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夜と霧』

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No.0521

 

 『夜と霧』V・E・フランクル著、霜山徳爾訳(みすず書房)を再読しました。

 

 もう何回も読み返した本ですが、クリスマスが近くなると思い出します。本書の中には、クリスマスについての忘れがたい内容が書かれているからです。 とはいえ、それは悲しい内容なのですが・・・・・。 本書は改めて説明する必要もないほど有名な本ですが、涙なしには読めません。

 本書のサブタイトルは、「ドイツ強制収容所の体験記録」です。帯には「〈評する言葉もないほどの感動〉と絶賛(朝日新聞)された史上最大の地獄の体験の報告。人間の偉大と悲惨を静かに描く」と書かれています。

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「解説」
1.プロローグ
2.アウシュヴィッツ到着
3.死の蔭の谷にて
4.非情の世界に抗して
5.発疹チブスの中へ
6.運命と死のたわむれ
7.苦悩の冠
8.絶望との闘い
9.深き淵より
「訳者あとがき」

 人が生きる上で最も必要なのは希望を持つことです。 わたしたちが将来に希望を持つことができれば、今がどんなにつらくても我慢できます。
 しかし、将来に希望が持てないような極限状況に置かれたとき、人はどうなるのか。
 例えば、第2次世界大戦中に600万人にも及ぶユダヤ人がアウシュヴィッツなどの強制収容所で虐殺されましたが、あなたがそこに送られたとしたら、どうするでしょうか。

 本書の著者ヴィクトル・フランクルは、アウシュヴィッツから生還したウイーンの精神科医です。彼は、第2次大戦中に強制収容所に送られた体験をもとに本書を著しました。彼が強制収容所に送られたのは、ユダヤ人であるというそれだけの理由でした。彼の両親、妻、2人の子どもも収容所に送られ、ガス室で殺されたり、餓死したりしました。
 収容所から生きて出ることはほとんど不可能であり、いつまでそこにいるのかは、わかりませんでした。フランクルは、これを「期限なき仮の状態」と呼びました。

 この状態に流れる時間は、瞬間のように速く過ぎ去るものでした。終わりのはっきりしない生活は、人々から生きる目的を奪い去ったからでしょう。

 これとは対照的に、1日は無限とも思われるような時間が流れました。さまざまな小さな悪い出来事が重なったからです。人々は小さな変化に死を予感したりして、びくびくしなければなりませんでした。そのために収容所内の人々は、1日の長さは1週間よりも長く感じられるという、奇妙な時間の経験をしたのです。


 収容所内の人々のあいだには、働き者は生き延びることができるという噂が広がっていました。また、ヒゲを剃ることはガス室に行くことを遅らせると思われていました。なぜなら、若く見えるからです。しかし、これはまったく意味のないことであり、人々は無感動という内的崩壊に陥りました。あるものは過去に逃避し、あるものは未来に逃避しました。

 1944年のクリスマスと翌年の新年とのあいだに、大量の死亡者が出ました。
これは、フランクルによれば、過酷な労働条件によるものでも、悪化した栄養状態によるものでも、悪天候や伝染疾患によるものでもありませんでした。原因は、多数の人々がクリスマスには家に帰れるだろうという、素朴な希望に身をゆだねたからです。希望から失望、落胆へと急激に落ち込むことが生命の抵抗力を致命的に奪ったのです。

 

 精神科医のフランクル自身は、生き延びる人々は約5パーセントであると見積もっていました。同時に、それだから落胆したり、希望を捨てる必要はないとも考えていました。いかなる人間も未来を知らないし、次の瞬間に何が起こるかを予想できないからです。結果的に、フランクルは生きて地獄のような強制収容所を出ることができました。


 生きる望みも少なく、生きる目的も奪われた状況において、彼はなぜ生き延びることができたのでしょうか。彼によれば、発想の転換が必要だといいます。わたしたちが絶望しても、なおも自分が人生に何を期待できるのかではなく、反対に、人生が自分に何を期待しているのかが問われるのだといいます。


 わたしたちが人生の意味を問うのではなく、わたしたち自身が問われたものとして体験しなければなりません。人生がわたしたちに毎日毎時、問いを発し、わたしたちはその問いに対して口先だけでなく、正しい行為によって答えなければならないのです。人生とは、結局、人生の意味を問う問題に正しく答えることであり、人生が各人に与えた使命を果たすことであり、日々の務めを行うことに他ならないのです。

 フランクルは家族をはじめ、親しい者の死を身近に体験することで、人生に意味を与えることの大切さを痛感したのです。本書『夜と霧』をはじめ、『死と愛』(霜山徳爾訳、みすず書房)、『それでも人生にイエスと言う』(山田邦男・松田美佳訳、春秋社)といった彼の一連の著書には、このことが書かれています。

 さて、収容所にはフランクルと一緒に1人の地理学者が収容されていました。彼は地理の本をシリーズで刊行していましたが、まだ完結していませんでした。 その学者にとって、無事に戻って「本を出す」ことが人生の意味になっていたのです。結果、彼は生き延びました。また、自分を待つ娘のいる父親にとって、無事に「娘に逢う」ことが人生の意味となった。彼も生き延びました。

 わたしは、最新刊『のこされた あなたへ』(佼成出版社)の「あとがきにかえて 別れの言葉は再会の約束」で、フランクルの収容所体験について書きました。2011年9月11日に書いた文章でしたが、愛する人を亡くした人たちに向けて、わたしは次のように語りかけました。

 「愛する人を亡くしたあなたは、愛する人との再会を希望として、生きください。そして、さまざまな信仰や物語を超えて、いずれにしても、必ず再会できるという真実を絶対に忘れないで下さい。今日は9月11日、あの米国同時多発テロから10年、そして東日本大震災から半年が経過しました。これからも、世界では多くの地震や津波や台風で、そしてテロや戦争で、多くの人命が失われることでしょう。また、天災や人災でなくとも、病気や事故などで多くの方々がこの世を卒業されていくでしょう。 愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。 しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。 けっして、絶望することはありません。 けっして、あせる必要もありません。 最後には、また会えるのですから」

 本書は、「希望」が人間にとってどれほど重要なものであるかを教えてくれます。

 最後に、本書の最終ページに出てくる言葉を紹介したいと思います。わたしは初めてこれを読んだとき、大きなショックを受けました。そして、けっして忘れないようにしようと心に決めました。それは、アウシュヴィッツのガス室で殺されたユダヤ人たちの死体の写真に添えられた次のような言葉です。

 「死体は互いに密着してよりかかっていた。死者の中の家族はすぐ判った。 なぜならばそれは死の苦しみの中にも抱き合っていたからであり、それを解き放すのには骨が折れたからである」