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トラウマの発見』

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No.0449

 

 『トラウマの発見』森茂起著(講談社選書メチエ)を読みました。

 

 東日本大震災以降、被災者のPTSDをはじめとする「トラウマ」の問題がよく取り上げられますね。本書では、その「トラウマ」を人類が発見していく歴史をたどります。著者は、甲南大学文学部人間科学科教授で、専攻は臨床心理学です。


 グリーフケアとは「心のケア」そのものですが、そこで重要になってくるのがトラウマの問題です。「心的外傷」と訳されるトラウマは、災害・事故・戦争・虐待などのたびに存在を示唆されてきましたが、その「発見」は20世紀後半まで遅れました。


 本書では、トラウマを発見しながらも、同時にトラウマの存在をつねに否認しようとする社会の「秘められた欲望」を暴きます。トラウマ発見史の重要人物は、かのフロイトです。


 『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「ハートレス・ソサエティ」にも書いたように、わたしはどちらかとうと「ユング派」で、フロイトの理論にはあまり納得していませんでした。


 なぜなら、フロイトの精神分析学はセックスの問題を過大視しており、全人格的アプローチに欠けると思ったからです。多分に宗教的な要素を含んだユングの理論のほうがしっくり来ました。まあ、そこがブログ『グノーシス主義の思想』に書いたように、ユングの思想はロマン主義に偏しているなどと批判されるわけですが。


 いずれにしろ、思想とは「いいとこどり」の精神で、良いものはどんどん取り入れるべきだと、わたしは思っています。悲嘆にある人の「喪の仕事」のお手伝いをしたいという明確な目的があるわけですから、そのためにはフロイトだろうが、ユングだろうが、マズローやエリクソンだろうが、「いいとこどり」の姿勢で接してゆくべきだと思うのです。


 そして、日本を代表する精神科医であった小此木啓吾がフロイトの「喪の仕事」を重視していたことを知り、わたしもフロイトを見直す気になってきたのです。というか、グリーフケアを学んでいく上で、やはりフロイトは避けて通ることのできない巨人であると思い知りました。そこで、フロイトについての言及が多い本書を読んでみようと思ったわけです。


 前置きが長くなりましたが、本書は以下のような構成になっています。


第一章:惨事、暴力、解離―トラウマとは何か

第二章:惨事トラウマの発見―それは鉄道事故から始まった

第三章:ヒステリーとトラウマ―フロイトの蹉跌

第四章:第一次世界大戦の衝撃―トラウマ研究の高まり

第五章:空白の時代―フェレンツィの実践

第六章:PTSDの成立―第二次世界大戦後のトラウマ研究

第七章:累積したトラウマをいかに浄化するか―現在から未来へ

「あとがき」


 そもそも、「トラウマ」とは何か。第一章の冒頭で、著者は次のようにトラウマを定義しています。


 「私たちの人生は、時に、衝撃的な出来事によって大きく揺さぶられる。暴力、天災、事故、戦争といったものが衝撃的出来事の代表である。こうした衝撃的出来事を、トラウマティック(traumaticトラウマ的)な出来事と呼び、精神あるいは心への衝撃を通してそれらが及ぼす影響をトラウマ(trauma)と呼ぶ。

 トラウマという言葉はもともと身体の怪我(外傷)を意味していたが、19世紀の末ごろから、衝撃的な出来事が精神あるいは心に及ぼす影響をトラウマと呼ぶようになった。日本語に訳す場合には、それが心への影響であることをはっきりさせるために『心的外傷』と訳すことがあるが、『外傷』だけでも用いられることが多くなっている」


 わたしたちの人生には、さまざまな苦労や苦しみがあります。その多くは時が癒してくれますが、ある限度を越えた、あるいはある特殊な性質の苦しみは、時も癒すことができません。そして、当事者はいつまでもその幻影に苦しめられることになります。「トラウマ」という言葉は、この特殊な苦しみにつけられた名前です。著者は、「トラウマ」について次のように説明しています。


