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Title

ダゴン』

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No.0472

 

 『ダゴン』ハワード・フィリップス・ラヴクラフト 原作、原田雅史&宮崎陽介&清水群馬県&洗切直樹 漫画(PHP)を読みました。

 

 各章末の解説は、TRPGデザイナーである朱鷺田祐介氏が担当しています。本書には、ラヴクラフトの初期4作品のコミックが収められています。以下の通りです。


 アラビア砂漠の彼方にある廃都の物語である「無名都市」。漫画家は、原田雅史氏。
 地球の旧支配者クトゥルフの原型を描いた「ダゴン」。漫画家は、宮崎陽介氏。
 異教としてのクトゥルフ神話が初めて登場する「魔宴」。漫画家は、清水群馬県氏。
 クトゥルフ神話全体に通じる"海底における恐怖"を描いた「神殿」。

 

 漫画家は、洗切直樹氏。それぞれの漫画は、なかなか味わいのあるタッチで描かれています。 「はじめに」で、朱鷺田氏は次のように述べています。


 「本書は、クトゥルフ神話の原点というべき、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890~1937)の初期短編4作をまとめてコミカライズしたものです。クトゥルフ神話とは、ラヴクラフトが創始し、その後、多数の作家によって書き継がれてきた、いわば人造神話であり、その影響はいまや日本で独自のコア・ファンを多数生み出し、アニメやゲームの世界にも数多く取り入れられるようになっています」


 「20世紀最大の怪奇小説家」と呼ばれるラヴクラフトは、多数の短編を残しました。本書では、その中から後の神話作品に見られるアイデアが登場した短編を選んでコミカライズしたそうです。


 本書の最初に出てくる「無名都市」の部隊は、アラビアの砂漠にある謎の遺跡です。そこではクトゥルフ神話の特徴である古代種族の存在が語られます。また、魔道書『ネクロノミコン』のおぞましき一節も初めて登場します。「無名都市」の内容は、探検家が、砂漠の中の名も知れぬ廃都の遺跡に出合い、恐怖の体験をするというものです。


 朱鷺田氏は「伝奇ホラーとしては定番の展開ですが、エジプトのミイラやアヌビス像などと言ったありきたりの怪物物に終始せず、誰も見たことのない古代文明へとつなげていくのがラヴクラフトならではのもの」とした上で、次のように述べています。


 「この頃、中東の砂漠には欧米の考古学者たちが入り込み、さまざまな遺跡の発掘を行って成果を上げています。19世紀のナポレオン遠征以来、ピラミッドやオベリスク、巨石神殿やミイラなどエキゾチックな風物が見られるエジプトは考古学の猟場になっており、本作が描かれた翌年の1922年にはツタンカーメン王の王墓が発見され、いわゆる『ファラオの呪い』の事件が起こります。ラヴクラフトは、幼少時より、エジプトに強い興味を持っており、例えば、魔道書『ネクロノミコン』の筆者、アブドゥル=アルハザードは少年時代のラヴクラフトがエジプト人になった場合の名前として考えた名前でした。残された蔵書の中にもラング版『Arabian Night Entertainments』(アラビアン・ナイト/千夜一夜物語の英語題)が見られます」


 さらに、ラヴクラフトが「無名都市」を執筆した時期は中東情勢が混沌としていました。そして、アラビアの砂漠は冒険の舞台としても注目されていたのです。「無名都市」が書かれたのは、第1次大戦と第2次大戦のちょうど間の時期です。


 ラブクラフトが「無名都市」を執筆する直前の1916~1918年、長らく中東を支配していたオスマントルコ帝国に対してアラブ系民族が独立を求めて蜂起するアラブ反乱が起こりました。そこで大活躍したのが英国から派遣された1人の下士官であるトマス・エドワード・ロレンスです。そう、映画史上に残る名作「アラビアのロレンス」の主人公ですね。


 次に表題作の「ダゴン」ですが、ラヴクラフトがアメリカの怪奇小説専門誌『ウィアード・テイルズ』に最初に送った5編の短編の1つで、同誌に最初に掲載されたものです。「クトゥルフの呼び声」への影響が最も明確な作品であり、ここに登場する「ダゴン」は、シュメールやカナーンの神でありながら、クトゥルフ神話の重要な神になりました。


 もちろん、「ダゴン」と「クトゥルフの呼び声」には大きな違いもあります。朱鷺田氏は、次のように述べています。


 「『ダゴン』の執筆後、ラヴクラフトは、ダンセイニの影響もあり、人造神話への傾倒を深め、聖書に登場する邪神ダゴンから、オリジナルの宇宙恐怖神話へとシフトしていきました。そのため、ダゴンはあくまでも、クトゥルフ崇拝の表層的なカバーとなり、人類以前の先文明の神話に置き換えられました。
 さらに、強い影響を与えたのは、大正12年(1923年)の関東大震災だと言われています。当時、第1次大戦の戦勝国側に加わり、環太平洋地域で存在を増しつつあった大日本帝国の首都を直撃したマグニチュード7.9の大地震は日本国内で14万人の死者(現在は下方修正され、10万人余とされる)を出し、首都壊滅に等しい被害を出しました。自然科学に強い関心を持っていたラヴクラフトは、この未曽有の大災害に触発され、世界を揺るがす恐怖を描き出したのです」


