No.0388 宗教・精神世界 『ブッダ最後の旅』 大パリニッバーナ経 中村元訳(岩波文庫)

2011.07.20

 『ブッダ最後の旅』中村元訳(岩波文庫)を再読しました。

 仏教の開祖ゴータマ・ブッダの死は、後代の仏教徒にとって「大いなる死」でした。その「大いなる死」について述べている代表的な経典が『大パリニッバーナ経』です。本書は、『大パリニッバーナ経』をパーリ語の原文から邦訳したものです。

 本書には、死を前にして弟子たちに向けたブッダの言葉が書かれています。たとえば、ブッダは愛弟子アーナンダに対して次のように語っています。

 「さて、アーナンダよ。人間たるものが死ぬというのは、不思議なことではない。しかしもしもそれぞれの人が死んだときに、修行完成者に近づいて、この意義をたずねるとしたら、これは修行完成者にとって煩わしいことである。アーナンダよ。それ故に、わたしはここに〈法の鏡〉という名の法門を説こう。それを具現したならば、立派な弟子は、もしも望むならば、みずから自分の運命をはっきりと見究めることができるであろう、―〈わたくしには地獄は消滅した。畜生のありさまも消滅した。餓鬼の境涯も消滅した。悪いところ・苦しいところに堕することもない。わたしは聖者の流れに踏み入った者である。わたしはもはや堕することの無い者である。わたしは必ずさとりを究める者である〉」と。

 また、多くの弟子たちにブッダは次のように語りかけます。

 「修行僧たちよ。それでは、ここでわたしは法を知って説示したが、お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは、清浄な行ないが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことが、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためである。そして、修行僧たちよ。わたしが、それを知ってお前たちのために説示したが、お前たちがそれを良くたもって、実践し、実修し、盛んにすべきであり、そうしてそれは、清浄な行ないが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことが、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためであるところの、その〈法〉とは何であるか?それはすなわち、4つの念ずることがら(四念処)と4つの努力(四正勤)と4つの不思議な霊力(四神足)と5つの勢力(五根)と5つの力(五力)と7つのさとりのことがら(七覚支)と8種よりなるすぐれた道(八聖道)とである。
 修行僧たちよ。これらの法を、わたしは知って説いたが、お前たちは、それを良くたもって、実践し、実修し、盛んにしなさい。それは、清浄な行ないが長くつづき、久しく存続するように、ということをめざすのであって、そのことは、多くの人々の利益のために、多くの人々の幸福のために、世間の人々を憐れむために、神々と人々との利益・幸福になるためである」と。

 ブッダの死の直前の光景は、次のように美しく描かれています。

 「さて、そのとき沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。また天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の栴檀の粉末は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏でられた。天の合唱は、修行完成者に供養するために、虚空に起った」

 そして、自身の亡骸をどう扱うかについて、ブッダは語ります。

 「アーナンダよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同じように、修行完成者の遺体を処理すべきである。四つ辻に、修行完成者のストゥーパをつくるべきである。誰であろうと、そこに花輪または香料または顔料をささげて礼拝し、また心を浄らかにして信ずる人々には、長いあいだ利益と幸せとが起るであろう」

 尊師の死を目前にして悲しむアーナンダに対して、ブッダは次のように説きます。

 「やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、―すべての愛するもの・好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、向上し来れる人(=ゴータマ)に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう」

 ついに「めざめた人」ブッダは、この世を卒業していきました。本書には、その後の様子が以下のように書かれています。

 「このことを聞いて、マッラ族の者ども、マッラの子たち、マッラの嫁たち、マッラの妻たちは、苦悶し、憂え、心の苦しみに圧せられていた。或る者どもは、髪を乱して泣き、両腕をつき出して泣き、砕かれた岩のように打ち倒れ、のたうち廻り、ころがった、―『尊師はあまりにも早くお亡くなりになりました。幸いな方はあまりにも早くお亡くなりになりました。世の中の眼はあまりにも早くお亡くなりになりました』と言って」

 「そこで、クシナーラーに住んでいるマッラ族は従僕たちに命じた、『それでは、クシナーラーのうちにある香と花輪と楽器をすべて集めよ』と。そこで、クシナーラーに住んでいるマッラ族は、香と花輪と楽器をすべて取って、また500組の布を取って、尊師の遺体のあるマッラ族のウパヴァッタナ、沙羅樹林におもむいた。そこにおもむいてから、舞踊、歌謡、音楽・香料をもって、尊師の遺体を敬い、重んじ、尊び、供養し、天幕を張り、多くの布の囲いをつけて、このようにしてその日を過ごした」

 「そこで、クシナーラーの住民であるマッラ族は尊師の遺骨を、7日のあいだ公会堂のうちにおいて、槍の垣をつくり、弓の柵をめぐらし、舞踊・歌謡・音楽・花輪・香料をもって、尊び、つかえ、敬い、供養した」

