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銀河鉄道の夜』

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 No.0306

 

 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、わたしの愛読書です。


 小学生の頃から、岩波の愛蔵版(春日部たすく画)を数十回は読んできました。


 『銀河鉄道の夜』は、高い霊能力をもっていた賢治が書いた大いなる臨死体験の物語であると思います。


 なぜ、『銀河鉄道の夜』が臨死体験の物語なのでしょうか。


 まずは、そのストーリーを簡単に追ってみたいと思います。


 少年ジョバンニは貧しい家の子です。父親は監獄に入れられて、母は病気で床についたままです。そのため、彼は学校の帰りに活版所の手伝いをして母親を養っています。


 そんな彼に、友達はみんな意地悪をします。


 しかし、カムパネルラだけはやさしい目で彼を見てくれます。


 それは星祭りの夜のことでした。ジョバンニは病気の母のために牛乳を買いに走ります。街は星祭りを祝う人出でごった返し、みんな祭り気分で浮かれていて楽しそうです。


 しかし、遊ぶことが許されていないジョバンニは、楽しげな親子連れを横目で見ながら、牛乳屋に走るのです。ところが、せっかく大急ぎで走って来たのに牛乳屋の主人は留守で牛乳を売ってもらえません。留守番の老婆に「ではもう少したってから来てください」と言われて、ジョバンニは仕方なく、牧場の近くの原っぱに行って寝転がりました。


 空には一面に星があり、銀河系がジョバンニに語りかけているようです。


 すると突然、力強い汽笛の音がしたかと思うと、汽車がジョバンニのいる草原を走って来て、彼の前で止まりました。


 この突然の汽車の登場こそ臨死体験のはじまり、つまり幽体離脱を表現しています。


 ジョバンニが汽車に乗ると、すぐに汽車は走りはじめます。


 車内を見ると、カムパネルラが乗っています。カムパネルラに向かってジョバンニは、「僕たち、どこまでもどこまでも一緒に行こう」といいます。カムパネルラは「うん」と弱々しく答えますが、それがどことなく曖昧で、ジョバンニの不安をかきたてます。


 ジョバンニは自分の降りる駅も知らなければ、なぜこの汽車に乗り合わせたのかもわかっていません。でも、カムパネルラはそれを知っているのです。


 人がまばらだった汽車には、いくつかの駅を通過するにつれて、さまざまな人々が乗ってきます。じつは、彼らは死者であり、この銀河鉄道は死者たちを彼らが行くべき場所へと運ぶ汽車だったのです。


 カムパネルラはすでに死んでおり、死後の世界へと旅立っていたのです。


 賢治はこの世界を「幻想第四次の世界」と呼んでいます。


 すなわち、そこは四次元であり、幽界つまりアストラル界なのです。


 銀河鉄道の乗客でただ1人だけ死んでいないのが、ジョバンニです。だから彼は自分の降りる駅を知りません。死者の降りる駅は、彼らの生前の行いに対して決まるものであり、各人によって異なります。しかし死んでいないジョバンニは、汽車を降りてそのまま行ってしまうことはありません。途中下車してさまざまな場所を見学することはできても、必ず汽車に再乗車しなくてはならないのです。


 ジョバンニは、汽車の切符を持っていませんでした。


 検札係が来て切符の提示を求めても、どうしていいかわかりません。


 自分と同様に切符を持っていないだろうと思われたカムパネルラは、ちゃんとポケットから切符を出して検札を受けています。


 ジョバンニもポケットの中を捜してみると、切符らしきものが出てきました。それを見て、隣の席に座っていた鳥捕りの男がいいます。


 「おや、こいつはたいしたもんですぜ。こいつはもう、本当の天上さえ行ける切符だ。天上どころじゃない。どこでも勝手に歩ける通行券ですよ」


 死者たちは自分の行き先がもう決まってしまっているのに、ジョバンニはどこにでも行けるというのです。本人が希望すれば、天上でもどこでも自由に行けるというのです。


 すなわち、生きているうちはどんな可能性でもあるということです。


 死後の世界は生きている時の過ごし方によって行くところが決まるので、生きている間は行くところを選ぶチャンスがあるのです。


 天上へさえ行ける切符というのは、努力次第で天上に行けるほどのレベルまで自分が成長することができるということなのです。


 死者たちの降りる駅はそれぞれ違っています。


 ほとんど全員が降りてしまっても、カムパネルラだけは降りません。


 彼は、最後の駅で1人だけ降りていきます。なぜなら、カムパネルラは自己犠牲によって死んだからです。同級生で、いじめっ子のザネリが川に落ち、それを救うためにカムパネルラは川に飛び込みました。ザネリは助かりましたが、カムパネルラは命が尽きて死んでしまいました。そのためにカムパネルラは死後、高いところに昇ることになります。