 「実際に自らが体験したり、体験した人と間近に接したりすれば、そこに通常の苦しみとは違う何かがあることが理屈抜きに実感される、そのようなものがトラウマである」


 さて、日本におけるグリーフケアの第一人者である高木慶子氏は、阪神・淡路大震災が発生した1995年を「ボランティア元年」とし、東日本大震災が発生した2011年を「グリーフケア元年」と位置づけています。しかし、本書には、「ボランティア元年」の95年は「心のケア元年」でもあったとしています。なぜなら、その年にはオウムサリン事件が発生し、そこでPTSDの問題が大きく浮かび上がってきたからです。著者は述べます。


 「こうした現象を精神医学的に捉えるために、PTSD(Post-traumatic stress disorder 外傷後ストレス障害)という診断名が設けられている。PTSDは、事故、災害、犯罪その他の生命が脅かされるような出来事によって引き起こされた心的後遺症につけられた診断名である。最近では事件や災害が発生するたびに新聞紙上に登場するほど一般化した名称である。PTSDの名の一般化を決定づけたのは言うまでもなく阪神淡路大震災という大惨事であった。じつのところ震災前まではほとんど使われたことのない言葉で、大多数の専門家も震災後にはじめてPTSDという現象を認識し、対策を試み始めたのである。そうした対策に『心のケア』という言葉が使われたのもこのときからである。オウムサリン事件が発生したのが同年であることもあわせて、まさに1995年は日本におけるPTSD元年、『心のケア』元年であった」


 PTSDの基本概念について、著者は「生命の危険にさらされるような事態に襲われたときのストレスが後に残す特殊な後遺症」と考えます。そして、PTSDの診断基準はその症状を3つのグループに分類しています。


 その第1は「再体験」です。


 トラウマ的出来事の体験が、映像にせよ音にせよ身体感覚にせよ、繰り返し体験されることを表します。「再体験」という言葉は、元のトラウマ体験と同じ内容が何度も繰り返し蘇ることを表しています。ここには通常の記憶との相違があります。


 わたしたちは過去の記憶を何度も思いだすことができますが、ふつうそれは過去の体験の正確な反復ではなく、過去の体験をもとに編集された1つの物語なのです。これに対してトラウマ性の再体験は編集を受けません。同じ映像がいつまでも変わらぬ生々しさで体験されます。


 記憶の編集がされていないため、強烈ではあっても1つの物語として語られるようなまとまりを欠き、断片的な場面や印象の集合となります。映画の編集前の断片的フィルムがそのまま保存されるようなものなのです。


 第2の症状は、「回避・麻痺」です。


 これは再体験を引き起こすような状況を避けたり、あるいは感覚や感情を鈍化させることで苦痛を避ける反応です。


 第3の症状、「覚醒亢進」です。


 これは「回避・麻痺」とは反対に感覚が研ぎ澄まされている状態です。次のショックを警戒し、身構えている状態と理解できるでしょう。その結果生じる例として、不眠があります。あるいは日中も緊張状態が続き、小さな刺激に激しい反応が起こることもあります。


 本書を読んでいて興味深かったのは、「心のケア」は日本独自の概念であるというくだりでした。著者は、次のように述べています。


 「PTSDが発生する恐れのある出来事には、ここで例として用いた戦争以外に、災害、事故、犯罪といったものが考えられる。こうしたさまざまの悲劇的な出来事をまとめて『惨事』と呼んでおく。またこうした出来事によるトラウマを『惨事トラウマ』と呼ぶことができる。日本では阪神淡路大震災以来、これらの惨事が発生すると、救助、身体的医療、生活等の復興支援といった援助とともに、『心のケア』が行われるようになった。『心のケア』という言葉が今のような意味で広く使われるようになったのも阪神淡路大震災からである。この大震災が、日本においてはじめて惨事トラウマ後遺症が注目される機会となり、何らかの特別な援助が必要だという感覚が生まれた。それを身体的ケアや物質的な援助と区別するために『心のケア』という言葉が選ばれたのであろう。『体のケア』や『物によるケア』に対する『心のケア』、体あるいは物の(physical)援助に対する心の(psychic,mental)援助という対比がここにある」


 さて現在、「PTSD」と呼ばれているような惨事トラウマがはじめて注目されたのはいつ頃でしょうか。これを考えるとき、トラウマやPTSDの研究書が必ず出発点に置いている出来事があります。


