

第六章:病を得てわかったこと

(追悼)正観さん、ありがとうございました


 わたしは、これまで著者の本をたくさん読んできました。しかし正直言って、遺作である本書の内容が最も刺激的で興味深かったです。著者の「宗教」「精神世界」「オカルト」遍歴が詳しく書かれているからです。

 

 著者が20歳の頃、ユリ・ゲラーの「超能力」がブームになりました。当時、中央大学の学生だった著者は「精神科学研究会」に入会します。

 

 そこから、東京工業大学の教授だった関英男氏が主宰する「超能力研究会」の存在を知り、出入りするようになります。そこで50人ほどの話を聞いたそうですが、その中には真光教の教祖・岡田光玉、人間国宝の13代片岡仁左衛門、長崎の「平和祈念像」を作った北村西望といった人々がいました。

 

 著者が最も強い印象を受けたのは、高橋信次の話だったそうです。『心の発見』や『人間・釈迦』などのベストセラーの著者として知られる高橋信次は、「幸福の科学」主宰の大川隆法氏に大きな影響を与えたことでも有名です。


 その高橋信次が「GLA(God Light Association)」という教団を設立する2・3年前に著者は話を聞いたそうです。当時、高橋信次は次のように語っていたそうです。

 

 「釈迦が日本で生まれ変わった最初の人が聖徳太子(574~622年。推古天皇のもと摂政として蘇我馬子と協調して政治を行ない、大陸の進んだ文化や制度をとりいれ、冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った。また仏教を厚く信仰し興隆につとめた)、次に空海、3番目が、たぶん本居宣長(1730~1801年。江戸時代の国学者)。本居宣長を調べると、仏教的な感じの人生観を持っているので、まちがいないだろう。それから坂本龍馬(1835~1867年)、そして私――。私というのは高橋信次さんです。生まれ変わりはこの5人だと言っていました」


 ユリ・ゲラーのブーム以来、日本ではスプーン曲げが大流行しました。著者もこれまで1000本ぐらい曲げてきたそうですが、「超能力」について次のように述べています。

 

 「超能力とは、リラックスして、楽しんで、幸せで、という状態で生まれます。その中でも、ものすごく大きな力を持っているのが、『ありがとう』という感謝の心です。リラックスして、楽しんで、喜んで、感謝するという状態でものごとに対すれば、どうやら人間の脳と宇宙とがつながるらしいのです。"宇宙"は"神"と置き換えてもいいと思います。

 じつは『気合いと根性で生きる』生き方は、自分の秘められた能力を使わない生き方なのです。自分の超能力を使うために絶対必要なことは、気合いと根性を入れないこと。別の言葉でいうと、『淡々と生きる』ことです。『なんとかするぞ』と思った瞬間から、なんともならなくなってしまいます」


 その他にも、「サティア・サイババ」とか「アガスティアの葉」とか、本書には多くのオカルトに関する話題が登場します。おそらく、著者は『理性の揺らぎ』とか『アガスティアの葉』といった一連の三五館の出版物を愛読していたのではないでしょうか。

 

 また、長崎県の川棚町にある喫茶店「あんでるせん」の話題も出てきます。ここはマスターがサイキック・エンターテイメントを見せてくれる超能力喫茶店として有名で、わたしも訪れたことがあります。久々に本書で「あんでるせん」の名を目にして、非常に懐かしく感じました。


 また、「親を選んで生まれてきた子ども」も興味深く、著者は次のように述べています。

 

 「子どもは子どもで上から見下ろして親を選び、この親と決めて生まれてきます。子どもが親を選ぶのです。とりわけ母親を選ぶ。私は、生まれる前の記憶を持っている24人の子どもに会いました。その子どもたちはどの子も似たことを言っています。全員がお母さんを頭の上から見下ろしていた。お母さんが悲しそうだったので、この人の相手をしてあげようと思って生まれてきた。お母さんが楽しそうだったので、このお母さんと話をしたら楽しそうだと思ったので出てきた。お母さんがいつも男の人に泣かされていたので、この人の味方をしてあげようと思って生まれてきた。でも泣かせていた男の人はお父さんだった――というような話でした。24人全員が共通しています。お母さんの味方や話し相手をしてあげようと思って生まれてきた」


 「肉体と魂」も興味深い内容です。次のように書かれています。

 

 「魂は、いちばん最初、鉱物に宿り、次に植物に入り、同じ魂が今度は動物に入り、次は空の雲に入って、やがて人間の肉体に宿ります。私たち人間の肉体に入るまでに魂は、変遷を40万回繰り返してきました。鉱物に10万回、植物に10万回、動物に10万回、空の雲を10万回やります。人間の時間感覚でいうと、雲になっている時間はだいたい1年です。雲は1分か2分で消えていくのがほとんどなので、それが1回。それを10万回やって、ようやく人間の1回目が始まります。私の周りに集まるような人は、人間としての生まれ変わりが、だいたい9万2000回から9万6000回ぐらいの人たちです。9万4000回プラスマイナス2000回ぐらいの人が集まってきます」


