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鉄のライオン』

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No.0367

 

 『鉄のライオン』重松清著(光文社文庫)を読みました。

 

 白石一文氏は、文藝春秋社の編集者でした。彼が担当していた作家の1人が重松清氏です。わたしは白石氏の小説も好きですが、重松氏の小説も大好きです。この両氏は、村上春樹氏に続く日本文学界の宝だと思っています。


 著者とわたしはともに1963年生まれの48歳であり、母校の大学も同じです。そのせいだけではないでしょうが、著者の書くものはとにかく共感できます。


 『トワイライト』や『半パン・デイズ』のような少年時代の思い出を描いた作品群も共感しっぱなしですが、本書は大学時代の物語です。東京の大学に合格し、広島から上京した著者の思い出は、そのままわたし自身の記憶とリンクし、読んでいる間中、「そう、そう」とか「わかる、わかる」とつぶやいていました。わたしだけでなく、1980年代に東京で学生生活を送った人なら、誰でもノスタルジックな気分に浸れると思います。


 本書は12編の作品が収められている短篇集です。最初の「東京に門前払いをくらった彼女のために」から、いきなり泣けます。この小説は次のような書き出しで始まっています。


 「小田急線で新宿まで出て、山手線に乗り換えるつもりだった。ポケットマップの路線図で確認した。新宿、代々木、原宿、渋谷、恵比寿、目黒・・・・・テレビや雑誌でおなじみの街が惑星直列のように並んでいる。新宿から北へ行けば、新大久保、高田馬場、目白、池袋と、こっちも派手だ」


 時は、バブル前夜というべき1981年3月です。 「僕」は、大学の合格発表のために遠く離れた西の田舎町から東京にやって来ます。その「僕」には、同級生の裕子という相棒がいました。高校時代から交際していた彼女は、東京暮らしの相棒にもなるはずでしたが、彼女は志望校に合格できず、郷里に1人で帰っていくのです。


 裕子が帰る日、2人で代々木公園の歩行者天国を歩きます。ちょうど、代々木オリンピックセンターには中国残留孤児の人々が宿泊し、聞き取り調査を受けていました。そして歩行者天国では、今はなつかしい竹の子族が踊っていました。


 「僕」は、「戦争によって家族と引き離された残留孤児」と「派手な服を着て踊る竹の子族」が、ほんの数キロ足らずを隔てて、それぞれの日曜日を過ごしていることに不思議な感覚を覚え、次のように思うのです。


 「時代はふやけてしまったのかもしれない。この街は、沢田研二が『TOKIO』で歌ったように、スイッチ一つでまっ赤に燃えあがってしまう遊園地なのかもしれない」


 2つめの小説「恋するカレン・みちのく純情篇」には、1枚のアルバムが登場します。そのアルバムとは、大滝詠一の「ロング・バケイション」です。。


 わたしは当時、このアルバムを何度聴いたかわかりません。「僕」の友人である梶本が大の音楽好きで、貸しレコード店でレコードを借りてきては、「僕」の部屋にあるレコードプレイヤーとカセットデッキで録音していくのです。その中に「ロング・バケイション」もあったのですが、本書には次のように書かれています。


 「大滝詠一の『ロング・バケイション』は、発売当初は決して大ヒットしているわけではなかった。広告には〈1981年ベスト・ワン本命盤!〉と謳われ――結果的にはそれはものすごく正しいことになるのだが、少なくとも四月の時点での『ロング・バケイション』は、ちょうど村上春樹や片岡義男と同じように、『わかっている奴は分ってる』という存在だった。そして、梶本は、『わかってる奴はわかってる』音楽を聴くことで『わかってるっぽい奴』になりたがる奴だったのだ」


 このあたりの著者の書き方、「うーん、上手いなあ」と思いますね。わたしも、数店レンタル・ショップをハシゴしては、レコードやビデオをせっせとダビングしたものでした。六本木に出来たばかりのセゾングループのAVビル「WAVE」で買ったカラフルなカセットINDEXを使って、自分の部屋でレコードを録音してはドライブしながら聴いたものでした。著者は、次のように書いています。


 「その後、大学を卒業するまで、あいつは何十枚・・・・・もしかしたら百枚を超えるかもしれないレコードを借りてきては、四畳半の僕の下宿でカセットテープに録音していった。


 サザン、ユーミン、佐野元春、浜田省吾、南佳孝、山下達郎、YMO、プラスティックス、松山千春、甲斐バンド、長渕剛、オフコース、角松敏生、P-MODEL、RCサクセション、THE MODS、A・R・B、あみん、中島みゆき・・・・・洋楽なら、クリストファー・クロスにポリスにジャムにストラングラーズにラモーンズに、ワム!、ジェネシス、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、カルチャー・クラブ・・・・・。節操のないチョイスである。そのゴチャ混ぜぐあいこそが80年代だったんだよなあ、という気もしないではない」


 ここに列記されたアーティストの名前を見て、わたしがよく聴いたなつかしい名前も多いですが、そうでもない名もあります。しかし、「THE MODS」というのが出て来て、メンバーの1人だった朝本浩文君を思い出しました。彼とは高校と予備校を通じての同級生で、彼は慶應に合格したので、一緒に東京に出て来て一時はよく会っていました。


 高校時代まったく音楽に無縁だったわたしに、「とりあえず何を聴けばいいのか」「今、どんな音楽が流行っているのか」を教えてくれたのは朝本君でした。わたしにとっての音楽の先生だったわけですが、その後、音楽プロデユーサーとして成功を収めました。UAを売り出したり、沢田研二や広末涼子に楽曲を提供したりしていましたね。


