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ゼロ年代の論点』

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No.0538

 

 『ゼロ年代の論点』円堂都司昭著(ソフトバンク新書)を読みました。

 

 「ウェブ・郊外・カルチャー」というサブタイトルがついています。また、帯には「次なる10年のためのナビゲーション」と書かれています。文芸・音楽評論家である著者は1963年生まれで、わたしと同じ年です。本書の裏表紙には、次のような内容紹介が書かれています。

 

 「ゼロ年代に批評は何を論じてきたのか? 注目すべき多くの書籍を通して、ゼロ年代の論点を文芸・音楽評論家が浮き彫りにする。そこから見えてくる従来とは異なる表現のかたちやネットの影響力、そして街並みの変容などは、まさに現在考えるべきテーマだ。本書はブックガイドとしてはもちろんのこと、ゼロ年代に論じられた幾つものポイントをナビゲーションする役割も果たすだろう」

 

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

 

「まえがき」

 

第1章  ゼロ年代批評のインパクト

   ●ゼロ年代の批評をリードする―東浩紀『動物化するポストモダン』

   ●コミュニケーションを鍵として―宇野常寛『ゼロ年代の想像力』

   ●ニコニコ動画は政治をも動かす―濱野智史『アーキテクチャの生態系』

   ●この国の批評のかたち―佐々木敦『ニッポンの思想』

   「世界視線」とアーキテクチャ

 

第2章  ネットの力は社会を揺さぶる

   ●アイロニーと反省からみた状況のねじれ―北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』

   ●理想と現実、ウェブ2.0と2ちゃんねるのあいだ―梅田望夫『ウェブ進化論』

   ●宿命とセカイの外へむかって―鈴木謙介『ウェブ社会の思想』

   ●「祭り」のあとでクールに思考する―荻上チキ『ウェブ炎上』

   情報環境と自由、コミュニケーション

 

第3章  言葉の居場所は紙か、電子か

   ●「つぶやき」が情報流通インフラになるとき―津田大介『Twitter社会論』

   ●小説と文芸批評の擁護者として―前田塁『紙の本が亡びるとき?』

   ●オープン化は「本」をも変えるか―佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』

   「教養」の終焉と著者2.0

 

第4章  データベースで踊る表現の世界

   ●「ぼくら語り」にレッドカード―伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』

   ●オタクの自意識と思春期をめぐって―前島賢『セカイ系とは何か』

   ●情報処理の方程式は何を読み解くか―福嶋亮大『神話が考える』

   キャラ/テクノ/スーパーフラット

 

第5章  変容するニッポンの風景

   ●すべては個室になるか―森川嘉一郎『趣都の誕生』

   ●「過去」失い流動化する地方―三浦展『ファスト風土化する日本』

   ●郊外のデフレカルチャー―速水健朗『ケータイ小説的。』

   建築とアーキテクチャ

 

終章   2010年代にむけて

 

「主要参考文献」

 

「あとがき」


 このように、本書には「ゼロ年代」を考える上で参考になると思われる17冊の本が紹介されています。それらの本の内容は、いずれも「批評」というジャンルでくくられます。本書の「まえがき」で、著者は「批評」について次のように述べます。

 

 「批評とはなにか。人それぞれ意見はあるだろうが、本書では、世界と『私』について考えること、とごくシンプルに定義しておきたい。世界はどうであるのか。『私』はどのように存在しているのか。世界と『私』の関係はどうなっているのか。そうした問題をめぐってゼロ年代はどのようであったと同時代に評されてきたのか、ここで1回立ち止まって整理したい。そのことが、次の時代について/おいて考えることの新たな出発点になればと願っている」


 本書を読んで、興味深かった箇所がいくつかありました。最初に登場する「ゼロ年代の批評をリードする―東浩紀『動物化するポストモダン』」で、著者は新しい消費のスタイルとして「データベース消費」というものを紹介します。まず、かつての「物語消費」について、次のように説明します。

 

 「批評家であり、マンガ原作者・小説家でもある大塚英志は、『物語消費論「ビックリマン」の神話学』(1989年)において、個々のキャラクターの描かれたシールを集めることで背後に設定された物語を想像するビックリマンシールのような消費のありかたを『物語消費』と名づけた。オタクの祭典であるコミックマーケットでは、アニメやマンガのパロディ同人誌が売られているが、そのように2次創作の背後にもととなる設定、物語、世界観がある状態も『物語消費』と呼ばれる。こうした状態では、オリジナルとコピーの区別はあやしくなっているが、これが『虚構の時代』のオタク系文化だったわけだ」


 そして、東浩紀がこの大塚英志の議論を発展させ、「動物の時代」には「データベース消費」が行われるようになったことを紹介し、著者は次のように述べます。

 

