No.0542 恋愛・結婚 『十年不倫』 衿野未矢著(新潮文庫)

2012.02.11

 『十年不倫』衿野未矢著(新潮文庫)を読みました。

 「なぜ、いまの若者は結婚しないのか」という疑問から、『儒教と負け犬』、『事実婚 新しい愛の形』を読んできましたが、30代以上の未婚女性が増えている原因の1つとして「不倫」の存在があるのではないかと思ったのです。

 著者は、わたしと同じ1963年(昭和38年)生れの女性ノンフィクションライターです。立命館大学卒業後、出版社勤務を経て書き手に転じたそうですが、幅広い取材をもとに現代人の心の奥底に迫るべく、執筆を続けているとか。

 本書のカバー裏には、以下のような内容紹介があります。

 「『不倫なんてとんでもない』。いったいどれほどたくさんの独身女性が、そう思いながらも、既婚男性との恋に落ちてしまったのか――。恋愛のひとつのかたちとして認められ始めた不倫だが、その道は険しい。十年を超えるほど続く関係に感じる安心と不安、自立心と孤独感、そして結婚願望。裏腹な本音を引き出し、女性たちが陥る甘くて苦い関係の実態に迫る、衝撃のノンフィクション」

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

序章   不倫アンケート
第一章  十年不倫のかたち
第二章  社会の後押し
第三章  十年不倫された妻たち
第四章  十年不倫が終わるとき
終章   もうひとつの別れ
「あとがき」

 本書には、未婚女性と既婚男性の不倫、しかも10年間以上続いている、もしくは”続いていた”という生々しい実例がたくさん登場します。視点は未婚女性側に限られていますが、いずれも著者自身が取材した迫真のレポートです。

 まず、著者は「不倫」という言葉の定義づけを行います。「不倫」とよく似た言葉に「浮気」がありますが、著者は恋愛感情の有無と、継続の意思の有無を基準にして、次のように述べます。

 「浮気とは『一時の気の迷い』や『その場限りのお楽しみ』で終わる一過性の関係で、本人たちも恋人同士という自覚は薄い。不倫は精神的な結びつきがあり、それを持続する意志を共有している関係だと定義しておこう」

 著者は、世代を切り口にして、不倫の形を分析していきます。最初に、50代女性を「不倫第一世代」と位置づけ、次のように述べます。

 「職業的なイメージの強いおめかけさん、愛人といった存在ではなく、ひとつの恋愛の形として『不倫』を選んだ女性たちが、一定の人数がいる層として、最初に現れた世代である。女性がふつうに仕事を状況はまだ整っておらず、職業をもち続けるにはさまざまな障害を乗り越えなくてはならなかった。しかし、働きざかりで男女雇用機会均等法の施行やバブル経済を体験し、追い風も吹いた。
 それでいて、彼女たちの結婚の対象となる団塊の世代や、学生運動を体験した世代の男性たちは、男女の役割分担に対しては保守的だ」

 著者のいう「第一世代」は、「結婚より仕事を選びたいが、恋愛はしたい」「経済的な自立を背景に、彼とは対等な関係を保ちたい」という女性たちです。それでも、まだまだタブー感は強かったので、どこか「日陰者」のイメージも残っています。彼女たちには、「不倫だけど、いいパートナーだし、私にはこんな形のつきあいが向いている」といった諦念と、いい意味での開き直りがあります。著者は、この第一世代を「不倫だけど、しかたがない」の世代と名づけます。

 次に、現在の40代女性は「不倫第二世代」だとして、著者は次のように述べます。

 「学生時代は『女子大生ブーム』だった。そしてバブルの高揚と同時に社会に出た彼女たちを待っていたのは、会社の接待交際費とタクシー券を手にした『オヤジ』たちだった。おしゃれやグルメに目覚めはじめた男性たちは、ブランド品で華やかに着飾ったシングル女性を連れて有名レストランに行くのを、『ステータス』と考えた。連れて行ってもらう女性の側も『私はワンクラス上の男に選ばれた』と思い、嬉々としてついていった。
 不倫への敷居が一気に低くなったのは、この世代からである」

