No.0401 神話・儀礼 『古代往還』 中西進著(中公新書)

2011.08.02

 『古代往還』中西進著(中公新書)を読みました。

 著者は日本を代表する古代文学者で、特に『万葉集』の研究で知られています。わたしは、『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)の「聖徳太子」の項で、著者の文献を引用させていただいたことがあります。本書のカバー折り返しには、次のように内容が説明されています。

 「一篇の神話や伝説にはもちろんのこと、一首のうた、ひとつの言葉にも豊饒な物語があふれている。そこから伝わってくるものは、古今東西どこで生をうけていても不思議なほど似通った、ひとびとの喜びや悲しみ、想い、悩み。万葉集からギリシャ神話、ケルト神話まで自在に題材をとり、日本と世界、古代と現代をひとしく眺めるエッセイ83篇。著者の目を通せば、数千年の隔たりも遠く離れた土地も、行き来は自在と気づかされる」

 本書は、以下の7つの章から構成されています。

第一章:降り立った神がみ
第二章:森羅万象
第三章:土地の記憶
第四章:ことばと響き
第五章:ひととひととの交わり
第六章:いまに息づく古代
第七章:普遍なるもの

 これらの7つの章に83のエッセイが収められているわけです。どれもこれも、時空を超えて人類の「こころ」を映し出すものばかりです。特に、世界中の神話に共通点を発見する内容のものを興味深く読みました。たとえば、「スサノオの神」というエッセイです。著者は、古代ペルシャのゾロアスター教のアフラ・マズダとアスラという2神が日本のアマテラスとスサノオに似ていると指摘し、次のように書いています。

 「アマテラスとスサノオとは、いみじくもアフラ・マズダとアスラにそっくりではないか。アフラ(神)は一方でアフラ・マズダとして光明の神となり、片方インドでアスラとして闘争の神となった。
 アマテラスは光明の神であり、スサノオは闘争の神である。
 とういことになれば、スサノオとはアマテラスが悪神への道をたどった神だったということが、はっきりする。アフラ―アスラとちがう点は、アマテラスもスサノオも、もう変化したのちの名でそれぞれがよばれていることである。
 スサノオは本来最高の善神だったのである。おそらくそれは、日本に農耕民が入ってくる以前、雷神を中心とした天地自然の力を畏敬するひとびとの時代のことだっただろう。ところがアマテラスを祖先として太陽を尊ぶひとびとがやってくると、最高神の座をうばわれ、善神に戦いをいどみ、つねに闘争にあけくれる神に転落してしまった。
 たしかに地方神話では、むしろスサノオのほうが中心的に活躍するばあいもある。2神が姉弟であるのは、転落のいきさつを語るものにほかならないであろう」

 また、「馬小屋の誕生」というエッセイも興味深いです。まさに『世界をつくった八大聖人』でも紹介したエピソードなのですが、イエス・キリストと聖徳太子、この東西の2人の聖人の間には大きな共通点があります。言うまでもなく、それは馬小屋で生まれたということです。著者は次のように書いています。

 「聖母マリアに大天使ガブリエルからのお告げがあって懐妊、やがてキリストが馬小屋で誕生したという。
 だれもが知っているキリスト降誕の話である。
 ところが、これとおなじように、聖徳太子も馬小屋でうまれたという。
 『日本書紀』(推古天皇元年4月)によると、穴穂部間人皇女が宮中を見廻っていて、馬小屋に来たときに苦しみもなく皇子を出産した。それが聖徳太子だというのである。
 皇子はうまれながらにしてことばを口にし、知恵があったとかかれている。要するに聖人で、洋の東西ともどもに聖人が馬小屋でうまれたという話をもつことになる。
 そこでこのふたつの話は関係があると考えられてきた。聖徳太子のころ、中国にはキリスト教が伝えられており、景教とよばれていた。ネストリウス派のキリスト教である。その宣教師がもってきた話を日本の使者がきき、日本に伝えたものが『日本書紀』にのせられたのだろうと考えるのである」

 なぜ、キリストにも聖徳太子にも馬小屋で生まれたという伝説が残されているのか。著者は、世界中に広まっていた人間の女性が馬と交わるという、人馬「聖婚」伝説なるものに注目し、次のように述べています。

