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儒教と負け犬』

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No.0540

 

 『儒教と負け犬』酒井順子著(講談社)を読みました。

 

 本書の帯には、次のように書かれています。

 

 「負け犬(日本)、老処女(韓国)、余女(中国)。

 何故、この三国で晩婚化が進むのか?

 負け犬の敗因が浮き彫りに・・・・・。」


 著者は有名なコラムニストですが、わたしは面識があります。わたしが東急エージェンシーの新入社員だった頃に一緒に仕事をしたのです。

 

 当時、FM東京が「ワンショートストーリー」というシナリオ応募番組を放送しており、著者、マーケティング・コンサルタントの西川りゅうじん氏、そしてわたしの3人が審査員を務めていたのです。その頃の著者はまだ立教大学の女子大生でしたが、すでに当時から「泉麻人の弟子」的な人気コラムニストとして名を馳せていました。卒業後は博報堂へ入社し、その後は退社してプロの書き手になったようです。シナリオの審査の後は、スタッフも交えて著者と食事に行きました。当時の著者は非常に控え目というか清楚というか、良家の出身を想像させる「理知的なお嬢さん」といった印象を受けました。それこそ、卒業後は数年以内に結婚をするような雰囲気を著者は持っていたのです。


 その著者は、2003年に『負け犬の遠吠え』(講談社)を刊行しました。この本が話題となり、婦人公論文芸賞、講談社エッセイ賞などを受賞しました。

 

 著者は、この本で「どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは『女の負け犬』なのです」と言い切り、社会に波紋を呼びました。「負け犬」という言葉については反発も多く、かの細木数子女史などは「何が負け犬ですか?! そんなことを言う人こそ負け犬です!」とテレビで激怒していたことを記憶しています。

 

 わたし自身も、もともと「勝ち組」「負け組み」といった言葉さえ露骨過ぎて下品だと思っていましたので、「負け犬」という言葉に良い印象は持っていませんでした。だいたい、「パラサイト・シングル」だの「ニート」だの「負け犬」だのといった負のラベリングをする行為は話題性はありますが、わたしは基本的に好きではありません。


 その『負け犬の遠吠え』に続く「負け犬」シリーズの1冊が本書です。

 本書には、東京・ソウル・上海における女性たちの晩婚や未婚の事情が描かれています。つまり、「負け犬三都物語」とでも呼ぶべき内容なのですが、東京の負け犬は、ソウルでは「老処女」、上海では「余女」と呼ばれています。「老処女」も「余女」も、「負け犬」という日本語よりさらに強烈な言葉ですね。日本・韓国・中国はいわゆる「儒教圏」とされますが、著者はこの儒教こそが大量の負け犬、老処女、余女を生み出している原因ではないかと推測します。


 日本のみならず、韓国や中国でも晩婚化が進んでいることを知った著者は、本書のプロローグとなる「負け犬の旅、始まる」で次のように述べています。

 

 「なぜ、東アジアの二国において、こうも似た感じで晩婚化・少子化が進んだのかと考えてみたところ、思い浮かんだのが儒教の問題です。中国で生まれた儒教はその後、長幼の序とか孝の精神が、徹底しているらしい。

 日本にも、儒教は入ってきました。今となっては『儒教って?』という感じではありますが、気が付いてみれば、私達の生活の中には今も色濃くその影響が残っている。つまり、子供を産むなら結婚してから、という意識が強いこと。夫婦が同じくらい働いているのに、家事や子育ての負担は妻ばかり重くなること。妻の方が夫より収入が上だったりすると、それを負い目に感じる傾向があること。子育てを他人に任せることに、罪悪感が伴うこと。・・・・・それらの意識は、男が外で女は内、男が上で女は下、という儒教の影響が今も残っているからなのではないでしょうか」

 

 そこで著者は韓国、中国の晩婚事情と、現代の男女関係への儒教の影響を探るべく東アジアをかけめぐるわけです。現在、わたしは「東アジア冠婚葬祭国際交流研究会」のメンバーですので、そういったリサーチの目的もかねて本書を読んでみました。


 著者が最初に訪れたのは、韓国のソウルです。この国には、現在でも姦通罪が現存しています。また、性道徳の影響力は日本などの比ではありません。同棲や婚前旅行はタブーで、未婚の母であると会社をクビになるそうです。