 19世紀後半から急増した鉄道事故です。世界初の鉄道が登場したのは、1825年です。イギリスのストックトン~ダーリントン間のことでした。


 1830年の世界初の営業鉄道の開業日にすでに最初の死亡事故が発生して、1人が犠牲になっています。これが世界初の鉄道事故死でした。その後、1840年から50年の間に、鉄道網は飛躍的に発達しました。初期には小さな事故が相次ぎましたが、1842年にフランスのパリ~ヴェルサイユ線で死者53人を出す鉄道大惨事が起こり、人々は鉄道事故の恐ろしさを思い知ったのです。著者は、次のように述べています。


 「鉄道という文明の利器は、体力を消耗しない『安楽な旅』を提供するとともに、『突如の大惨事の危険』をも提供したのである。鉄道以前の地上交通では、馬車ももちろん事故を起こし、怪我人も発生したであろう。海上交通では、古来からある船舶事故も多数の犠牲者を出したであろう。しかし、馬車事故の犠牲者数はとうてい鉄道事故に比較できるものではないし、船舶事故は鉄道事故と違って、船上の人々か海岸の住民の目にしか触れない。鉄道事故は、人々が日常生活を送る間近で大量の負傷者が発生するという意味で人類がそれまで経験したことのない大惨事なのである。怪我人は近くの病院に担ぎ込まれ、設備の整った病院で治療が行われる。その様子は市民の目に直接触れ、社会全体の関心を呼び起こす。鉄道事故の後遺症が問題になったのはそうした中でのことであった」


 乗客として事故を経験した作家のチャールズ・ディケンズは鉄道事故の後遺症について記しました。医学的研究ではありませんが、これが貴重な記録とされています。


 そして、1866年、鉄道事故に関する重要な医学的研究論文が現れます。イギリスの外科医であったジョン・エリクセンによる「神経系の鉄道事故および他の原因による障害について」と題する論文です。


 エリクセンによれば、鉄道事故が与える衝撃には、揺さぶられることによる物理的衝撃とともに、かつてない質の心理的衝撃がともなうといいます。


 「かつてない」という性質は、馬車などと鉄道の間にある決定的な差異、交通手段と人間の関係のあり方における差異によっても生じるものでした。いずれにせよ、鉄道という近代文明が「トラウマ」という病を生んだことをエリクセンは発見したのでした。


 このことについて、著者は次のように述べています。


 「鉄道事故によってトラウマ現象が発見されたという事実は、近代文明の出現とトラウマの出現が深く結びついていることを表している。それは鉄道に限ったことではない。鉄道以後さまざまの文明の利器が発明され、私たちの生活を便利にし、私たちの欲望を満たしてくれた。しかし、1つの発明が生活を便利なものにすれば、必ずと言っていいほど新しい危険がもたらされる。飛行機は飛行機事故を生み、自動車は自動車事故を生む。交通手段だけではない。新しい科学物質の発見は、新しい毒物の発見でもある。卑近な例では、近年の携帯電話の発明が新たな殺人を生んだことは耳に新しい。近代という時代は、人間の身体に備わる力をはるかに超えた科学技術をもたらしたが、それが個人の対処能力を超えたトラウマ体験も生み出す。文明の利器の登場とその破壊的側面による症状の発生というその後繰り返されていく現象がはじめて登場したのが鉄道事故だったわけである」


 エリクソンが発見した「トラウマ」の研究は、その後、ジャン-マルタン・シャルコー、ピエール・ジャネ、そしてジークムント・フロイトへと引き継がれていきます。そして、人類社会は近代文明の始まりを経て、戦争の時代へと突入していきます。世界大戦の勃発は、かつてない大きなトラウマを人類に与えます。著者は述べます。


 「この20世紀初頭の平安を一挙に、しかも徹底的に破壊したのが第一次世界大戦であった。20世紀初頭の平安は、じつは、民族問題と階級問題の緊張を内に孕みながらのものであった。そして緊張があるがゆえに、許される限り平安を楽しみ、享楽にふける傾向もまた存在した。第一次世界大戦は、それらの矛盾が一気に噴出して、安定をことごとく崩壊させた戦争である。そして、人類が久しく経験しなかった、それどころか人類史上一度も経験したことのないトラウマを生み出す戦いとなった」