 3つめの小説「マイ・フェア・ボーイ」には、伝説のドラマ「ふぞろいの林檎たち」が登場します。それも、次のように冒頭からいきなり登場します。


 「1983年5月、『ふぞろいの林檎たち』の第一回を観たとき、僕は六畳一間の下宿でひっくり返った。
 言葉の綾ではない。
 オープニング―中井貴一と時任三郎と柳沢慎吾が医大生主催のパーティーに潜り込んだシーンで、僕はほんとうに『どひゃあっ!』と奇声を発して、畳の上で仰向けにひっくり返ってしまったのだ。
 『こいつら・・・・・俺だ!』
 テレビを指さして、言った」


 とにかく、「ふぞろいの林檎」ほど、わたしたちの世代のハートにヒットしたドラマは存在しないのではないでしょうか。このドラマのことは、たしか友人の首藤章三君から教えてもらったように記憶しています。首藤君は朝本君と同じく高校・予備校を通じての同級生でしたが、大学だけは違って、首藤君も慶應に入学しました。今では福岡で輸入アドバイザーの仕事をしていますが、上京当時は本当によく3人で行動していました。


 どこか「ふぞろいの林檎たち」に出てくる3人組と自分たちを重ね合わせていたのかもしれません。本書では、「僕」が「ダメ学生トリオの、四人目に俺がいても、ちっとも不思議じゃない―そんな気がした」と感想を述べています。


 というふうに、12ある短編小説すべてに詳しい感想と自分の思い出を記していたらキリがありませんね。いきなり最後から2つめの「人生で大事なものは(けっこう)ホイチョイに教わった」に移りたいと思います。


 80年代は、とにかく「トレンドの時代」でした。地方から上京したわたしたちは、田中康夫とか泉麻人といったトレンド・ウオッチャーたちの言葉に非常に影響されていました。その流れの中で、いとうせいこうの『ギョーカイ君物語』とか渡辺和博の『金魂巻』とかが出てきたわけです。


 そして、その極めつけがホイチョイ・プロダクションによる『見栄講座』でした。たしか、大学の同級生で、今は野村證券役員の三浦公輝君が教えてくれたように記憶しています。三浦君は仙台出身の伊達男で、オシャレなものに敏感だったのです。


 およそ、「カッコいいもの」「流行しているもの」「INなもの」を全カタログ化したような『見栄講座』の出現に、わたしたちは衝撃を受けました。じつは、わたしの処女作である『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)は、『見栄講座』へのアンチテーゼとして書いた部分がありました。


 当時は、『見栄講座』の内容に反発し、「何を言ってるんだ!」と憤慨したこともありました。『金魂巻』もそうですが、人を外見で判断する袋小路の差別化ゲームに怒りを感じていたのです。でも、今から思えば、ホイチョイ・プロは「シャレ」であの本を書いたのだということが「終りに」の一文を読めば、よくわかります。


 そこには、「『美学』はどうすれば身につくか? それはその人その人の人生の豊饒の中から、自然に熟成してくるものです」と書かれているのです。


 そして最後の小説である「ザイオンの鉄のライオン」には、ボブ・マーリーの名曲が登場します。ザイオンは「シオン」とも呼ばれますが、旧約聖書に出てくる安息の地です。バビロンに囚われている者たちはザイオンをめざすという内容の歌です。


 「僕」は塾のアルバイト講師を務めており、そこで出会ったタケシという中学生からこの歌を教わりました。レゲエが大好きなタケシは、ボブさんというホームレスと行動をともにして家を出る計画を練っていました。いろんな経緯の末、「僕」はタケシの計画を妨害します。当然ながらタケシからは怨まれ、その後、彼と2度と会うことはありませんでした。著者は、次のように書いています。


 「1984年に15歳だった少年は、もう30代の半ばになっている。
 タケシはザイオンを見つけたのだろうか。
 ザイオンにたどり着けたのだろうか。
 そして、僕は―いま、ザイオンにいるのか、それとも広大なバビロンの中に囚われているのだろうか。
 答えは、40を過ぎても、わからない」


 この短篇集は、もともと雑誌に「エスキス'80」のタイトルで連載され、単行本化に際して『ブルーベリー』と改題されました。そして、さらに3年が経過し、文庫化に際して『鉄のライオン』と改題されたわけです。本書の最後で、著者は次のように書いています。


 「僕はいま、ザイオンにいるのか、それとも広大なバビロンの中に囚われているのだろうか。50の大台を目前にしても、わからないことはたくさんある。『知っていること』は確実に増えているはずなのに、『わからないこと』は、真夏のアスファルト道路の逃げ水のように、いつも、手の届かない距離にある。
 だから、僕は本書を『鉄のライオン』と名付けた。

 自著のタイトルに『意志』を込めたのは、これが初めてのことである」


 本書を読み終えて、わたしは80年代にタイム・トリップしたような懐かしさを覚えました。あの頃、大学の勉強も真面目にやらず、雲をつかむようなことばかり考えて、下らないことばかりしていました。無駄な時間をいたずらに浪費し、今から思えばつまらないことに感動したり、悩んだりしていたように思います。


 一般に見て、文化的にも「80年代はスカだった」とされています。たしかに「スカ」だったかもしれません。でも、わたしたちはバブル前夜からバブルの最中にかけて学生生活を送ってきました。


 あの頃、世界は輝いており、何でもできそうな気がしました。それは事実です。本書を読んで、その気分を少しだけ思い出しました。