 

 韓国の「負け犬」は「老処女」と呼ばれます。ここでいう「処女」とはヴァージンという意味ではなく、「未婚の女性」という意味なのです。「わたしは老処女」という意識は、20代後半から韓国女性の中に生まれるそうです。日本よりも早いと言えますが、現代の老処女のトップランナー層は、かつて「3・8・6世代」と呼ばれた人々だとか。これは、「30代で、80年代に大学に入学して、60年代生まれ」という人々を指すそうです。著者は、次のように書いています。

 

 「言わば私も3・8・6世代であるわけですが、韓国におけるこの世代は、前の世代とガラリと考え方が変わった世代と言われています。韓国の80年代は、学生運動が盛んであったと同時に、経済的に裕福になりはじめたという時代。88年にオリンピックが開催されたりした影響もあり、3・8・6世代はそれ以前の人と比べると進歩的なのですが、90年代に大学に入った人と比べると、ぐっと保守的でもある。セックス意識についても、3・8・6世代とそれ以降では、全く異なるようです。3・8・6世代は、結婚するまでセックスはいけないことと思っているけれど、今の20代にその手の意識は薄い」


 興味深く思ったのは、日本と同様に韓国にもお見合いというものが存在していること。欧米ではインターネットの出会い系サイトは盛んですが、著者がインタビューしたある韓国女性は「結婚相談所というものは、東アジア独特のものではないでしょうか」と語ります。この言葉を受けて、著者も次のように述べています。

 

 「確かに、『家』という意識が存在し、その家に見合った相手を探したいという意思がある時は、個人がインターネットで探すよりも、最初から結婚条件を提示することができる結婚相談所の方が、効率的かつ間違いが無いのです。

 昔は、独身男女がいると『あの人のお相手にこの人はどうかしら』と勝手に相手をお世話するおせっかいおばさんが日本にはいた、という話を聞くものです。その手のおばさんがいなくなり、個人の自由意志に任せていたから、晩婚化や少子化が進んだのだ、と」


 わたしは、もともとお見合いや結納式などの結婚の文化的装置を肯定しています。また、今こそ、その意義を再評価すべきであると訴えている人間です。しかし、自らを「負け犬」と認める著者は、お見合いについて次のように述べています。

 

 「結婚はしたい、けれど出会いが無い、と言っている男女にとって、お見合いは有効な手段だと思います。が、恋愛至上主義となった現在、お見合いに頼るのは恥ずかしいという気持ちが、日本人と同様、韓国の人の中にも存在している。美容整形を堂々とするのと同じように堂々とお見合いをするようになったら、韓国の晩婚事情も、少しは変わるのかもしれません。が、シンガポールのように、国が見合い事業をやっても、なかなかうまくいかないという例もあります。日本人を含め、『結婚したい』という欲求を素直に口に出したり行動に移すことができない儒教文化圏の人々の心理というものは、今後もデリケートに取り扱っていかなくてはならない問題なのだと思います」

 

 次に著者が訪れたのは、中国の上海でした。今や世界最大の都市となった上海ですが、著者は次のように書いています。

 

 「一人っ子政策がとられている、中国。少子化などというものとは無縁かと思いきや、中国で最も先端的な都市である上海においては、実は急激な少子化&高齢化の危機が叫ばれており、『白髪都市』などと言われはじめているとのこと。

 上海市当局では、二人目の出産を奨励するようになったけれど、教育費の高騰等の事情により、なかなか産もうとする人はいない。それというのも、二人目の出産を奨励されている世代は、既に一人っ子政策が施行されてから生まれた、『小皇帝』世代。いくら奨励されようと、『ハイ僧ですか』と産んだりはしないのである」


 中国は農村の嫁不足問題が深刻化しています。同じ問題に直面している日本では、都会の三高女が思い切って農村に嫁ぐというパターンも存在していますが、中国ではそういった現象はあり得ないそうです。著者は述べます。

 

 「地方格差が広がっているとはいえ、日本においては、都会でも地方でも、基本的にはだいたい同じような生活を送ることができます。しかし広い中国においては、上海のような超先端的な都市があれば、一方では電気も通っていないような地方も存在する。それどころか、上海からほんの少ししか離れていないような農村であっても、新婚初夜の後、夫の両親が『嫁は処女だったか』ということを確かめるため、シーツを見に来る『処女検査』のようなことが、今でも普通に行われているというのです。生活面だけでなく、意識面においてもかなりの違いがあるらしい」