 カムパネルラが下車した後、たった1人で車内に取り残されたジョバンニは、ブルカニロ博士という不思議な人物に出会います。そして彼と話しているうちに、ジョバンニは自分の生き方の根幹となるものを見出します。 


 そして、ジョバンニは目を覚まします。そこは、もとの原っぱでした。


 彼の顔はほてり、頬には涙が流れています。


 でも、すぐ我に返り、あわてて起き上がって牛乳屋へと走ります。


 今度はなじみのおじさんが出てきて、まだ熱い牛乳を手渡してくれます。


 家路を急いで街に入ると、星祭りの騒ぎはやんでおり、街かどや店の前に女たちが7、8人ぐらいずつ集まって、橋の方を見ながら何かひそひそ話をしています。


 橋の上もいろいろな明かりでいっぱいです。


 そこで初めてジョバンニは、ついさっきまで自分と一緒に汽車に乗っていたカムパネルラの死を知るのです。このとき、ジョバンニはすべてを悟ります。


 ブルカニロ博士と話をして汽車から降りる時、ジョバンニは次のように言いました。


 「ああマジェランの星雲だ。さあもうきっと僕は僕のために、僕のおっかさんのために、カムパネルラのために、みんなのために、ほんとうのほんとうの幸福をさがすぞ。」


 この言葉こそ、臨死体験によってジョバンニが学んだことでした。


 博士は、ジョバンニとの別れ際にこう言います。


 「さあ、切符をしっかり持っておいで。おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない。天の川のなかでたった一つのほんとうのその切符を決しておまえはなくしてはいけない。」


 そして、博士はジョバンニに向かって、次のような謎めいた言葉を吐くのです。


 「ありがとう。私はたいへんいい実験をした。私はこんなしずかな場所で、遠くから私の考えを人に伝える実験をしたいとさっき考えていた。おまえの言ったことばはみんな私の手帳にとってある。さあ帰っておやすみ。おまえは夢の中で決心したとおりまっすぐに進んで行くがいい。そしてこれからなんでもいつでも私のとこへ相談においでなさい。」


 「僕きっとまっすぐに進みます。きっとほんとうの幸福を求めます。」


 ジョバンニは力強く答えます。そして博士は切符をジョバンニのポケットに入れて消えてしまい、ジョバンニは目を覚ますのです。


 以上のように、『銀河鉄道の夜』が臨死体験の物語であることは明らかだと思います。


 しかもこの幻想的な物語は、死が霊的な宇宙旅行であり、死者の魂は宇宙へ帰ってゆくという真実をうまく表現しています。さらに何よりも重要なことは、ジョバンニが死後の世界からの帰還後、「ほんとうの幸福」の追求を決意する点です。


 『銀河鉄道の夜』には興味深い記述がいろいろと見られます。


 わたしにとって特に興味深いのは、世界の海難史上最大の悲劇とされるタイタニック号の犠牲者とおぼしき人々が乗り込んでくるところです。


 船が氷山にぶつかって沈んだという点、救命ボートに子どもや女性を優先して乗せようとしたがボートの数が不足していた点、沈みゆく船で賛美歌が歌われた点など、タイタニック号沈没事件をモデルとしていることは明らかです。


 賢治はこの事件を「岩手日報」などで知り、大きな関心を持ちました。


 また事件の直後、それまでの人生で海を見たことのなかった賢治が盛岡中学の修学旅行で船に乗り、初めて海を見たばかりか船で外洋に出ています。さぞかし、彼の心は揺れ、タイタニック号の多くの犠牲者の魂のゆくえに想いを馳せたことでしょう。


 タイタニック号の犠牲者たちが賛美歌「主よみもとに」を合唱したことは有名です。


 賢治も「いろいろな国語で一ぺんにそれをうたひました」と描いたように、死を前にしてあらゆる国の人々の心が一つになった出来事に大いに感動したようです。言葉の違いが乗り越えられたという現実は、彼にエスペラント運動へ向かわせる原動力となりました。


 その他にもタイタニック号がらみの描写では興味深い部分が多いのですが、『宮沢賢治妹トシの拓いた道』(朝文社)で著者の山根知子氏が指摘した「沈没船から銀河鉄道への乗り換え」というテーマは特に注目すべきです。山根氏は次のように述べています。


 「タイタニック号は、20世紀初頭の近代科学技術を結集した、人間の驕りの乗り物として出航した。しかし、それがもろくも沈んだ事件によって、人びとは科学万能の価値観を同時に沈ませ、代わりにそれを超えて沈まない真の価値観を再確認した。賢治は、そこに浮上してきた信仰の世界の真の価値観を求める乗り物として銀河鉄道を想定し、タイタニック号と思われる船から銀河鉄道へと乗り物を乗り換えてきた青年たちの思いを語らせ、さらにジョバンニがその青年と『ほんたう』の生き方を求める問答をすることで、その価値観を吟味させたといえるのではなかろうか」


