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NQ』

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No.0352

 

 『NQ』キム・ムゴン著、久保直子訳(ソフトバンク・パブリッシング)を読みました。

 

 内容は、「人間を幸福にする『思いやり』指数」というサブタイトルそのままです。帯には、「IQ(知能)とEQ(心)の時代は終わった!! これからは、他人を幸福にすることで自分も幸福になるNQ(共存)の時代だ!!」と書かれています。


 著者は1961年に韓国で生まれ、延世大学経営学科卒業後、来日して東京大学大学院で社会学を学びました。専攻は社会心理学で、博士号を取得しています。


 現在は、韓国東国大学の新聞放送学の教授だそうです。本書は、もともと韓国で『NQで生きろ』のタイトルで2003年に刊行され、大変なベストセラーになりました。


 しかし、2004年に邦訳が出た日本ではほとんど話題になりませんでした。いかにも、わたし好みのテーマなのですが、本書の存在はまったく知りませんでした。


 それが、「サロンの達人」こと佐藤修さんの今年4月24日のブログ記事「IQからEQ、そしてNQへ」を読んで、本書を読んでみたくなったのです。


 一読して、わたしの考えや主張と共通する部分が多いことに驚きました。読む前の想像よりも、はるかに興味深く読むことができました。


 タイトルにある「NQ」とは、共存指数としての「Network Quotient」の略称です。


 知能指数としてのIQ(Intelligence Quotient)はもちろん、感情指数として一世を風靡したEQ(Emotionarl Intelligence Quotient)も、人間を幸せにすることはできないと著者は訴えます。IQもEQも、結局は、個人の成功を追及するだけで、他者への関心が欠如しているからというのです。


 これまで、「こころの知能指数」などと呼ばれてきたEQは、他人への共感能力も含むとされていますが、それはそのまま共存指数にはつながりません。


 「共感」と「共存」は違うのです。この著者の主張を知って、わたしは「なるほど」と思いました。たしかに、いくら他人の感情を読むことができても、他人に思いやりを示さない人間はいくらでもいます。たとえば、お笑い芸人などは自分の話が相手に受けているかそうでないかという意味で、他人の心を読むのは抜群に優れているでしょう。しかし、その芸人が優しい人間かどうかはまったく別問題です。


 また、いじめっ子というのは、いじめられっ子の感情の動きを読むことに長けています。だから、相手の心を本当に傷つける陰湿ないじめが可能になるのです。


 さらに言えば、相手を騙そうとしている詐欺師、相手を恫喝しているヤクザなども、ある意味ではEQの高さが求められます。


 そんなEQに対して、NQは自分よりも他者を優先し、他人を幸せにすることで、自分も幸せになるという「共存共生」の能力なのです。


 これまでNQが高かった人物といえば誰でしょうか。著者は、まずイエス・キリストの名をあげます。イエスこそは人類におけるNQのチャンピオンであるとして、著者は次のように述べます。


 「わたしがイエスの話をしたのは、彼がNQ(共存指数)の元祖であり、NQの天才だからです。持って生まれたものもなく、後押ししてくれる有力者もなく、自分一人だけの力で成功したイエスこそがNQの元祖だと申し上げたかったのです。IQが高い人よりNQが高い人のほうが素晴らしいという事実を、イエスは手っ取り早く教えてくれるからです。
 ここしばらくは、IQ(Intelligence Quotient:知能指数)が人生全体を支配していました。生まれてから20年間を、IQを上げるために費やさなくてはならない社会に、わたしたちは生きてきました。そこへEQ(Emotionarl Intelligence Quotient:感性指数)が登場し、やれやれと思った矢先、EQもやはりIQの補助手段にすぎなかったのです」


 さらに著者は、「EQからNQへ」について以下のように述べます。


 「わたしは、頭ではなく心で、他人と付き合う能力についてお話ししたいと思います。周囲を見回してみると、人と人の間にネットワークを作り、うまく切り盛りしている人がいませんか?わたしは、そのように周囲の人々と共存する能力が頭より重要だと考えています。人は、この世界で一人で生きていくわけではありません。他人との関係が幸福と成功の鍵を握っているのです。NQ(Network Quotient:共存指数)はこうして始まりました。NQは他人とのネットワークをどれだけうまく作って、どれだけうまく運用していけるのかを計る尺度です。人が人をどのくらい幸せにしてあげられるのか、それがわかる指数です。イエスがNQの元祖、NQの天才と悟ったいま、おわかりですね? 彼は人との出会いを幸福と感じ、他人を幸せにしたのです」


