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ありがとうの花』

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No.0406

 

 『ありがとうの花』山元加津子著(三五館)を読みました。

 

 著者は金沢の特別支援学校の先生です。作家でもある山元さんは、三五館を中心に素晴らしい本をたくさん出されています。「すべてのことは、いつかのいい日のためにある」という信条の持ち主でもあります。日本中に、山元さんの大ファンがたくさんいらっしゃいます。


 現在は、病気と闘っている"宮ぷー"こと宮田俊也さんを支えておられます。2009年2月20日、特別支援学校教諭の宮田さんが脳幹出血で突然倒れました。


 一命は取り留めたものの「植物状態」と宣告されます。そして、日本語で「閉じ込め症候群」と訳される「ロックト・イン・シンドローム」となりました。思いをしっかりと持っていながら、体のどこも動かないために、自分の思いを伝える方法がなく、心が閉じ込められた状態です。まさに絶望的な状況だと言えますが、彼には、どんな状況になっても人は絶対に意思を持っていると疑わない元同僚の"かっこちゃん"こと山元さんがいました。


 山元さんは、毎日、入院している宮田さんのお見舞いに行かれています。山元さんは、「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」というメルマガを毎日書かれています。そこには、宮田さんの毎日の様子が詳しく報告されています。意思伝達装置「レッツ・チャット」を使った宮田さん自身のメッセージも伝わってきます。


 毎朝8時に配信されるこのメルマガには、多くの人々が感想や思いをメールで返してくれます。それらを山元さんが宮田さんの枕元で読みます。それが宮田さんにとっては大きな励ましになりました。


 ところが、不思議なことが起きてきました。送られてくるメールはどれも「配信ありがとうございます。宮ぷーに励まされて毎日があります」とか、「宮ぷーが病気になってくれたおかげで大切なことに気づけました」といった内容なのです。


 山元さんは、「宮ぷーと私のほうが励ましていただいているのに、反対に『励まされている』と言っていただけるのは、とても不思議な気持ちがした」といいます。「人はやはり、みんなで思いを伝えあって、いっしょに生きているんだなあ」と思ったそうです。


 送られてきたメールを時々メルマガに載せると、また多くの人々がその人を励ましたり、一緒に考えたり、泣いたり笑ったり、喜んだりします。まるでみんなでひとつの命を生きているというような感じさえしてくるという山元さんは、次のように書いています。


 「私はいつも、このメルマガすごく素敵なんです、すごいんです、と言います。自分の書いているメルマガを、すごいとか素敵って言うなんて、おかしなことかもしれないですが、私ではなくて、読んでくださっているみなさんが素敵ですごいのです。その素敵さ、すごさを、本書をとおしてまた多くの方に知っていただきたいです」


 そう、本書の内容は、この「宮ぷーこころの架橋ぷろじぇくと」というメルマガに寄せられた、さまざまなメールにまつわる真実の物語なのです。


 本書の帯には「誰しも事情はかかえているから!」というコピーがありますが、本書を読むと、「まさにその通り!」と改めて痛感します。


 どれもこれも深く考えさせられるエピソードばかりなのですが、わたしの心に強く残ったものが2つあります。1つは、「二人のお母さん」というエピソードです。


 「人を許す」ということがテーマになっており、山元さんに毎日メールをくれるkeiさんという女性が登場します。keiさんにはお嬢さんがいますが、過失による事故で、いまはベッドに寝たきりになっているそうです。

 

 keiさんは、どうしても、事故を起こした加害者を許すことができません。もし事故に遭っていなかったら、今頃はお嬢さんは就職もし、結婚もしていただろうと考え、加害者が幸せになるのが我慢できないのだそうです。そして、保険金以外に毎月必ず同じ日に、同じ時間に、加害者が病院に来て謝ることを償いの条件の1つにしたそうです。


 ある日、今月はどうしても来れないので日を変えてほしいと加害者から電話がありました。keiさんは、次のように山元さん宛てのメールに書きました。


 「そのようなことは許されることじゃないということが、加害者にはわからないのです。どんなに大切な予定であろうと、将来に関わることであろうと、加害者にはそのような未来があって、被害者はただベッドの上で寝ているだけ。

 せめて月に一回のその日くらい、どんなことがあっても、償うということができないのかと腹立たしく、申し出は断りました。私たちは一生、しあわせなんて来ないのに・・・・・。しあわせになる方法があったら教えてほしい。私はいつもそう思っています」


