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大人の流儀』

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No.0487

 

 『大人の流儀』伊集院静著(講談社)を読みました。

 

 ベストセラーとして、かなり話題になった本ですね。もともとは「週刊現代」に連載されたエッセイだそうで、単行本化にあたり抜粋、修正しています。帯には「こんなとき、大人ならどう考え、どう振る舞うのだろう。」というリードの後、「『本物の大人』になりたいあなたに捧げる、この一冊。」と大書されています。


 本書は、「春」「夏」「秋」「冬」の4つの章で、さまざまな視点から、大人の考え方や振る舞いが紹介されています。その書名から、ワインの飲み方とか寿司の食い方の類を書いたマナー本かと思っていたのですが、実際は非常に硬派のエッセイでした。


 たとえば「大人の仕事とは、なんぞや」というエッセイでは、今や"時の人"であるソフトバンクの孫正義社長に対して「興銀の問題の時から企業理念に対して疑問が残っている」として、次のように述べます。


 「企業は10年、20年の単位で計るものではない。
 50年でようやくと言っても過言ではなかろう。それほど大変な集合体だ。
 ただ金を儲けるだけが目的なら企業とは呼べない。企業の素晴らしい点はそこで働く人々の人生も背負っていることだ。当然人々には家族があり、そこには未来が(子供たちのことと考えてもらっていい)かがやいている。それらのものをすべてかかえ、なおかつ企業は社会をゆたかにし、人々に何らかの貢献をしていなくてはならない。
 若い人たちは給与で企業を判断するが、己の半生を預け、そこで懸命に働くことが人間形成につながるかということこそが肝心なのだ」

 

 著者の父は、著者が後半生を作家として生きたいと話すと、「つまらぬことを、独り仕事が・・・・・・」と嘆いたそうです。著者は次のように述べています。

 

 「父は事業をやり遂げ、社員とともに働き、成長することが大人の男の仕事であると信じていた。この頃、つくづく父の考えが正しいと思える。
 さまざまなものを背負い、未来を見つめ、現場の戦いを指揮し、荒波を乗り越えねばならぬ経営者は大変だろう。会議は問題点を発見できるが解決法はまず示せない。解決するのは1人ないし、数人だが、やはり1人だろう。孤独だな、社長さんは」


 この文章はなかなかわたしのハートにヒットしまして、わたしは「孤独だぜ、社長さんは」と思わずつぶやいてしまいました。「企業の真の財産は社員である」というエッセイにもグッときました。まるで「人が主役」というドラッカーの言葉を連想するタイトルですが、著者は次のように述べます。


 「企業の価値は資産、資本金、株価などではない。企業の真の価値は社員である。人間である。誰だって仕事の覚え立ては失敗のくり返しだ。中堅になってもなお失敗はある。苦節、苦悩も日々生じる。しかし失敗、苦節が人間の力をつけていく。ここが経営者の歯がゆいところだが、そうして力をつけた企業は底力を持っている。
 『どんな会社に就職したらいいんですかね』
 若者に尋ねられる時がある。
 『魅力的な経営者、それ以上に魅力のある社員がいる会社を選びなさい』
 『今は就職難だから、そんな所まで見る余裕はありませんよ』
 そうではない。人間が20歳を過ぎれば、人の顔、表情、姿を見て、その人が底力を持っているかどうかはわかる能力はあるのだ」


 著者は企業経営者でないにもかかわらず、企業の本質を見抜いていますね。「大人はなぜ酒を飲むのか」というエッセイでは、酒飲みの著者が「最近の若い奴は酒を飲まない」とクダを巻くのかと思いきや、まったく正反対で、次のように述べています。


 「私は若い人に無理に酒を飲みなさい、とは言わない。体質もあるだろう。自分が二日酔いで苦しんでいる時など、酒のない国に生まれりゃよかった、と思うこともあるくらいだ。上司や、恩師、仲間と過ごすのに酒が話の潤滑油になるのも本当だろう。
 しかしそんなことではない。私が酒を覚えていたことで一番助かったのは、どうしようもない辛苦を味わわなくてはならなかった時、酒で救われたことだ。

 眠れない夜もどうにか横になれた。どんな生き方をしても人間には必ず苦節が一、二度むこうからやってくる。それがないのは人生ではない。
 人間は強くて、弱い生きものだ。そんな時、酒は友となる」