 第一次大戦がそれほど大量のトラウマ性障害を発生させた理由をいくつかありました。それについて、著者は次のように述べています。


 「まず技術革新による兵器の発達である。長い歴史を持つ大砲の機能も格段に進歩していたし、戦車、戦闘機の登場は、鉄道、自動車、航空機という画期的な交通手段を生んだ近代科学技術が戦争に導入された結果である。そして、第一次大戦の戦闘の過酷さを決定づけたのは、なにより機関銃の使用であった。

 機関銃がはじめて戦闘に使われたのは、じつは第一次大戦ではなく、日露戦争である。したがって機関銃の登場が戦闘をどのように変えるかは、その経験から知られていてもよかったのだが、第一次大戦を指揮した司令官の多くは、歩兵と騎兵による戦術になじんでおり、機関銃の効果をまだ体験的に知ってはいなかった。その結果、兵士たちは、機関銃の列に向かって突撃し、むなしく全滅するという悲劇を繰り返した。この結果は開戦間もなく膨大な戦死者となって現れた。1914年7月に大戦が勃発してからクリスマスまでに、フランス軍とドイツ軍は合わせて100万人の死傷者を出したと言う。現在進行中のイラク戦争で、アメリカ軍が一桁の死者に神経を尖らせているのと比べて、その落差に愕然とせざるを得ない」


 戦争とは、もともと大量殺人行為です。そこでは、良心の呵責なく敵を殺せる人間が優秀な兵士として賞賛されます。


 軍事訓練とは、いわば殺人マシンとしての「ターミネーター」を作りだすことを理想として開発され、実行されるわけです。兵士たちは、訓練の過程ですでに感情を麻痺させます。そして、効果的な戦闘に向けて作り変えられて戦場におもむくのです。


 戦争が兵士に及ぼす心理的作用は、戦地以前に訓練のなかですでに始まっていると言えるでしょう。しかし、第一次大戦で起こった大量の戦死はこのような訓練を不可能にしました。著者は、次のように述べています。


 「次々と送り出されるいわば素人兵は、いきなり過酷な戦場に放り込まれて、まだ大いに残っている恐怖や悲しみの感受性で、戦争というものを受けとめたことになる。彼らの神経がまいって次々と医学的サンプルを提供するのに時間はかからなかった。十分な訓練を受けない新兵は、言わば生身のまま戦場に放り出され、次々と神経を病んでいったのである」


 第一次世界大戦は、人類がかつて経験したことのないトラウマを発生させました。第二次世界大戦は、その第一次大戦をさらに越えるトラウマを発生させました。著者によれば、後者のトラウマが前者のレベルを越えて、ある意味人類が越えてはならない領域にまで傷が達したことは、ホロコーストと原子爆弾が最もよく象徴しています。


 いずれもその被害者の人生を破壊したトラウマであるとともに、人類全体が経験したトラウマでもあるからです。ちょうど個人のトラウマがそうであるように、もはや人類はそれらのなかった時代に後戻りはできません。


 では、第二次世界大戦によるトラウマはどのように理解されてきたのでしょうか。著者は、この問いについて次のように述べています。


 「これはあまりに大きな問いで、精神医学や心理学だけでなく、思想、文学、芸術、政治といったあらゆる領域に関連している。そして興味深いことだが、ホロコーストと原子爆弾のいずれの問題も、臨床系の分野よりも、思想、文学、芸術などの領域でさかんに議論されてきたように思われる。ホロコーストは西欧世界において思想や文学が格闘すべき主題となり現在に至るまでおびただしい数の作品が生まれてきた。原子爆弾もしかりであり、『原爆文学』という言葉があるくらいである。あらゆる分野で取り組みながら、なおその消化の途上にあるのが、第二次大戦のトラウマである。そこには、個人のトラウマだけでなく、社会のトラウマ、国家のトラウマ、歴史のトラウマといった形で表現できるようなあらゆるレベルの事象がかかわっている」


 2度の世界大戦、そこから派生したホロコーストや原爆という巨大な悲劇を経て、人類はいよいよ「PTSD」という診断名が生まれる時代に近づきます。そこで、ロバート・リフトンという人物に焦点が当てられます。


