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津波と原発』

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No.0438

 

 『津波と原発』佐野眞一著(講談社)を読みました。

 

 帯には、「日本の近代化とは、高度成長とは何だったか? 三陸大津波と福島原発事故が炙り出す、日本人の精神」という文章に続き、「東日本大震災にノンフィクション界の巨人が挑む」と大書されています。また帯には、放射能の防護用マスクをつけた、まるで烏(からす)天狗のような著者の写真も掲載されています。


 本書は、以下のような構成になっています。


第一部  日本人と大津波
第二部  原発街道を往く
     第一章:福島原発の罪と罰
     第二章:原発前夜―原子力の父・正力松太郎
     第三章:なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか
「あとがきにかえて」


 本書は、「津波」をテーマにした第一部、「原発」をテーマにした第二部に分かれています。まず、第一部の冒頭で、著者は東京都の石原慎太郎知事の「天罰」発言を取り上げます。著者はどうもハラワタが煮えくりかえるほどの怒りをおぼえたようです。


 「天罰」発言を被災者の神経を逆なでするとんでもない発言であり、石原知事は政治家失格の烙印を自らに押したとして、著者は次のように述べます。


 「『我欲』が日本を悪くしたというのなら、その『我欲』を絶賛した小説で華々しくデビューしたのは石原本人ではなかったか。『天罰』が下るというなら、それはこんな発言をした石原の方にこそ下らなければならない。『我欲』発言のあと、さすがに言い過ぎと思ったのか、『被災者の方々はかわいそうですよ』ともっともらしく付け加えたのが、却って笑止千万だった。こんな小心で品性下劣な男が落選しない限り、また四年間も首都の防災の責任者になるかと思うと、背筋が寒くなった」


 いやはや、どうやら著者は都知事が余程お嫌いの様子ですね。さて、著者は東日本大震災における日本人について次のように述べています。

「大災害はそれに直面した人間の本性をいやでもあぶりだす。それは、人に対する思いやりやいたわりなどの美質を発露させることもあるが、時に卑しさや醜さを露呈させる。
 これだけの大災害に遭いながら、略奪1つ行われなかったつつましさを見せたのも日本人なら、米、水、灯油などをがつがつと買い占めに走るあさましさを見せつけたのも日本人である」


 今回の大震災、それも大津波では多くの死者が出ました。それにともなって大量の遺体が発生したわけですが、津波の犠牲となった家族の遺体を探し求める遺族のドラマが各所で見られました。たとえば、本書には津波で流された83歳の母親を探し続ける男性の次のような言葉が紹介されています。


 「もしかしたら遺体があるかもしれないと思って、自宅から自転車で1時間以上かけて(遺体保管場所の)ベイサイドアリーナに毎日通っているんですが、まだ見つかっていません。というより、遺体と直接対面することができないんです。書類に行方不明者の特徴を書いて、それを担当者に渡して連絡を待つしかないんです。いったいどこに流されてしまったんだろう。あきらめちゃいるけど、家族としてみれば、やっぱり出てきてほしいですね」


 また、本書の内容は基本的に殺伐としていますが、その中で奇妙にユーモラスな雰囲気を漂わす"おかまの英坊"という人物が登場します。著者が常連だったという新宿ゴールデン街「ルル」の元ママで、故郷の大船渡に帰って暮していました。その"おかまの英坊"に震災後の大船渡で再会した著者が「親族はみな無事だった?」と問うと、彼(彼女?)は次のように答えました。


 「ええ、おかげさまで。ただね、一時期、75歳の姉が津波で溺死したっていうデマが流れたのよ。あわてて探したわよ。遺体安置所のお寺に行ったら、ブルーシートにくるまった遺体がずらっと並んでいてね。係員が『これですか?これですか?』って、チャックを開けて一体ずつ見せてくれるのよ。でも全部別人だったわ。
 で、別のお寺に行ったの。行ったのは夜よ。真っ暗な本堂にろうそくが3本立っているの。怖かったわよ。ろうそくの明かりだけを頼りに、ばばあの遺体を一体ずつ確認していくんだから(笑)。係員が『(遺体の)頭を踏まないでください』と注意するものだから、遺体をくるんだシートをひょいひょいとまたいで歩いたわよ。ほとんど溺死体だったわね。結局、その後に姉の無事がわかったの」


