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屍鬼(1~5巻)』

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No.0358

  

 『屍鬼』1~5巻、小野不由美著(新潮文庫)を読みました。

 

 読み終わって、「これは凄い小説だ!」と腹の底から思いました。読後も、しばらくはボーッとして現実に戻るのに時間がかかりました。


 その評判だけは刊行直後から知っていましたが、あまりの長さに読む覚悟がなかなか持てなかった作品です。文庫版で全5巻。全部で2563ページもある大長編です


 でも、今年は「なるべく日本のホラー名作を読みたい」と思っていましたので、思い切って挑戦。最初は10日くらいはかかるかと覚悟していました。しかし、あまりの面白さに読書をなかなか中断できず、結局は4日間ぐらいで読めました。


 それくらい一度読みはじめたら止められない、麻薬のような小説です。


 「吸血鬼」がテーマということで、正直言って「今さら吸血鬼か」と思ったのですが、単なるホラーに止まらず、さまざまな問題について考えさせてくれました。


 「吸血鬼」をテーマにした小説は非常に多いですが、イギリスの詩人であるジョン・ポリドリが書いた『The Vampyre』が最初だとされています。


 1810年の6月にジュネーヴ湖のほとりで開催された文学者の集まりで新作の怪談を発表しようという約束がされました。


 それが契機となって、メアリ・シェリーは名作『フランケンシュタイン』を書きました。


 しかし、最初に作品を完成させた人物こそポリドリであり、その作品が『吸血鬼』だったのです。ちなみに、この作品は日本では佐藤春夫が訳しています。


 その後、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』やレ・ファニュの『吸血鬼カーミラ』などの有名な作品が続々と書かれていきました。


 現代アメリカで「恐怖小説の王様」と呼ばれるスティーヴン・キングも、吸血鬼小説を書きました。『Salem's Lot』という作品で、日本では『呪われた町』というタイトルになっています。本書『屍鬼』のページをめくると最初に「To Salem's Lot」とあります。


 そう、本書はキングの『呪われた町』へのオマージュなのです。実際、設定の詳細だけは若干違うものの、ほぼ同じストーリー展開です。


 舞台も、アメリカの田舎町を日本の田舎町に変えただけですが、そこは著者の驚くべき筆力によって、本家をはるかに凌駕した奇跡の名作となりました。


 『呪われた町』はホラー映画の鬼才であるトビー・フーパー監督によって映画化されています。邦題は「死霊伝説」で、キング原作の映画では「最高傑作」とされています。 


 本書の冒頭には、「村は死によって包囲されている」と書かれています。


 人口千三百余、三方を山に囲まれ樅を育てて生きてきた外場村が猛暑に見舞われたある夏、ある一家が村に越してきます。


 それから怪事件が相次ぎ、村人たちが謎の死をとげていきます。


 その原因は未知の疫病によるものなのか、その一家が越してきたからなのか。


 謎が謎を呼び、物語は破滅的なラストへと向っていきます。


 「ページを繰る手が止まらない」という表現が大袈裟でも何でもないほど、本書は完全なエンターテインメントであると思いました。坂東眞砂子の『山妣』と並んで、「日本のホラー小説の金字塔」と呼ぶべき作品です。


 恐怖の正体は最初からわかっています。


 著者は、物語の早い段階から「吸血鬼」というネタを明かしているのです。


 本書が本当に怖いのは、吸血鬼が出てくるからではありません。


 怖いには、著者が日本人の心の奥にひそむ「闇」の部分に触れるからです。


 田舎の村の閉鎖性や因習、そこで暮らす人々の善意と悪意。


 いわば「血縁」や「地縁」の影の部分をこれでもかというぐらいに描いているのです。


 こんなものを読めば、「有縁社会など、とんでもない!」と思う読者もいるでしょう。


 しかし、わたしが『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)や『隣人の時代』(三五館)で訴えている「有縁社会」は本書で描かれているような旧来の姿ではありません。