 「じつはわたしは東北地方にのこる「おしら様」の信仰についての論文をかき、「おしら様」や日本の天の岩戸神話―アマテラス女神の機織の建物に馬をなげこむ話の背景に、王さまのお妃が馬と共寝する儀式があるだろうと推定した。インドでは、この儀式は国家繁栄を祈る最大の儀式である。聖婚とでもいおうか。
 儀式化すると死んだ馬と共寝したり、祭官が王妃を馬の皮でおおったりするらしい。
 キリスト教は、このすでにおこなわれていた祭式を聖人誕生譚にとりいれたのである。相手が馬なのだから、日本の穴穂部間人皇女も、ほんとうは処女懐胎でなければならないが、彼女には夫がいる。うまれてきた子が聖人とされたことから、逆に馬小屋誕生となったのだろう」

 そして、わたしの心に大きな影響を与えた杖にまつわる伝説です。その名も「杖」というエッセイで、著者は熊本県の杖立温泉の話題から各地に残る杖立伝説に触れ、次のように書いています。

 「杖立伝説というのは、英雄や偉人が杖をたてると根がはえて木になったといったり、杖でつつくと湯がふきだしたといったりするものだ。とくに後者には、弘法大師が杖をたてると温泉が出たと伝えるものが多いのではないか。
 ところが古代ギリシャにも、魔法の杖の話がたくさんある。とくにゼウスの子・ヘルメスの杖が有名で、彼はギリシャよりさらに古い時代の神とされるから、ヘルメスの杖の話は悠に5000年をこえていることになる。
 ヘルメスの杖は地中の宝をさがすことができるという。以前、モスクワ郊外のトルストイの邸にいったとき、『邸のどこかに幸福の杖が隠されている』という話を信じた少年トルストイが、終生熱心に杖をさがしたという話をきいた。
 これもおなじ魔法の杖伝説のひとつであろう。
 さらにヘルメスの杖には水脈占い師の杖とおなじ役割がある。杖によって、金鉱脈のほかに水脈もさがすことが可能だったのである。
 おなじ杖はヘブライのモーセももっていた。『旧約聖書』の「出エジプト記」にみられるように、主はモーセにむかって『杖で岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができるだろう』という(17章)。こうなると魔法の杖は万能なもちものとなる。司祭も王もかならず杖をもち、12、13世紀の巡礼僧が杖をもったのも、そのためである」

 また、「転ばぬ先の杖」というエッセイでは、『ギリシャ神話』のエピソードが登場します。テーバイ王の子オイディプスは怪物スフィンクスから謎をかけられます。

 「朝は四本足、昼はニ本足、晩は三本足をもつ動物は何か」と。正解は人間でした。幼児は四本の手足で這い、成長すると二本足で歩き、やがて年老いて杖にすがるわけです。すなわち、杖とは人間が創造した第三の足なのです。

 ヨーロッパでは昔、足が悪くなくても聖人や学者は杖を持ったそうです。なぜなら、それが知恵のシンボルとされたからです。魔法使いも杖を持って、いろんなものの姿を変えました。アイルランドでは杖で泉を湧かせ、地中の金を掘り当てたそうです。オーケストラの指揮者は今でこそ軽やかな指揮棒を振りますが、昔は重い杖でした。杖には人々をリードする力があると信じられていたのです。

 著者は、「こうしてみると、人類が杖に対して抱いてきた感情は、並なみならぬものがある。知恵や幸福がやどるもので、杖に指揮されて生きてきたといってもよかったほどだった」と述べています。これを読み、わたしは杖に強い愛着が湧いてきました。

 それにしても、世界各地の神話の内容がよく似ているのには改めて感心しました。結局、場所は違っても、人間というものは同じような発想をするのかもしれません。

 わたしは昨年、『知ってびっくり!世界の神々』((PHP研究所)という監修書を出しましたが、世界中に似通った神々がいることが面白かったです。

 本書『古代往還』には「文化の普遍に出会う」というサブタイトルがついていますが、神話こそは「普遍」への窓であり、人類の「こころ」を映し出しているように思います。

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