No.0305 グリーフケア 『グリーフケア』 古内耕太郎・坂口幸弘著(毎日新聞社)

2011.04.05

 『グリーフケア』古内耕太郎・坂口幸弘著(毎日新聞社)を読みました。

 共著者の2人のうち、古内氏は燦ホールディングス株式会社および株式会社公益社の代表取締役社長であり、坂口氏は関西学院大学人間福祉学部准教授です。

 じつは、数日前に本書を古内氏から送っていただきました。

 でも、わたしはすでにアマゾンで購入して読んでいたのです。

 これまで「グリーフケア」に関する本が多く出されてきました。

 しかし、本書は専門葬儀社の最大手である公益社が手がけてきた実例を踏まえているだけあって、優れた実践の書となっています。

 では、「グリーフケア」とは何でしょうか。

 本書の「はじめに」で古内氏が次のように書かれています。

 「かけがえのない人を亡くした死別体験者を支援するグリーフケアという用語は、少しずつ知られるようになったようですが、まだ完全に定着したとは言えません。しかし葬儀への世間一般の関心の高まり、超高齢化社会、死亡率が急増する多死社会の進展とともに、グリーフケアの重要性は今後ますます高まると予測されます」

 本書は、以下のような構成になっています。

「はじめに」(古内耕太郎)
第一章:遺族を支えるグリーフケア 
第二章:ひだまりの会とグリーフケアの軌跡
第三章:葬儀とグリーフケア
「結びに」(坂口幸弘)

 各章の執筆ですが、第一章を坂口氏が、第二章を坂口氏の監修のもとに「ひだまりの会」事務局が、そして第三章を古内氏が担当しています。

 まず第一章ですが、悲嘆学の専門家らしく、坂口氏の視点は新しい気づきを与えてくれます。たとえば、「人それぞれに違う体験」として、次のように述べています。

 「同じ家族の中にあったとしても、悲しみ方は違うことがあります。子どもが亡くなった時に、母親が嘆き悲しむその表現の仕方と、父親の悲しみ方が違うことは珍しくはないのです。このような悲しみ方の違いは、ときに家族関係を悪化させます。

 たとえば、自分が悲しみにくれているときに、家族の誰かが亡くなった人のことをすでに忘れてしまったかのように仕事や趣味などに熱心な姿を見かけると、腹立たしく思うことがあります。しかし、その方は、亡き人のことを忘れてしまったのではなく、何かに熱中して悲しみを紛らすというその人なりの悲しみへの向き合い方であったのかもしれません。『死別』という体験の個別性を理解して、それぞれの体験を尊重することが大切」

 また、グリーフケアにおける時間については、次のように述べています。

 「悲嘆は、時間の経過に伴って必ずしも直線的に軽減していくのではありません。気分の落ち込みと前向きな気持ちの間を揺れ動きながら、少しずつ落ち込みが軽減していくのであって、ときには『記念日反応』と呼ばれる急激な落ち込みを経験することもあります。これは、故人の亡くなった日や誕生日、故人との結婚記念日などが近づくと、故人がまだ生きていた頃の記憶がよみがえり、気分の落ち込みなどの症状や反応が再現されるというものです」

 坂口氏によれば、わが国では四季がはっきりしているため、季節の情景とともに過去の記憶がありありと思い出されてくる傾向があるというのです。

 これもまた、わたしにとって新鮮な気づきでした。

 悲嘆(グリーフ)の種類や強さには大きな個人差があるそうです。

 死の状況によって特徴づけられる反応や、特に子どもに見られる反応もあるそうです。

 このうち、成人における通常の悲嘆は以下の4つに分類されます。

 ①感情的反応、②認知的反応、③行動的反応、④生理的・身体的反応。

 また、遺族にとって一般的に有効な対処の仕方として、「感情表出」と「援助希求」があります。感情表出は、文字通りに感情を無理に押さえ込まず表に出すことですが、「泣く」ことだけでなく「怒りを表す」ことも重要です。日記をつけたり、故人との思い出を文章にまとめることも良いとされています。