 しかし、「しあわせになる方法」は本当にあったのです! keiさんの苦悩を知って自分も悩んだ山元さんは、次のメールを彼女に送りました。


 「私はしあわせになる方法、わかります。知っています。

 相手の方に『もうあなたは充分償ってくださったから、もう私たちのことは忘れてしあわせになってくださいね。あなたのしあわせを祈っていますね』とお話されること、そのことのように思えてならないんです。

 私はそのことで、きっときっとお二人がしあわせになられると信じます。

 お嬢さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうかということ、私、充分わかっているつもりです。

 けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、しあわせには決してなれないんだって、思っています。知っているつもりなんです」


 このメールを書いたあと、しばらく迷いながらも山元さんは送信ボタンを押しました。そして、何が起こったか。最初は山元さんのメールを読んで、「いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。何を言ってるのだろう。話にならない」と思ったというkeiさんは、ふと相手に電話をかけて次のように言ったそうです。


 「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、しあわせになってくださいね。私もあなたのしあわせを祈っています」


 「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたのしあわせを祈っているでしょう。長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてごめんなさいね」


 電話の向こうからは嗚咽が聞こえてきました。もう言葉が続かなくなったkeiさんは受話器を置きました。その瞬間、keiさんは今まで感じたことのないようなしあわせな気持ちに包まれたそうです。奇跡は本当に起こったのです。


 やっぱり、しあわせになる方法はあったのです! 胸がいっぱいになったkeiさんは、お嬢さんを抱きしめて泣きました。お嬢さんも、心からお母さんが相手を許したことを喜んだそうです。


 この「許す」という行為を日本では「水に流す」といいます。『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)で、わたしはブッダや孔子やソクラテスやイエスといった聖人たちは大河文明を背景に生まれてきた一種の「水の精」ではないかと書きました。そして、恨みを「水に流す」こと、すなわち「許す」ことこそ、偉大な聖人たちが共通して訴えたメッセージではないかと述べました。


 本書で、山元さんは「許し」が「しあわせになる方法」なのだというメッセージを打ち出していることに深く共感するとともに、わたしはとても嬉しくなりました。


 もう1つ、「中学生のみーちゃんが」というエピソードも心に残りました。


 ある日、中学生のみーちゃんから次のようなメールが届きました。


 「かっこちゃん、突然ですが、質問があるのです。

 死んでもいい命というものはあるのですか? 

 死ぬことを喜ばれる命というものはあるのですか?

 死んだほうがいい命というものはあるのですか?

 このあいだ、ヴィン・ラディンが殺されたとき、アメリカ中がお祝いをしている映像を観ました。かっこちゃんはどう思いますか? 

 なぜ知りたいかというと、私は生きていてもいいのだろうかとよく思うからです。

 私がいなければ、母親も父親も楽だろうなと思うこともあります。いっそ死んでしまおうかと思う日もあります」


 この質問に対して、山元さんは次のように答えました。


 「私は、生きること・死ぬことを決めるのは、私たちであってはならない気がします。

 なぜなら命は私のものではないと思うからです。ヴィン・ラディンさんの命も、みーちゃんの命も、私の命も、自分だけのものではないです。ですから、命を終わらせると決めることを、自分やほかの人が、果たして決めてもいいものなのでしょうか?」


 無抵抗な人間を寄ってたかってなぶり殺しにすることはリンチ殺人に他なりません。また、1人の人間が死んだことを国を挙げて祝うという異常さが、日本の中学生の心も痛めていたとは、本当に悲しくなります。


 ビンラディンはイスラム教徒で、アメリカはキリスト教国家です。わたしは、かつて『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)という本を書き下ろしたとき、キリスト教とイスラム教について徹底的に勉強しました。そして、両宗教間の憎悪と戦争の歴史を詳しく学びました。ここに欠けているのは、まさに「許す」という心だと思いました。本当は、イエスもムハンマドも「水に流す」ことの大切さを知っていたに違いないと思うのですが・・・・・。


 ちなみに、山元さんはユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地であるエルサレムが好きで、よく訪れるそうです。そして、『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』も読んで下さったそうです。山元さんとわたしの縁が、じつはこんなところから始まっていたことを知ったときは「縁は異なもの」とつくづく思いました。


 これらのエピソードの他にも、本書には大切なメッセージがたくさん込められています。


 帯に書かれている「人は信じるに値する」という言葉が心に染みます。