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陰翳礼讃』

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No.0530

 

 『陰翳礼讃』谷崎潤一郎著(中公文庫)を再読しました。

 

 日本人と「灯り」の関係を解き明かした日本文化論の名著です。著者は、言うまでもなく、大正時代を代表する文豪です。


 東日本大震災の原発事故以来、日本では節電意識が高まっています。また、ここ数年来、日本において「癒し」と照明が関連づけられて語られることが多くなってきました。

 

 まず最初に、日本人はどういう照明で癒されるのかを考えてみることが大切だと思います。そして、それには日本人の感性というものについて知る必要があるでしょう。四季という、美しく、柔らかい季節感のなかで生活してきた日本人は、西欧人とは違った独特の感性をはぐくんできました。「自然を愛でる」から発した「柔らかな」「優しい」感性です。


 例えば、『伊勢物語』や『源氏物語』などにおける男女の恋愛にもあるように、「垣間見る」という感性があります。相手の顔を見るのも簾越しに見、自分の気持ちを告白するのも短歌という一種の言葉遊びによって伝えました。つまり、すべての行動は間接的に行われていたのです。直接的な振舞いは、はしたないものだとされていたのです。

 

 家屋の明かりの採り方にしても、長い庇で強い日の光を遮り、淡い光の反射だけで部屋を照らすようになされていました。あの秀吉の黄金の茶室でさえギンギラギンではなく、淡い光に照らされて渋く輝いていたのです。


 谷崎潤一郎は本書『陰翳礼讃』において、美というものはつねに生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの祖先は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至ったと述べています。事実、日本座敷の美はまったく陰翳の濃淡によって生まれており、それ以外に何もありません。西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと感じるのは、彼らが陰翳の謎を理解しないからです。

 

 わたしたちは、それでなくても太陽の光線の入りにくい座敷の外側へ、土庇を出したり縁側をつけたりして一層日光を遠のけます。そして室内へは、庭からの反射が障子を透してほの明るく忍び込むようにする。われわれ日本人の座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に他ならないのです。


 谷崎は言います。わたしたち東洋人は自身の置かれた境遇のなかに満足を求め、現状に甘んじようとするところがあるので、暗いということに不平を感じなかったのだと。それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、かえってその闇に沈んで、そのなかにみずからの美を発見する。しかし、進取的な西洋人はつねに良好な状態を願う。ロウソクからランプへ、ランプからガス燈へ、ガス燈から電燈へと、たえず明るさを求めて行き、わずかな陰をも払い除こうと苦心する。

 

 おそらく、そういう気質の違いもあるのでしょう。しかし谷崎は、皮膚の色の違いということにも注目します。誰でも好んで自分たちを醜悪な状態に置きたがらないものである以上、日本人が衣食住の用品に曇った色の物を使い、暗い雰囲気のなかに自分たちを沈めようとするのは当然です。

 

 わたしたちの祖先は自分たちの皮膚に翳りがあることを自覚していたわけでもなく、彼らより白い人種が存在することを知っていたのではないけれども、色に対する彼らの感覚が自然と陰翳を好む感性を生んだというのです。


 しかし、日本も西欧化が進み、直接的な表現が台頭してきました。恋愛表現は手紙など使わずに直接相手にぶつけるようになり、末期的には体で直接表現されるようにさえなっています。家の照明も部屋の隅々まで明るく照らすのがよしとされ、闇のなかでひっそりしているべき部分まで暴き出してしまいます。

 

 同じことが人間関係においても言えるでしょう。よく、日本独特の「どうも」に代表される曖昧なコミュニケーションは駄目だと言われます。けれども、それはあくまでもインターナショナルな場においてです。「どうも」は欧米人にとってわかりにくいだけであって、日本人にとっては、なくてはならないものです。曖昧なコミュニケーションだからこそ、円滑な人間関係が保てるからです。


 「間接的」から「直接的」へ。

 「ほの暗い」から「くまなく照らす」へ。

 「ほのめかす」から「明言する」へ。

 

 明治の文明開化から敗戦を経て、日本人の感性はこのように動いてきました。しかし、日本人は、「直接的」なものは疲れるということに気づきはじめています。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』に次のように書きました。

 

 「とにかく我等が西洋人に比べてどのくらい損をしているかと云うことは、考えてみても差支えあるまい。つまり、一と口に云うと、西洋の方は順当な方向を辿って今日に到達したのであり、我等の方は、優秀な文明に逢着してそれを取り入れざるを得なかった代りに、過去数千年来発展し来った進路とは違った方向へ歩み出すようになった。そこからいろいろな故障や不便が起こっていると思われる」


 かつて、明るいことは単純に繁栄のしるしでした。しかし、今日ではただ明るいことはもはや自慢にはなりません。それどころか、「光ストレス」という言葉さえあります。

 

 わたしも、コンビニエンスストアやドラッグストア・チェーンの店などに入ったとき、あまりの明るさに非常に違和感をおぼえます。明るすぎて落ち着かないのです。明るさの単位を「ルクス」といいますが、満月の夜は0.1ルクスから0・25ルクス。

 

 一方、ワイキキ・ビーチに直射日光が降り注いでいるような場合は約10万ルクスだそうです。だいたいのイメージがおわかりでしょうか。日本のオフィスは約1000ルクスですが、新しく都心にできたような高層ビルのオフィスは1500ルクスから2000ルクスもあります。デパートや専門店の照明も明るく、2000ルクスは一般的です。

 

 そして、スーパー、コンビニ、ドラッグストアなどが、なぜ異常に明るいかというと、剥き出しの蛍光灯をずらっと天井に並べているからです。それらの店は2000ルクス以上の光を放っているといいます。店舗のみならず、車のヘッドライト、高速道路の照明、その他もろもろ、とにかく現代社会の夜は明るくなりました。地球環境の問題に関心が集まっている現在では、自分の国や自分の街が必要以上に明るい場合、人々は自慢どころか引け目を感じるのではないでしょうか。


 そして、3・11以来、日本では過剰な照明は少なくなりました。震災直後の東京は暗かったです。2011年3月23日、三五館の星山社長と四谷で打ち合わせをしたとき、「一条さん、ぜひ銀座に行ってみなさいよ」と言われました。その言葉通りに、四谷から丸の内線で銀座に行きましたが、真っ暗闇で仰天しました。午後7時くらいだったのですが、和光の前も、銀座三越の前も、真っ暗でした。わたしは、こんなに暗い銀座を見るのは初めてです。なんだか新鮮でした。想像以上に暗かった東京ですが、個人的には悪くないと思いました。

 

 思えば、ドラッグストアにしろ、コンビニにしろ、これまでの東京は明る過ぎました。これぐらい暗くて、ちょうどいいのかもしれません。ということで、暗い東京を気に入ってしまいました。

 

 もともと、日本人は暗さを好む民族です。『陰翳礼賛』にも書かれているように、暗さの中に美を見出すのが日本人なのです。『陰翳礼讃』にインスピレーションを得て、わたしは『灯をたのしむ』(現代書林)を書きました。ご一読下されば幸いです。