 著者は、中国人の意識におけるキーワードが「面子」だということに気づきます。「面子」という言葉を、上海滞在中に何回も聞いたというのです。日本でも面子は大切なものですが、中国人にとっての面子は、日本人にとってのそれよりもはるかに重要なものなのです。それこそ、時にはお金よりも命よりも重いものだというのです。確かに中国語の「ミェンヅー」は、日本語の「メンツ」よりもずっと重々しい感じがします。

 

 日本には、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という有名な言葉がありますが、中国人はそう簡単に頭を垂れたりしません。それどころか、中国には「頭を下げるのは、天地、両親、師匠に対してだけ」「凍死しても風に向かって立ち、餓死しても腰を曲げず」「五斗米のために腰を折らず」といった言葉まであるほどなのです。


 この面子こそが、上海のキャリアウーマンたちを安易な結婚に走らせず、晩婚化を加速させている大きな要因なのでした。姦通罪が存続している韓国とは違って、中国それも上海のような大都会では不倫は盛んなようです。また、日本と同じように合コンも盛んに開催され、上海の女性たちも参加しています。しかし、著者は次のように書いています。

 

 「不倫の誘惑だ合コンだと、上海余女達と東京負け犬達が日々さらされている状況は、そう変わらないものなのでした。しかし上海余女にあって東京負け犬にないのは、その精神の強靱さ。彼女達は、自分の面子を守るためには、理想に適わない男性と簡単に付き合ったりしないし、理想に合致する男性を、時には親子でタッグを組んで、アグレッシブに求めにいくのです」


 そう、上海の女性たちはやたらと強気なのです。理想の相手と結婚することに成功した女性であっても、「家事はいっさいしない!」と堂々と言い切ったりするのです。これには、中国が夫婦別姓で実家の力が強いという事情もあるでしょう。なんでも、夫婦喧嘩をすると嫁は一目散に実家に帰ってしまうそうです。これでは、夫もやりにくいでしょうね。著者は、次のように述べています。

 

 「多くの日本女性は、異性に好感を持たれたいがために、そして異性のプライドを傷つけないために、何も知らないフリ、頭悪いフリ、弱いフリ、純粋なフリ、気付いてないフリ・・・・・等々をしたことがあるものです。

 特に結婚に持ち込むまで、『フリ』は女性にとって欠かせない道具となる。

 ところが上海女性を見ていると、彼女達は結婚前も結婚後も、強いのです。結婚をしたいという意思は持っていても、弱いフリなど絶対にしない。当然、結婚後も強いまま」


 そして、上海編の最後に、著者は次のように書いています。

 

 「中央政見体制を守るため、そして家を守るための教えであった、儒教。しかしそれは、『眠れるパワー』であった女性の力を世に出さないための仕組みであったのかもしれません。革命後の、中国。それは、女性という『眠れる虎』達が目を覚ましたということでもあるのです。社会主義によってゆり起こされた虎達が、この後どのように強さを増していくか。それは近くで見ている私達にとっても、非常に楽しみな、壮大な実験のような気がするのでした」

 

 これを読んで、著者はちょっと儒教を誤解しているというか、儒教の真髄をまだ知らないのではないかと思いました。儒教についてのわたしの考えは、これまでも何度も述べてきました。

 

 大いなる「人間関係学」であり、ひいては「幸福学」でもあるとさえ思うのですが、残念なことに著者は単なる「男尊女卑」の封建思想として理解しているようです。それは、プロローグ「負け犬の旅、はじめる」に書かれた次の一文からも窺えます。

 

 「私達は、儒教という思想について、誰かからきちんと教わったわけではありません。が、小さい頃から、たとえば母親が外出すると父親の機嫌が悪くなったり、飲み会というものに出るようになったら当然のようにお酌をするように言われたり、彼と温泉に行くと彼がなぜか当たり前のように上座に座っていたり・・・・・ということを繰り返し経験していくことによって、儒教的な自己規制のようなものを働かせるようになってきた」