 これまた、わたしのハートにヒットしました。しかし、辛さをいつも酒で紛らわし続けていたら、アル中になってしまいますけどね・・・・・。煙草についても著者は「大人の身だしなみについて」で次のように述べています。


 「それにしても煙草を吸ってる人が可哀相である。まるで罪人扱いじゃないか。
 よく若い人が煙草を吸ってる年寄りにむかって嫌な顔をするのを見るが、失礼である。
 君たちが、そうやって何もしないで生きてられるのは、その年寄りが頑張ってきたからである。それに、健康に悪い、と言ったって、年寄りは百も承知で吸ってるの。残りの人生をイライラして何年か生き延びるより、ああ美味いな、と一服してる方を選んでるの」
 著者はかなりのヘビースモーカーのようですが、この一文には煙草を吸わないわたしとしてはひと言あります。煙草を吸っている他人に向かって嫌な顔をするのは、喫煙によって空気が濁り、喫煙者の吐いた副流煙を吸うのが嫌なのであって、喫煙者の健康うんぬんはまったく関係ありません。この一文は、あくまで喫煙者の視点で嫌煙者を見ているのではないかと感じました。まあ、酒といい煙草といい、著者からは「無頼」のイメージ強く感じます。

 

 「無頼」の匂いをプンプンさせる著者は、喧嘩についても「喧嘩の勝敗は覚悟で決まる」で次のように述べています。


 「『喧嘩にはイデオロギーはない。民主主義も共産主義もない。性根だけである。それがわからないようでは喧嘩をする資格はない。
 昔、喧嘩のプロ、仲裁のプロに酒席で戯言を聞いたことがある。
 『こちらに九分の非があってもいったんはじめたらビクッともせんことですわ。押しまくっとったら必ず突破口は見つかりますわ。そういうもんですよ、諍いちゅうもんは』
 九分の非でもそうらしい」

 

 このように酒、煙草、喧嘩について語る著者ですが、「大人の仲間入りをする君たちへ」で、新成人に対して次のようにじつに良いことを述べています。


 「新成人の諸君に少し言っておく。
 1.すぐに役に立つものを手にして、何かが上手く行ってると思うな。すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる。
 2.金をすべての価値基準にするな。金で手に入るものなどたかが知れている。金を力と考える輩は、さらに大きな金の力で、あっという間に粉々にされる。金は砂と同じだ(そう言えば砂金と言うな)。
 3.自分だけが良ければいいと考えるな。ガキの時はそれも許されるが、大人の男にとって、それは卑しいことだ。咄嗟にプラットホームから飛び降り、人を救おうとした、あの韓国人青年の勇気と品格を思い出せ(いちいちそうしろと言ってるんじゃないからね)。
 4.世界を見ろ。日本という国がどれだけちいさく、外国からどう日本人が見られているか。将来、この国はどうなって行くのかを自分で考えるんだ。
 5.神社、寺で手を合わせた経験があるなら、キリスト教、イスラム教、仏教を学んでおくことだ。そこに今の世界観の出発点がおうおうにしてある(食事中に戦争と宗教の話はしない)。
 6.他人を見てくれで判断するな。自分の身形は清潔にしておけ。
 7.20歳から酒を飲めるようになるが、乱れるな。愚痴るな。品の良い酒を覚えろ。
 8.今はこう言ってもすぐにはわからないだろうが、周囲の人を大切にしろ。家族、友、恩師・・・・・・。
 思いついたままに書いたが、ひとつくらい実行してみなさい」


 これは、簡潔にして要を得た素晴らしいアドバイスであると思いました。わたしの本業である冠婚葬祭についても、著者は金言を残しています。


 「大人が結婚式で言うべきこと」では、近頃の結婚式は新郎新婦の見栄が七分で、その見栄にことらが合わせる必要はさらさらないとした上で、次のように述べます。


 「スピーチを依頼されたら、これも断らない。気の利いたスピーチなど言わない方がいい。一番イケナイのは延々と話すスピーチだ。ともかく短いのが肝心。『おめでとう。こんな嬉しいことはありません。おしあわせに」これでよろしい。たとえ内心で『何がおめでとうだ。あんな生娘を貰いやがってこんな口惜しいことはない。地獄に堕ちろ』と思っていても、ただただ笑っておく」