 著者は、この第二世代を「不倫だけど、まあいいか」の世代と名づけています。
 では、現在の30代女性はどうでしょうか。「不倫第三世代」の彼女たちを、著者は「不倫だけど、それが何か?」の世代と名づけるのです。不倫への敷居は低くなったものの、まだまだ抵抗感はあります。現実に不倫関係になってみれば、さまざまな葛藤や計算ちがいに直面します。だから「それが何か?」と、肩に力を入れずにはいられないというのです。
 また、30代で十年不倫をしているある女性は、「結婚が決まれば、いつでも不倫なんかやめるつもりだったけど、理想の結婚相手が見つからなかった」と著者に語ったそうです。でも、彼女は「交際相手が結婚していること」と、「結婚相手が見つからないこと」を分けて考えていますが、著者は「根っ子は同じではないだろうか」と述べます。

 不倫相手の若い女性の人生を狂わせてしまったこと。これは多くの不倫男性にとって重い十字架になっていると言えるでしょう。また、彼らは一生それを背負うべきであると思います。

 さて、著者が何度も不倫を繰り返す女性たちに話を聞くと、共通して出てくる言葉があったそうです。それは、「いちど不倫を経験すると、既婚者が恋愛対象に入ってしまう」という言葉でした。著者は、「いいなと思う男性と知り合っても、彼が既婚者だとわかれば『なあんだ、ダメだ』と、釣りざおをひっこめるのが正常な感覚だ。しかし、『既婚男性とも恋愛ができる』と知ってしまったら、既婚が釣りざおをひっこめる理由にならなくなるのである」と書いています。

 「不倫を長続きさせる条件」というのも興味深かったです。著者は、不倫関係が深まっていく多くのプロセスをふりかえってみると、そこに2つの共通項があると指摘します。1つめは「旅行」です。著者は述べます。

 「不倫ではない恋人や友人との関係でも、旅行は間柄を一歩深める。さらに不倫カップルにとっては、不倫につきもののモヤモヤをリセットし、長続きさせる効果をもたらすのだ。秘密の旅行を実行できるほど、不倫を続けやすい環境が整ったということも示す」

 不倫カップルにとって、旅行とは1つの「橋」を渡り、次のステージに移ったことを意味するのです。そして、著者はもう1つの「橋」として、女性が男性を自分の部屋に招き入れていることを指摘します。著者いわく「男性の立場になってみると、部屋に招き入れてくれるシングル女性はとてもありがたいはずだ。人目をしのんだり、時間と場所を合わせたりする手間がかからない。お金も使わずにすむ」

 本書は、けっして「不倫でも幸せになれる」というメッセージの本ではありません。

 終章「もうひとつの別れ」では、不倫相手である男性の死を長く知らなかった女性の悲しいエピソードが出てきます。56歳で大学事務職員の女性は、十年不倫のパートナーである男性の死を知ったのは、彼の死去からじつに6週間も後のことでした。しかも、2人で一緒に通っていたスポーツクラブのインストラクターから知らされたのです。

 同じスポーツクラブで知り合った2人は、不倫の仲になりましたが、男性の定年退職を機に少しづつコミュニケーションにズレが生じてきました。あるとき、彼は彼女の部屋にもスポーツクラブにも姿を見せず、連絡もまったく取れなくなりました。ケータイに電話してもつながりません。自宅にかけるのはためらわれます。音信普通になってから4週目、ケータイは解約されていました。彼女はそれを「私の前から姿を消したいんだ」と受け取りました。

 そして、「別れたいのなら、そう言ってくれればいいのにと思いました。13年もつきあってきたんです。何かあいさつがあってしかるべきだと腹も立った。荷物というか、彼の食器とか歯ブラシ、スリッパなんかを家に送りつけてやろうか」とも考えたそうです。しかし、ある日、スポーツクラブのインストラクターから彼が心不全で亡くなったことを知らされたのです。6週間も前のことで、もちろん通夜も葬儀も済んでおり、彼の遺体は荼毘に付されていました。彼女は何度も彼のケータイに電話やメールをしていたのですから、その履歴を見れば、彼の妻は当然ながら彼女の存在を知ったはずです。しかし、彼の妻から「じつは主人が亡くなりました」という連絡など来るはずもありませんでした。言うまでもなく、彼女のショックと喪失感は非常に大きなものでした。

 その彼女をインタビューしたとき、著者に向かって「お葬式って、生きている人のためにあるんですよね」とつぶやいたそうです。15年前に彼女の母が亡くなりました。著者は、次のように書いています。

