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誰にも書ける一冊の本』

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No.0365

 

 『誰にも書ける一冊の本』荻原浩著(光文社)を読みました。

 

 光文社の文芸新企画【テーマ競作小説:死に様】の1冊として刊行された本です。


 著者によれば、「異種格闘技戦に参戦する覚悟で書きました」とのこと。

 

 【テーマ競作小説:死に様】は、6月15日に6冊が同時刊行されました。


 執筆者は、荻原浩、白石一文、土居伸光、藤岡陽子、佐藤正午、盛田隆二の6人。


 「死に様」というテーマは光文社の編集者・大久保雄策氏が掲げたものだそうです。


 「最期のあり方を考えると、今の生き方が見えてくる」というキャッチコピーが添えられていますが、これはわたしがいつも言っていることでもあります。


 ということで、著者は本書を書いたわけです。


 物語の主人公である「私」は、アルバイトと自分を含めて5人の広告制作会社を営んでいます。広告業のかたわら小説を書き、2冊の本を出している作家でもあります。


 新しいマンションの広告についての会議中、「私」に母親から電話が入ります。


 その内容は、入院している父親が危篤状態になり、「会わせたい人は今のうち呼ぶように」と医師から言われたというものでした。著者は、さして重要でもない会議であるにも関わらず、それを投げ出して父親のもとに向うことに違和感を覚えます。


 父とは不仲だったわけではありませんが、男同士で腹を割った話をした経験も、二人きりの親密な体験をした記憶もなかったのです。「私」は、そんな父の危篤の知らせに慌てふためき、仕事を放り出して駆けつけるのは割が合わない気さえしていました。


 本書には、次のように書かれています。


 「言い訳をひとつするとしたら、そもそも私には実感がなかった。父が死に向いつつあっても、窓の外にはいつもと変わらない風景が流れ、昼下がりの五分の入りの車内では乗客たちが談笑している。現実感が乏しかった」


 「私」がこれから会議でプレゼンすべき、「日本橋までわずか28分の、緑いっぱいの街」という新しいマンションの広告コンセプトには現実感が感じられません。


 しかし、それ以上に「父の死」は現実感が乏しかったというのです。


 そうはいっても、自分の父親の危篤に「私」は郷里である函館に飛びます。


 父はすでに意識がなく、生体情報モニタという機械に繋がれて横たわっていました。


 そこで「私」は、母から原稿用紙の束を渡されます。父が書いていたもので、「本にしたくて、専門家のお前に意見を聞きたいんじゃないか」と母は言います。


 父が書いた原稿の束の重みを手に感じながら、「私」は考えます。


 「人は誰にも、一生に一冊の本が書けるという。それなりに文章を綴れる人間であれば、経験してきた人生の諸々のエピソードに、折々の所見や気持ちを添えれば、一編の随筆になり、それを創作的に書けばひとつの物語になる、という意味だ。ただし、他人に読ませる価値があるかどうかは別」


 「プロの物書きと言えるのかどうかわからない私が語るのはおこがましいが、一冊を人に金を出して読んでもらえるレベルで書き、なおかつ何冊も書けるのがプロだ。私もつくづく思い知らされている。二冊目からが難しい。三冊目はもっとだ」


 「私」の父は80年間、北海道で暮らしていました。


 出世したとは言い難い会社員人生を送りました。


 見合い結婚で、子どもは「私」と妹の2人。


 平凡な人生を綴ったであろう厚さ4、5センチの原稿を「息子以外の誰が読みたがるだろう」と思いながらも、著者は読み始めました。


 意外にも達者な筆運びに戸惑いながらも読み進むと、少年時代に羆の一撃を食らった場面が出てきます。熊から受けた傷は、父の生涯に大きな影響を及ぼしました。


 その後、父は祖父とのニシン漁で学資を稼ぎ、北大文学部の英文科を目指します。


 しかし、そこまで読んだ時点で、父は事切れました。


 すべて初めて知ることばかりであり、「私」は呆然とします。


 父が語る自分史について、「私」は最初は素人が陥りやすい自慢話と思います。


 でも、その後は創作ではないかと思うようになりました。


 暦の関係で葬儀までの時間が空き、その間に「私」は物言わぬ父の傍らで原稿を読み終えます。そして葬儀の当日、すべては明らかになりました。


 本書は、「一人の人間が死した後に厳然と残り、鮮やかに浮かび上がってくるもの」を描く佳作だと思いました。しかしながら、正直に言わせてもらうなら、父の葬儀の世話をした葬儀社の社員の描写に引っかかるものがありました。