 ラヴクラフトが関東大震災の影響を受けていたとは、まったく知りませんでした。かのタイタニック号沈没事件は日本の宮沢賢治に大きな影響を与えています。世界的な天災や人災というものは、当事国以外の国に住む人々の文学的イマジネーションを刺激するようです。ならば、今回の東日本大震災は海外作家たちにどのような影響を与えるのでしょうか。興味あるテーマですね。


 さてダゴンとは、もともとは中東に由来する水界の神です。カナアン(パレスチナ)の海神としてペリシテ人(地中海沿岸地方のパレスチナ人)に崇拝されていました。魚の頭と人間の体を持つ神として描かれるダゴンは、その後、海洋民族として地中海全域で活躍したフェニキア人に信仰されました。ダゴンは同じくカナアンで信仰されていた主神バアル(あるいはハダト)の父ともされています。しかし、残念ながら、現存するカナアン神話ではダゴンに関する記述がほとんど失われてしまっており、詳しいことは不明です。


 では、そのダゴンの存在をラヴクラフトはどこで知ったのでしょうか? 大の神話好きだったラヴクラフトは、多くの神話関係書籍を所有していました。彼が活躍した20世紀初頭、現在ほどオリエントの神話解読は進んでいませんでした。朱鷺田氏によれば、ラヴクラフトが参照したのは、『旧約聖書』の「士師記」と「サムエル記」、ジョン・ミルトンの「失楽園」に登場するダゴンの姿ではないかということです。これらの中で、ダゴンは、その他のオリエントの神と同様に、キリスト教における悪魔、邪神として扱われているのです。


 さて、次の「魔宴」では、おぞましき異教の祝祭が描かれます。ここにも、魔道書『ネクロノミコン』が登場します。


 そして、最後の「神殿」は、Uボートを舞台にした海の恐怖譚です。この作品にも、「クトゥルフ」や「インスマウス」に通じる海底のイメージがあります。朱鷺田氏は、「神殿」をラヴクラフト版の「海底2万マイル」ではないかと考えているそうです。最新鋭の潜水艦が太平洋の底へ導かれ、絶望の中で発見したアトランティスの遺跡に魅入られていく物語ですが、朱鷺田氏は次のように述べます。


 「1860年に発表されたジュール・ウェルヌの『海底2万マイル』で、ノーチラス号がアトランティスの海底遺跡を訪れます。ネモ船長はアトランティスにコスモポリタンの夢を感じていました。1882年、アメリカの作家で元下院議員のイグネシアス・ドネリーが「アトランティス:大洪水以前の世界」を発表し、大西洋に沈んだ大陸こそ人類発祥の地であり、世界の文明はここから発生したのだと主張しました」


 その後、英国オカルト界の重鎮である神智学協会の創始者、ブラヴァッキー夫人が、7つの根源人種の1つが、アトランティスに発生したと主張します。アトランティス・ブームは、20世紀に入っても続きます。1912年、トロイ発掘で有名なシュリーマンの孫を自称する人物がアトランティスを発見したとする記事をアメリカの新聞に投稿し、話題となりました。1924年11月に、ジェームズ・チャーチワードがムー大陸仮説を「ユニバーサル・サービス」紙に発表し、古代の太平洋に巨大な大陸が存在したと主張しました。失われた大陸ブームは、新たなトレンドへと向かったわけです。朱鷺田氏は述べます。


 「ラヴクラフトが『神殿』を書いた1920年は、戦間期ということもあり、世界の各地で探検や調査が行われていました。覇権主義最後の時期であり、各国がこうした『失われた古代大陸』をプロパガンダに使いつつ、各地で民俗学や考古学の調査と称して情報収集をしていました。ナチスドイツのアーネンエルベ(古代遺産協会)が活躍した他、各国で植民地統治を正当化する『偽史』を展開しています。日本ですら、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人は共通の先祖をもつ民族)が唱えられたほどです。そうした「古代史ブーム」を踏まえて、ラヴクラフトは海底にアトランティスの遺跡を登場させました」


 最後に、朱鷺田氏は「クトゥルフ神話は、ある意味、トリビア(雑学)のような楽しみがあります」と述べ、次のように書いています。


 「それぞれの作品は独立していますが、ふと別の作品に触れた際、そこに練りこまれた他の作品との共通項に気づくと俄然、面白くなります。それらの作品をつなぐ細い糸が何を意味しているのか、想像するとわくわくします。その上、書かれた当時の事を少し考えると、それぞれの設定や場面の意味が深まっていきます。気づくと、ハマっている、というのがクトゥルフ神話の魅力です」


 そのクトゥルフ神話の魅力は、想像以上に大きいようです。本シリーズの見事なコミカライズによって、その魅力が多くの人々に伝わるのではないでしょうか。まだまだ、ラヴクラフトの名作は多く残っています。今から、本シリーズの続編が楽しみでなりません。