 「個々の作品、物語よりキャラクターの魅力で受容されるようになり、猫耳、メイド服、喋りにおける特徴的な語尾といったオタク系文化のお約束的な要素の組み合わせに対し、いわゆる『萌え』が起きている。それは『萌え要素』を通じて要素が登録されているデータベースにアクセスしている『データベース消費』であり、『動物化』した欲求のあらわれだと東はみる。そして、『動物化』はオタクに限った話ではなく、95年以降の日本のポストモダン全体の傾向だと論じる」


 また、「コミュニケーションを鍵として―宇野常寛『ゼロ年代の想像力』」では、著者は次のように書いています。

 

 「1995~96年にテレビで放映され、映画化もされて社会現象的なヒットとなったアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』では、普通ならロボットに乗って戦うべきヒーローである主人公の少年、碇シンジが戦いを忌避し、内面に引きこもってばかりいることが特徴となっていた。オタク系のアニメ、マンガ、ライトノベル、ゲームでは、その後、『エヴァンゲリオン』の影響を受けて、きみとぼくの関係という『私』的な問題が世界の運命に直結し、その中間にあるはずの社会領域が描かれないという、いわゆる『セカイ系』と呼ばれるタイプの物語が作られた。その種の戦いから退却するのが倫理であるというような1995~2001年の『引きこもり/心理主義』を宇野は『古い想像力』と呼ぶ」


 第1章の末にある「『世界視線』とアーキテクチャ」という小論では、「東京タワー」について次のような興味深い分析が著者によってなされています。

 

 「景気にからめていえば、東京タワーという建造物は高度成長期のシンボルとしてゼロ年代の昭和ノスタルジー・ブームで懐かしまれてきた。あの電波塔は、テレビの人気番組をみんなで見ていた時代の象徴である。一方、長期化する平成不況のなかで、小遣いが減った若者はケータイなどの通信費にお金を注ぐ反面、モノを買わなくなったといわれ続けた。ケータイでつながりあうような小集団同士はそれぞれの趣味嗜好で島宇宙を作り、昭和のテレビ番組のような誰もがみんな知っている定番というものは消滅したのだ、と。そのケータイのディスプレイには、自分が圏内にいて誰かとつながれる証であるアンテナが表示されている。『みんな』であることの可能性の象徴だった東京タワーという大アンテナから、島宇宙を加速させたケータイのアンテナへ。そのように時代推移をまとめることもできるだろう」


 「理想と現実、ウェブ2.0と2ちゃんねるのあいだ―梅田望夫『ウェブ進化論』」では、次のように「2ちゃんねる」について述べられます。

 

 「ひろゆき名義で出された『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?巨大掲示板管理人のインターネット裏入門』(2007年)では、潰れない理由についてこう答えていた。犯罪事件に関し警察が2ちゃんねるにアクセスログの提出を求めた場合、日本人の自分が管理人ならばログを提出して犯罪者が捕まる。

 だが、ひろゆきが逮捕され、外国人が2ちゃんねるを引き継ぐか、それに類するものを立ち上げた場合、日本の法律が適用できなくなるではないか。だから、自分が管理人である2ちゃんねるは当局にとっても安心なのだ、と。

 ところが、2年後の『僕が2ちゃんねるを捨てた理由 ネットビジネス現実論』(2009年)で、ひろゆきは、あっさり前言を捨て去る。少し前から自分が2ちゃんねるでやることはなくなっており、アクセスログの提出もすでにシステム化されている。だから、辞めることで『何か変わるかな?』と思ったが、結局、変わらなかった。ひろゆきは、大した感慨もなく、そう感想を語っていた。これが、ひろゆき琉の現実的対応なのだろう」


 第2章の末にある「情報環境と自由、コミュニケーション」という小論では、著者は作家の平野啓一郎について次のように述べています。

 

 「初期には擬古典的な小説を書いていた平野だったが、ある時期からインターネットへの関心を深め、梅田望夫との対談集『ウェブ人間論』(2006年)をまとめたほか、『新潮』2010年1月号に東浩紀との対談「情報革命期の純文学」が掲載されるなど、気がつけば最もゼロ年代批評的なテーマに接近した純文学系の作家になっていた。

 阿部の『シンセミア』と平野の『決壊』は、いずれも上下巻の大作だったが、情報化社会においては事件を物語化することがうさん臭い行為であり、物語化しようとしても整合性を持ちえないことを示すためにこそ長大な物語が書かれたという小説の性格に共通性と特徴があった。特に『決壊』に関しては2008年6月という刊行月が、秋葉原通り魔事件の起きた月ともなったことである種予言的な作品だったと扱われた」