 被災地で取材を続けていたある日、著者は宿泊する盛岡市内のホテルに向かう途中、陸前高田の市街地に入りました。そのとき、日がもうとっぷり暮れていました。その情景を描いた以下の文章が、本書の中で最もわたしの心に残りました。


 「暗い夜空には恐ろしいほど明るい満月がかかっていた。その冴え冴えとした月光が、瓦礫の下にまだ多くの遺体が横たわっているはずの無人の廃墟を照らしている。
 それはポール・デルボーが描く夢幻の世界のようでもあり、上田秋成の『雨月物語』の恐怖と怪奇の世界が、地の果てまで続いているようでもあった。
 骨の髄まで凍てつく不気味な世界だった。いま見ているのは黙示録の世界だな。これはきっと死ぬまで夢に出るな。建物という建物が原形をとどめないほど崩落した無残な市街地の光景を眺めながら、ぼんやりとそう思った。
 水たまりだらけの街路は暗く、何度も道に迷った。携帯は通じず、もしここで車がガス欠になったら、間違いなく遭難していた。
 私は暗い車中から無人の廃墟を眺め、あの日車で逃げて津波に追いつかれ、濁流に飲み込まれて絶命した人たちの末期の目に映った光景を想像した。
 彼らが最後に見た風景を、私は生きて見ている。そう思ったとたん、体に震えがきた。そして目の前のうす暗い風景がふいにぼやけた」

 

 まるで幻想怪奇小説の一節を読んでいるような錯覚にとらわれる文章です。文中に出てくるポール・デルボーというのは、かの澁澤龍彦も愛した幻想画家です。震災の直後、「東北の被災地は黄泉の国だ」などと言われましたが、まさにそれを強くイメージさせる、怖ろしく、それでいて美しささえ感じさせる名文であると思います。


 また著者は、次のようにも幻想的な話題について触れています。


 「どんな大津波も海の上では陸地を襲うほどの波の高さはない。だから、仮にその上を船が走っていても、揺れは思ったほどなく、危険もあまり感じない。
このため、三陸地方には古くからこんな怪異譚が数多く伝わっている。
 漁から帰ったら村が忽然と消えていた。その信じられない光景を見て、一夜にして白髪になった漁師がいた。なかには、恐怖のあまり発狂した漁師もいた。
 帰って見ればこは如何に 元居た家も村もなく 路に行きあう人びとは 顔も知らない者ばかり・・・・・・と童謡に歌われた浦島太郎の話は、こうした津波伝説から生まれたともいわれる」


 著者が東京に帰ると、災害報道は福島原発の放射能漏れ事故一色になっていました。それを釈明する東電職員の姿をテレビで観ながら、著者は1997年(平成9年)に起きた東電OL殺人事件を思い起します。『東電OL殺人事件』という著書もある著者は、次のように述べます。


 「東電エリート社員の彼女は、夜な夜な円山町の暗がりに立って客引きした。彼女が昼とは別の夜の顔を持っていることが明るみに出たとき、東電には激震が走った。
 それは、すべて事なかれ主義で物事を進める東電の体質に、『なぜみんな本当のことを言わないの』と身体を張って抗議した彼女なりの抵抗であり、ダイイングメッセージではなかったか」


 そして、第一部の最後に著者は次のように書いています。


 「今回の大災害は、これまで適用してきたほとんどの言説を無力化させた。それだけではない。そうした言葉を弄して世の中を煽ったり誑かしたりしてきた連中の本性を暴露させた。それでもなお生き残る言葉があるとすれば、それこそが、この大災害後にも通用する本物の言葉である。3・11以降、日本は変わった。いや変わらなければならない。
 この未曾有の大災害は、目の前で起きた悪夢のような出来事に『言葉を失う』体験をした人びとの身の上を思いやる想像力の有無を政治家や官僚、ジャーナリストをはじめとするすべての日本人に問うている。
 もし、その想像力が日本人から損なわれているとするなら、それは被災地に広がる瓦礫以上に深刻な精神の瓦礫といわなければならない」


 第二部の冒頭でも、いきなり著者は幻想的な夢の中のような風景を目にします。立ち入りを禁止されている福島の原発地帯に立ち入ったのです。著者は、次のように書いています。


