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もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』

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No.0380

 

 『もしもノンフィクション作家がお化けに出会ったら』工藤美代子著(メディアファクトリー)を読みました。

 

 最初、「面白そうだけど、タイトルがちょっとなあ・・・」と思って読み始めたのですが、いやはや、想像を絶する面白さでした。『もしドラ』ならぬ『もしオバ』に完全ノックアウトされました。著者は、稀代のノンフィクション作家として知られる人です。


 『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』『昭和維新の朝~二・二六事件と軍師・齋藤瀏』『スパイと言われた外交官~ハーバート・ノーマンの生涯』『われ巣鴨に出頭せず~近衛文麿と天皇』『赫奕たる反骨 吉田茂』『悪名の棺 笹川良一伝』などの骨太の著作があり、1991年には『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞しています。


 また、「ラフカディオ・ハーンの生涯」シリーズの『夢の途上』『聖霊の島』『神々の国』なども書いています。ハーンといえば『怪談』で有名な人ですが、著者の工藤美代子は「日常が怪談」の人でした。本書を読めば、そのことがよくわかります。


 彼女は、さまざまな霊の姿が視えてしまう人だったのです。本書は、そんな霊媒体質の著者が怪談専門誌『幽』に連載した実話エッセイ「日々続々怪談」ほかに書き下ろしを加えて単行本化したものです。


 著者は、ノンフィクションを書く仕事を始めた頃、2つのことを自分に誓ったそうです。1つは、絶対に嘘は書かないこと。もう1つは、絶対に盗作をしないことです。著者は、本書の「まえがき」に次のように書いています。


 「それから、誰かがすでに書いたものを参考にするのも止めようと決めた。これは無意識のうちに自分が盗作をしてしまうのが恐かったからである。
 したがって、私は過去15年ほどは、いわゆる怪談と呼ばれる書籍はまったく目を通していない。ただし、ラフカディオ・ハーンの作品だけは例外だった。彼の伝記を書いたために、『怪談』を読まざるをえなかったからだ。それにどれだけの影響を受けたか、自分でもわからないのだが、ハーンの時代と現代とを比較したときに、怪談というジャンルに限っていえば、おそらくあまり大きな変化はないのではないかと感じた。
 『雪女』や『耳なし芳一』のような存在は、平成の時代になっても、どこかで普通に人間と交流しているような気がした。少なくとも自分は、恐ろしい経験はないのだが、奇妙な経験はたくさんあって、未知との遭遇はいくらでもあり得るのだと信じている。彼らを『お化け』と呼んでよいものかどうか、今回少し迷ったのだが、それが一般的には分かりやすい名前であるには違いなかった」


 本書には、そんな著者が不思議な日常を綴ったエッセイが15本収められています。いずれも、巷の怪談実話本によくあるように力づくで人を怖がらせるといった類のものではなく、じんわりと背筋が寒くなっていくような怖さのものばかりです。中でも、帯に「衝撃の文豪怪談実話」と記されている「三島由紀夫の首」が秀逸でした。


 著者は3回の結婚を経験していますが、2番目の夫が日本文学の研究者で、川端康成と親交がありました。それで、著者も川端邸に出入りするようになり、川端康成の未亡人と交友を深めていたそうです。 著者は、川端康成と三島由紀夫の親交に触れながら、次のように書いています。


 「三島と川端の親交はよく知られている。
 私は後に石原慎太郎の『わが人生の時の人々』という本を読んで知ったのだが、三島が市谷の自衛隊総監部を襲って、バルコニーで演説をしてから自殺をしたとき、その直後に遺体を確認したのは川端康成だったそうだ。
 いうまでもないことだが、三島は割腹した後、同行していた青年に介錯をさせ首を斬り落していた。その首が無慚に床に転がっている写真を掲載した新聞や雑誌まであった。
 石原慎太郎もテレビのニュースで、これは徒事ならぬ事件だと察して、すぐに市谷に駆けつけた。すると警察の係員に、現場に案内しましょうといわれたが、その寸前に川端康成が現場を見届けていると聞いて、もはや『重ねてこの私が死者を騒がすことはあるまい』と思い、申し出を断った」