 著者は、イエスの他にもNQの高い人物を多くあげています。たとえば、ブッダ、劉備、周恩来、ホーチミン、リンカーンなどが登場します。日本人では、坂本龍馬と、なんと田中角栄の名をあげています。著者は、龍馬について次のように述べています。


 「坂本龍馬は独り占めしなかった。一人では何もできない、その事実を薩長同盟から改めて学んだ。そして、その成果は必ず分かち合うことと決めていたのだろうか。龍馬のもつネットワークは、金や名誉を与えて強固になったわけではない。龍馬と一緒にいると、チャンスと、自分でもできるという自信が得られたから、多くの人々が彼のネットワークに加わったのだ。和の精神と、相手を認め、一人では何もできないという徹底した自己省察こそ、龍馬のNQの源泉だ」


 また角栄について、著者は次のように書いています。


 「日本の田中角栄元首相は、イエスのような聖人ではない。しかし、彼とイエスには共通点がある。学歴もなくコネもなく、たった一人で一旗あげた点だ。彼は、小学校卒業という学歴で初めて日本の首相となった人物だ。彼も、またNQの高い人だった。彼の伝記には、大蔵省の大臣に就任したころのエピソードが紹介されている。官僚らは田中角栄氏をみくびっていたのか、当初は積極的に協力しなかった。しかし田中角栄氏が、官僚の誕生日や妻の名前と誕生日まですべて記憶していたので大変に感激したそうだ。他人に対する関心はNQアップの第一歩だ」


 著者は、NQを21世紀型の「幸せ指数」であり、「思いやり尺度」であると定義します。


 また、謙虚さと思いやりの心で他人と接することによってNQが高まり、真の幸福を自分自身と社会にもたらすと主張します。


 「幸せ指数」としてのNQから、わたしは「GNH」という言葉を連想しました。グロス・ナショナル・ハピネス、つまり、「国民総幸福量」という意味です。ブータンの前国王が提唱した国民全体の幸福度を示す尺度です。


 「GNP(国民総生産)」で示されるような「物質的ゆたかさ」を求めるのではなく、「精神的ゆたかさ」、すなわち「幸福」を求めるべきであるという考えから生まれたものです。ブータンは経済的、物質的には世界でも最も貧しい国の1つですが、国民のなんと9割以上が「自分は幸福だ」と感じているといいます。


 世界で唯一のチベット仏教を国教とする国であり、葬儀を中心とした宗教儀礼が非常に盛んなことで知られます。そのせいか、ブータンの人々は良い人間関係に恵まれているようです。人間関係の豊かさが幸福感に直結することはよく理解できます。


 わたしは、どんなにお金や社会的地位や健康に恵まれていても、人間関係に恵まれなければ、その人はやはり不幸だと思います。NQというのも、明らかに人間関係の豊かさに関わっています。


 また、「思いやり尺度」としてのNQは「礼能力」という言葉に通じます。わたしは、どんなにお金や社会的地位や健康に恵まれていても、人間関係に恵まれなければ、その人はやはり不幸だと思います。


 世界は深刻な問題にあふれています。まるでハートレス・ソサエティという「心なき社会」に向かっているようにも見えます。わたしたちは、それをハートフル・ソサエティという「心ゆたかな社会」へと進路変更させなければなりません。


 かつて、フランスの文化相も務めた作家のアンドレ・マルローは「21世紀はスピリチュアリティの時代である」と述べました。世界中の多くの識者もその見方に賛同しています。


 「スピリチュアリティ」とは「精神性」とでも訳すべきでしょうが、最近の日本では「スピリチュアル」というよく似た言葉が流行しています。その言葉も、本来は「精神的な」といったふうな意味なのでしょうが、どうも「スピリチュアルカウンセラー」などと自称する一部の人間の影響で、霊能力と関連づけられることがほとんどです。


 わたしは、心ゆたかな社会は決して霊能力に関心が集まる社会ではないと思います。それどころか、安易なオカルト・ブームは、健全な社会にとってきわめて危険であるとさえ思っています。孔子が「怪力乱神を語らず」と述べたことを忘れてはなりません。

 

 本当に大切なのは、「霊能力」ではなくて、「礼能力」ではないでしょうか。これは宗教哲学者の鎌田東二氏の造語で、他者を大切に思う能力、つまり、仁や慈悲や愛の力のことです。わが社の大ミッションでもある「人間尊重」とは「礼」のことです。「礼」は他者を尊重する心を形に表わすことです。それは、ホスピタリティでもあります。まさに、NQとは「礼能力」の別名であることがわかります。