 一方、援助希求とは、家族や友人、さらには第三者に援助を求めることです。

 グリーフケアはなぜ必要なのでしょうか。

 坂口氏は、それを2つの観点から説明しています。

 1つは、「回復」の観点であり、悲嘆をある種の疾患とする見方です。

 もう1つは、「適応」の観点です。心身状態の改善という「回復」とともに、遺族のこれからの新たな生活や人生を後押しすることもケアの目標なのです。

 グリーフケアの種類は、その提供されるスタイルから大きく2つに分類できます。

 1つは、家族や友人・知人、医療関係者などによる慰めや傾聴のような形式張らない援助です。もう1つは、支持的精神療法やサポートグループなどのように一定の形式や手続きによる援助です。

 また、提供される援助の内容に基づいて以下の4つに分類することもできます。

 ①情緒的サポート、②道具的サポート、③情報的サポート、④治療的介入です。

 グリーフケアを提供する者もさまざまで、以下のようになっています。

 ①家族や親族、友人・知人、②遺族同士、③医療関係者・宗教家・葬儀関係者・学校関係者など遺族に接する人々、④精神科医やカウンセラーなどの専門家、⑤公的機関、⑥その他(傾聴ボランティアなど)。

 ここで重要な存在となるのが、遺族のサポートグループです。

 同じような死別の経験を持つ人々による相互支援のための集まりです。

 それぞれの体験を分かち合うことにより、互いに勇気づけられたり、生きるヒントを得たりすることができるのです。グループの型としては、同じメンバーで一定期間行う閉鎖型と、毎回メンバーを入れ替えて継続的に行う開放型があります。

 この遺族のサポートグループとして有名なのが、公益社の「ひだまりの会」です。

 昨年2月19日に同社の古内社長と雑誌の対談をさせていただきました。

 その際に、「ひだまりの会」についてもお話をお聞きし、深い感銘を受けました。

 『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書いて以来、グリーフケアはわたしにとっても大きなテーマでした。そのための実践的手法を「ひだまりの会」に学んだわたしは、早速、「月あかりの会」という遺族のサポートグループを立ち上げました。

 このようなサポートグループは今後の日本人の「こころ」の未来を考える上で重要な役割を果たすものと信じています。

 本書の第二章は、その「ひだまりの会」の具体的レポートです。特に、ひだまりの会のスタッフの方々が自ら愛する人を亡くした遺族という点に納得させられました。

 ひだまりの会は、通常の月例会とは別に「分科会」活動というプログラムがあるそうです。これは、会員の健康、交流、学習などをテーマにした有志の会です。

 そのうちで、2007年にスタートした「わいわい食堂」というものに興味を引かれました。

 文字通り、みんなで食事を作り、わいわいがやがや、おしゃべりをしながら食べることが趣旨なのですが、社会的交流の場となると同時に、男性会員の調理技術の習得や食生活・栄養管理の改善にも良い機会となっているそうです。

 じつに良く考えられた企画だと思います。非常に感心しました。

 ひだまりの会には、ルールが2つあるそうです。1つは、「悲しみ比べをしない」。もう1つは、「(分かち合い)で起こったことは、口外しない」。この2つのルールによって、当事者にとって分かち合いの場が安全なものとなります。アメリカをはじめ海外では、葬儀社がグリーフケアの新たな担い手として期待されています。

 日本ではその動きはスタートしたばかりですが、本書には次のように書かれています。

 「葬儀社によるグリーフケアの活動に対しては、営利目的の営業活動としてとらえられるおそれがあります。実際、ひだまりの会でも、遺族に初めて会の案内の電話をする際に、遺族から警戒されることがあります。そのほか、営利企業である葬儀社は、地域の自治体、医療機関との連携が困難で、ひだまりの会発足まで、公益社のスタッフと、すでにグリーフケアを実施している医療機関や『自助グループ』と呼ばれる市民団体との交流もありませんでした。