 「まるで夢で見た風景の中を歩いているようだった。通りには人っ子ひとりいないにもかかわらず、横断歩道脇の電柱についたボタンを押すと信号だけは点滅した。それは心臓はとまっているのに、血液だけは流れている死体でも見るようだった。
 東京電力福島第一原子力発電所は、人類がかつて経験したことのない大事故を起こし、いまだ収束のめどさえついていない」


 著者は、その未曾有の原発事故によってゴーストタウンと化した通称「浜通り」の大熊町、双葉町一帯に向かったのです。東日本大震災から約1ヵ月半、福島第一原発の半径20キロ圏内が住民を含めて立ち入り禁止となって3日後の4月25日のことでした。著者は、次のように書いています。


 「場合によっては逮捕されることも覚悟で立ち入り禁止地区に入ったのは、原発事故に対する大メディアの報道に強い不信感をもったからである。新聞もテレビもお上の言うことをよく聞き、立ち入り禁止区域がいまどうなっているかを伝える報道機関は皆無だった。彼らは事実を伝える代わりに、学者や評論家のもっともらしい言説を載せて、言論機関としての体面を保とうとしている。三陸大津波と原発事故は、そうした欺瞞を洗いざらい見せつけたことを、彼らはまだ気がつかないか、気がつかないふりをしている。
 どれだけ自分が福島原発の敷地に近づき、放射能をどれだけ浴びたかを競い合うがごとき情報をYouTubeなどに流す連中の功名心むきだしの姿にもうんざりした。
 現地を見ずにこの原発事故を語る連中のいいかげんさはいうに及ばず、携帯する放射線測定器のピー、ピーという音を英雄気取りで伝えるフリージャーナリストたちのつんのめった報道姿勢に疑問を持ったことも、住民が立ち去った原発の街を歩き、それを等身大に伝えてみたいという気持ちにさせた」


 読んでいて興味深く感じたのは、津波の被害に遭った三陸沖の人々が饒舌だったのに比べて、福島の放射能被害に遇った人々が無口なことでした。このことについて、著者は次のように述べています。


 「誤解を恐れずに言えば、大津波は人の気持ちを高揚させ、饒舌にさせる。これに対して、放射能は人の気持ちを萎えさせ、無口にさせる。それが、福島の被災者が三陸の被災者のような物語をもてない理由のようにも思われた。
 放射能被曝の本当の恐ろしさとは、内面まで汚染して、人をまったく別人のように変えてしまうことなのかもしれない」


 著者は、『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか』という研究論文を出版したばかりの東京大学大学院学際情報学府博士課程の開沼博氏に会ったとき、「同じエネルギー産業に従事しながら、炭鉱労働者には『炭坑節』が生まれたのに、原発労働者に『原発音頭』が生まれなかった。これはなぜだと思いますか」と質問します。


 原発労働者にもたくさん会ったという開沼氏は、この著者の問いに対して「彼らは危険だということをわかりながら、自分を騙しているようなところがあって、その負い目が差別性につながっているような気がしますね」と答えます。以下、著者と開沼氏とのやり取りを本書から引用します。


(佐野)なるほど、その負い目が歌や踊りを生み出せなかった。でも、危険という意味では炭鉱労働も危険だよね。原発労働と炭鉱労働のこの差異はどこにあるんだろう。


(開沼)炭鉱労働者が感じる危険さは、漁師が感じる危険さに似ていると思います。誇れる危険さというのかな。


(佐野)誇れる危険さか。板子一枚下は地獄っていう。原発労働は何シーベルト浴びたからって誇れないものね(笑)。


(開沼)炭坑で死ぬっていうのは、すごくわかりやすいじゃないですか。でも、原発は線量計持たされて、すぐに死ぬわけじゃないけど、目に見えない気持ち悪さってあるじゃないですか。


(佐野)確かに炭鉱労働には、オレはツルハシ一丁で女房子どもを食わしているという「物語」が生まれやすいね。でも、オレが何シーベルト浴びているから、女房子どもが食っていけるなんて、聞いたことがない。原発労働に似ている労働って何かある?売春に似ているのかな。