 個人の「自由」を尊重しながら、「つながり」を重視する新しい「有縁社会」なのです。


 さて、「屍鬼」の正体が明らかになった後半では、いろんなことを考えさせられます。


 人間側から見るのと、屍鬼側から見るのとでは「善悪」そのものが違います。


 そもそも、「屍鬼は人を喰うが殺意はない」のです。


 まさに本書の後半は、「生きるとは何なのか」そして「人間とは何なのか」という問題さえ突きつけられる哲学的な小説となっています。


 屍鬼とは甦った死体です。そして、厄介なことに人間の感情を持ったままなのです。


 人間の感情を持った吸血鬼を殺すことは、殺人にはならないのか。


 本書が突きつけるテーマは、非常に奥深いと言えるでしょう。


 その意味では、欧米の吸血鬼小説のように「人間=善」、「吸血鬼=悪」という単純な二元論となっていないところが日本的ホラーなのでしょう。


 登場する人間や屍鬼にしても、すべて同一の価値観ではありません。


 人間も屍鬼も、1人1人の想いや生き方も繊細に書き分けられているのです。


 たしかに怖い話なのですが、切なくて悲しい場面も多いです。


 悪いことは言いませんから、ぜひ本書を読んでみて下さい。


 あなたは、その壮大な物語世界に呆然とすることでしょう。


 ちなみに最近、『屍鬼』はコミックやアニメにもなって、人気を集めています。


 このような土俗的なホラーがコミック化、アニメ化されるとは驚きです。


 最後に、本書のテーマは「土葬」の問題と切り離せません。


 本書だけでなく、すべての吸血鬼小説に言えることですが・・・・・。屍鬼とは甦った死体であり、彼らが登場する前提として土葬されなければならないのです。


 東日本大震災で、日本でも土葬が多く行われました。


 大震災の発生から3ヵ月が経過して、テレビなどでも土葬の映像を紹介するようになっています。わたしは、大震災以来、ずっと土葬について考え続けています。


 多くのホラー小説では、物語の設定として土葬が行われます。


 土葬が、なぜ死体が甦るという恐怖に結びつくのか。


 それは、わたしがいう「天上へのまなざし」の問題に行き着きます。


 わたしは、「ムーン・ハートピア・プロジェクト」の実現をめざしています。現在では、わたしの著書などで多くの方々がその目的について理解してくれていますが、以前はよく、「なぜ、月と葬儀や墓が関係あるのですか」と質問されました。そこには、「まなざし」の問題があるのです。


 現代の墓について考えますと、すべては遺体や遺骨を地中に埋めたことに問題が集約されます。エコロジーの視点から見ても、人間の遺体や遺骨が土に還ることは正しいと思います。しかし問題は、生き残った人間の方にあるのです。


 死者が地下に埋められたことによって、生者が、人間は死んだら地下へ行くというイメージ、つまり「地下へのまなざし」を持ってしまったのです。


 「地下へのまなざし」は、当然ながら「地獄」を連想させます。


 いくら宗教家が霊魂だけは天上へ昇るのだと口で言ったとしても、目に見えるわけではありません。実際に遺体を暗くて冷たい地中に埋めるインパクトの方が強くて、そんな言葉は打ち消されてしまうのです。その証拠に、魂の帰天を信じる熱心なキリスト教徒でさえ、屍体がよみがえって生者の血を吸うという吸血鬼伝説に脅えていました。


 死後の世界のイメージが地獄と結びつくと、死の恐怖が生まれます。


 死の恐怖など抱かないためにも、わたしたちは、死後に地獄などではなく、天国に行かなければならないのです。「人間は死ぬと、まずは地獄へ行く」などと説いている宗教団体など、はっきり言って脅迫産業以外の何ものでもありません。


 「地獄へ堕ちたくなければ、浄財を出せ」と信者を脅して、金を巻き上げるのです。


 わたしたちは天国に行くために「地下へのまなざし」を捨て、「天上へのまなざし」を持たなければなりません。そして、月がその鍵となることは明らかです。


 同じ月を見ることによって、同じまなざしを持つ。まなざしという視線のベクトルは、こころざし=志という心のベクトルにつながります。ともに月を見上げ、天上へのまなざしを持つことによって、人々の心の向きも一つになるのです。


 というわけで、わたしは日本のホラー小説の金字塔である『屍鬼』を読んで、あらためて「天上へのまなざし」について考えました。