 こうしたことから、発足にあたっては、社内勉強会などを重ねることを通して、医療機関や市民団体が行うグリーフケアの現状を理解しました。それによって、市民のボランティアで行う自助グループの存在、自死遺族の会、遺族に子どもがいればそのケアのためのスクールカウンセラーとの連携が必要であることや、地域の社会資源との連携や幅の広い社会貢献活動まで、グリーフケアには理念の広がりがあることを学びました」

 そして、本書の第三章では、公益社の社長でもある古内氏が、葬儀そのものがグリーフケアの役割を果たしてきたとして、次のように述べています。

 「グリーフケアの定義は、まだ専門家の間でも定まっていませんが、一つの定義として『喪失から回復するための喪(悲哀)の過程を促進し、喪失により生じるさまざまな問題を軽減するために行われる援助』というものがあります。葬儀は、遺族が死という現実を受け入れる手助けとなり、喪(悲哀)の過程を歩むための心理社会的な機会を与えてくれるのです」

 これは、わたしも『愛する人を亡くした人へ』にも書きましたが、まったく同感です。

 また、古内氏は「ほんとうに良い葬儀」について、次のように述べています。

 「葬儀には、大きく三つの役割があります。①宗教儀礼としての役割、②社会的儀礼としての役割、③グリーフケアとしての役割です。私は、良い葬儀とは、この三つの役割を果たす葬儀だと思います」

 これは、非常に明快な葬儀観であると思います。

 さらに古内氏は「このように考えると、直葬や家族葬はほんとうに良い葬儀なのか、私は疑問を感じてしまいます」と思いを正直に打ち明け、次のように述べています。

 「よく考えてみればわかることですが、『自分が死んだら直接火葬にしてほしい、葬儀なんか要らない』と本心から望んでいる人がそんなに増えているとは思えません。独居老人の死や経済的困窮者の増加によって、結果として直葬をせざるをえなかったというケースが多いのではないでしょうか。話題性を追った報道により、直葬という言葉が世の中で独り歩きしている面もあると思います。

 家族葬も同様です。近年、家族葬は良い葬儀の代名詞のように報道されています。そのためか、たとえば『お父さんも定年から月日が経ち、そんなに多くのつきあいもないから家族だけで葬儀をしよう』と安易に考えてしまいます。しかし、家族は、父親の人間関係を理解していないことが多いのです。その結果、葬儀の時に家族が父親の意外な交友関係を知り、見直すということがあるのではないでしょうか。

 人間には、家族の一員として、そして社会や組織の一員としてという、二つの側面があると思います。社会でのおつきあい、趣味のおつきあい、さまざまな交友関係があるでしょう。そのような故人とかかわりのある人たちが、故人を偲び、お別れの場を持てることが、良い葬儀なのではないかと、私は思っています」

 わたしは、この古内氏の発言を読んで感銘を受けました。

 日本を代表する葬儀社のトップとして、堂々たる見識であると思います。

 このようなトップを持つ公益社という企業に心からの敬意を表します。

 最後に、古内氏は次のように第三章をまとめています。

 「葬儀は、故人の尊厳を守り、社会とのつながりを大切にする儀式です。そして、遺族が新しい人生を歩むための出発点となります。これからも遺族をサポートするためにグリーフケアの活動を多方面から進めていきたいと思います」

 じつは、2日に東京都立産業貿易センターで古内氏と対談する予定でした。

 東日本大震災の影響で中止になりましたが、本当は古内氏とグリーフケアの未来について語り合いたかったです。ある出版社から、東日本大震災で亡くなられた方々の遺族向けに『愛する人を亡くした人へ』のようなグリーフケア・ブックを書いてほしいというオファーがありました。このたびの未曾有の大災害が日本に新しいグリーフケアの時代を拓くのではないかという気がしています。

 古内社長、このたびは非常に意義のある本を出版されましたね。

 ぜひ、日本にグリーフケアを根付かせるためにお互いに頑張りましょう。

 今度は、ぜひ、北九州にもお越し下さい!

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