 たとえば、著者は次のように書いています。


 「葬儀社の係員は二人。一人は葬儀屋の手本のような硬い無表情の若い男。もう一人は、この仕事には向いていないのではないかと思える恵比寿顔の六十年配」


 「『終りました』鉄仮面が引き戸を開けて、慇懃に伝えてくる。


 父は一昨年買ったばかりの、死ぬまで使えるなと、自虐的な冗談を飛ばしていた羽毛ふとんの中に横たわっていた。ドライアイスを絶やさないようにして欲しい。葬儀社の社長だという六十男が、生鮮食品売り場の販売員じみた愛想のいい物腰で遺体の保存方法を説明する」


 この後、葬儀社の社長は物語を転回させる重要な一言を発します。しかしながら、この葬儀社スタッフの描き方には著者の偏見が感じられて、愉快ではありませんでした。


 著者は、死者と生者とのコミュニケーションを題材とした小説を多く書いており、葬儀の意義についても理解しているとばかり思っていたのですが、残念です。


 「おくりびと」をどう描いているかで、その作家の優しさがわかります。一般に葬儀の場面が出てくる小説では、葬儀業者はあまりよく描かれていないように思います。その呼び方も「葬儀屋」というものがほとんどですが、唯一、重松清氏だけは「葬儀社の人」と柔らかく書いています。わたしが重松作品が好きなのは、こういう言葉の端々にも作者の人間への「思いやり」が溢れているところです。


 話を戻します。父が書き遺したものは、「事実」か「創作」か。


 父の人生は輝かしいものではありませんでした。会社でも、定年まで主要な職につくことはありませんでした。しかし、父は以下のように書き残していました。


 「ここに記したのは、悔恨ではない。同情を買う気もない。ただ知って欲しいだけだ。かつて確かにあった事実を。息子よ、娘よ。人生は、何をなしたかではない。何をなそうとしたかだ」


 著者は『明日の記憶』で記憶の死に挑みましたが、本書では、平凡に思えた男の人生を、その死を通して描きました。


 『誰にも書ける一冊の本』という書名は素晴らしいタイトルであると思います。


 「記憶の作家」である著者にふさわしいタイトルでもあります。


 それにしても、「私」の父は名文家です。


 それもそのはず、かつては文学を志した人でした。


 そのために、父は一冊の本を書くことができたのです。


 「誰にも書ける」とは言っても、誰にでも一冊の本が書けるわけがありません。


 しかし、誰にでも、一冊の本に値する内容の人生を歩んでいるとは思います。


 そこで、原稿用紙の書かなくとも、気軽にノートなどに自分史を記入することが流行しています。わたしも『思い出ノート』(現代書林)という生前ノートを作りました。


 おかげさまで好評で、現在、7刷を数えています。


 多くの方々に、かけがえのない人生を記録していただいています。


 「歴史」を意味するヒストリーとは、ヒズ・ストーリーのことです。つまり、個人の「物語」のことです。それぞれの人の個人的な物語が、歴史というものを創り上げているのです。


 『思い出ノート』に、人はそれぞれの物語を書き込み、それぞれの歴史を残すのです。


 本書『誰にも書ける一冊の本』は、【テーマ競作小説:死に様】の1冊です。


 「死に様」ということを言うならば、周囲の人にきちんと別れを告げるためにも、自分の歴史や付き合った人たちを振り返る「生前ノート」を記録しておくべきであると思いました。


 「子は親の背中を見て育つ」と言います。


 しかし、言葉でしか伝えられないことも多いのです。