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自己啓発の名著30』

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No.0459

 

 『自己啓発の名著30』(ちくま新書)を読みました。

 

 著者は、「読書の達人」こと三輪裕範氏です。伊藤忠商事に勤務している現役の商社マンでもあります。本書は、三輪氏から直接送っていただきました。わたしは大いに共感しながら、とても楽しく読ませていただきました。

 

「目次」は以下の通りで、そのまま30冊の名著リストになっています。


「まえがき」


第1章 自伝
  1.ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』
  2.エドワード・ギボン『ギボン自伝』
  3.福沢諭吉『福翁自伝』
  4.勝海舟『氷川清話』
  5.石光真人(編著)『ある明治人の記録』
  6.アンドリュー・カーネギー『カーネギー自伝』
  7.高橋是清『高橋是清自伝』


第2章 人間論
  8.ニッコロ・マキアヴェッリ『君主論』
  9.ラ・ロシュフコー『ラ・ロシュフコー箴言集』
 10.フランシス・ベーコン『ベーコン随想集』
 11.ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』
 12.渡辺一夫『人間模索』


第3章 生き方論
 13.セネカ『人生の短さについて』
 14.マルクス・アウレーリウス『自省録』
 15.洪自誠『菜根譚』
 16.林語堂『人生をいかに生きるか』
 17.トマス・ア・ケンピス『キリストにならいて』
 18.サミュエル・スマイルズ『自助論』
 19.新渡戸稲造『自警録』
 20.幸田露伴『努力論』
 21.アンドレ・モーロワ「人生をよりよく生きる技術」
 22.デール・カーネギー『人を動かす』
 23.森信三『修身教授録』


第4章 知的生活論
 24.ジェームズ・ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』
 25.ショウペンハウエル『読書について』
 26.小泉信三『読書論』
 27.三木清『読書と人生』
 28.梅棹忠夫『知的生産の技術』
 29.P・G・ハマトン『知的生活』
 30.ジョージ・ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』


 著者は、「まえがき」の冒頭で次のように述べています。


 「かつて、読書という営みは、読者が著者と真摯に向き合って対話することの中に、その本質的な意義があるとみなされていました。そして、そのためには、どれだけ時間を費やしても惜しくないと考える読み手が少なくありませんでした。
 ところが、残念なことに、いまや読書においては、何にもまして、即効性と効率性が求められるようになりました。また、その最大の目的も、毎日の仕事や勉強ですぐに役立つようなスキルやハウツーを習得することになってしまったかのような感があります」


 まったく同感です。今では勢いが衰えた観がありますが、少し前までは、本を写真のように高速で読むという速読法が話題となりました。


 さらには、「年収が○○倍になる読書法」のような、即効性や効率性さえも超えた拝金主義そのもののような読書がもてはやされたのです。わたしは、こういった読書の環境汚染ともいうべき流れに強い警戒感を抱き、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)を書いたのです。同書で、読書とは「こころの王国」への入口であると述べました。


 では、「こころの王国」に至る読書にふさわしいのはどんな本か? それは宗教書、哲学書、文学作品などがあげられますが、本書『自己啓発の名著30』で紹介されている自己啓発書もその仲間に入ります。


 では、自己啓発書とはいったい何でしょうか。著者の三輪氏によれば、過去何十年、何百年にもわたって読み継がれてきた、「人生の達人」たちが書き残してくれた名著のことです。三輪氏は述べます。


 「もっとも、『自己啓発書』というと、主として仕事上の役に立たせようとして読むような実用本という、多少『軽い』イメージがあるかもしれません。しかし、本書で取り上げた『自己啓発書』はそうした類のものではなく、皆さんがより豊かな人生を送る上での真の勇気と知恵を与えてくれる、生き方の本質にかかわるものです」


 さらに、著者は次のように述べています。


 「こうした名著ほど、今はやりの速読に向かない本はありません。これらの名著は、まさに1行1行、噛みしめるようにして精読することによって初めて、単なる偉人による抹香くさい説教話としてではなく、日々、私たちが人生を歩んでいく上での万古不易の真理として、自分自身の血肉とすることができるものです」


 そうです、本書は自己啓発の名著を紹介するブックガイドでありながら、同時に巷にあふれる怪しげな速読法へのアンチテーゼの書でもあるのです。


 本書には30冊の名著が紹介されていますが、その中でも著者が特に愛読しているのが森信三の『修身教授録』とジョージ・ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』の2冊です。もし無人島に連れていかれるとして、2冊だけ本をもっていってよいといわれたら、著者は躊躇せずにこの2冊を選ぶそうです。


 これを知り、わたしは嬉しくなりました。2冊とも、わたしの愛読書でもあるからです。特に森信三の名著については、ブログ『修身教授録』でも書いています。三輪氏は、森信三について次のように説明します。


 「森は京都大学哲学科で西田幾太郎の教えを受けたあと、大学卒業後は大学院に進学する一方、師範学校などの講師として活躍しました。そうした中で、森が天王寺師範学校に講師として赴任したのは40歳のときのことで、それはまさに、森が精神的にも学術的にも最も油ののった充実した時期でありました。そうした森の精神的、学術的充実ぶりが見事に反映しているのが本書であるといえるでしょう」


 『修身教授録』には合計79回の授業が収録されていますが、著者はその多岐にわたる内容を次のように4つに大別します。


1.人間としていかに生きるべきかという問題を取り上げたもの。
2.師範学校の生徒として、今後教育を実際に行っていく上で考えるべき問題を取り上げたもの。
3.教育者としてではなく、1人の人間として学問とどう向き合うべきかという問題を取り上げたもの。
4.性欲や試験など思春期の青年にとって重要な問題を取り上げたもの。