 石原慎太郎氏が市ヶ谷の現場に駆けつけたことは事実です。現場には、川端康成がどこかのホテルか何かで仕事をしていたのか先に来ていたそうです。警察に「石原さんですか。まだ検証は済んでいませんが、現場をご覧になりますか」と訊かれましたが、先に川端康成が現場に入ったと知り、石原氏は断ったそうです。


 石原氏はその日の夕刊で三島が割腹しただけでなく、首をはねさせていたことも知っていました。石原氏は、転がっている三島の首を見たら、きっと何かを感じて取り返しがつかなくなる予感がしたというのです。実際、三島の首を見た川端康成は精神に異変をきたしました。石原氏は述べています。


 「川端さんは明らかに、胴体から離れた三島さんの首を見て何か感じとったんだろう。川端さんも、ある意味では怖いものを書いてもいたけど。あんな耽美的な人が、自分の美的な世界とは異なる、まったく異形なものを見たわけでしょう」


 もともと川端康成は睡眠不足でノイローゼ気味だったそうですが、事件の後、人と話しているときに「あ、三島君が来た」などと言っていたりしたそうです。それから、まもなくノーベル賞作家・川端康成は自殺したわけです。


 その川端康成が自殺した後も、川端邸では奇怪な出来事が続いたというのです。川端の法要のときも同様で、そのときの様子を未亡人は次のように語ったそうです。


 「法要が終わった後で、そのお坊様が私を部屋の片隅に呼びましてね、こうおっしゃったんです。とにかく、この方にはとんでもないものが憑いています。ですから、私にできたことは、お首をおすえしたことだけです。お首だけは元通りにしておきました。しかし、もうそれ以上はできません。
 この霊はさわってはいけないものが憑いていますって、そうおっしゃったんです。

 私は何もしてあげられないんですけど、主人も三島さんのお首のことは気にしておりました。これでとにかく、お首はついたわけですから、もうそこまでですね」


 その言葉を聞いて驚きながらも、著者は「ああ、そういうことだったんですか。三島さんに憑いている何かがお坊様のお経と衝突して、それでお坊様が後ろに倒れそうになられたんですね。相当な勢いだったんでしょう」と言います。さらに、著者は次のように書いています。


 「私の感想を引き取って、夫人はそのお坊様がいかにたびたび除霊をしてきたかを語ってくれた。僧侶の実名も具体的な除霊の例も今では忘れてしまった。ただ、秀子夫人がその高僧を非常に信頼していることだけは、はっきりと伝わってきた」


 また、著者は次のようにも書いています。


 「自殺する少し前に川端は普通の顔で『さっき三島君が来てね』などといって周囲の人を驚かせたという。だとすれば夫人にとっても三島はあたかもまだ生きている人のように、川端邸を訪問する存在だったのかもしれない。
 私が初めて、川端家の客間とおぼしき広い和室に通されたとき、誰かが静かに部屋の片隅に座っている気配を汲み取ったのも当然といえば当然だったのだろう。
 ふいに私は秀子夫人が最後までいいよどんで、とうとう口にしなかったのは、おそらく三島の首から流れた夥しい血のことではなかったかと思い当たった」


 ちょうど、その頃、著者の自宅では甲冑が動くという奇怪な現象が頻発していました。そのことを知った秀子夫人は、青い表紙の般若心経を著者に渡します。


 「あなた、これを差し上げるから、今度あの人たちがやって来たら、これを読み上げて、どうか私には何もできませんからお引取りくださいって、きちんとおっしゃたらいいのよ」というアドバイスつきでした。しかし、その後、著者は何度も怪現象に遭遇しながら、未亡人のアドバイスを一度も実行しませんでした。その理由について、著者は次のように書いています。


 「甲冑が気ままに動きたいのなら動かせてあげたいと思い、それを封じるのは止めた。何が起きても、あの世の人たちにはあの世の理由があろうと考えて、追い払わないことにしている。つまり彼らと、うまく共存したいのである」