 「礼」といえば、孔子が最重要視したコンセプトです。孔子が開いた儒教は韓国でも盛んですが、孔子の没後100経ってから孟子が生まれました。本書には、冒頭でいきなり孟子の名前が出てきます。正確には孟子の母親が登場します。著者は、「少々失礼なことをいわせていただくと、孟子の母親は現代の教育ママの元祖ではないだろうか」と書いているのです。


 孟子の一家は最初、墓地の近くに住んでいました。母は幼い孟子が葬式のまねごとばかりして遊んでいるのを見て、「これではいけない」と思い、引っ越しを決意しました。次に移り住んだのは市場の近くでした。しかし、そこに引っ越してからというもの、孟子は商人ごっこに明け暮れました。その姿を見てびっくり仰天した母親は、2度目の引っ越しを決意し、すぐに実行します。最後に引っ越した場所は学校の近くでした。孟子は本を読み勉強することに自然に興味をもつようになり、結局は学問の道に入っていったといいます。有名な「孟母三遷」のエピソードですね。


 わたしは、孟子を深くリスペクトしていますが、「孟母三遷」の話は嫌いです。なぜなら、葬式というものを低く見ているところが不愉快だからです。もともと、儒教とは葬礼を最重視する教えであり、孔子の母親は葬祭業者でした。当然ながら、幼い孔子は母の真似をして葬式遊びをしていたでしょう。葬式遊びを強引にやめさせた孟子の母とは大きな違いです。この孟子の母親について、著者は次のように述べます。


 「もし孟子の母親が現在21世紀のソウルに存在したとしたら、同じ選択をしただろうか?わたしは、絶対にそうはしなかったと思う。墓地なら墓地、市場なら市場で孟子のとびぬけた適応力を育てようとしむけて、孟子を励ますだろう。孟子が、本ばかり読んでいるただの世間知らずではなく、のちに万人の認める聖賢となったのは、実は墓地であろうと市場であろうと、ありとあらゆる人々と出会い、人々の生きる姿にふれ、多くの経験を積んだからではないだろうか?」


 さらに、著者は次のようにも述べています。


 「現代の孟子の母とは、自分の息子が葬儀業をうまくやっていけるのかどうか、素質を見抜ける人である。子供に本当にまともな教育を受けさせるときがきた。それは、他人とうまく共生できる人間に成長できるよう、子供を助けてやることだ。それは、まさしく共存指数であるNQを育てることである。


 21世紀の孟子の母は、子供のNQを高めてやれる親だ。これからは一人だけの知識、一人だけのIQで成し遂げられることはそう多くはない。それだけ社会が複雑になり、社会と組織が要求する知識の量が増えたのだ。いま相互依存の時代である。国家も個人も企業もすべて互いに協力しなければ生き抜くことはできない」


 わたしは、この文章を読んで著者に深く共感するとともに、著者はおそらく儒教の真髄を理解しているのだろうと思いました。


 儒教が唱えた「礼」は、冠婚葬祭の根幹をなす思想です。冠婚葬祭には葬式だけでなく、結婚式もあります。


 面白いことに、本書には結婚式のエピソードがNQを判断する大切な指標として登場します。著者いわく、少し前に結婚した女性タレントが、自分の結婚式の話をしていたそうです。彼女は、結婚式が自分の知り合いの芸能人たちを、A級、B級、C級とランク付けする機会になったと言いました。


 まず、A級の芸能人とは、どういう人々か。彼らは、こう言ったそうです。「ほんとうにおめでとう!よかったね。どうしてもっと早く教えてくれなかったの。その日、仕事が入っているけど、なんとか頼んで調整してみるから、必ず出席するわね。連絡してくれてありがとう。じゃあ結婚式の日にね」


 こんな反応を示してくれた人は、まるで自分のことのように喜んでくれたそうです。


 また、結婚式にもほとんどが出席してくれました。どうしても変更のきかないスケジュールがあり、結婚式に出席できなかった人は、式の前に「申し訳ない」と連絡をくれ、「代理人を出席させる」とまで言ってくれたそうです。


 どういうわけか、これはすべてトップスターと呼ばれている人たちでした。忙しさでは誰にも負けない人々が、誠意を込めて祝ってくれたのです。彼女は「お祝いの言葉だけでもうれしかったのに、忙しい人たちに気を使わせたようで、ちょっと申し訳なかった」と付け加えました。

