No.0393 読書論・読書術 『読書のチカラ』 齋藤孝著(大和書房)

2011.07.25

 『読書のチカラ』齋藤孝著(大和書房)を読みました。

 教育学の第一人者である著者は、読書教育を非常に重視しています。名著『読書力』(岩波新書)をはじめ、これまでにも著者には読書に関する多くの著書がありますが、本書は最も新しい読書論です。

 本書の帯には、「泣いて、笑って、人生の苦しさと人間の可能性に深くぶつかっていけ!」というキャッチコピーが踊っています。また囲みコピーで、「人間として一番大切なことを取り戻すために―いま我々が『本を読む』大いなる意義を説く。」と書かれています。

 さらにカバーの折り返しには、「本がある。我々は独りではないのだ。」と大書され、「不安で、たまらない淋しさに襲われるとき、悲しみの底で歯がみするとき、本には、人間の生命を立たしめる力がある。」という一文が添えられています。

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「プロローグ―あらためて問う、本を読む意味」

第1章 私たちを動かす「見えないチカラ」
1.師匠、そして友としての「読書」
2.「心の豊かさ」を求めるなら読書がいちばん
3.「折れない心」をつくるための読書
4.”孤読”を恐れない者の前に、道は開ける

第2章 人生は「出会い」で決まる
1.「自分には無理」は禁句
2.初心者のための「文学案内」
3.なぜ「天才の一生」を読むのか
4.「書評」を利用しない手はない
5.「良書」の条件、「悪書」の罠

第3章 私たちに残された叡智について
1.日本語文化が危ない
2.荒廃しつつある「文学の森」
3.「古典つまみ食い」の技法

第4章 読書を続ける5つの習慣
1.「自問自考」のすすめ
2.活字を目で追うだけが読書ではない
3.書棚があるだけで頭は良くなる
4.「一日一冊」本を読むいちばん簡単な方法
5.「アウトプット」で本は血となり肉となる

第5章 読書力10倍アップの技法

「あとがきにかえて―人は本を読むことで大人になる」

 そもそも、読書とは何か。著者は、「プロローグ」の中で次のように述べます。

 「およそ読書とは、人間がつくり上げた文化の中で、もっとも画期的な発明である。はるか昔、まだ話し言葉の文化しかなかった時代、人類は膨大な年月を費やしながら、大きな文明的発展を遂げることはできなかった。だがその後、文字が発明されたことにより、知識の蓄積と伝達というワザを獲得する。そこから四大文明が生まれ、急速な発展が始まり、今日に至っているのである。
 その過程で、文字を書き留める”媒体”は石版や木簡・竹簡から紙へと進化し、「本」というきわめて利便性の高い形に落ち着いた。人類の発展の歴史は、本によって築かれ、また本に刻まれて受け継がれてきたといっても過言ではない。
 その重要性は、今後も失われることはないはずだ。たとえ紙の本に代わって電子書籍のようなものが普及したとしても、同様である」

 また著者は、「なぜ日本人の精神力は弱くなったのか」という問いを立て、それは日本人が子どもから大人に成育していく中で「精神力」を鍛える訓練をしなくなったからだと言います。食べるものにも困らず、丁稚奉公をすることもなく、剣術や禅の修業をすることもない。教育についても「大学全入時代」を迎えて、以前より競争は厳しくない。日本の子どもは試練を受ける機会が減ってきているというのです。

 しかし、一歩社会に出れば、そうはいきません。むしろ試練のハードルは以前より高いと言えるでしょう。就職そのものも「氷河期」と呼ばれるくらい厳しく、たとえ採用されたとしても不況の中でまったく気は抜けません。著者は、次のように述べます。

 「つまり、20歳前後を境にして環境がガラリと変わるわけだ。
 それまではまったく鍛えられなかったのに、以降からは急激に重荷を背負わされる。
 その荷物の重さ自体もさることながら、このギャップは衝撃的だ。
 だから、精神的に追い込まれる20~30代が増えているのではないだろうか。
 好むと好まざるとにかかわらず、この現状は当面変わりそうにない。
 だとすれば、自力で乗り越えるしかない。それにはどうすればいいか。
 おそらく、その処方箋として圧倒的なパワーを持つのが読書である。
 現状を考えれば、その必要性は以前よりも高まっているといえるだろう」