 第3章の末にある「『教養』の終焉と著者2.0」では、まず、『だれが「本」を殺すのか』というルポルタージュを紹介します。この刺激的なタイトルの本を佐野眞一がまとめたのは、2001年でした。同書は本の売り上げ低迷をめぐって出版社、書店、図書館など関係者たちを取材し、誰が犯人かを追及した内容でした。

 

 「本コロ」の略称で呼ばれた佐野のルポは、出版関連業界でかなり話題になりましたが、最終章は「グーテンベルク以来の新たな『波頭』」というタイトルで、電子出版をテーマにしています。そして著者は、次のように述べています。

 

 「電子出版市場に関しては立ち上がりが遅れていたが、キンドルやiPadが登場、国内企業もいろいろ動きをみせていることで潮目は変わろうとしている。その意味で前田塁『紙の本が亡びるとき?』や佐々木俊尚『電子書籍の衝撃』などで論じられている現在の出版状況は、2001年に『本コロ』のとらえていた地殻変動の予兆の延長線上に生じた部分が多い」


 第4章の末にある「キャラ/テクノ/スーパーフラット」では、笠井潔が本格ミステリーの登場人物について打ち立てた「大量死論」について、著者は次のように述べています。

 

 「笠井の『大量死理論』は、人類の世界大戦の経験が本格ミステリーの発展に影響したのだとしている。この時代以前からシャーロック・ホームズなどのミステリー小説は存在していたが、ヴァン・ダイン、ディクスン・カー、エラリー・クイーン、アガサ・クリスティなどの作家が活躍して本格ミステリーの黄金期と呼ばれる時代が訪れたのは、第1次世界大戦後のことだった。

 笠井は、世界大戦における大量の死は人間をただの『数』にしたのに対し、本格ミステリーは工夫をこらしたトリックで登場人物を殺害し、名探偵の明晰な推理によって解決することで無意味なはずの死に光輪を与える表現なのだという。そのような手続きを経て、パズルのピースでしかない『キャラクター』は、『人間』に回帰する」


 「すべては個室になるか―森川嘉一郎『趣都の誕生』」では、秋葉原という街について著者は次のように述べています。

 

 「ゼロ年代に最も話題になった街といえば、秋葉原だろう。ファッションや音楽などの先端として渋谷がもてはやされた1980~90年代には、マニアックな趣味に没頭しファッションに無頓着な(人が多いとされる)オタクには、揶揄の視線が向けられることがしばしばだった。だが、宮崎駿の映画が海外で高い評価を受けたことなどを契機としてアニメ、マンガ、ゲームなどの分野は日本を代表するコンテンツという位置づけがされるようになった。また、『萌え』のカルチャーが広まり、その種の嗜好が一般化したことでオタクに対する否定的評価は弱まった。逆にオタクはこの時代を代表する人格類型と化し、彼らの聖地アキバも注目度が上昇したのである」


 「『過去』失い流動化する地方―三浦展『ファスト風土化する日本』」では、ベストセラーの著者である三浦展について、次のように述べています。

 

 「『ファスト風土』や『ジャスコ文明』など、マーケティング・プランナーである三浦展は印象に残る造語をよく作る。また、ベストセラーになった『下流社会 新たな階層集団の出現』(2005年)をはじめ、彼の多くの著書が、目次の章題さえ眺めれば全体の内容がおおむね把握できる作りになっている。このあたりは、実に新書向きの書き手である。短時間で旬の話題を仕入れ理解したいという、ファストフード的な欲望を持つ新書ユーザーに応えるノウハウを持っている」


 以上、わたしの目についた部分の抜き書きですが、こうやって各文章を並べてみると、「ゼロ年代」の姿がおぼろげに浮かび上がってくるような気がします。最後に、終章「2010年代に向けて」で、著者はキーワードとして「現実の時代」を持ち出します。ゼロ年代において人々が、性急かつ直接的に「現実」に触れたがる欲望を持つ傾向があることを指摘し、著者は次のように述べます。

 

 「人文的思考を否定し統計の数値に絶対的真実を求めたがる傾向や、ネット住民と政治家の双方が既存のマスコミを信じなくなる一方、(無前提に)ネットにこそ直接性や本当があると思いたがる傾向にも『現実』にじかに触りたいという性急さがうかがわれる。そのような性急さのこわばりをほぐし、2010年代のナビゲーションにむけて冷静に思考するためにも、アーキテクチャとコミュニケーションというような複数の水準に対する批評が、これからも行われていくべきなのだ」

 

 本書は、これからの時代を見るための見通しを良くする本だと思います。その意味でも、いわゆる「ナビゲーション・ブック」であると言えるでしょう。