 
 次に、B級の芸能人とは、どういう人々か。彼らは、こう言ったそうです。「えー、いつ? ちょっと待って。まだ、はっきりしないけど、その日は海外に行く仕事があるかもしれないのよ。どうしよう?」


 つまり、はっきりと決まってもいないスケジュールを持ち出してきて、すでに決まっている自分の結婚式の出席を即答しなかった人たちです。形式的な言葉で礼儀を繕っただけの人は、どうしたことか万年「二流」と呼ばれる芸能人でした。


 結婚式の前に、出席できないと連絡をくれる人もほとんどいませんでした。


 そんな人に結婚式が終わって偶然会うと、心にもないくせに「申し訳なかった」と言い、「電話したけどつながらなかったわね」「連絡したのに、おかしいわね」「忙しくて、うっかりしていたの・・・・・・」などと必死に弁明したといいます。


 最後に、C級の芸能人とは、どういう人々か。彼らは、なんと「ふーん。それで?」と言うそうです。自分は結婚するのだと打ち明けたのに、相手は無関心な顔でこちらを見るだけです。


 つまり、人の言葉をまじめに聞けない人々です。もしくは、「なぜわたしを呼びたいの?」と、まるで相手に恥をかかせるような対応をするというのです。彼女は、そんな人々は実力も人気もない「三流」の芸能人だったと話していたそうです。


 さらに著者は、次のように書いています。


 「さて、彼女は『成功する人にはちゃんと理由があった』と最後に付け加えた。A級に分類されたトップスターには、どんな理由があるのだろうか? そのトップスターたちは、結婚式に招待したいという本人の気持ちを、親身になって察してくれたのではないだろうか? 相手の立場と気持ちを、誠実に理解したのではないだろうか? このように理解にもランクがあるのだ。そのランクを決定づけるのがまさしくNQだ」


 わたしは、つねづね「礼能力」とは冠婚葬祭への出席能力であると考えています。他人の喜び、悲しみに共感し、慶弔問わず、万難を排してセレモニーに参列する人は礼能力の高い人であり、NQの高い人なのです。


 さて、NQは重視される社会とは人間関係が重視される社会であり、わたしが再生をめざしている「有縁社会」をさすようにも思えますが、著者はそのへんをデリケートに取り扱っています。NQがめざす「ネットワーク」とは旧来の「人間関係」ではないとして、著者は次のように述べます。


 「最近このネットワークという用語を人間関係と誤解して使っている傾向がみられる。これは正しい用法ではない。よい家柄で育ち、力のある親戚が多い人を『あいつはネットワークがよい』と表現したとする。これは誤った用法だ。血縁組織は垂直的な階層組織であり、加入と脱退が自由ではない。このことから柔軟な結合であるとはいえないのである。おまけに血縁は、他人に開放されていない閉鎖的な組織であり、それをネットワーク組織と呼ぶことはできない。したがって、血縁ネットワークという言葉はあり得ない表現ということになる。また構成員の関係が平等でないという点では、軍隊やマフィアも同じであり、ネットワーク類型に含めてはいけないのである」


 どうやら、著者は旧来の人間関係を「縁故」としてとらえているようです。そんな縁故が幅をきかす社会は「コネ社会」であり、そうではなく「ネットワーク社会」をめざす必要があるとして、著者は次のように述べます。


 「わたしは、この社会がコネ社会からネットワーク社会に急激に変化しはじめたとみている。いや、もっと速く変わっていかなければならないと主張したいほどだ。その理由は、社会・組織の原理がコネ形式からネットワーク形式に変われば、いままでの人脈とコネ万能主義や、IQ至上主義のように、わたしたちを押さえつけてきた束縛がなくなり、これまで合理的な理念もなく束縛を甘んじて受け入れてきた多くの人が、個々の能力を思いきり発揮できるようになるからだ。


 しかし、わたしたちの前に姿を現したネットワーク社会はバラ色の未来を約束してくれるものではない。ネットワーク社会は前にも述べたとおり、従来の血縁や階層組織よりも開放的であり、出入りが自由である。構成員間の関係も平等である。このような長所があるが、血縁のように強くもない。ネットワークの中の絆が弱いから、自らが誠意をもって関わっていかなければならない。血縁関係や先輩後輩ならば10年ぶりに再会したとしても、昔と変わらない関係にすぐ戻ることができる。しかしネットワーク社会では、そうはいかない。ネットワークは放置すれば消えてしまう。