 「早死にする子ども」にも考えされられました。まさにグリーフケアの発想そのもので、次のように書かれています。

 

 「2、3歳で亡くなる子どもがいます。この子は9万9900回ぐらい生まれ変わりを果たし、あとの100回ぐらいは、親に悲しみを与えるだけの存在です。

 あと100回の生まれ変わりで、もうじき神になる存在です。人間としての肉体をもち、何かを修行する必要はありません。では何のために生まれてきたのかといえば、親に悲しみという感情を味わってもらうためです。かわいい盛りの子どもに死なれるのは、親にとっていちばん悲しいことです。その悲しみを親に味わってもらうというのが、人間として生まれ変わりの9万9500回ぐらいから始まります。

 子どもに死なれた親は、そこで悲しい悲しいと嘆き、落ち込みます。

 でも、それだけではいけません。幼い子どもの死は、『お父さんお母さん、それを乗り越えて、明るく楽しく生きられますか』と問いかけているのです」


 「『思い』を持たない」では、著者の思想の核心が語られます。これまでの発言のエッセンス的内容が次のように述べられているのです。

 

 「夢や希望を持って、それを語りなさい、それに向かって行きなさい、という表現もあふれています。夢や希望というのは耳にはいい響きですが、よく考えてみると、結局は『足りないこと』を言っているにすぎないのです。『あれが足りない。これが足りない。あれを寄こせ。これを寄こせ』と言うことを夢や希望であると吹聴しています。これは突きつめていくと、エゴなのです」

 

 著者いわく、宇宙の構造は、自分が足りないものすべてをリストアップして、それを手に入れなければ、バカだ、クズだという構造にはなっていません。それは人間が勝手に人間をかき立てるために考えた方法に過ぎず、宇宙の本質とはまったく違うのです。そして、「ありがとう」では次のように述べています。

 

 「何も特別なこともない日々が続くこと、家族がいて、友だちがいて、仕事があって、普通に歩くことができて、耳が聞こえて、目が見えて――当たり前のことが当たり前のように淡々と流れていく。それが幸せです。ありがたいことです。すると、目の前に起きてくるあれこれの現象を、『あれが気に入らない。これも気に入らない』とは言わなくなります。そういう時間の流れを至福の時と呼びます。私は、人生の中で最高の幸せを味わいながら、至福の時をずっと味わってきたと思っています」

 

 ただ、本書の内容をすべて納得したかというと、残念ながらそうではありません。たとえば、孔子についての著者の考えには違和感を覚えました。次のようなくだりです。

 

 「儒教の祖、孔子には『孔子一生就職難』という言葉があります。『吾十有五にして学に志し、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順がい、七十にして心の欲するところに従って矩を踰えず』という立派な言葉を残した方です。孔子の言っている言葉がすごいというので、宰相として迎えたいという国王がたくさんいた。ところが呼ばれた国に赴いて3日間もすると、ご苦労様でしたと旅費を渡されて帰されることが多かった。そういう国ばかりだった。

 孔子はなぜかいやなやつだったらしい。立派な言葉を述べているので、国王が期待して招聘し、宰相になってほしいと要請するが、いざ会って話し合ってみるといやなやつだったので採用しなかった――それを『孔子一生就職難』といいます」

 

 うーん、言いたいことはありますが、まあ今は遠慮しておきます。ただし、著者は釈迦ことには限りない親しみを覚えても、どうやら孔子に対する見方は厳しいみたいですね。


 釈迦といえば、なんと空海と坂本龍馬が「釈迦の生まれ変わり」だそうです。著者は、次のように述べています。

 

 「空海が亡くなったのは西暦835年です。西暦835年に1000年加えると、1835年になります。坂本龍馬が生まれた年です。お釈迦様は空海として生まれ変わりました。空海が亡くなって1000年後に、坂本龍馬という形で生まれ変わりました。空海と坂本龍馬はお釈迦様の生まれ変わりです。同じ魂を持っていることを生まれ変わりといいます。面白いことに、死んでからぴったり1000年。神様はときどき、気がつかなければわからないように数字を与えます。これを神の秘め事と書いて"神秘"といいます。そういうことに気づくと、おもしろくなります」


「天皇は、1月1日早朝に起きると、東西南北の四方に向かってお祈りをします。『今年もし日本に災いが起きるならば、まず私の身体を通してからにしてください』と。それを『四方拝』といい、毎年やっているそうです。別の人から聞いた情報では、歴代天皇がそう祈って、この世は続いてきた。天皇がそういうふうに言うことを、皇太子の時代から教え込まれる。皇太子だけ。『あとを継いだら、あなたは必ずそれを言うのですよ。日本国民を代表して、「まず私の身体を通してからにして下さい」と言うのですよ』と教え込まれる。歴代の天皇は1月1日にそれを言ってきた」