 戦後、広島の原爆被害者を調査した著書『死の内の生命』で有名な医学者です。原爆が被害者に対して及ぼした心理的影響を研究した彼の仕事は画期的なものだそうです。「原爆被害者に関してこれに匹敵する研究はその後生まれていない」と絶賛しつつ、著者は次のように述べます。


 「リフトンが今までに取り組んだ問題をあげると、広島原爆被害者の研究の他、ホロコーストでユダヤ人大量虐殺に関わった医師、ベトナム戦争帰還兵、そして近年ではオウム真理教事件と、トラウマに関わる重大事件ばかりである。研究だけではなく、ベトナム戦争でも湾岸戦争でも常に反戦運動に積極的に関わり、アメリカにおける反核運動の中心的人物でもある。つまり、人間の暴力性の研究と、その被害者の救済に生涯取り組んできた人なのである」


 このリフトンの研究成果についても、機会があれば今後学んでみたいと思います。


 第七章「累積したトラウマをいかに浄化するか」では、著者は次のように本書の内容を総括し、社会的課題を示します。


 「本書で見てきたように、子どもへの虐待、DV、天災、事故、戦争、犯罪といったさまざまの暴力的、破局的出来事は、トラウマという形で心身に作用し、それが後の後遺症となったり、後の暴力となったりして、長い年月にわたって影響を残していく。トラウマという言葉を鍵概念にすることで、このような広範な事象が人間に与える影響を統一的に理解できるということは、これらさまざまの不幸を防止する対策が、トラウマ予防という点で共通の目的を持っているということを意味する。児童虐待防止対策、防災計画、反戦運動、防犯対策などは、普通別の分野の仕事に属し、それに携わる人々の職種も異なるが、全体として人間を破壊的経験から守り、トラウマの発生を防止するという意味で共通の使命を持っている。個人では防ぎ得ない不幸を防止することが、各分野に関わる専門職や行政の共通の責務なのである」


 トラウマという事態が見えてきたのは、19世紀からの近代社会の中においてでした。そこでは汽車、兵器といった近代科学技術が大きな役割を演じてきました。つまり科学技術によって、トラウマを生み出す規模が爆発的に大きくなったわけです。


 あるいは人間に対する破壊的な作用の規模が爆発的に大きくなったために、その破壊的体験を処理する人間の能力を超えてしまいました。それがトラウマとして現れることになったのかもしれません。著者は、次のように述べています。


 「科学技術の進歩は、原発事故の危険性や、都市の脆弱性といった形で、新たな危険を生み出し続けている。科学技術が発達するほど、それが破壊に使われたり、事故を起こした場合の破壊の規模が大きくなり、かつてであればありえなかったような多量のトラウマを生み出す。とすれば、今現在蓄積されつつあるトラウマはおそらく過去のそれらをはるかに越えているという推測ができる。破壊の規模が大きくなっても、人間のトラウマ処理能力が拡大するわけではない。技術の進化は破壊の次元を変え、その破壊的影響が、身体と脳の機能によって限定されている人間の修復能力を超えてしまう」


 第一次世界大戦において兵士たちのトラウマが注目されましたが、戦後急速に忘れられていきました。著者によれば、その「忘却」は、時の作用によるものではなく、積極的に記憶を障害する働きによるものだそうです。


 意志の力によって記憶の痕跡をなくすことが不可能である以上、記憶を無理やりに抑圧したり、あるいは記憶の中に障壁を作る解離の働きによるものであるというのです。そして、それと同じ戦争の辛い思い出を封印する作用は第二次世界大戦後の日本にもあったはずだとして、著者は次のように述べます。


 「これに関して、川本三郎氏の興味深い論評のことが思い出される。1998年に、黒澤明と木下惠介という戦後を代表する映画監督が相次いで亡くなった年の論評である。同じ年に亡くなった2人の監督には、その死の扱いの点で大きな較差があった。黒澤明の生涯と作品がたびたびテレビ、雑誌、新聞等で取り上げられたにもかかわらず、木下惠介の扱いは比較的小さかった。黒澤と木下両監督の作品の価値にそれだけの差があるのなら特別の意味はないであろう。しかし川本氏は、木下監督が1950年代を通じて絶大な人気を誇った事実に注目する。にもかかわらず1965年ごろを境に、黒澤明と木下惠介の注目度には大きな開きができ、木下監督の名はある世代より下の人々から忘れられてしまった。『いま木下惠介が好きだというのはかなり勇気がいる』と書き出す川本氏は、この事実を、経済的成長によって戦争の記憶を消し去ろうとしてきた人々にとって、木下監督の描く『涙』が、見たくないものになったためと推測する」