 しかし、著者はただ感情的に儒教を「男尊女卑」の思想であると攻撃しているわけではありません。日本の儒教学の第一人者である加地伸行氏の『儒教とは何か』(中公新書)を読んだりもしています。さらには、『女大学』とか『烈女伝』などのマニアックな古典にまで手を伸ばしているのですが、これを根拠にして儒教の「男尊女卑」思想を強調するのは、いかがなものかと思います。

 

著 者は、男尊女卑という「システム」が構築された背景には、「女を野放しにしたら怖い」「女は束縛していおかないと危険である」という太古の昔からの男の恐怖心があるのではないかと推測しています。まあ、これには一理あるかもしれませんね。


 でも、当然のことながら、日本・韓国・中国で晩婚化が進行しているのは儒教のせいだけではありません。著者自身も認めているように、負け犬論で見落とされがちなのは経済格差です。この経済格差の問題を直視しないで、儒教の負の側面ばかり取り上げても意味はないでしょう。とはいえ、日本・韓国・中国の東アジア三国に儒教的価値観が根強く残っていることも厳然とした事実です。おそらくは、東アジアに欧米の男女平等思想をそのまま持って来てしまったことに無理があったのではないでしょうか。

 

 いくら「男女平等」を取り入れたところで、東アジアの女性たちの本音には「男性に養われたい」という願いが存在していると思います。日本に草食男子が増加したもの、東アジアに30代以上の未婚女性が増加したのも、その根っこは同じなのでしょう。


 日本・韓国・中国の独身女性たちは、これから同じ道を歩んでいくのでしょうか。日本の「負け犬」は、韓国の「老処女」、中国の「余女」とどこが違うのでしょうか。著者は、最終章である「負け犬たちの希望」で次のように述べています。

 

 「負け犬と、老処女・余女の違い。それは、希望があるか否か、のような気が私にはします。恋愛していなくてはならないという強迫観念にさいなまれた結果、セックス、不倫、ダメ男・・・・・と、男女間のドロドロしたものを既にたくさん見てしまっている、負け犬。彼女達は、純な老処女や、強い余女が心のどこかに持っているという希望という『玉』を、今や失いかけているのではないでしょうか。

 負け犬から希望を奪っているのは、自らのドロドロ体験ばかりではありません。日本においては、結婚と幸福の結びつきが、あまりにも希薄なのです。

 日本においては、親子愛をおろそかにすると世間から非難されますが、夫婦愛をおろそかにしても全く非難されません。夫婦愛の希薄さは、かつて子孫を残すことのみを目的として家庭を作った時代の名残なのでしょう。夫婦愛が希薄であるからこそ、妻は愛情を子供に向けるしかなく、夫婦に愛情がなくとも、世間からは『やっと落ち着いた夫婦になった』くらいの言い方がされるものです」


 そして、日本の少子化を食い止めるにはそうしたらよいのか。著者は、「負け犬たちの希望」の終わりに次のように書いています。

 

 「日本の夫婦がもう少し幸せそうな姿を見せれば、日本の出生率は上昇するのだと思います。が、それは出生率を上げるための行為ではないのです。今後の日本がどんどん右肩上がりの経済成長を続けるわけではないことが見えている今、『隣にいる人と仲良くする』的名小さな幸福をきちんと拾っていかないと、負け犬どころか全ての人の中から希望という小さな玉が、消えていってしまうのではないか」

 

 わたしは、この一文を読んで著者の誠実な人柄を感じました。そして、この一文に深く共感しました。まさに今、「隣にいる人と仲良くする」ということが求められているのだと思います。それは「隣人」と仲良くすることであり、「夫婦」が仲良くすることでもあります。そう、「夫婦」とは最大の「隣人」なのです。


 日本社会の「少子高齢化」については、わたしもこれまで発言してきました。でも、どちらかというと高齢化社会についての発言のほうが多かったのではないかと思います。今年は、ぜひ少子化についても考えてみたいです。

 

 わたしたちは、無縁社会を乗り越え、有縁社会を再生しなければなりません。そして、そのためには「孤独死」の問題だけでは片手落ちです。「晩婚・非婚」の問題も、解決しなければならないと痛感しています。

 

 日本人は、なぜ結婚しにくくなったのか? その謎を解くために、これから「事実婚」「不倫」「草食系」「恋愛下手」などのキーワードをもとに読書を続けていきたいと思います。