 それゆえ、わたしたちはネットワークを作り、維持し、強化し、変化させる方法を身につけなければならない。それがまさにNQである。NQをどこまで高められるかによって、どんな環境に育っただとか、いままで何をしていたかなどに大きく影響されず、社会全体をよりよくし、個人も成功する共生の道を開くことができる」


 著者は、21世紀社会を生き抜いていく人間、そして成功する人間にはNQが不可欠であると主張します。また、人間だけでなく、国家も企業も家庭も、すべての組織にはNQが欠かせないとして、次のように述べるのです。


 「不況にもかかわらずブランド品は相変わらずの売れ行きであるように、これからはNQが高い人、NQが高い企業、NQが高い国の価値は永く後々まで光り輝くのだ。


 国家、社会、企業、学校、家庭、それぞれ規模は違っても、すべて人が寄り集まり成り立っている。人はこの網を通じ、生きるのに必要な情報を互いに受け渡し、分けあっている。成功のためのチャンスも、目の前の危機から抜け出すのも、結局はこのネットワークを通すしか方法はない。このネットワークをうまく運用していく能力が、まさしくNQだ」


 最後に、著者は会社で成功するための「NQ18カ条」をまとめています。なかなか参考になるので、以下にご紹介します。


 「NQ18カ条」


(1)消えた火も、もう一度:いま力がない人だと侮ってはいけない。後で痛い目に遭うかもしれない。


(2)普段が大事だ:普段積んだ功徳は危機のときにこそ輝く。


(3)自分の飯は自分が、他人の飯も自分が:基本的に自分の飯代を出すのは当然だが他人が出してくれることを当然だと思うな。


(4)ありがたければ「ありがとう」と、すまないと思ったら「すみません」と大きい声で言え:口は言うためにある。心で思うことはあいさつではない。他人は、あなたの腹の中まで読むほど暇ではない。


(5)他人のことほど情熱的に手伝え:自分から手伝っておいて後でうやむやにしたり手伝う代わりに条件をつけたりするな。手間賃をもらうと悪口もついてくる。


(6)他人の陰口を言うな:そんな時間があれば腕立て伏せでもしろ。


(7)社外の人ともどんどん付き合え:自分の会社の人間とばかり付き合えば井の中の蛙となる。そして会社があなたを捨てたとき、あなたは孤児となる。


(8)不必要な論争をするな:会社は学校ではない。


(9)会社のお金を無駄に使うな:事実はみんなに知られている。うまくいっている間は問題にならないが、そのせいで決定的な瞬間にクビになる。


(10)他人の企画を批判するな:自分がよい企画を出せばよい。


(11)できるだけ装え:外見は思ったよりずっと重要だ。安売り店で10着買える金で良い服を1着買って着ろ。


(12)香典はたくさん出せ:親を失った人は、この世の中で最も悲しんでいる人だ。人は悲しければ些細なことにも敏感になる。5千円や1万円の金を惜しむな。後ですべて返ってくる。


(13)収入の1パーセント以上は寄付しろ:心が豊かになって、あなたの顔が輝く。


(14)守衛のおじさん、スーパーのおばさんを敬え:情報の発信地であり、うわさの根源であるだけでなく、自分の両親のまた別の姿だ。


(15)昔の友達を大事にしろ:新しいネットワークを作るために、いまもっている最高の財産を疎かにするな。本当に辛いときは誰のそばで泣くのか?


(16)自分自身を発見しろ:他人のことを考えすぎて自分のことを忘れてしまうな。1週間に1時間でもいいから、1人で静かに自身を考える時間をもて。


(17)いまこの瞬間を楽しめ:自分が生きているこの瞬間は、後の人生でいちばんよい思い出となる。後悔しないように思いきり楽しめ。


(18)妻(夫)を愛せ:あなたに我慢して、耐えてくれている。なんて素晴らしい人だろうか。


 本書は『ハートフル・ソサエティ』『孔子とドラッカー』『龍馬とカエサル』『隣人の時代』(いずれも三五館)、あるいは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)、『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)などのわたしの著書の内容に共通する部分がたくさんありました。こんなに自分と同じような考え方の本を読んだのは久しぶりです。


 フランスのフレデリック・ルノワールもそうでしたが、海外に自分と同じ考えの同年代の書き手がいるというのは嬉しいものです。韓国を訪れたとき、一度著者に会ってみたいと思います。