 わたしは、乗り物の問題はとても重要であると思います。


 仏教では多くの人々を救う教えを大きな乗り物にたとえて「大乗」といいますが、銀河鉄道こそは大乗のシンボルとして描かれているのです。


 そして、他の乗客に救命ボートを譲ったキリスト教徒の青年も、友人の命を救ったカンパネルラも、ともに「犠牲の愛」を実行して命を落としました。


 しかし、青年たちは「サザンクロス」で降りましたが、カンパネルラはもっと先のおそらくは銀河鉄道の終着駅である「天上の野原」まで行きます。


 ここの部分には、キリスト教の犠牲的精神に強い共感を示しながらも、「たったひとりの本当の神様」という考え方にはどうしても賛同できなかった賢治の信仰上の本音が出ているように思います。


 『銀河鉄道の夜』には、「主よみもとに近づかん」以外の音楽も登場します。


 ドヴォルザークの「新世界交響楽」ですが、この曲は死者たちを霊界へと輸送する葬送行進曲の役割を果たしています。


 その生涯が賢治との共通点も多いドヴォルザークが示した新世界とは地理的には北アメリカ大陸でした。また、キリスト教徒の青年が乗った船もおそらくはタイタニック号と同じくヨーロッパからアメリカへ向かう船であったと考えられます。


 真の「新世界」は、近代科学のみではたどり着ける世界ではない。


 それは、信仰心を基盤にしてこそ築かれるべき世界である。


 そのようなメッセージがを賢治は発しているのです。


 さらには、三次元的価値観を優先して生きるよりも、信仰を基盤とした四次元的価値観で生きることの意義が強く示されています。


 「四次元的価値観」の模型とでもいうべきものが、りんごです。


 じつは賢治の作品の中には「汽車の中でりんごをたべる人」のイメージが繰り返し出てきます。『銀河鉄道の夜』にも登場します。「鍵をもった人」である天上の灯台守が、いつのまにか黄金と紅の大きなりんごを持っているのです。


 りんごの形は「丸い」ですが、閉じられた球体の裏と表、つまり内部と外部とが反転することの可能なものとなっています。りんごとは四次元世界の模型のようなものなのです。


 また、ジョバンニとカムパネルラの前に沈没船の水死者たちがやってくる直前に、車内いっぱいに濃いりんごの匂いが充ちたとあります。


 3人の水死者たちは、早速りんごをむいて食べはじめます。


 賢治は、『双子の星』という作品の中で、「今は、空は、りんごのいい匂いで一杯です。西の空の消え残った銀色のお月様が吐いたのです」と書いています。


 つまり、お月様はなんとりんごで出来ているらしいのです。


 昔から死後の世界のシンボルとされた月の正体はりんごだというのです。


 りんごといえば、ニュートンを思い浮かべる人も多いでしょう。彼が発見した「万有引力の法則」こそは、アリストテレスも信じていた「月より上の世界」と「月より下の世界」という2つの異世界を初めて1つに統合する「史上最大の法則」でした。


 じつは、ニュートンは天上の月をながめているうちに「万有引力の法則」を発見したといいます。りんごが木から落ちるのは、すべて物体に重力があるからである。それでは、なぜ月は落ちてこないのか。その疑問が「史上最大の法則」を発見させたのでした。


 詳しくは、拙著『法則の法則』(三五館)をお読みいただきたいと思います。


 月は死後の世界であり、四次元世界である。


 そして、りんごは四次元世界の模型であり、月の正体である。


 賢治は、りんごを食べることが、そのまま四次元世界にいたる魔法であり、死後の世界を上手に渡ってゆく方法であることを示しているのです。


 ニュートンは「最後の錬金術師」と呼ばれるほど錬金術に情熱を傾けましたが、賢治によれば、りんごを食べることそのものが魂の錬金術に他ならないというのです。


 さらには、人間の死とはその魂が四次元に分け入ってゆくことだといえるでしょう。


 そう、魂が肉体を離れてゆく「死」とは「魂の錬金術」そのものなのです!


 映画「銀河鉄道の夜」のエンディングでは、細野晴臣さんの音楽が夜桜をバックに流れました。その場面は、限りなく彼岸の世界をイメージさせてくれました。


 これから夜桜の咲く東北の地の夜空には、銀河鉄道が出現するでしょうか。


 そして、多くの死者たちを乗せて、「ほんとうの幸福」が待っている場所へと連れて行ってくれるでしょうか。東日本大震災で犠牲となった御霊の成仏を祈るばかりです。