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遠野物語と怪談の時代』

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No.0338

 

 『遠野物語と怪談の時代』東雅夫著(角川選書)という本を読みました。

 

 昨年、日本民俗学の幕開けを告げたとされている柳田國男の『遠野物語』が刊行100周年を迎えました。その『遠野物語』には、もうひとつ、怪談実話としての側面もありました。


 本書は、明治後期に文壇を席巻した怪談文芸の潮流をひもとく内容となっています。著者は1958年生まれで、わたしが所属していた早稲田大学幻想文学会の先輩です。現在は「怪談スペシャリスト」として知られ、怪談専門誌「幽」の編集長でもあります。


 本書の目次ですが、以下のような構成になっています。


序章:怪談実話の見果てぬ夢
第一章:「怪談の研究」をめぐって
第二章:怪談ルネッサンス
第三章:泉鏡花と柳田國男
第四章:「遠野怪談」三人男
終章:遠野物語に始まる怪談史
復刻資料「日本妖怪実譚」
「主要参考文献」
「あとがき」


  序章において、著者は『遠野物語』が相も変わらず「日本民俗学の誕生を告げる記念碑的な書物」などと紹介されることに違和感を感じるとして、次のように述べます。


 「『遠野物語』には、もうひとつの隠された顔がある。
 民話集でも伝説集でも、あるいは世間話の本でもなく、より直截に怪談集、さらに云えば『怪談実話集』と呼ばれて然るべき書物としての顔である。
 明治後期、怪談ルネッサンスとでもいうべき気運が、文壇の内外に澎湃として湧き起こった時代の真只中にあって、その異様な熱気の渦中から奇蹟的に生み出された至高の怪談実話集―私見によれば、それこそが『遠野物語』の真の姿なのである」


 その「遠野怪談」には3人の男が関わっていました。怪談実話の語り部である佐々木喜善、それを一冊の書物にまとめた柳田國男、そして日本における心霊主義の立役者の一人でもある水野葉舟の3人です。著者は、第四章のタイトルにもなっている「遠野怪談」三人男について次のように述べます。


 「佐々木喜善という稀有なる語り手と、柳田國男という卓越した文筆家が、水野葉舟という有能なオーガナイザーの導きによって一処に会し、心ゆくまで怪談に興じた、その精髄として誕生した至高の怪談実話集―-それが『遠野物語』ではなかったかと、私は考えている。奇蹟的と称する所以である」


 明治後期、まるで文明開化以来の合理主義と功利万能主義へのカウンターのごとく、怪談ブームなるものが突如として噴出しました。


 井上円了の妖怪学が議論を呼び、出版業界と密接に結び付いた「怪談会」が盛んに開催されました。この怪談会と深く関わっていたのが、柳田國男、泉鏡花、水野葉舟、條野採菊、そして岡本綺堂といった人々です。


 このような文壇における怪談ブームの中で、水野が佐々木を柳田に紹介し、そこから『遠野物語』が誕生したのです。怪談実話集としての『遠野物語』は、芥川龍之介らに影響を与え、時代が下ってから三島由紀夫に絶賛されました。


 明治後期の怪談会に、柳田國男とともに泉鏡花も加わっていました。昨年の4月に金沢にある同記念館を訪れたとき、ちょうど「幽霊と怪談の展覧会」が開催されていました。


 『高野聖』『草迷宮』『夜叉ヶ池』『天守物語』『化鳥』など、多くの怪奇幻想文学の名作を生み出した鏡花は、また大の怪談愛好家でもあったのです。


 展覧会では、怪談会の資料や鏡花が読んだ『遠野物語』なども展示されていました。その中には、柳田國男の『遠野物語』の初版本もあり、興味をそそられました。


 柳田は、怪談愛好における鏡花の盟友でした。さらには、鏡花の臨終に立ち会った無二の親友でもありました。鏡花が自身の怪異志向について書いた「予の態度」という文章がパネル展示されていましたが、以下のように書かれています。


 「私がお化を書く事に就いては、諸所から大分非難がある様だ、けれどもこれには別に大した理由は無い。(中略)お化は私の感情の具体化だ。幼ない折時々聞いた鞠唄などには随分残酷なものがあつて、蛇だの蝮だのが来て、長者の娘をどうしたとか、言ふのを今でも猶鮮明に覚えて居る」


 鏡花の名作『夜叉ヶ池』には、各地の珍しい話を収集している民俗学者が登場しますが、そのモデルは柳田國男だとされています。柳田は膨大な怪談書を濫読しただけでなく、旅先で奇談の聞き取りも行い、それらの真偽を鑑定していました。


 円了による合理的裁断に反発した柳田は、怪談の出所の確実さを重視しました。そして、偽りの怪談から純粋な怪談を切り離そうとしたのです。その過程で柳田は「怪談」という用語を使うことに慎重になりました。そのため、妖怪や幽霊が出てくる怪談全般から山人というテーマを選び出し、そこに関心を絞り込んでいったようです。


 柳田國男と泉鏡花の友情は、金沢で育まれました。金沢は、鏡花をはじめとした多くの幻想作家を生み、西田幾多郎や鈴木大拙といった思想界の巨人も生みました。


 その理由は、ホラー・SF・ミステリーを生んだ「霧の都」ロンドンと同じような気がします。金沢の街も、雨が多くて晴天の日が少ない「霧の都」です。雨が多く、霧が発生すると、視界が悪くなります。世界がよく見えないと、逆に見えないものが見えてくるように思うのです。


 雨の金沢で、霧の中を歩いていると、不思議な感覚にとらわれます。それは、このまま異界へ入って行くような不思議な感覚です。


 そんなことを考えていたわたしですが、柳田國男が金沢について述べている文章に出会いました。本書の36ページに掲載されている「怪談の研究」という一文で、柳田は「神隠し」について言及する中で次のように述べています。


 「日本の如く俗に云う神隠し、女や子供の隠される国は世界中余りない。これが研究されて如何なる為めか解ったならさぞ面白いだろうが、今の処研究されていぬ。また同じ日本にしても、この神隠しの非常に多い地方と少い地方とがある。金沢などは不思議に多い地方で、私は泉鏡花君の出たなどは偶然ではないと思っている。とにかく金沢は多い。また彼処(あすこ)位子供の紛失(な)くなる地方は珍しい。為めに金沢では夕方子供を外に出すことは頗(すこぶ)る八釜(やかま)しい。決して夕方は遊びに出さぬ」


 なんと、柳田國男も金沢が異界への入口であることを認めていたのです! わたしは、この一文を読んで、ますます金沢に興味が湧いてきました。


 それにしても、不思議な話です。なぜ、金沢で子どもたちが消えていったのでしょうか。かつての北陸には、何か集団誘拐団や拉致組織のようなものが存在したのでしょうか。それとも・・・・・? とにかく、金沢が異界へ通じていることだけは確かなようです。


 今度、金沢へ行くときは、怪談本を持参して読みたいと思います。