 結婚式の次は、葬儀についても言及しています。「大人が葬儀で見せる顔」というエッセイでは、次のように述べています。


 「葬儀に出席したら大人の男はどんな顔をしておくのか。
 式の長い短いはあるが、その間中、故人との思い出をずっと思い起こしておけばいい。嘆くもよし、笑うもよし。それが人を送ることだ。
 通夜は早く行って、早く引き揚げる。
 それでなくとも家族は疲れているのだから。残された者を労る。相手はもう死んでしまってるのだから・・・・・・」

 

 葬儀といえば、著者は愛妻だった故・夏目雅子さんを亡くしています。夏目雅子の死については、著者はずっと沈黙していました。それが本書では、そのことに触れられています。

「愛する人との別れ~妻・夏目雅子と暮した日々」で、著者は次のように述べます。


 「亡くなった日も雨が降っていました。
 同じ日に銀座で、その頃世間を騒がしていた男が逮捕され、東京が騒然としていましたね。人が死ぬ時はいろんなことが起こりますし、見聞しなくともいいものにも遭います。丁度、仲人の御夫婦が鎌倉から見えていたので、私も冷静でいることができました。同じ病気で苦しんでいる人のためにと解剖を申し込まれました。その間に私は病室に戻って主のいなくなったベッドに初めて横になってみました。私や、世界がどんなふうに彼女の目に見えていたのだろうかと思いましてね。すると正面の壁に真っ白な四角が浮かんでいたんです。入院中そこに画家の矢吹申彦さんから病室が淋しいだろうからといただいた絵が掛けてあったんです。そこだけ日焼けせずに四角に残っていたんです。壁がこの白の時は笑っていたのだと。209日間の時間が、この真っ白な四角なのだと思いました。さぞ辛かったろうとあらためて思いました」


  故人を偲ぶ著者の想いが痛いほど伝わってくる文章です。そして、以下の文章を読めば、愛する人を亡くした著者の悲しみがさらに強く迫ってきます。


 「途方に暮れてしまってからはよく覚えていませんが周囲は皆ひどく心配したようです。救ってくれたのは肉親であり、恩師や友人、後輩であり、もうひとつは酒ですね。眠むれない状況は酒が救ってくれました。アルコール依存症にはなりましたが、これも先輩が救ってくれました。自分は何もしてないんですね。すべて自分以外の人の助けというか、慈愛のようなものに抱かれていたのでしょう。
 この状況を切り抜けられたというか、何とか生き延びてきたら、少しずつ自分がかわった気がします。人間は己でどうしようもできないことが一生で起こり得るし、そうなった人を見守ることは使命というか人間は当り前に手を差しのべるのだと思うようになりました」

 

 その後の著者は、故郷に戻って後輩の野球部の指導をしたり、紆余曲折を経たようです。そして、亡き愛妻の七回忌の後で現在の夫人に出会い、再婚したとか。今では穏やかな日々を送っているという著者は、「死」について次のように述べます。


 「人間の死というものは残ったものに大きなものを与えます。特に親しい人の死はどこかに自分の力が足らずに死なせてしまったと悔んでる人は多いはずです。私もずっとその気持ちは消えません。それに親しい人の死は思わぬ時によみがえって人を狼狽させます。死んでしまっているのだから片付いてもよさそうですが、死ですら片付かないのですから困ったものです」


 そして、本書の最後は以下の一文で終わるのでした。


 「親しい方を亡くされて戸惑っている方は多いでしょう。私の経験では、時間が解決してくれます。だから生き続ける。そうすれば亡くなった人の笑顔を見る時が必ずきます。
 最後に、数年前に観た映画でのチェチェンの老婆のせりふを紹介します。
 『あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終りがあるのよ』」

 

 わが社ではグリーフケア・サポートのための会員制組織のお世話をしています。愛する方を亡くされた、遺族の方々のための会です。配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。そういう辛い経験をされて同じ境遇にある方が集い、語り合う場を提供させていただいています。


 本書の最後に収録されている「愛する人との別れ~妻・夏目雅子と暮した日々」は、愛する人を亡くしたすべての人が読むべきグリーフケアの言葉であると思いました。そして、このエッセイを書いたこと自体が著者にとってのグリーフケアであったのでしょう。