 この「死者と共存したい」という著者の想いは、仏教にも通じる平和思想です。キリスト教のエクソシストのように死者を退治すべき「悪霊」とは見なさないからです。 映画「シックス・センス」の世界観にも近いかもしれません。著者は、「知らない住人」というエッセイで次のように述べています。


 「私は人と霊をあんまり区別したくない気持ちがある。霊だって昔は生きていた。だから人として敬意を払っても良いはずだというくらいの簡単な理由からではあるが、とにかく人種に対する偏見がないのと同じように、私には霊に対する偏見もない」


 それが彼らにもわかるのかどうか、著者は古いホテルや旅館で、不思議な時間や場所に異様な服装をした人とよく遭遇するそうです。著者は、彼らについて「坂の途中の家」というエッセイに次のように書いています。


 「あの人たちとは、もうこの世に生きていない人たちである。いや、私にもはっきりとしたことはわからない。彼らがなんだかわからないのだ。あの世とこの世の途中にいる人たちなのか、あるいは、行ったり来たりしている人たちなのか。どうも、正体は不明なのだが、不思議な人たちを街で見掛けることがある。それは10年も前に死んだ知人だったり、現代の人が着ているはずのない服装の人だったりした」


 他には、バリ島を訪れたときの出来事を書いたエッセイが面白かったです。バリ島は多神教の島で、日本の古神道に通じるスピリチュアリティがあるとされます。


 またバリには、「バリアン」という魔術師がいて、白魔術も黒魔術も使うそうです。人間を殺すための呪いをかけたり、それを解いたりするというのです。好奇心旺盛な著者は、バリアンに会いたいと思いながらも我慢します。「バリ島の黒魔術」というエッセイで、そのときの心境を次のように書いています。


 「バリアンに会いに行きたいという言葉を、私はもう少しのところで呑み込んだ。もしもバリアンに会って、目の前で、マジックを見せられたら、私は自分の神経を正常に保てるかどうか、自信がなかった。それに、バリアンに殺人を依頼できるという衝撃的な事実と自分がどう向き合うのかも不安だった。なにしろ、バリアンによっては、相手をすぐに殺せることもあるというのだ。誕生日とか相手の状態とか、さまざまな要素が重なって、ときには殺人がひどく早く実行されてしまう。


 私はゆったりとした時間が流れる美しい南の島の、思いがけない一面を知って、驚嘆していた。そして、あまりこれ以上、バリアンには深入りしないほうが良いと本能的に察知した。なぜなら、バリアンは誰かを呪い殺してくれるのと同時に、自分がバリアンによって呪い殺される可能性もあるのだ」


 このような人を呪い殺すことができる魔術師が当たり前のように存在している不思議さに感心しながらも、著者は次のように述べます。


 「ふと明治時代に日本に来た、ラフカディオ・ハーンを思い出していた。彼もまた、異国で神々をみつけて驚き、感動し、それを文章に残した。このとき私も怯まずに、バリアンについて、もっと勉強してみようかという思いが、ふいに胸の片隅を横切ったのだった」


 そう、本書の全体を通して、著者はラフカディオ・ハーン=小泉八雲のことをずっと意識しているように思いました。それこそ、不思議な因縁でハーンと著者の魂は結びついているのかもしれません。著者は、「霊感DNA」というエッセイで次のように書いています。


 「かつて『怪談』を小泉八雲が書いた時代は、自分が遭遇した奇怪な体験を人々は平気で口にした。それを笑う人も馬鹿にする人もいなかった。
 ところが現代では、そうした話をすると、いかにも無学で無教養な人間のように見られる。だからみんな話さないようになったが、実は私が考えているより、はるかに多くの人が、この世にあって、あの世の人を見かけたり、喋ったり、写真に撮ったりしているのではないだろうか」


 著者は、「事実」と「真実」が違うことをきちんと分かっている人です。また、本人いわく「霊能者」や「超能力者」を全く信じていないそうです。そんな著者による膨大な怪談実話を大いに楽しませてもらいました。お世辞抜きで、こんなに面白いエッセイを読んだのは久しぶりです。


 本書の前作であるという『日々是怪談』もぜひ読んでみたくなりました。