 木下監督の代表作といえば、高峰秀子が主演した「二十四の瞳」がすぐに思い浮かびます。瀬戸内海の小豆島を部隊に、戦前から戦後にかけて大石先生という1人の女教師と12人の教え子たちの物語は多くの日本人の涙を絞りました。著者は、次のように述べています。


 「ある時期国民の共感を集め、名監督として尊敬された木下惠介が、しだいに関心の焦点から外れていったのは、木下監督が描く喪失感への直面をもはや観客が欲しなくなったからだと川本氏は言う。高度成長期に向かいつつあった国民にとって、戦争による喪失体験は思いだしたくない、忘れてしまいたい事柄となっていた。あるいは逆にいえば、戦争の喪失感を忘れるために、経済的な成長に邁進しはじめたのである。そのとき木下作品を見て涙することは、もはや国民全体で共有できない体験であり、もし悲しみに襲われるならばそこに恥の感覚がともなうようになった」


 「二十四の瞳」にも見られるように、木下監督が個人の悲しみに焦点を当てるとき、その表現はある種の過剰さをともないます。映画の登場人物の悲しみに同化して共に悲しむことは、観客が弱い自分をさらけ出すことにもなります。そして、それを避けようという心理が観客に働くとして、著者は述べます。


 「木下惠介は、このような個人の悲しみにきわめて感じやすい人であり、観客をその悲しみに同化させるように導く。彼が得意とするこのような描写が、木下映画の魅力であり、観客の多くがその悲しみに同化できたときには、観客は安心して皆とともに悲しみにひたることができた。しかし、全体が悲しみを見なくなったときに1人泣けば、恥ずかしさに襲われる」


 著者によれば、現代はトラウマを収める器の喪われた時代だそうです。過去、個人の力では処理できない強大なトラウマを受け止める器として強力な力を発揮してきたのは、宗教と法ではないかといいます。


 両者は起源としては不可分ですが、近代国家においては領域を限ってそれぞれの領域で機能してきたというのです。まず法の機能は、法による裁きを受け刑に服することで、別の意味では許されるという構造を持ちます。それ相応の報いを受けて罪を償うことが、加害-被害の関係を解消するわけです。


 一方、もう1つの器である宗教は、最後の審判による神の裁きや、閻魔様の裁きによる地獄行きといった、永遠の次元を持ち込むことで、深い罪への報いを提供しました。


 もはや、法や宗教がトラウマを受け止める器であり続けることは困難です。それでは、それらに代わる新しい器を考えなければなりません。わたしは、その新しい器こそ「グリーフケア」であると思っています。著者は、本書の最後に次のように述べています。


 「トラウマ的作用の規模と量がある限度を越えると、それを受け止め処理する器が存在できなくなってしまうことが、トラウマという事象の本質的性質である。『無意識の発見』の著者であり、被害者学の先駆者でもあるエレンベルガーが、災害について次のような定義を紹介している。『しなければならないこととできることとの間に一瞬にして落差を生ぜしめる事件であって、外部よりの援助の増加と迅速にして最善の救援の必要のあるもの』である。これは災害を想定して書かれたものだが、個人や集団のあらゆるトラウマについてそのまま当てはまる。言い換えれば、トラウマとは心の災害なのである」


 トラウマが「心の災害」ならば、グリーフケアは「心の復興」ではないでしょうか。わが社は現在グリーフケアに取り組んでいますが、本書から多くの示唆を得ました。


 本書の内容は、一般読者には専門的すぎる部分もあるかもしれません。しかし、グリーフケア・カウンセラーをはじめとしたメンタルヘルスの専門家がトラウマについての基本を学ぶ場合には必読書でしょう。


 わたし自身、『対象喪失』などとともに何度も読み返したいテキストです。