 

 この天皇陛下の言葉から、著者は「人間の魂というのはものすごいものだ」と教えられたそうです。そして、「ここまで崇高になることができる、日本にはとんでもない人がいた、そういう崇高なことを祈る人がいた」ことに驚愕したそうです。


 小林氏は、いわゆる天皇崇拝者ではありませんでした。本書には、次のように書かれています。

 

 「私は天皇制度を礼賛する立場の人間ではありません。もともと全共闘ですから、天皇制度を否定する立場で生きてきました。でも、天皇がそういうひと言を元旦に言っている人であることを考えると、その災いを一身に受けきれなかったという思いがたぶんあるのだろうと思ったのです。その結果として、被災地の人々の前に膝をついて言った『大変でしたね』のひと言には、『申し訳ない』という気持ちが括弧でくくられている気がします。『自分の身体で受け止められなかった、申し訳なかった』という、四方拝での言葉の内容が見えるような気がします。そういう目で天皇の動きを見ていくと、申し訳なさがあると思います」

 

 著者は40年間、精神世界をはじめとした多くの世界の勉強をしてきました。それで多少のことはわかっているつもりでいたけれど、天皇陛下の言葉には「そうか、やっとわかったかな・・・・・」というレベルに自分があることに気づいたそうです。

 

 本当のことがわかっていなかった・・・・・そう思わされるほどのショックを受けたというのです。もはや自身の病気のことなど何の問題でもないと悟った小林氏は、穏やかな心のままで昨年の10月12日に人生を卒業されました。


 じつは、著者には障害のある娘さんがいらっしゃいました。ケイコちゃんという娘さんなのですが、生まれたときから知能に障害があったそうです。でも、そんなケイコちゃんを著者は心から愛おしく思い、大切に育ててきました。「知恵遅れの娘」で、著者は次のように述べてています。

 

 「この子が生まれてから、小林家には災いという災いはまったくなく、仕事もずっと頼まれつづけ、経済的にもそれなりにやってくることができました。

 妻も病気をせずにやってこられた。妻は会社の経営をしていますが、そこも順調にやってこられた――そういうふうに考えると、この子が生まれながらにして小林家の災いを一手に引き受けてくれた結果、この30年間、私たちは病気もしないで、仕事もたくさんすることができたのではないかと思ったのです。

 ケイコちゃんが全部それを一身に背負ってくれたととらえたら、この知恵遅れの子どもに感謝するほかありません。だから、病気とか障害の見方が全然違うものになりました。もし私たちの周りに病気や障害を持っている人がいたら、それこそその人が身代わりになって、それを浴びてくださっているということです。いま親の介護をしている人がいるかもしれません。痴呆状態になっている親を抱えている人がいるかもしれません。そういう親を介護する立場の人は『疲れた、疲れた』と言うかもしれないけれど、じつは逆かもしれません。この親が、自分のところに降ってくる災いを本人の代わりに肩代わりしてくださっているのかもしれません」

 

 わたしは、この文章を読んで、本当に涙が出るほど感動しました。やはり著者は「見方道」の最高の名人であると感服しました。


 巻末には、「正観さん、ありがとうございました」という追悼文が掲載されています。正観塾師範代で株式会社「ぷれし~ど」代表の高島亮氏が、次のように書いています。

 

 「以前、講演会で良寛さんの辞世を紹介されたことがありました。

 形見とて 何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉

 それになぞらえて、正観さんもご自身の辞世の句を詠まれました。

 我が形見 高き青空 掃いた雲 星の夜空に 日に月に

 (高く澄み渡った青空を見たら、掃いたような白い雲を見たら、それが私の形見だと思ってください。きれいな星の夜空や太陽や月を見たら、それが私の贈りものだと思ってください)」


 上高地帝国ホテルで開かれた最後の茶話会で、著者は高島氏たちに「親孝行」の話をしてくれたそうです。それは、以下のような素晴らしい話でした。

 

 「親孝行というのは、親が生きている間にしてあげるものではありません。本当の親孝行は、親が亡くなったときからはじまります。親が亡くなりあちらの世界に行って、こちらの世界を見ているときに、『ほら、見てください。あれが私の子どもです。あんなに人に喜ばれながら楽しそうに生きているのが、私の子どもです』と親が自慢できるような生き方をすることが、最大の親孝行なんですよ」

 

 偉大なる心学研究家である故・小林正観氏の著書を数夜にわたって紹介してきましたが、ここでいったん打ち止めです。人生を堂々と、そして淡々と生きられた小林正観氏の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。