 「悲しく衝撃的だったが、姉妹二人の長女として、さまざまな用事をこなさなくてはならなかったという。葬儀の段取り、母の友人への知らせ、遺品の整理、四十九日、納骨などの儀式も続く。『少しずつ、お別れしていくんですよね。少しずつ、気持ちの整理がついていく。いきなり訃報だと、それがないんですよ。ぽかーんとしてしまう。たぶん、すごく悲しいんですよね。ぽかーんとした気持ちをどけると、悲しい気持がいっぱい詰まっていると思う。こわいんですよ、悲しむのが。もうちょっとぽかーんとしていたい。まだ直面したくないんです』たしかに葬儀という儀式があれば、死という現実を受け入れると同時に、葬儀にやってきた人たちと悲しみを共有することができる。
 悲しみを誰かと分かちあうこともできず、1人で受け止めなくてはならない。
 2人が時間を時間や思いを共有していたというあかしもない」

ここには、わたしが拙著『葬式は必要!』(双葉新書)などで説いてきた「葬儀におけるグリーフケア」の機能が見事に説明されています。通夜から告別式から四十九日へと至る供養の流れは、そのままグリーフケアのプロセスでもあるのです。そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)や『のこされた あなたへ』(佼成出版社)で、アメリカのグリーフケア・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉を紹介しました。それは、以下のような言葉です。

 「親を亡くした人は、過去を失う。
 配偶者を亡くした人は、現在を失う。
 子を亡くした人は、未来を失う。
 恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」

 その意味で、彼女は「自分の一部」を失ったのです。それは、けっして小さな喪失ではありません。そのままにしておけば、非常に精神にとって危険な喪失です。そのため、彼女は彼の遺品の食器や歯ブラシを籐のかごに入れ、自分なりに故人の供養を行ったそうです。不倫の持つ最も残酷な一面を思い知らされる悲しいエピソードでした。

 最後に、「あとがき」で著者は次のように書いています。

 「不倫という関係は、人に話せないだけに比重が大きい。見た目はそうでもないが、持ってみればズッシリと重いのである。だから当事者の心にドスンと沈みこんでいき、いつのまにか人生を構成するベースに入り込んでしまうことにもなりかねない。そこでもう1つ、『不倫以外のベースを持つ』という対処法も、ぜひおすすめしたい。趣味の集まり、サークル、年に何度か旅行をする仲良しグループなど、仕事や利害がからまず、不倫相手との接点もないほうが望ましい。現実を直視する勇気や、ヤケ酒回避のためだけではない。別世界に身を置くことによって、不倫による認知のゆがみを修整したり、人間関係を広げたり、自分の意外な一面に気づいたりすることができる。不倫を続けるにせよ、別れを決断するにせよ、別れざるを得ない状況に置かれるにせよ、別世界をもっているか、いないかでは大きくちがう」

 この著者からのメッセージは具体的で不倫のただ中にある女性たちへの優しきアドバイスとなっています。著者自身も若い頃に不倫をしたことがありましたが、またその後に結婚と離婚も経験しましたが、マラソンという別世界を得て、今は幸せなシングルライフを楽しんでいるそうです。

 最後に、アマゾンの本書のページで次のようなレビューを見つけました。「シャカリキけー助」さんという東京都のレビューのコメントですが、非常に鋭い分析で感心しましたので、以下にその一部を紹介します。

 「世の中には、何千年と続いてきた、結婚という社会制度がありますが、その結婚では補い切れないズレの為、やはり古くから浮気があり、不倫があり、10年不倫が存在してきました。筆者が”社会のほころびを、不倫が縫い合わす”というように表現していたのが言い得て妙で、納得してしまいました。 しかし結婚という社会制度が完璧でないのと同様、不倫という社会行動もまた、完璧ではありません。
 本書では、不幸な経験をする女性(既婚男性の妻も)も多く登場します。
 その切ない想いを知ることが出来きる本ですね」

 結婚という「社会制度」、不倫という「社会行動」がともに完璧ではないという指摘が素晴らしいですね。現在、不倫の恋に悩んでいる方、またエンジョイしている方、どちらの方にも本書を一読されることをお勧めします。

 きっと、今のご自分の生き方を振り返る良いきっかけとなるでしょう。

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