 仕事でも人間関係でも、何かトラブルに直面したとします。人生経験の少ない若者は、そのトラブルの部分しか目に入らないので、もう「この世の果て」のように思ってしまいます。中には、それを苦に自ら命を絶ってしまうかもしれません。しかし著者は、「どれほど苦しくても、古今東西の人類が乗り越えてきた数多の苦難より深刻とはいえないだろう」と言います。少なくともそういう事実や、その精神の強さを知っていれば、気持ちの部分で救われるし、励みにもなるはずだというのです。さらに著者は述べます。

 「言い換えるなら、およそ人類が到達してきた思考は、きわめて深いのである。それは、地層の奥深くを流れる清らかな地下水のようなものだ。それに比べれば、私たちが日常的に直面するトラブルは、川の水面の濁り水にすぎない。たしかに飲めば苦いが、深く潜れば清流がある。要は、それを知っているか否か、『潜る術』を身につけているか否かが大事なのである」

 著者は、その「潜る力」、「沈潜する力」を授けてくれるのが読書であると断言します。そして、「活字を目で追うのは疲れるし、時間もかかる。その意味では、まったく今風ではない。しかし、その忍耐を越えることによって、初めて清流にたどり着けるのである」と高らかに宣言するのです。

 著者によれば、本を読む意義は3つあるそうです。

 第1は、情報を得るための読書。たとえば、仕事や試験の必要に迫られて読む場合もある。
 第2は、1人の時間を楽しく有意義に過ごすための、頭の中でイマジネーションを膨らませる読書。そして第3は、自分を鍛え、精神を豊かにするための読書。
 第3の読書では、さまざまな人々の伝記などを読むことが重要になりますが、著者は、「天才」と呼ばれる人の人生ほど、読者へのヒントは豊富だとアドバイスします。

 天才の人生に触れると、人間がここまで爆発的なエネルギーを持ち得るということを、圧倒されつつも学ぶことができるというのです。著者は、次のように述べています。

 「天才は気難しかったり、話の意味がよくわからなかったりするため、人として直接付き合うにはいささか面倒なことがある。その点、本なら大丈夫だ。寝転がって読もうが、そこに線を引こうが、何か書き込みをしようが、誰にも文句は言われない。古今東西を問わず、ちょっとでもアンテナに引っかかった人物がいれば、積極的に読むことをおすすめしたい」

 そして、せっかく伝記などを読んだのなら、天才や偉人たちの輝きを味方につけるべきであると著者は訴えます。彼らの考え方や生き方を自分のロールモデルとして取り込むということです。著者は、次のように述べています。

 「だいたい読書というと、読んでも読みっぱなしにしてしまう人が多い。これでは、せっかく知識を仕入れても、『使える』レベルになる前に忘れ去ってしまうだけだ。その点、『読書ノート』のようなものをつくり、しかも引用を多くしておけば記憶に残りやすい。特に凝ったものではなく、簡単なメモ書き程度でも十分だ。少なくともそのノートを見返せば、その本の内容をパッと思い出せるはずである。
 それはちょうど、釣った魚の扱いに似ている。せっかく釣っても捌かずに放っておけば、そのうち腐ってしまう。しかし、きちんと捌いて冷凍保存しておけば、必要なときにいつでも食べられる。ほんのひと手間で後々まで楽しめるとすれば、やらない手はないだろう」

 非常にわかりやすく、的確な例えであると思いました。本書を読んで感じたのは、著者の読書に対する考え方がわたしとも非常に似ているということです。わたしには『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という読書術の本がありますが、じつはその中に著者の名前が登場します。

 同書に「著者像を具体的にイメージして読む―読む前の準備」という項目があるのですが、本を読み始める前、まずプロフィール(著者紹介)を読むことをすすめています。プロフィールを読んで、具体的に頭の中にその人を思い描くのです。その著者が目の前にいると想像することが大事です。そして、わたしは次のように書いています。

 「たとえば、明治大学教授の齋藤孝さんの本を読むときだったら、自分が明治大学に訪ねて行って、近くの喫茶店の窓際の席に陣取って齋藤さんの話を聞いているとか、何でもいいのです。たとえばあなたの部屋にその著者がやってきたといった、なるべくリアルな場所の様子を具体的に考えていけば、臨場感が高まってきます」

 わたしも大の本好きですが、著者も本当に本が好きな人のようです。本書『読書のチカラ』のあらゆるページから、著者の読書に対する思い入れが伝わってきました。かつて著者が書いた『読書力』も素晴らしい内容でしたが、本書も読みやすくて、読書の効用が具体的に理解できる好著でした。

 わたしも、また読書についての新しい本が書きたくなりました。

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