 アーナンダからブッダの死について聞いたマッラ族の人々は苦悶し、憂えました。彼らはブッダの遺骨を、7日のあいだ公会堂のうちに安置しました。そして、舞踊・歌謡・音楽・花輪・香料をもって、ブッダを丁重に敬い、供養したというのです。

 さて、以下は拙著『葬式は必要!』(双葉新書)に書いたことです。葬式仏教の批判者や、葬式無用論者たちが必ず口を揃えていうことに、ブッダの葬式観があります。彼らは、ブッダは決して霊魂や死後の世界のことは語らず、この世の正しい真理にめざめて、1日も早く仏に到達することを仏教の目的にしたと言います。

 「当然、ブッダは葬式を重要視していなかった。それどころか、修行の妨げになるので、僧侶(出家者)が在家の人々にために葬式を行うことを許さなかったのだ」と、まるで鬼の首を取ったかのように言うのです。

 たしかにブッダは、弟子の1人から、「如来の遺骸はどのようにしたらいいのでしょうか」と尋ねられたときに、「おまえたちは、如来の遺骸をどうするかなどについては心配しなくてもよいから、真理のために、たゆまず努力してほしい。在家信者たちが、如来の遺骸を供養してくれたのだろうから」と答えています。

 また、自分自身の死に関しては、「世は無常であり、生まれて死なない者はいない。今のわたしの身が朽ちた車のようにこわれるのも、この無常の道理を身をもって示すのである。いたずらに悲しんではならない。仏の本質は肉体ではない。わたしの亡き後は、わたしの説き遺した法がおまえたちの師である」と語っています。

 死は多くの人々に悲しい出来事です。でも、死は決して不幸ではありません。死が悲しいのは、「死」そのものの悲しさではなく、「別れ」の悲しさです。人間にとって最大の悲しみとは、じつは自分自身が死ぬことよりも、自分がこの世で愛してきたものと別れることではないでしょうか。特に自分という1人の人間をこの世に送り出してくれた父や母と別れることは、そのときの年齢によっても多少の違いはあるでしょうが、人生の中でもっとも悲しい出来事のひとつです。

 したがって、どんなに宗教に対して無関心な人間でも、自分の親の葬式を出さないで済ませようとする者は、まずいません。仮に遺言の中に、「自分が死んでも葬式を出す必要はない」と書いてあったとしても、それでは遺族の気持ちがおさまらないし、実際にはさまざまな理由によって、葬式が行われるのがふつうです。

 ブッダに葬式を禁じられた弟子の出家者たちも、自分自身の父母の死の場合は特別だったようですし、ほかならぬブッダ自身、父の浄飯王や、育ての母であった大愛道の死の場合は、自らが棺をかついだという記述が経典に残っています。

 それは葬式というものが、単に死者に対する追善や供養といった死者自身にとっての意味だけでなく、死者に対する追慕や感謝、尊敬の念を表現するという、生き残った者にとってのセレモニーという意味を持っているからなのです。

 さて、ブッダの最期はどうだったのでしょうか。ひどい下痢をして疲労しきっていたブッダは、アーナンダに助けられて、途中で休みながら、クシナガラの村に着きました。そこはマッラ族の人々の住む寒村でした。ブッダはその村はずれにあるサーラ樹の林の中で、2本の樹の間に枕を北に置いた寝床を設けさせ、右脇を下に両脚を重ねて横たえました。最後の夜は急を聞いて駆けつけたマッラ人たちのあいさつを受け、なおも弟子たちに説法を続けました。その間にスパドラという修行者が訪ねて来て教えを受けました。スパドラは、ブッダの最後の弟子となりました。

 次にブッダは弟子たちを呼び集め、仏なり、法なり、教団なり、道なりについて疑問のある者は申し出るようにといいましたが、誰一人、質問する者はいませんでした。疑問がないことを確かめてから、ブッダは弟子たちに向かって次のようにいいました。

 「では、比丘(修行僧)たちよ。汝たちに告げる。もろもろの現象は移ろいゆく。怠らず努めるがよい。」

 じつに、この言葉がブッダの最後の言葉となりました。ブッダはそれから禅定に入り、そのまま完全な涅槃に入りました。まだ悟りきっていない弟子たちは号泣し、すでに悟っている弟子たちは無常を観じてじっとこらえていました。それは紀元前480年前後の夜のことでした。

 葬儀は遺言によりマッラ人の信者たちの手によって行われました。7日間の荘厳な供養の儀式のあと、丁重に火葬に付したといいます。

 ブッダは、決して葬式を軽んじてはいなかったはずです。もし軽んじていたとしたら、その弟子たちが7日間にもわたる荘厳な供養などを行うはずがありません。なぜならそれは完全に師の教えに反してしまうことになるからです。

 それともマッラ人たちは本当にブッダの教えに反してまで、荘厳な葬儀を行ったのでしょうか。教えに従うにせよ、背いたにせよ、マッラ人たちは偉大な師との別れを惜しみ、手厚く弔いたいという気持ちを強く持ったことは間違いありません。本書『ブッダ最後の旅』を読むと、葬儀についてのブッダの本心が見えてくるような気がします。合掌。

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