(開沼)後ろめたい労働という意味では似ているかもしれませんね。


 「あとがきにかえて」で、著者が東日本大震災と近代天皇制の限界について触れた部分にも、いろいろな意味で考えさせられました。著者は、「週刊現代」で政治学者の原武史氏と対談したとき、陸前高田市の広田半島で手持ちのコメを全部集めて住民1人あたり1日1合と決めて配分したという話をします。


 かつて民俗学者・宮本常一の生涯を描いた『旅する巨人』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した著者は、震災後のコメの配分の話を聞いて、宮本常一の発言を思い出します。それは、地方には日本独特の"寄り合い"という民主主義があり、日本人はいつも自分たちで危機を乗り切っていたというものでした。


 このことを思い出した著者は、次のように述べます。


 「そういう集落の姿を見て思ったのは、ちょっと唐突に聞こえるかもしれませんが、近代天皇制にとって最も手ごわかったのは、地域とか共同体じゃないかということなんです。
 今回、天皇と皇后は足立区にある避難所を見舞い、被災者にひざまずいて言葉をかけましたね。あのとき感じたのは、天皇のああいうお姿をもってしても、この天変地異にはかなわないということでした。
 天皇が被災者を見舞うのは、阪神・淡路大震災のときには効果があったんです。ところが今回、地方で発生した歴史的な大惨事に対して、天皇の祈りは届いていない気がする。なぜかというと、近代天皇制は都市型だったからです」



 さらに著者は、この対談で沖縄についても次のように発言しています。


 「明治維新の際に沖縄は琉球処分により日本に併合され、先の敗戦ではアメリカに奪われた。第3の国難である今回の震災で、いくら米軍の"トモダチ作戦"の支援を受けたからと言っても、沖縄の米軍基地問題をうやむやにしたり、忘却したりするようなことがあってはならない。『がんばろう東北』という国をあげてのスローガンが高々と掲げられている今だからこそ、そのことを強調しておきたいですね」



 そして、「あとがきにかえて」の最後、つまり本書の最後に登場したのは、意外にもソフトバンクの孫正義氏でした。石原慎太郎や小沢一郎といった「情けない政治家連中に比べて、孫の言動が飛び抜けて説得力があると思った」と絶賛する著者は、「週刊ポスト」で孫氏へのインタビューを試みます。インタビューの数日前、孫氏は老朽化した原発にかえて、太陽光などの自然エネルギーにシフトすべきという、脱原発復興プロジェクト構想を民主党に提言しています。


 また、100億円の個人寄付とは別に10億円の私財を投じ、自然エネルギー財団も設立すると発表していました。


 著者は、孫氏へインタビューした感想を次のように書いています。


 「孫はインタビュー中、何度も『自分の非力さが悔しかった』と言って、涙ぐんだ。日本一の大金持ちがこの大災害に直面して、何もできない自分の「非力」さを嘆く。おべんちゃらではなく、その率直さに私は胸を打たれた。
 私はこの未曾有の大災害について誰がどんなことを言うかで、その人間の本性がわかると思っていた。この大災害を語る言葉は、学者も官僚も評論家も、災害直後に被災地を取材した私には、空疎でうすっぺらに見えてならなかった。
 それに比べて孫には、被災者を思いやる言葉の深さがあった。それだけではない。孫にはそれを裏づけるだけの実行力があった。この大災害について私が政治家や誰よりも聞きたかったのは孫の意見だった。その狙いは間違いなかった。孫はどこの問題の本質を実のある話として語れる人間はほかにいない。
 だが、それはこうも言える。一介の通信業者に過ぎない孫の言動がいま一番注目される。それはリーダーなきこの国の不幸だと思うのは、私だけだろうか」



 本書には、「原発の父」と言われた正力松太郎をはじめ、「電力の鬼」松永安左エ門、西武王国を築き上げた堤康次郎、それになぜか著者が『カリスマ』でその生涯を描いたダイエーの中内功までが登場します。


 まさに近代日本史を飾った実業家たちが勢揃いといった感じですが、著者にとっての「実業家の中の実業家」、いや真の日本のリーダーは孫正義氏ということなのでしょうか。その真意はわかりませんが、著者が病み上がりの体を押して被災地に赴いて書き上げた本書は、おびただしい数の「東日本大震災」関連本の中でも最も読み応えがあり、深く考えさせられた一冊でした。さすがは「ノンフィクション界の巨人」と言われるだけあって、著者の着眼点と筆力は敬服に値すると思います。