 三輪氏は、森信三が多くの授業で一貫して訴えてきたのは、「人間として生を受けたことに対する心からの感謝の念」であるとします。


 『修身教授録』に書かれている森信三の「自分は人間として生まれるべき何らの功徳も積んでいないのに、今、こうして牛馬や犬猫とならないで、ここに人身として生をうけ得たことの辱さよ!という感慨があってこそ、初めて人生も真に厳粛となるのではないでしょうか」という言葉を引用して、三輪氏は次のように述べます。


 「このように、『そもそも、なぜ自分たちは人間としてこの世に生を受けることができたのか』という人生の根本問題について深く思いを致すことによって初めて、私たちは人間としてこの世に生を受けたことに対する心からの感謝の念を抱くことができるようになります。また、そうした人間として生を受けたことに対する心からの感謝を捧げる気持ちになると、『人生二度なし』という『人生の有限性』についても強く自覚することができるようになります」


 この「人生の有限性」というのは森信三の哲学における大きなキーワードかもしれません。さらに三輪氏は、次のように述べます。


 「いくら『人生の有限性』を自覚し、1分1秒たりとも無駄にせずに一生懸命に生きたとしても、それで人生を深く生きることができるわけではありません。なぜならば、それでは単に自己中心的に自分のことを考えるにすぎないからです。それを乗り越えて、他者の悩みや苦しみに対する『十分な察しと思いやり』、換言すれば、他者への共感ができて初めて、人生を深く生きることができるのです」


 さて、三輪氏が無人島へ持っていきたいというもう1冊は、『ヘンリ・ライクロフトの私記』です。三輪氏は、この本について次のように説明します。


 「本書は著書であるジョージ・ギッシングの半ば自伝的随筆ともいえる作品です。話の内容としては、長年貧困の中で文筆稼業をしてきたヘンリ・ライクロフトが50歳のときに、突然、ある友人の遺産として年間300ポンドの終身年金を遺贈されることになり、それまで住んでいたロンドンの安アパートから、『彼がイングランドの中で最も愛していた』南イングランドのデヴォン州に転居することになります。そして、その南イングランドの『祝福された静寂』の中で、ヘンリ・ライクロフトが四季折々の素晴らしい自然や草花を満喫しながら、ゆったりと読書と思索と散歩の日々を過ごした最晩年の1年間を、春夏秋冬に分けて随筆風に描いたのがその内容です」


 わたしは中学生の頃に渡部昇一氏の『知的生活の方法』を読んで、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』の存在を知りました。それ以来、何度も読み返し、三輪氏同様に人生の愛読書のひとつとなっています。そこには、読書人なら誰でも憧れるような究極の知的生活が描かれていますが、中でも最も魅力的なのは次のような彼の本の読み方です。


 「最後まで私は本を読みつづけることだろう、―そして忘れつづけることだろう。全くの話、これには自分でもほとほと困るのだ。自分が今まで折にふれては貯えてきた知識を完全に自分のものにしていたならば、私はあえて自らを学者だと自負することもできよう。絶えることのない心配、苦悩、恐怖ほど記憶力にとって悪いものはないのだ。かつて読んだもののうちからわずかばかりの断片しか私は覚えていないのである。それでも私は、しつように、喜んで読みつづけるだろう。まさか将来の生活にそなえて博学になろうとしているわけでもない。もう忘れるのも苦にならなくなった。刻々にすぎてゆく瞬間瞬間の幸福を私はしみじみと感じる。人間としてこれ以上求めるものはなにもないと思う」
 (『ヘンリ・ライクロフトの私記』ジョージ・ギッシング著、平井正穂訳、岩波文庫より)


 三輪氏は、この究極の知的生活を描いた書について次のように述べます。


 「私はこうしたヘンリ・ライクロフトの隠退後の、ゆったりとした心豊かな読書生活に強く魅惑されるのですが、その一方で、ロンドンで売れない文筆稼業をしていたヘンリ・ライクロフトが、なけなしのお金を手にしながら、『1皿の肉と野菜』をとるか、それとも、ハイネが校訂した1冊の古本をとるかで悩む姿にも深い感動を覚えるのです」


 そう、望外の遺産を手にするまではヘンリ・ライクロフトは非常に貧しい青年でした。それでいて、読書への情熱は誰にも負けない青年だったのです。


 ある日、彼がロンドンの古本屋でギボン畢生の大著『ローマ帝国衰亡史』の初版を見つけました。それは何巻もある非常に重たい本でしたが、彼はバス代を節約するために、その古本屋から遠く離れた自宅までを、15時間もかけて何度も往復し、自分で持って帰ります。この場面を読むたびに三輪氏はいつも胸が熱くなるそうです。ヘンリ・ライクロフトの書物に対する深い愛情と、手許不如意で経済的に非常に苦しい毎日を強いられていた彼の生活が偲ばれるからだそうです。


 最後に三輪氏が述べる次の言葉は、本書全体の最後の言葉にもなっています。


 「知的生活とは決して金銭や生活環境の問題ではありません。ヘンリ・ライクロフトのように、いくら現実では、毎日の食べ物にも欠くような貧困生活をしていたとしても、書物の中では、ギリシャ・ローマ時代の詩人や哲学者と心ゆくまで語り合ったり、ギボンとともにローマ帝国の盛衰について徹底的に論じ合ったりすることもできるのです。それこそが真の知的生活というものであり、それは私たちが心から強く望みさえすれば、誰にでもできることなのです」


 まさに、これこそ知的生活の神髄と言えるでしょう。わたしも、また『ヘンリ・ライクロフトの私記』を読み返してみたくなりました。


 三輪裕範さん、素晴らしい御著書をお送り下さり、本当にありがとうございました。間違いなく、本書は読書案内の「名著」だと思います。